「受け継げ!領主の赤き鎧」その3
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「くく…ジョウ殿、優勝おめでとう。ひとあし先に飲っておるよ」
と言ったのは、相変わらずのにやにや笑いを浮かべた老軍神ジーンだった。
暖炉のともる大広間。
ふかふかの絨毯と長い長いテーブルと猫足の椅子。巨人の絵。
並べられたふたつの果実酒のグラス。
あの夜、館に辿り着いてからその玄関先で別れ、
嫁も妹も相棒も変態も、
各々のねぐらへと帰っていった後、
僕はひとり、傷ついた体を押して、一連の出来事について、
領主に文句を言いにいったのである。
その矢先に、この笑顔である。
なんかもうジーンの笑顔を見た途端に不満が爆発する僕だった。
「──っ、この糞爺ぃめ!なにがおめでとうだぁあっ!
いつもいつも気まぐれで人を振り回しやがって!
台風か?タイフーンなのか貴様は!?
僕に内緒でエルベラのパイロットを決める大会を開催するとか有り得ないだろ!
見ろ!貴様が開催したトーナメントの所為で、
僕は一日に二度も釘バットで足首を殴打されたんだぞ!」
二度、というのは、切断された右足の治療と、石化した左足の治療である。
なにしろ4連戦もしたのだ。
その他諸々、全身の擦過傷やら骨折やらはいまだに残っている。
「いや『おめでとう』じゃよ。
それくらいで済んで幸運じゃったという意味で」
「な、なにその言い草っ!?」
「本音を言えばわし、もっとジョウ殿は
派手に叩きのめされてくれると思っておったんじゃがなぁ。
わくわくしながら絵画魔術で映像を見ておったが、がっかりじゃよ。
血がどばーの、内臓がべちゃーの、脳がぱーん☆の
惨劇スプラッタショーを期待してたのに」
「貴様は僕に死ねと言ってるのか!?」
「うむ!」
「うむじゃねーよ!」
力強く頷くな! いい笑顔すんな! 親指を立てんな!
こ…この野郎、まさかラグネロからのスパイである僕を味方に引き入れる振りをして、ただ遊んでるんじゃないか…?
老領主は美酒の入ったグラスを宙に燻らせながら自分の書いた筋書きをうっとりと語る。
「まずジョウ殿がコテンパンにやられるじゃろ?
その絶望に包まれた劇場にわしが降臨してジョウ殿を生き返らせるんじゃよ。
『まだ死ぬには早いぞ英雄よ!』とか何か言いながら格好よく現れる領主!
その復活劇を経てみごとに優勝する街の英雄ジョウ殿!
トロフィーを手にわしと握手。観客ガン泣き。わしの支持率あっぷっぷ」
「そんな茶番の為に僕を死地に送り込むな…。
なんだその腹黒さ。貴様の支持率などたった今地に落ちたわ」
あっぷっぷなどと可愛く言っても誤魔化されないぞ。
いやもう本当に、こいつにはいつかきっちりと復讐しなければなるまい。
こんどエルベラに搭乗したらあの超巨体で軽くデコピンしてやる。
「がはは。ま、実際後遺症などは残らなそうで良かったではないか。
ジョウ殿の対戦相手であったあのゴーレム機操術士四天王(笑)など、
全治1ヶ月の怪我でしばらくこの街に療養することになったそうじゃぞ。
以前パーティに来たメノウ男爵が“怪我自体より治療が痛い”と評判の
保健室のメイドを派遣してくれたから、色々助かっておるがの」
「どんなナースだよそれ…」
僕がされたみたいに傷口をミンチにしたあとで治すとかか。
もうキレのいい突っ込み言葉すら出ず、
僕は脱力して(勝手に)テーブルの椅子をひいて座る。
足が痛いのだ。ついでに飾ってある林檎を(これまた勝手に)とって齧った。
しゃりしゃり…。甘い。
今回は歯が折れなくて良かったな、と思う。
しかし──
確かに我ながらあのバトルは綱渡りのような危険度だった。
両足の切断と石化程度なら、
損害は軽微だったと喜ぶほかない出来だった。
4体のゴーレムと、急場しのぎのアイテムだけで戦うなんて前代未聞だろう。
フリアグネが加勢してなかったら…と考えると今更ながらにぞっとする。
あの変態には感謝したくないけれど。
ゴーレム機操術士四天王(笑)、お宝ハンターチーム《ブレーメン》か…。
いい加減、(かっこわらい)をつけるのをやめてやろうか、と思わなくもない。
どちらかと言えば邪悪であり、街の敵であり、
かませ犬でもあった彼らだけど──見所はあった。
(僕は一度剣を交えた相手のことをそれなりに認めてしまう癖がある)
なんだか再登場しそうだしな。
椅子の上に半ば胡坐をかくような姿勢で、肘を突きながらガブガブと林檎を齧る僕の行儀の悪さを見咎めもせず、それどころか反抗期の孫の仕草でもみるような微笑みを浮かべながら、ジーンは唐突に言った。
「ところでジョウ殿、客が来てるよ」
んぐ。
「客…だって?」
言われて僕は、首を巡らせて室内を見渡す。
と、長いテーブルの向こう、老人の真逆の席に、優雅に足を組んで座っている男を発見した。
彼こそが、いつもにこやかな鬼軍曹、ルドルフ・イージューライダーだった。
「…っ!!??」
僕はガタッと椅子を鳴らし、蹴飛ばすように立ち上がる。
思わず「鬼軍曹殿!」とその名を呼びかけたが(“鬼”は余計である)あわてて気持ちを抑えた。
な…なぜ軍曹殿が!?
疑問と驚愕で混乱しかけたが、なによりも、
胸を襲う圧倒的な懐かしさで、僕は不覚にも泣きそうになった。
──まさか。
まさかこんな世界の果てみたいな僻地で、僕の人生の師に会えるだなんて!
ああ、にやにや笑いの領主さえ見ていなければ、
駆け寄ってその足元にかしづきたいくらいなのだが!
僕のそんな様子を、ルドルフ軍曹は楽しそうに眩しそうに、
優雅に椅子に腰を落ち着けたまま眺め、そして微かに頷いた。
積もる話はまたあとで、と言うことだろう。
ルドルフ・イージューライダー。
年の頃は24くらい、だっただろうか。
いやあれは三年前の話だから今は──27か。
階級は軍曹。ぼくの5つ上。
もともとさらに位階の高い文官であったにも関わらず前線に下りてきた変わり者で。
『戦場の聖職者』とも。
『燃える鬣の牡鹿』とも呼ばれていた。
鹿の毛のような、ウェーブがかった栗色の髪。
首筋が隠れるほどに長いそれを、
ただ一房、澄んだ右目と左目のあいだに遊ばせている。
瞳も眉もやわらかな茶色。
まばらに生えたあご髭も。
太陽に眼を細めているがごとき微笑みも──
そう、すべてを優しく慈しむような愛おしむような、そんな印象の──
懐かしき鬼軍曹殿の姿である。
獣のたてがみのような優雅にして野性的なその長い髪とは対照的に、
白く清潔感のあるエリート幹部の軍服に、いくつもの紋章とバッヂを携えている。
それは撃墜した敵の数と、救った味方の数。
彼が有能で、敏腕で、信頼された兵士であることを表していた。
そんな誇りそのものといった白いジャケットを、何気なく、袖も通さずに肩にかけて、金の釦のひとつも閉めず、まるで『デザインが格好いいから着てるんだよ?』とでも言わんばかりに着こなしていた。
「──やぁ、ジスガルド二等指揮官」
低く、ハスキーな落ち着いた声。
ひさしぶり、といった調子で実に軽く手をあげた、
この人物と僕との関係については説明が必要であろう。
この僕ジョウ・ジスガルドは、蒸気都市ラグネロに生を受けてから
3歳までの期間を、湖のほとりの家で平穏に暮らしたことがある。
僕にある唯一の平和な記憶だ。
花が好きだった。湖で泳ぐのが好きだった。
母の読む絵本に胸をときめかせながら安らかに寝た。
この頃は僕も普通の、汚れのない目をした子供だったのだ。
それもすぐに終わりを告げ、3歳の誕生日を境に戦闘訓練が始まる。
花を摘んでいた小さな手に重いサーベルを握らされ、
童謡を口ずさんでいた唇は人殺しの魔術を唱える。
僕の世界は一気に荒み、あらゆる命を
殺せるものと殺せないものとで区別するようになった。
傀儡めいた母にも辛くあたった。
ときおり帰還してくる父に血を吐くまで稽古をつけられたりもした。
肺を破られたのは、あれは7歳の頃だったかな?
よく覚えてないな。
まぁ、辛かったような、
珍しく後悔している父の顔を見て「ふん」と思ったような──。
そんな日々が続いて、8歳の頃。
僕はとうとう軍人として戦場に派遣されることになった。初陣である。
その日の朝、教育係のカーズが僕に軍服代わりに全身鎧を着せてくれた事を覚えている。少年兵の生存率は13パーセント。その全身鎧はカーズなりの餞別だったのだ。
そして全身鎧とサーベルと鉄魔術を携えて、すっかり性格の捻じ曲がった僕は、
訓練兵たちが所属する隊のなかでも群を抜いて有名な鬼畜部隊…
ルドルフ隊に入隊したのである。
前置きが長くなったが仕方あるまい。
捻じ曲がった僕の精神について描写しなければ、その僕を立ち直らせてくれた存在の凄さは伝わらないのだ。
そう──鬼軍曹殿、ルドルフ・イージューライダーの凄さは。
(はじめまして。訓練兵042。今日からオイラが教官だ)
(常識と倫理と道徳をまとめて捨てることをオススメするッスよ)
(死にたくなければね)
(うわっ、何してるッスか、もったいない)
(いつもそんな風に吐いてしまうのかい?)
(…そうか、君は料理の味というものが理解できないんスね)
彼の言葉は全て思いだせる。
(どうして君はそう部下に冷たくするんスか)
(指揮するということは縛ることじゃないッスよ、ジスガルド三等指揮官)
(これしか遣り方を知らない──だって?)
(……君もそうされたのか)
(いいかい、君のお父さんがやっていた事は指揮じゃない。もっと邪悪な何かだ
──君はそうなってはいけないよ)
彼の雄姿は全て網膜に焼きついている。
(人の心を知りたい?なら直接その人に聞いてみるといい)
(僕の事をどう思ってるんですかって)
(紀律や規則なんて破って、無礼講にしちまえばいいんスよ──
“休め”と、ただ一言ね)
彼の教えてくれたことを、僕はいまも実践し続けている。
戦場に出てからの初めての上司であり、
ある意味で教育係のカーズより大恩のある人生の師。
そして僕に──母と向き合うことを教えてくれた人。
彼はそういう人なのだ。
この僕がいま曲がりなりにも笑えているのは、感情の起伏があるのは、
彼のおかげでなのである。
その鬼軍曹殿が目の前にいる。
温かいものが沸き上がり、胸がつまった。
「…軍曹殿。懐かしく在ります。
別れたのがたった一年前の事とは思えません。
ジョウは──貴方に会えるまでの毎日が一日千秋の想いでありました」
齧りかけの林檎が足元に転がるのもかまわず。
大広間のテーブルを挟んで、僕は、全身鎧の踵を揃えて、敬礼をした。
しかし──なんということだろう。
この夜の絶望が始まる、その引き金となる地点というものがあるとするならば、
それはまさにここだったのである。
返ってきた答えは実に意外なものだった。
再開を懐かしむ台詞ではなかった。
部下へかける労いの言葉でもなかった。
にこにことした表情で。
柔らかな澄んだ瞳で。
特に怒りもこめずに。
鬼軍曹殿の第一声。
「──君、故郷を裏切ったッスね?」
ここだ。
ここからだ。
前回のラストから先を、僕は描写しなければならない。
僕の存在があっさりと崩壊してしまった程の──
辛く苦しい、ここから先の出来事を。




