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機神エルベラ  作者: 楽音寺
第五章 受け継げ!領主の赤き鎧
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「受け継げ!領主の赤き鎧」その7

-7-


風の大陸アールヴは八つの季節がある幻想的で風光明媚(ふうこうめいび)な場所だけど、

現在の機神都市エルベラは生憎(あいにく)ながら、

長い長い長ぁぁぁい灼熱の季節である。



うだるような暑さの中でも人は働かなくてはならない。

夏休みがあるのは僕達のような子供ばかりだ。


農夫たちは夏野菜の収穫に忙しく、

大工は日照り対策のための用水路を作り、

主婦は家族の健康に気を配る。


干し柿の入ったジェラートや甘い小豆で彩られた東方の氷菓子が飛ぶように売れるこの時期、薬菜飯店(やくさいはんてん)女将(おかみ)もほくほくの恵比須顔(えびすがお)といった所だろう。


そして過酷な日中の仕事を終え、各々の娯楽を味わった人々も帰路につき、

街がすっかり眠りについた頃。


──今宵(こよい)も熱帯夜といっていい蒸し暑さで、

僕は余りの熱にうなされ深夜に目を覚ましたのだった。



汗を掻いている。

青白い患者衣がじっとりと濡れていて不快極まりない。

簡素なベッドの脇にあるサイドテーブルに、僕の剣と畳まれたマントが置いてあり、そのすぐ向こうに月光に踊る様にしてカーテンが揺れていた。鬱陶(うっとう)しい。手を伸ばして布を引く。


どうやら二階であるらしかった。

窓の外にはエルベラの商店街のあたりの町並みが静かに(たたず)んでいて、

時折、常緑樹(じょうりょくじゅ)(こずえ)が風に揺れる音がするだけだ。


僕はその微風(そよかぜ)を受けて暫く体の熱を冷まし、

やっとひと心地ついてから思考し始めることにした。


「…さて、ここは何処(どこ)だ?」


──いや、その前に、僕は確か死んだのではなかったっけ?



ベッドに横たわったまま右手を動かしてみる。

「ぐぅっ──」

…痛い。

なるほど、夢オチではない。


全身はちょっと身じろぎしただけで音を立てて(きし)んでいるし。

撃ち抜かれた額には(かす)かに3つの穴の傷痕(あと)があり、

エルベラ操縦者の証である紋章が破壊されていた。


(あご)はちゃんと在るな。しかし頭蓋骨の骨格まわりを金属で補強されている様だ。


じっと手を見る。

乾いた血の跡。

大人と比べるとどうしても頼りない小さな僕の(てのひら)


握った手の熱さが僕に残酷な事実を告げていた。


──間違いない。

生きている。



「……くそっ」

ベッドに横たわったまま、ぎりっ…とシーツを握り締める。


「何でだよ…さすがに死んでなきゃおかしいだろ…あれは…」


奇跡の生還にもかかわらず、しかし僕の胸中はあろうことか、

だんだんと絶望の色に染まっていった。


握り締めた手に、熱い涙が一粒落ちた。



ちくしょう。


もう──生きていたってしょうがないのに。


裏切りを疑われたんだ。

処刑されたんだ。

もう僕は故郷に帰ることは出来ない。


「もう僕に存在意義などないんだ…なのに──何故生きているんだよ」


くそっ、くそっ──と繰り返して、次々と零れる涙を抑えきれず。


頭の中で反響するのは訓練兵ですら知っている初歩的な兵士の心得だ。

()キテ虜囚(リョシュウ)(ハズカシ)メヲ()ケズ”。

今の僕にはあまりにも…皮肉な言葉だった。




と。


「やっほー、御無沙汰(ごぶさた)だね“ジョージ様”! 目は覚めたかい?」

「うお…っ!?」


僕はあわてて目を(こす)る。なんだよもう、ノックくらいしろ!


声の主はいきなり扉を開けて、おっとっとー、などとふざけつつ、

(ぼん)に水差しを載せて部屋に入ってくる。


その姿には見覚えがあった。


豊かな黒髪に花を挿した移民風のウェイトレス。看板娘のシーナだ。

彼女は超にこやかに元気よく登場したかと思えば、自分で閉めた扉にエプロンのすそを挟んでしまったらしく悪戦苦闘し、「ふんぬー!」とか叫んですそを引っ張り出した反動で僕のベッドに勢い良くダイブした。


ベッドの背もたれに上半身を起こしている僕のそばに、

ぼっふーん!と腰を落とすシーナ。


「痛ったぁあ…お尻がふたつに割れるかと思った…」

「……(馬鹿かこいつ)」


水差しの盆を零さないのは流石だったが…。

落ち着きがないにも程がある。

結局、入室して3秒で僕の隣に座ったシーナは、近距離で目が合うと、

照れ隠しのためか、あははと笑った。


そうか…とすれば、ここは冒険者の宿《エディプスの恋人》亭なのか。


領主館の赤い絨毯に倒れ伏してからここまで、一体何があって運ばれて来たんだろう。いやそんなことはどうでもいいが、まさか今の涙を目撃されたりはしてないだろうな…。



「ん?どしたのさ、そんなジト目で睨まれたらお姉さん照れちゃうし」


僕は非難の意図を込めて。


「…よう、おはようシーナ。

あいかわらず牛みたいな乳をしてるな。肩は凝らないのか?」


開口一番セクハラしてみた。

特に意味はない。が、まぁ強いて言うならこれは体調チェックだ。

僕という男は悪口・挑発・罵詈雑言がスムーズに出るかどうかが

健康のバロメーターなのである。


「あはっ、ばーか!」

シーナはちょっと赤らめた笑顔で、

抱えていた盆を振り上げ、僕の頭の上に振り下ろした。


ぱっかん。

いい音がする。


ふん、どうやら鬼軍曹殿に撃ち抜かれて零れた脳もちゃんと元通り詰まっているようだな。若干の後遺症はあるものの、身体は憎たらしいほど復活しているようだった…腐った心とは裏腹に…。


「私をからかうなんて10年早いぞ、おませさん」とシーナが笑うので。

「馬鹿にはしてないさ。大きい事は良いことだぜ」と僕も平気な風を(よそお)って答えた。



「なにか飲むかい“ジョージ様”?」

「うん、ミルクを頼む」

「水しか無いから水を飲みなよ」

「なっ…じゃあ何故注文を聞いた!?」


すげぇいい笑顔で「水を飲みなよ!」とか抜かしやがったこの傍若無人ウェイトレス。っていうか水しかねぇのかよ。ここは何屋だよ。ソフトドリンクくらいあるだろ?


それがねぇ、と、困ったような笑ったような表情で返す看板娘。


「いまウチにはほんとーに何にもないんだよ。

なにせ少しでも酒精成分(アルコール)が含まれてる飲料(ヤツ)は、

ずぇーーんぶこの娘が飲んじまったんだ」


「なに?」


シーナが「ほら」と指差した先を見て──僕は思いっきり肩を落として呆れた。


僕のベッドの脇、というか僕の足元にすがりつくようにして、

今まで気付かなかったのが不思議なくらいすぐ(そば)に、

だらしなく緩んだ口元から酒の匂いをぷんぷんさせている、

真っ赤な顔の召喚兵器ミコトが寝ていたのだから。




「むにゃむにゃ…うぃっく、すぴー…ひっく、ぐーぐー…けふー」



べろべろに泥酔しながら寝ると人はこんなにも騒がしいのか、と逆に感心したくなるよな寝息を立てていた。


着崩された漆黒のドレスもひどい有様だ。


小さな細い肩ははだけてしまってその淡く桜色にそまった少女の肌を際どい所までのぞかせているし、左腕に嵌った腕輪(バングル)と金鎖の短剣(ナイフ)は、彼女の足元に置かれた(酒の(さかな)であろう)皿の上のチーズに突き立っている。


ドレスの(すそ)は彼女自身の太ももによってまくりあげられていて、つまり片膝たてた姿勢で僕のベッドにだらしなく寄りかかっていた状態だったわけだ。


切り揃えられた黒髪だけが、乱れる事なく、

お嬢様たる彼女の悩ましげな寝顔をそっと隠していた。



隣に腰かけたシーナが自分の肩で僕の肩を押すようにして楽しげに冷やかす。



「“ジョージ様”…この娘さっきまでずーっと泣きっぱなしだったんだよ。


きみを治療する為にこんな遅い時間だってのに街中の皆を集めてさ。

医者が君の体を修復して、魔女の末っ子ちゃんが君の魂を降霊して、

領主サマが君の命を定着させる作業をしている間も、


『お願いだからジョウを助けて欲しいですわ』って必死で頭を下げてたんだ。

こんなクールで無表情な娘がだよ?


いやぁ、チルちゃんといいこの娘といい、なかなか女泣かせだねぇ、

“ジョージ様”!」



「……」


ミコト。

自らの手で葬った魂を使役する召喚兵器の少女。

罪に(けが)れた魂を救済することが出来る地獄少女。

普段見えにくい彼女の慈悲は、世間から嫌われ(うと)まれる者達にこそ注がれる。


だから…僕はベッドの(ふち)に頭を乗っけてぐーすか眠るミコトの黒い髪を

さらりと撫でてやりながら。


「…違う。こいつは悪人が好きなだけさ。僕を好きなわけじゃない」

と弁明してやる。


「はにゃ?それってどういう意味?」

「貴様は判らなくていい」


目の前で、救うべき罪深い魂が掌をすりぬけて消えていく時の彼女の気持ちを。

判ってやれるのは僕だけでいいんだ。



「…まぁ、こいつのこういう一面は、決して恋愛感情じゃあないってことさ」


「そうかにゃー」とつまらなそうに呟き、シーナは泥酔して寝ているミコトの頬をぷにんと(つね)って遊びだした。なんか悲しそうな顔でふにゃふにゃ言うミコト。悪夢でも見ているんだろうか…。



「しかしこいつ、確か結構な酒豪じゃなかったっけ?

いくら飲んだらこんなに泥酔できるんだか…」


「そうよね、いくら飲んでも潰れなかったから、仕方なく当店の必殺酒

竜殺し(ドラゴンキラー)》を(たる)いっぱいお見舞いしてやっただけなのにね」


「おい」


濃縮アルコール液みたいな銘柄じゃねーか。

たしか度数240パーセントとかいう化け物じゃなかったか?

そんなもの客に勧めた事実を誇らしげに言うな。普通に殺人だからなそれ!?



あっはっはっは、まぁいいじゃん、と看板娘はあっけらかんと言い放ち、

「さ、“ジョージ様”も目覚めたことだし医者でも呼んでくるか」と

盆を手に部屋を出て行った。



「そいじゃ私はお(いとま)します。久しぶりに話せて楽しかったよ」



ばたん。



「あ、ちなみにその娘キス魔だよ!

やったね唇を奪う大チャンスだ!

大丈夫チルちゃんには内緒にしてあげるし!」


「音もなく扉を開けて戻ってくるな!早くあっちいけ!」



ばたん(二回目)。



まったく…。


脇役であるはずの看板娘シーナとの会話が思った以上に楽しすぎて、

異様に(ページ)を浪費してしまったではないか。

雰囲気も大きく変わってしまった。


本来は生き返った処刑後の僕が落ち込みまくって、

(うつ)状態になるシーンなはずなのに…台無しだ…。



しかし──ふふん。少し嬉しくもあるな。


こんなにも落ち込むことを許してくれない明るい登場人物(ひとたち)に囲まれているのだ。


主人公たる僕がうじうじと悩んでいてはサマにならない。


やっぱり僕は、尊大に、偉そうに、

ふんぞり返っている方が圧倒的に似合うのだ!


いいだろう。


もう泣かないぞ。

落ち込まないぞ!

いま自分に出来る事を、精一杯の努力でするのみだ!




僕はベッドから飛び起き(体が軋んで滅茶苦茶痛かったが)、

サイドテーブルのサーベルとマントを力強く手に取った。


ひんやりとした木の床に素足をつけると、

全身に熱い血液が巡っているのが実感できる。


僕は文字通りに生まれ変わったのだ。

何かが出来るはずだ。

何ができる?


――まずは鬼軍曹殿の誤解を解くことだ!


明日の朝 開かれる軍法会議に出席し、

自分の正当性をはっきりと主張し、

そして、そして、奇跡が起きたなら──



やる気を(みなぎ)らせて、僕はカーテンを開け放った窓のそばで、青白い患者衣を脱ぎ捨てる。全身鎧もベッドの傍にあるだろう。

着替えよう。いつもの僕を取り戻すのだ!




──と、僕が半裸になったところで。

「ううん…ジョウ…起きたんでつの?」


!?


な、なんだと…ミコトが覚醒しやがった…。


考えてみれば僕はかなり元気よくベッドから飛び起きたのだから、

僕の足を枕にして寝ていたミコトが起きないはずは無かったのだけれど。



髪をひとすじぴんと跳ねさせ(寝癖)、焦点(しょうてん)(さだ)まらない半眼で、

あたりをきょろきょろ見渡す少女。

やがて目の前の僕を見つけると、ぱぁっ!と桜色に染まった顔をほころばせる。


「いっ、生き返ったんでつのねー!!じょー!

やったぁ、みことは、みことはすごくしんぱいで…!」


「ぐあっ」


ぎゅっと僕を抱きしめるミコト。

うう、酒くさい…っ! かなり酔っぱらってるぞこいつ…!

いまにも頬擦(ほおず)りせんばかりの喜びようである。


「すりすり」

ていうかされたー!頬擦りされたー!?


「えへへへへ~~~~~~!

じょう、おかおが赤くなってるでつよ。うぃっく、かわい~♪」


「じっ人格変わりすぎだろ! 誰だお前!? 泥酔したらそんなになるの!?」



いつだったか、狩人フリアグネがミコトと一緒に酒を飲んで珍しい一面を見た、

みたいな事をぬかしてたが…

あ、あれはこの事だったのかよ!!


地獄少女ミコト。

召喚兵器、お宝ハンター、お嬢様、僕の相棒、生意気な妹ポジション──

そしてツンデレならぬ酒乱デレ!


なんということだ、そんな意外な属性も持ってたんだな!

ちくしょう振りほどけないし!



ミコトはぐすぐすと泣き笑いしながら、

僕の胸に耳をあてるようにして強く抱きつく。


「じょう…むじひでざんこくな()から救ってあげれなくって…

本当にごめんなしゃい…。

みことはじごくのばんけんとして恥ずかしいでつわ…。…ひっく。

みことは、みことは、じょーが撃たれて()んだとき、

一緒(いっちょ)にあの世へ逝こうかと悩むくらい…悲ちかったでつよ」


「あ、ああ、そう…。

でも別に死んだのは貴様の所為じゃないし、気にしなくて良いんだけど…」


「じょーは優しいでつのね…」


くっ…と首に絡まった手に力が(こも)る。

ミコトが猫のように身を寄せてきて、

微熱でもあるかのような熱い体温が僕に伝わる。


「お、おい…」

僕の心臓の鼓動も伝わりそうで怖い。

彼女のブラウンの眼が()れて(うる)んで…そしてふっと閉じられる。


「!?」


わずかに角度をつけた顎先。花びらのような唇が軽くつんと尖っていて可愛い。

思わずその細い肩を抱いている僕に向かって、ミコトは眼を閉じていた。

《眼にゴミが入ったので取って下さい》のジェスチャーだろうか?

もちろんそうでは無い。そんな訳あるか。僕も混乱している。


(こ、これはもしや……)


まずい。酒乱デレどころじゃないもっと重大な属性を忘れてた!

そう、さっきシーナが言い残していった悪夢のように恐ろしい属性…!


──【キス魔】のことを!



「ちょっ…待…っ」

「だーめ。もうきめたの。キスするの」


酔いの所為だろうか、甘く舌ったらずな童女(どうじょ)のような喋り方になったミコト(泥酔ver)の嬉しそうな顔が、僕の顔に向かって第一種接近遭遇を開始している!


衝突コースだ!ややややばい!


ここでこんな関係になってしまったら、

酔いが醒めてから気まずい関係になること必至だぞ!?


僕達はまだ12歳なんだぞミコト!


そんなメロドラマみたいな気まずさとか経験しなくていい年頃だろ!


だから止めろ!止まれ!とま──



「とっ──」



「もう二度とみことの目の前で()なせません…。

これは誓いのキスでつわ──」



僕よりいくらか背の低いミコトは…そっと小さく背伸びをした。

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