安藤先生の日誌 ②
転移後 30 日
たぶんこれは、夢なのだ。
生徒にけがを負わされ、バラックで寝かされていたのも、まぼろし。
その後、スラムに行って、他の生徒同様に、ゴミをあさったのも。
親切な女性のつてで、酒場で下働きしているのも、みな、まぼろし。
でも。
鏡の自分は、自分でないような様子だ。
長い粗末なスカート。
茶色いブラウスに、これまた粗末な帽子。
食べ物商売なので、エプロンだけは白く清潔だ。
「おい、キョーカ!
客がおかんむりだ、早くエールを持ってこい!」
マスターの声が響き、私は現実に戻される。
「は、はい、ただ今すぐ持ってきます」
「ははは、異界人は、手際が悪いぜ!」
ガラの悪そうな男らが、野次を飛ばしてくる。
悪夢なら、終わってほしいのに。
私は目が熱くなり、逃げるように地下室に行った。
「よお、小僧!
赤ひげ先生は、元気か?」
「はい、でも、夜になると、蜂蜜酒を欲しがって怒鳴るんですよ。
困っちゃってさ」
知っている声が聞こえてきた。
階段を上ってみると、案の定、私の元・生徒だった。
長沢大黄。
母親が再々婚して、よく苗字が変わる生徒だ。
今の父親は、たしか、その道の人だったはず。
もともとはおとなしい彼と、合うはずはない。
「すいません、蜂蜜酒を2本ください」
「2本で10モルだ。
ほら、持ってけ。
あと、料理はどうだい?
店に新人が入ってな。
まだ仕事の手際は悪いが、料理はかなりの腕だ。
おい、キョーカ!」
マスターは、人の心も知らずに、怒鳴った。
「せ、先生?
ここで働いてんっすか?」
案の定、長沢はびっくりしている。
「だって・・・。
もう、帰れないでしょう。
生活費を稼ぐためには、働かないとね」
その時の私は、たぶん、老けてやつれて見えただろう。
化粧品もないのだから。
「長沢君、お医者さんのところで働いてるんだっけ?」
「医者?
ここでは、ヒーラーって言いますけど。
うん、赤ひげ先生のもとで、勉強しています。
昨日なんか、6人の冒険者の傷を連続で治したんですよ。
魔力切れで、倒れるかと思った。」
彼はヒーラーを示すらしい、白色のゆったりしたローブを着ている。
頭には、同色のフードを被り、もはやかつての長沢には見えない。
「先生、他の連中は?」
「ほとんどが、近郊の農場に働きに行ってる。
一応、衣食住には困ってないみたいね。
人間、ぼろを着てお粥をすすっていても、なんとか生きられるもの」
「オリバーたちのこと、知ってる?」
「冒険者になって、大活躍と聞いたわ」
「じゃ、山田たちのことは」
私は答えに詰まった。
あの生徒がいなければ、教師として胸を張れたのに。
「残念ね。
牢屋に行ったきりって・・・」
長沢は、厳しい目に変わった。
自分よりずっと年上のような感じだ。
「先生、しっかりしてください!
あいつは、脱獄したんですよ!
そして、おれに襲いかかった」
「え!」
「オリバー、塩村たちにも、危険が迫ってんです」
「そ、それで、どうするつもり?」
「知りたいですか?
もしそうなら、明日の早朝4時に、アッシュクリフの裏門にある、馬屋にまで来てください」
私はうろたえた。
教師としてもダメだし、大人の女としてもダメだ。
突然の環境の変化に、まったく対応できない。
たいして、生徒たちは見事なものだ。
「そういえば、一条君の姿が見かけないんだけど」
「ああ、委員長か。
あのメガネは、何をやってるか知らない。
でも、4日前、大通りで見かけました。
貴族が着るような、豪華な服を着て、りっぱな馬車に乗るところを」
「働いて・・・いるのかしら?」
「さあ。
出会っても、話してくれないから分からないっす」
一条慎太郎は、なにか悪さをしていなければいいのだが。
*****
酒場『メリー・コック・ロッチ』は、昼の11時開店だ。
だから、午前中はのんびりとしていられる。
私は、長沢に言われた通り、馬屋に行った。
そこには、塩村と笠原、小清水の3人の生徒がいた。
あと、エルフの少女と、犬耳の男の子が。
「せ、先生?」
笠原ユリエが、驚いたように声を上げた。
「ユリエ、静かに。
山田が傍にいたら、危ないわ」
小清水ルミが、注意した。
「でも、大丈夫でし!
生命探知機によると、をれらしかいない」
犬耳の男の子が言い、エルフがほほ笑む。
異世界にいるんだと、実感した瞬間だった。
「よし、荷物は軽量化の呪文を施したから、背負っていけるくらい軽いよ」
塩村織葉・オリバーは明るく言った。
「あれ、先生ですか?
どうしたの、こんなところで」
私は戸惑った。
かつての生徒たちのようで、まったくの別人に見える。
「別の街に行くって聞いたわ」
「はい。
山田が脱獄して、悪さをしているみたいですから」
「これを」
私は、彼らに布袋を渡した。
彼の目が、丸くなる。
「パンにチーズ、干しブドウ、麦茶の瓶まで・・・!
先生、これ、どうしたんですか?」
「酒場で働いているから、ある程度の食糧は持ちだせるの。
ごめんなさいね、担任なのに、こんなことしか出来なくて。
これぐらいの量なら、5人でも持つはずよ。
気をつけてね」
「先生来たか」
長沢が現れた。
髪がくしゃくしゃだ。
「わりぃ、少し寝坊しちまった。
でもよ、オリバー、吸血症候群の免疫ができたって、本当か?」
「分からない。
今のところ、血は欲しくないよ。
でも、暗い所になると、よく見えるんだよね」
オリバーはつぶやいた。
「セラ、本当にごめんね。
ヴァンパイアになりかかっていたとはいえ、きみの血を・・・」
「オリバー様が無事なら、うれしいですわ!」
美人エルフは言い、周囲の目も気にせずに、オリバーにくっついた。
笠原と小清水の目が、冷たい。
どこの世界に行っても、女というのは変わらないようだ。
「気をつけて行けよ。
ほら、これ、ポーションだ。
疾病退散と、解毒用が、多めに入ってるぜ
もちろん、体力と魔力回復用も、たくさん。
おかげで、錬金術のレベルが上がりまくり!」
長沢は、彼にナップサックを渡した。
「ありがとう。
長沢、おまえも気をつけるんだぞ。
山田たちは、執念深いから」
「おれは大丈夫だ。
自分で自分を癒せるから。
仮に、そうでなくても・・・」
長沢はさびしい笑みを浮かべた。
「何かあっても、それはおれの責任だからな」
馬車はゆっくりと動き出した。
とうとう最後まで、どこに行くのかと、聞くことができなかった。




