「歌え!ジュレールの伝説」その1
《機神エルベラ》シリーズ
第三章
「歌え!ジュレールの伝説」
★★★
-1-
「おっはよーん!お目覚めのキスはいかが?」
「……」
ベッドから起きて、まず首にからまる母親の腕を力づくで引き剥がす。無言で。
そんな毎朝の恒例行事。
「あら強引! やだもう、あんたのそういう無愛想で有無をいわせないとこ
お父さんに似てきたわねー」
「あの男のことは話題にあげるな。朝から気分が悪くなる」
できるだけ冷たく言う。
黒髪にすこし寝癖をつけたジェノバは僕の布団に寝転がって頬杖をつき、
まったく悪びれもせず「にひひ」と笑った。
その口元に僕と同じ牙。
まったく、こんな子供みたいな悪戯好きが僕の母親だなんて。
ジェノバ・ジスガルド。
27歳。
蒸気都市ラグネロの普通の主婦。
とはいっても、あの街の『普通』は他の世界とはすこし違っていた。
実際ジェノバは主婦でありながら軍属の工作員でもあり、
主に敵性兵器の破壊活動を行う。
戦闘能力はないけれど。
昔は(つまり結婚する前は)『炎の魔女』と言われて恐れられていたそうだ。
…魔女ね。
僕はつくづくその不吉な言葉に縁があるらしい。
ジェノバは昨日の大陸記念パーティの衣装ではなく、ラフなパンツスタイルだった。
隠密潜入はお手の物という彼女のことだ。
本当に僕を起こすためだけにわざわざ冒険者の宿《エディプスの恋人亭》から
この領主館の僕の部屋に忍びこんだのだろう。
「貴様…何をしに来たんだ?」
「冒頭から出オチで物語を円滑に進めるために来たの」
「真面目に答えろこの野郎」
「やだ格好いい…そんな鋭い目で見つめられたらおっぱい疼いちゃうじゃない…」
「ど、どーいうキャラなんだお前はー!?」
思わず、ちゃぶだい返しのようにシーツをひっぺがす。
ころんと床の絨毯に落ちるジェノバ。
あどけない少女のようにけらけら笑っていたが、発言内容がまったく純粋じゃなかった。
仰向けに転がったまま胸を両手で挟む。
「ほんの11年と少し前は大好きだったでしょ?」
「そりゃ僕が赤子の頃だろうが!
勝手に添い寝しやがって、一体何をしに来たと聞いてるんだよ」
怒鳴る僕。ジェノバはしなやかに身体を起こして…おお?
意外にもすこし真面目な顔つきになってベッドに座る僕の隣に腰掛けた。
そして静かに言う。
「…馬鹿。可愛い息子の無事を確かめに来たに決まってるじゃない」
「あ…」
そうか。
そういえば昨日。あのパーティの一夜が過ぎて。
あれ以来ジェノバとは話していなかったもんな。
領主であるジーンから「魔獣を倒すのに協力した勇気ある少年」の母親という
立場を利用して僕の容態は聞き出していただろうけれど。
実際にこうして顔をみるまで──
この女のことだ、夜も寝れないほど心配していたに違いない。
ぎゅ、と肩を抱かれた。
「ジョウ、あんたが生きててよかった」
「……」
「任務なんかどうでもいい、生きて帰ってきてって、何度もお祈りしたんだよ」
ラグネロに神はいない。
だからきっと、彼女は自分が一番頼りにしている存在に祈っていたのだろう。
つまりは僕の父親…彼女の夫に。
不愉快な事実だ。
祈るなら僕に祈ればいいのに。
「ジェノバ…あいかわらず貴様は軍人らしさが足りないな。
任務なんかどうでもいい、なんて口に出すなよ」
どこで誰に監視されているか解ったものじゃない。
もっともエルベラに取り込まれつつある僕の事情は既に監視役のミコトには知られてしまっているのだが、まぁあいつはあいつで祖国に忠誠心はない様子だったから大丈夫か。あいつこそ“軍人らしからぬ”という比喩がぴったりだ。
きっとあれもジーンと同じ人外魔境の住人なのだ。
なにかに所属するなんてあいつらにとってはお遊びで、余暇で、かりそめなのだ。
いま現在、僕とエルベラ側との関係を隠さなければならない対象は──
当然ラグネロ本国および上層部、教育係、そして
──この僕の母親、ジェノバだ。
「ジョウ。死なないでね。きっと作戦を成功させて…そして一緒にお家に帰るのよ」
「……ふん、愚問だ。僕を誰だと思っている」
いくら心配してくれていても秘密は話せない。今はまだ。




