スウィート・トラップの花束
コンコン、とドアがノックされる。
ユリエが扉を開けると、宿のメイドが立っていた。
手に、真っ白いバラの花束を抱えている。
「夜分、遅くに申し訳ございません」
メイドは頭を下げつつ、口を動かした。
「たった今、吟遊詩人のネイリスさんという方が来られまして。
ぜひとも、この花束を、ユリエ様に届けるように、と」
ユリエはバラのブーケを受け取った。
頭がなぐられたように、くらりとする。
それほど強烈な香気が、彼女を襲った。
「では、お休みなさいませ」
メイドは長いスカートのすそをやや持ち上げ、去って行った。
「うわあ、すっごーい!」
魔道書にかじりついていたルミが、顔を上げた。
ユリエの顔は、凍りついたままだ。
「どうしよう、こんなものプレゼントされちゃった」
「とりあえず、適当な花瓶に活けましょ。
あ、この陶器でいいわね」
薄ピンクの陶器に、たくさんの白いバラ。
においもかぐわしく、二人の疲労は、急に引いて行った。
同時に、リラックスしすぎたような、へんな感覚になる。
「ねえ」
ユリエが先に口を開いた。
「オリバーのこと、どう思う?」
黒髪ロングのルミは、首をかしげた。
どうして今、そんなことを聞くのだろう、と。
しかし、とりあえず、親友に答えた。
「とても・・・意外に思ったわ。
あんなに才能があって、しかも、弱いわたしを見捨てないでくれるなんて。
だから、いつも思うの。
もっと、自分も、磨かなきゃなって」
そっと、魔道書を閉じる。
「でも、今日はとても疲れちゃったみたい」
「ふうん。
私は、あいつと、8つのころからの知り合いなんだ」
「確か、小学校3年生の時、越して来たのよね。
横浜から」
「そうそう。
どうして、横浜の都会人が、河中町みたいなド田舎に来たのかなって、不思議に思ってた。
で・・・」
ユリエは目を閉じた。
浮かぶのは、山田とその仲間にいじめられ、先生に無視される、かつての塩村織葉だった。
「山田って、どうしてオリバーだけを、しつように攻撃するんだろう?」
「確か、学校の窓が割られた時も、塩村くんのせいにしてたわよね。
転入したてのときに」
「そうそう。
で、何の証拠もないのに、結局オリバーのせいになっちゃって。
あのときの担任も、アタマおかしいよ。
山田と同罪だわ」
「学校の先生のレベルが、低いものね。
中学に入って、少しはましになるかと思ったのに。
結局、安藤先生が担任なんて・・・」
ユリエは目を開いた。
それを見て、ルミはややほほ笑んだ。
正義感の強いユリエは、幾度となく、いじめをやめさせようとしていた。
そんな親友を、臆病な彼女は、心から尊敬していた。
「山田って、市会議員の息子だよね。
地元の名士で、県庁とも強いコネがあるとか」
ルミはぽつりぽつりと話した。
「元の世界だったら、さぞや安泰だったろうにね。
悪いことをしても、もみ消すことができる。
お金は使いたい放題。
取り巻きは、思い通りで。
でも・・・」
彼女らはにやりと笑った。
「ここでは、一切通用しない。
山田、今頃、牢屋で後悔しているだろうね」
「罰が当たったのよ」
「ふふ、そのとおり!」
白バラの一つが、彼女らのとりとめのない会話をむさぼるように、細かく開閉している・・・。
*****
「バカ野郎!」
アグリー・ピッグは、手下のスウィート・トラップを怒鳴った。
どちらも、黒い頭巾で、頭全体をすっぽりと覆っている。
「罠にかける相手を、まちがえたらしい、だと?
おまえ、正気か?
ダーク・フラタニティに失敗は許されねえんだぞ!」
「でも、親分」
手下のスウィート・トラップは、弁明した。
「異界人の女って、みんな同じような顔をしてやがるもんで。
みんな目が濃い茶色で、髪がダークカラーで、背が割と小柄で、年のころが12歳くらい・・・。
とにかく、無個性で、面白くない連中ですぜ」
「どんな女だ?
商品になりそうか?」
「いわゆる、エキゾチック・タイプですね」
スウィート・トラップは、詳しく説明した。
「顔立ちは、異界人の中では、トップクラスの上玉でして。
性格はそのう・・・、ややガサツな面も。
もう一人の女は、ありゃあダメです。
かなりきれいなんですがねえ・・・。
ほとんど話をしないというか、人を寄せ付けないというか。
引っかかりませんや」
「でも、あそこのサルよりは、ましだろう?」
アグリー・ピッグは、汚れた手で、猿ぐつわをかまされて転がっている女を示した。
それは、2-4組のクラス女王・上村サリナだった。
彼女は、興奮したチンパンジーの目で、盗賊どもをにらみつける。
「誰ですか、あんなのを持ってきちゃったのは?」
「プア・マウスに決まってるだろうが!」
頭領は怒鳴り、片手でエール瓶を握りつぶした。
下っ端悪党どもが、ひっ・・・と声を上げる。
「とにかく、もっと情報を集めてきやがれ。
他人の悪口ばかり聞かされても、何にもならねえ!」
悪党の首領は、手に持っていた一本の白バラを、勢いよく投げ捨てた。
「ったく、なんて女たちだよ!
会話の9割が、他人の悪口か。
異界人は、相当性質が悪いようだな。
・・・まあ、いい。
一緒にいるっつう、風詠みが狙いだからな。
あんなのに、おれらのことを嗅ぎつけられた日にゃ、一味の破滅だ。
戦いになる前に、始末しろ!
あと、女のほうは・・・」
ごつい手で、金の勘定をしている。
「持ってこい。
あと一人の女も、忘れずにな。
無口な女を好む男は、多い。
おれもその一人だがな、デヘヘ・・・」
「へい」
暗黒巣窟に、悪党の含み笑いがこだました。