「受け継げ!領主の赤き鎧」その11
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「君が何を言っているのかさっぱり理解できないッスねぇ。
《裏切れ》?
エルベラの方言ッスか、それ?
オイラは死刑執行人としてここに来たんスよ?
そして実際に君の頭部に5発もの銃弾を喰らわせて殺した。
いいかい。
もう一度言うよ。
オイラは、君を、殺したんだ。
いったいどんな奇跡が重なって蘇生したものか全然知らないッスけど、
もしオイラが君ならこれ幸いと、
さっさと戦場からしっぽを巻いて遁走してるッスよ──」
「逃げるものですか。
ジョウはもう逃げないと決めたのです。
それより鬼軍曹殿、貴方が僕を殺したから何だと言うのです?
その程度でこのジョウが貴方に恨みを持つとでも?
――ふふん、だとしたら見くびられたものだ」
「その程度、って…」
「受けた恩のほうが鉛の弾丸より遥かに重いのです」
さらりと言って、僕は軽く屈みこむと、
床に落ちた戦略会議用の駒を丁寧にひとつひとつ拾い集めた。
《魔女》。《巨人》。《老軍神》。
静かにひとつひとつテーブルの盤上に戻していく。
《渓谷の守護者》。《巫女》。《武器職人》。《ゴーレム使い》。《変態》。《剣兵》。《槍兵》。《弓兵》。《魔術兵》。《騎兵》。《狂戦士》。《商馬車》。エトセトラ、エトセトラ。
ここに、僕と、そしてこの鬼軍曹殿を駒として加えること。
それが僕の目的である。
「──これで良し」
駒が揃って、ふたたび僕はにっこり笑う。
さぁ口八丁に手八丁、舌先三寸の二枚舌、話半分の嘘八百。
ジョウ・ジスガルド一世一代の、裏切り者で構成された対《最終皇帝》軍の旗揚げだ!
さて──。
まずはゆっくりと会議室を見渡そう。
何事もまずは観察することだ。
決して広くはない長方形の部屋であり、しかもその中心をこれまた長方形の長テーブルが占領しているので、既に8人ほどの人間(分身の魔女はひとりカウント)が詰めている会議室はかなりの圧迫感に満ちていた。
壁や天井が焦げているのは御愛嬌。
さきほど魔女と鬼軍曹殿が暴れた所為で、いまも紙吹雪のように火のついた資料がちらちらと舞っているのだ。
だから、窓もなく、太陽の届かないこの奥まった二階の小部屋は。
その紙吹雪と、かすかな蝋燭の火によってのみ照らされている。
一番扉から近い下座で起立している僕の影が、背後の漆喰の壁に(実物よりいくらか巨大に)映っていることだろう。
いいぞ。演説をするにはいいロケーションだ。
テーブルは布もかかっていない年季の入った木彫りの骨董品で、地図が掘り込まれている。
その各所に配置するためだろう、盤にいくつかの駒が入っている。
さきほど鬼軍曹殿に弾き飛ばされた不遇の駒たちだが──
安心しろ。僕が上手く使ってやる。
テーブルの右側にエルベラ側の人間が着席している。
先ほど良い様にあしらわれた【分身】の魔女は、
左右ともに苛立ちも露に鬼軍曹殿を睨みつけ。
昨夜僕の治療に参加してくれた【化身】の魔女は、
やはり眠そうに目を擦っていた。
僕の嫁、【変身】の魔女に至っては、なんとランチボックスを開け、幸せそうにサンドイッチを齧っている。
阿呆かこいつは…。
事の次第をわかっているのかわかっていないのか、まるでわからない。
とにかく参加する気はさらさら無いようだ。
そして…ジーンである。
赤き鎧の老領主。他の参加者と並んでもその体格の良さは見劣りしなかった。
こうしてまじまじと顔を見るのはなんだか久しぶりだ。
意志の強そうな太い眉。老獣のように奔放に伸ばした髪。山羊の如き髭。
額や頬のあちこちに深く刻まれた古傷がある。
(言動を別にすれば)たくましく精悍な、街を守ってきた男の顔である。
しかし今は眼が合うとばつが悪そうに表情を暗くする。
昨夜の出来事で、こいつは恐らく生まれて初めて読みを外し、その結果僕が死んだ。その事を──
ふん、意外にも、出逢ってから終始ふざけっぱなしだったこの領主は、どうやら真剣に悔いている様なのだ。
テーブルの左側はラグネロ側の人間が着席している。
漆黒のドレスの召喚兵器ミコト。眼が合った。
「あ…」
「……っ」
ぷいっと顔を逸らすミコト。
だ、だから言ったじゃん!酔いが醒めたら気まずい関係になるって!
あーもうまともに顔が見れん。こいつの観察は諦めよう。うん。
いや昨夜は何も起こってないけどな?
僕の教育係である軍人カーズは、正面で朝ご飯を食べてるチルティスを
「!?」といった表情で凝視していた。
ルールに厳格な彼にしてみればお化けでも目撃したような心境だろう。
カーズ、深く考えるのはやめておけ。
その女は貴様の常識では捕らえられまい…。
「な、何故貴様はこの場で食事なぞしているのだぁ?」と尋問したい所だろうが
「これ朝ごはんの残りなんです!ちょっと作りすぎちゃいまして…えへへ」などと返されるのがオチなのだ。
やれやれ。なんとも緊張感の無い連中である。
しかし──僕の母親、ジェノバ。
ラフなパンツスタイルの衣装に合わせて円月輪のイヤリングをしている。
あまりスカートを履かない女だ。
いや、昔僕がそうしろと言ったのだったか──もう今となっては定かではない。
彼女だけはあきらかに雰囲気が違っていた。
崩れ落ちそうに悲壮な表情。
尋常じゃない冷や汗と、強く握り締めた拳を膝の上に。
まるで体を濡らす雨の冷たさに耐える犬のように。
可哀想になるくらい震えていた。
僕の報告を聞いてからずっとそうだ。
父親を討つと言った僕に、賛同するのか。
あるいは敵対するのか。
そう…彼女にとっては夫か息子かを選ばなくてはならない、重要な局面なのだ。
「ジョウ…なんて事を…」
「く、う…あ、あ──」
「あたしはどうすればいいの、ジャンクヤード…?」
いつもの飄々とした態度など吹き飛んで、がたがたと震える己の肩を抱いている。
…父親と母親が互いに抱いてる複雑でアンビバレンツな感情に関しては、またいずれ語ることになるだろう。
恐れてもいるし。愛してもいるとだけ。
いまの息子の立場からはそれしか言うことは出来ない。
こればかりは、僕もあいつも「自分についてこい」といった命令はしまい。
貴様が決めるのだ。ジェノバ。
10数年間も傀儡だった貴様が、きちんと自分で選び取った答えならば、
どんな結末であれ僕は後悔しない──。
僕は思わず切なさの形に歪みそうになった表情を必死でおさえて、
いかにも余裕で無邪気な笑顔を作る。
いまから鬼軍曹殿を寝返らそうと言うのだ。
弱みなど見せてなるものか。
「…鬼軍曹殿。
さきほど《僕の為に故郷を裏切ってください》などと言いましたが、
これは実際、僕の為ばかりでは無い。貴方の為の忠告でもあるのです」
「オイラの為?故郷を裏切ることがッスか?」
「ええ…父が帰還したからには蒸気都市も従来の形ではいられないでしょう。
今以上に残酷に、今以上に理不尽に、
果てしなく醜い奇形国家へと変貌していき、悪性の腫瘍のごとく世界中に向けてひたすら戦線を拡大していく事は間違いありません。
眼も眩む、絵にも描けない、酸鼻を極めた大虐殺が行われます。
ラグネロの未来に待ち受けているのは幾千幾億の屍山血河、ただそれのみです。
──鬼軍曹殿。あなたもさらにその手を汚すことになる」
穏やかな顔はそのままに、出来る限りの低い声で。
僕の正面に座る黄金の鬣の彼には、蝋燭の火によって僕の背後に生み出された巨大な影もまた視界に入っている筈だ。
光背効果。
思想演説の際によく使われる手法である。
最大限演出された迫力を軽く笑い飛ばすように、鬼軍曹殿はかぶりを振る。
「へっ──オイラの手など既に血まみれだよ」
「甘い」
ずばりと斬り捨てた。
彼もさすがに少し驚いたのかわずかに眉を顰める。
うう、鬼軍曹殿にこんな舐めた口を聞くのは初めてだ…胃が痛い…。
後でどんな仕打ちを受けるか判ったもんじゃないな…。
しかし言うべき事は言わねばならない。
「あなたは、確かあの男と戦場を共にしたことがありませんね。
それは類稀なる幸運ですが…その楽観的な態度は甘いと言わざるを得ない!」
朗々と歌い上げる。
ビビるなジョウ・ジスガルド。
貴様はここで退くほど殊勝な性格じゃないだろ?
「あの男の名を御存知ですね」
「? 最終皇帝ジャンクヤード・JJ・ジスガルド13世ッスか?」
「まさしく。あの男にとって全ての戦場はジャンクヤード…
墓地であり、壊れた玩具箱であり、子供の遊び場です。
これまでの戦場とは訳が違う。
捕虜はもれなく拷問し、占領地に永遠に残る毒を撒く。
ゴーレムには敵国の子供をくくりつけて盾とする。
進攻先の町に黒死病を蔓延させるために、
投石器でぐずぐずの腐乱死体を降らせるなんて事は日常茶飯事だ。
それを命じられる兵士もたまったもんじゃない。
鬼軍曹殿、想像するだけでも気持ちいいもんじゃあないでしょう?」
「…まぁ、そうッスね」
「しかしあいつだけは、その光景をお祭りかなにかのように愉快に眺めることが出来るんですよ」
率直に言って。
人間じゃありません──と、僕は低い声で呟いた。
喋るのを止めると、会議室は静まりかえる。
僕以外に喋っている人間がいない証拠だ。いいぞ。
この場を僕が支配し始めている。
すこし間をおいて、焦れた誰かが口を開きそうになるの見計らって、
また僕は静かに語りだす。
「…大義なき戦争。
ただするためにする戦争。
あの男は加害者の心すら蝕む悪魔の戦争を好みます。
食料問題でも、宗教闘争でも、国境争いでも…、
誰かの為に戦う戦争ならば兵士はまだ正常でいられますが、ただ残虐さの為だけに行われる戦争は関わった者達すべてを駄目にしてしまう──」
そう。
どんなに血塗られた戦であろうとも、兵士達は誇りを持って戦っているのだ。
どんなに独善的であろうとも、自国の大義の為に命を捧げているのだ。
あの男が蒸気都市の指揮をするようになったらその根拠すらも奪い取られる。
蒸気都市というブレーキなき暴走機関車が、
レールすらも外れ、殺人衝動だけを原動力に動き始めたとしたら…。
「これまで、まだしも人間でいられた兵士達が身も心も
殺戮機械へと造り変えられていきます。
それに付いていけなかった者は良くて処刑。
悪くて拷問の末、処刑です。
あの男が帰還したこの数日で、それに気付けた者達は幸福です。
ラグネロから逃げるという選択肢を与えられたのですから」
「……」
「これから蒸気都市ラグネロから離反する者が続々と現れるでしょう。
いや…彼らが故郷を裏切るのではなく、故郷が彼らを裏切ったと言うべきか。
とにかく。
僕はその“彼ら”を味方につけてあの男と戦うつもりです。
その時に貴方が傍にいてくれたのならば、こんなに心強いことはありません!」
「…っ、ジョウ君、オイラはまだ故郷を裏切るとは…」
「貴方が!」
強引に遮る!
「貴方が味方についてくれるなら、最終皇帝ごとき僕が完全粉砕してみせます!
だからあんな最悪な男に媚びないで下さい。
怯えないで下さい。憚らないで下さい!
あなたからはジーンやミコトと同じ強さを感じるんだ。
それは誰にも退くことなく、媚びることなく、顧みることなく、怯えることなく、阿ることなく、憚ることなく、臆することなく、逃げることなく、侮ることなく、蔑むことなく、傷つけることなく、差別することなく、誇示することなく、閉口することなく、泣くことなく、竦むことなく、乞うことなく、厭うことなく──
誰にも負けることのない、神の如き獣の強さです。
己の目的のために生き、己の満足のために逝く。
それが神獣という生き物でしょう。
鬼軍曹殿もそれは判っている筈です。
──さぁ、人間ごときにここまで言わせないで下さいよ。
いつまでこんな虚弱なお子様に悲壮極まりない懇願をさせるおつもりですか?
ジョウはそろそろ貴方の口から神獣らしい台詞を拝聴したいのです!
強い敵にこそ立ち向かい、恐怖を打ち破り、
“面白い”と感じる方向へと足を踏み出す、
最高に格好よい貴方のお言葉を待っているのです──
即ち「君なんかより最終皇帝と一戦交えるほうが“面白そう”だ」──とね!」
一気に喋り終えた僕は、会議室の地図の掘り込まれたテーブルに両手をついて、しばしそのままの姿勢で待った。
鬼軍曹殿の、返事を待った。
…。
呼吸も、瞬きも、唾を飲み込む動作さえも忘れて。
……。
ただ、待った。
「…ジョウ君」
やっと呟いた鬼軍曹殿はゆっくりと白い軍服を揺らして立ち上がる。
皆が無言で見守るなか、静かにテーブルを迂回して僕の所まで闊歩し、
すぅ──と僕の肩に手を置く。
そして、
*ぐるっ
うおっ──!?
どういう力の作用なのか、僕は切れ味のいい足払いと同時に上半身を引っ張られ、床に叩きつけられてしまう!
「っ、おに…」
「君、オイラのことを鬼軍曹って呼ぶけどさ…
それってフツーに悪口ッスからね。以後は改めること」
今更と言えば今更すぎる突っ込みをして、
鬼軍曹殿は倒れ伏した僕の背中を足で踏んづける。
ぐぁっ…蘇生したての体があちこちで悲鳴をあげてる…!
ぼきばきごき!とヤバい音までし出した。
い、いかん、説得は失敗したかっ!?
──いや。
(ふ、“以後は改めること”か)
僕はすぐさまそれに気付き、苦痛にゆがむ顔を無理に動かしてにやりと笑った。
「…イエッサー、軍曹殿。“以後”気をつけます」
「うん、それじゃあまぁ、今後ともヨロシク」
「…僕、もう起立してもいいですか?」
「駄目だよ。そのままの姿勢で腕立て200回」
ええー。
って無理です鬼軍曹殿。いま僕マジで箸も持てません…。
「冗談、冗談。
ただ君の思惑通りになるのも癪ッスからねぇ。
ちょっとした仕返しだよ」
ふっと笑った鬼軍曹殿が、倒れた僕に手を差し伸べる。
それを恐れずに掴む。
よろよろと立ち上がって──肩を並べる。
数年ぶりにこんなに間近で見た気がする。
やはり涙が出そうな程に懐かしき顔だ。
「…いいんですか?」
「いいよ。君のために祖国を裏切ろう」
商店街の店先でパンを買うより気安い返事だった。
「……別にあの男に対して怯えていたつもりは無かったけど。
ただ、やっぱり衝突を避けていたような所はあったんスねぇ。
オイラとしたことが。
《自分より強い存在に平伏すのが大好き》なんて標榜しながら、
実際に戦ってみる前に、自分から尻に敷かれに行くなんて…。
やっぱり、戦って、立ち向かって、そのうえで平伏さない限り、
真の屈服とは言えないッスよねぇ」
それに、と、栗毛色の鬣の彼は眩しげに笑う。
「確かに…弱っちい君なんかより、
あの親父殿を倒すほうが――“面白そう”ッス」
僕も笑う。
「そんな貴方だからこそ、
僕は今でも心の底から尊敬しているのですよ──鬼軍曹殿」
「おに?」
「あっ…ぐ、軍曹殿!ちょっと待って下さい、今の無しでお願いしま」
“鬼”を取るのを忘れた僕が、
もう一度ひどく投げられたのは、言うまでもないお約束だった。
そのとき、突如としてそれは起こった。
仕方が無い。
災害というのやつはいつでも突然なのだから!
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
*WARNING*
「──っ!?」
「ふえっ」
「な、なんだっ!?」
いきなり何の前触れもなく、耳を劈く大音量で館中に鳴り響いたこれは…警報、だろうか?
「お、おいジーン、なんだこれは、何が起きてるんだ!?」
「む…どうやら敵襲のようじゃ」
「て──」
*敵襲!?
しかし、こんなの初めて聞くぞ?
魔獣バハムートが襲来した時ですら鳴らなかった種類の警告音だ。
一体、何が襲ってきた──!?
「モニタに映そう」
ぱちんとジーンが指を鳴らすと、会議室の壁がスクリーンになって
外界の様子を一瞬で描き出す。おおっ!
画面を走るノイズ。
荒野だ。
砂埃と風が強く吹いている。
そこに。
そこにいたのは──たった一人の人間。
いや、多分、人間であろう。
真っ黒い鎧に身を包んだ何かが、のんびりと大地を踏みしめて歩いていた。
「…こ、こいつは…!」
見覚えがある。
僕の元故郷で最も“触れるな危険”の扱いを受けていた存在。
目視した時点で負けと言われるほどの最悪の現象。
触れただけでその部隊は陣地ごと壊滅すると噂される伝説の語り草――。
鎧袖一触。
「こいつ──世界三奇人のひとり、放浪者アロウ・アイロットだ!」
その人間災害が、まさにこの機神都市エルベラに向けて、
第一種接近遭遇を開始していた。
…衝突コースだった。




