「歌え!ジュレールの伝説」その9
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【よいしょっ──っと。
良かった、うまく飛び移れた。お邪魔するよ、糞餓鬼くん】
「きっ──貴様──くそっ!!」
僕は狂乱する鷲の背中で無理やり上半身を起こし、剣を構える。
夕焼けが真横に見える。
世界が回りながら上昇する。
大鷲はすっかり混乱し、周囲にまとわりつく分身魔女たちの楽器攻撃を受け、
ますますきりもみ回転を強めていく。
──こんな状況でも──こいつとは決着をつけなきゃいけない──!
【ああ、そういや糞餓鬼くん、君をぶち殺す前にひとつ質問があるんだ】
さらりと言いながら…
(どういう理屈なんだか、この風と回転のなか普通に屹立している)
狩人は、胸ポケットから銀の十字架を取り出した。
(──秘宝[[キルヤー・ククルス]]!
こいつこんな希少なアイテムまで蒐集してあるのか!!)
それは非実体の炎の刀身をもつ細身剣。
世界に五つと存在しない精霊剣の一種だ。
狩人は柄を握ったまま器用にぱちんと指を鳴らす。
指先で火花が弾け、柱のような炎の刀身が呼び出された。
厄介だ──こちらのただのサーベルでは受け流しすら出来ない。
こんな不安定な足場で回避しきれるか…?
それとも低確率だが柄を狙って武器落としを仕掛けるか!?
とにかく時間を稼がねば──
僕がぐるぐると頭を回転させている間に、炎の剣を突きつけて狩人は続ける。
【そう…ずっと聞きたかった。
君は――君は本当にチルティスちゃんに恋愛感情を抱いてるのかい?】
「ああ?」
なんだその質問は?
【ベルディッカちゃんの工房で、
「後継者問題さえ解決すれば誰と結婚しても同じだ」なんて言っていただろ。
冗談とはいえチルティスちゃんとの婚約を解消して妹と結婚するとまで嘯いた。
それは君、あまりにも──愛が無いぜ】
──もしかして君は。
──愛ってやつがわからない冷血な人間なんじゃないかい?
愛。
愛だ?
そんなもの戦場に必要ない。
「…はっ、お笑いだな!愛が無い!?貴様にだけは言われたくない言葉だな!」
【そうかもね】
子供のような笑顔。縦横無尽に暴れる風に白いタキシードが揺れる。
夕陽を浴びて眩しそうに目を細めながら、狩人は言葉を紡いだ。
【…僕はね、子供の頃から何でも好きになってしまう子だったんだ。
パパも。ママも。どっちも好きだった。
犬派でも猫派でもない。どっちも好きだった。
野菜もお肉もお魚もなんでも好きだ。
隣の家のあの子が好きだったし、
花冠をくれたあの子も好きだったし、
幼馴染のあの子も好きだった。
だけどね、皆結局、僕のことを気持ち悪いって言うようになるんだよ。
自分に正直すぎる。欲望が露骨すぎる。
節操無く何でも好きになりすぎる──ってね。
たぶん僕の愛は一般的なそれと違うんだ。
博愛なんて、平等で完全なる愛なんて、本当は誰も求めちゃいないんだ。
《わたしを愛して》ってのはわたしを特別扱いしてって意味で──。
《君だけを愛するよ》ってのは君以外には距離をおくよって意味だろう?
僕はそれに耐えられない。
チルティスもベルディッカもユリティースもクラディールも、
皆の事が大好きで、誰か一人を選ぶなんて出来ないんだ】
もしかしたら、愛しすぎるのは愛さないのと一緒なのかもしれないね――と。
狩人は少し寂しそうにそう呟いた。
「…ふん、貴様がそんなまとも風な事を考えていたとはな」
意外な独白に上手く返答することができず、僕はとりあえず毒を吐く。
【うふふ…そうさ。愛についてはそれなりに悩んできたよ。
だから、君の異常な精神にも気付けた。
僕が皆を愛しすぎるのと正反対に、君には誰も愛せないんだ。
なんのつもりでチルティスちゃんに近付いたのかは知らないけど、
君と結婚したらチルティスちゃんは絶対に不幸になるよ?】
(!!)
ぐ、と喉の奥が勝手に鳴る。
(この野郎、勝手なこといいやがって──!
そんな簡単に僕のことを解られてたまるか──!
よりによって貴様が僕を異常と言うな──!)
いろんな思いが渦巻いたが…
なぜか言い返す事が出来なかった。
こんな変態の言葉に傷ついてしまったのかも知れない。
確かに僕には──愛が無いのかもしれない。
力なく答えた。
「知ってる、よ…」
僕にちゃんとした人間の心がないなんてことは。
狩人フリアグネは満足そうに頷く。
【よかった、自覚はあったんだね!
君はわざと愛の無い結婚をしようと目論む悪い奴だったんだ。
うんうん、すっきりした。これで心置きなく君を――殺せるよ】
炎の剣が高く掲げられる。
夕陽の赤と溶け合って、とても綺麗だった。
ぎり、とサーベルの柄を堅く握り締め、
分の悪すぎる賭けにでようと腹をくくりかけた時。
*「──《ちるてぃす!》」
唐突に詠唱が完成する!
【な…!?】
き──
「来たぁああっ!」
僕が時間を稼ぎながら、ずっと待っていた瞬間が来たのだっ!
両翼を支配され、不規則な乱高下を繰り返していた大鷲が、
その狂乱の中で僕の作戦を信じてずっと唱え続けていた魔法!
薄れそうな意識を必死でかき集め、全身へ巡り始めた《嫉妬の炎》に
意地でも抵抗し、とうとう最後まで唱えきった魔法!
*「いいぞチルティス!!【変身】しろ!──僕達が知る限り最も強い獣に!」
*《はーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!
ジョォォジ様ああぁああ、潰されなぁいようにぃぃいいねぇえええええええっ》
ものすごく間延びしたスローな声が、古戦場全体をびりびりと震わせる!
僕らの周囲に集まった分身魔女たちが思わず耳をふさぐほどの大ボリューム!
当たり前だ、チルティスはいま、大鷲から姿を変えて、むくむくと──
【なっ、なっ──まさか、あの落ち零れのチルティスちゃんが
こんな大規模な【変身】を──!?】
「…落ち零れなんて言うなよ」
愛が無いぜ?と僕は皮肉を返す。
「貴様は知らないのか、
あいつがどれだけ頑張り屋か──。
【あの夜】の戦いのあと、インパクトが薄れない内に
散々イメージ修行させたんだが、あいつは泣き言を言わなかったぜ。
おかげで、苦手な非人間型でも、
特に強く記憶に残っている変身対象にだけは──
いつでも変身できるようになったんだ」
それはあの夜、僕らに恐怖を与えた獣。
おそらく機神エルベラ史上最大のピンチであろう、大損壊を与えた獣。
大鷲のようにあえて直前に姿を覚えさせなくても、
もう、嫌でも脳裏に浮べることができる――
──魔獣バハムートだった。
全てを超えた完璧なる獣。
古戦場の空を一瞬で夜にする巨体。
それでも、最終形態ではあまりに巨大すぎるため──
領主館を襲った時点のサイズに調節してあるくらいだ。
その脅威は、
驚愕の表情のフリアグネも、三姉妹の魔女の長女も、分身魔女たちの大群も──
なにもかも巻き込んで落下し、見事なまでに押し潰した。




