ぐっ……この俺が、優香以外に落とされかけるとは!
◇
「……で、これはどういうことだよ?」
翌日、俺は何故か、人気のない空き地へと呼び出されていた。呼び出したのは、昨日出会った自称魔術師、陰陽魔緒。白髪に紅眼という怪しげな風貌のこいつは、俺に協力を求めてきた。昨日は握手して、そのまま解散になったのだが……今朝になって(番号を教えていないはずの)携帯に電話が掛かってきた。「今すぐ、近所の空き地に来い」と、この男から。
「何って、特訓だろ」
しかし魔緒(面倒なので名前で呼ぶ。字が中二臭い)は、しれっとした顔でそう答えた。
「特訓って……何の?」
「魔術の」
意味が分からず問い返したら、そんな風に言いやがった。魔術の特訓なんて、俺は聞いてないぞ。
「安心しろ。ちゃんと先生役も用意したから」
「先生役って……お前が教えてくれるんじゃないのか?」
もう何を言っても無駄な雰囲気だったので、とりあえず受ける前提で聞いてみた。すると魔緒は腕時計を一瞥しながら、「そろそろだ」とだけ言った。
「―――せーんぱーいっ!」
そしたら、空き地の入り口から、そんな明るい声が聞こえてくる。
「来たか……」
魔緒が見やる方へ目を向けてみれば、そこから女の子が小走りにやって来た。
「せんぱーい! お待たせっす!」
その姿が近くなるにつれて、その顔立ちが分かってくる。普通より大きな瞳が特徴の、端正な顔立ち。鼻が少し高くて色白なのと、短く切りそろえられた髪が金糸のようにきらきらと輝いているので、もしかしたらハーフかもしれない。身長もやや高めで大人びた容姿なのだけれど、今は無邪気な表情を浮かべていて、そのギャップがとても印象的―――というかぶっちゃけ可愛い。めっちゃ可愛い。超可愛い。
「ぐっ……この俺が、優香以外に落とされかけるとは!」
あっぶねぇ……! もしも妹萌えに目覚めていなかったら、速攻で落とされてた。そのくらいには可愛かった。あれ見た後だと、テレビのアイドルとかブスに見えてきそうだ。っていうか……ちょっと待て。
「そこまで慌てなくてもいいだろうに」
対して魔緒は、そんな超絶美少女を前にしても平然としていた。ていうか、知り合いなのかよ? この、女神と言われても信じそうな子と?
「だ、だってぇ~、先輩に誘ってもらったっすからぁ~!」
「いやまあ、そうなんだが……お前、何か勘違いしていないか?」
「へっ?」
息を整えていた美少女が、魔緒の言葉に素っ頓狂な声を上げる。すると魔緒は俺のほうへ目をやり、こう言った。
「今日お前を呼んだのは、こいつに魔術の手解きをしてもらうためだぞ?」
「え―――そ、そんなぁ……!」
それを聞いた途端、美少女が露骨に残念そうな声を上げた。そんな反応されると、俺が悪いみたいじゃないか……。
「俺はちゃんと言ったはずだか」
「うぅ……折角先輩とデートだと思ったのにぃ~」
そこまで落ち込むとか……こっちとしてもやり辛い。っていうか、ちょっと気になる言動があったんだが。
「というわけで、紹介する。こいつは瓦町ほのか。俺の後輩で、今日からお前に魔術を教えることになっている」
じゃあ、この子も魔術師なのか? こんな可愛い子もやってるだなんて、これだと誰も彼もが魔術師に思えてしまいそうだ。
「で、こいつが前に話した魔術師志望。名前は浜荻琢矢だ。ほら、お互い自己紹介しろ」
魔緒に促されると、ほのかさんはこちらを向いて、咳払いをしてから話し出した。
「……恥ずかしい姿を見せてしまって申し訳ないっす。私は瓦町ほのか。今日から君に魔術を教えることになったみたいっす」
「えっと、浜荻琢矢です。お世話になります」
果たして教わる側の挨拶として適切だったかは分からないが、最低限の礼は尽くしておくべきだろう。
「因みにそいつ、お前より二つ年上だからな」
「マジで……?」
まさかの年上。同年代だと思っていたけど、そんな年だったとは……。いや、二つしか違わないんだけどさ。けど、それって十九歳ってことだし。やっぱ……なぁ?
「魔術師歴は六年目」
ベテラン!? 十九で六年目ってことは、十三歳の頃から魔術師やってるのか……?
「先輩! 人の年齢を勝手にばらさないでくださいっす!」
「いいじゃねぇか。別に気にするほどの年でもないだろうに。それに、十九なんて、俺からしたらまだまだ子供だ」
「うぅ~」
女の秘密(年齢)を晒されて、怒り爆発のほのかさん。しかし、魔緒は全く悪びれていない。っていうか、ほんとにこいつ、何歳なんだ?
「さ、自己紹介も終わったことだし、早速訓練だな」
その一言で、俺の魔術修行(一回目)が始まった。
……その頃。
「はぁ……」
茶髪のツインテールに、年齢不相応のプロポーションの少女―――浜荻優香は、溜息混じりで家路に着いていた。
「はぁ……」
今日は何故か一人で下校していて、しかも、ひたすら溜息を吐いている。何か悩みごとだろうか?
「兄貴……どうしたんだろ?」
どうやら彼女は、兄のことが気掛かりらしい。ご都合主義的な読心術によると、昨夜は兄の様子が変だったらしい。具体的には、いつもと違ってあまり絡んで来なかったようだ。それが優香には不審に思えたとのこと。
「私にちょっかい掛けて来ないなんて……いや、いいんだけどね」
常日頃から大人しくして欲しいと思っていたのに、いざそうなると調子が狂うパターンだろう。人は願望が突然叶うと、その変化についていけないのだ。
「はぁ……ん?」
そんな思春期真っ只中の少女の前に、一匹の猫が姿を現した。これが黒猫だと縁起が悪いのだろうが、生憎とこの猫は白かった。それはもう、修正液でも被ったのかと思いたくなるくらいに、真っ白な猫。首輪はしていないが、汚れも染みもないその毛並みを見れば、少なくとも野良ではないと分かる。
「どうしたの? お腹でも空いた?」
優香が近寄って話しかけてみるが、猫は身動ぎ一つせずに彼女を見上げている。
「ほーら」
優香が猫の喉を撫でてやると、白猫は気持ちよさそうに目を細めてされるがままになっている。
「ふぅ……兄貴もこれくらい可愛げがあったらいいのに。いや、それはそれできもいだけか……」
思わず出た言葉を想像して、勝手に気分を悪くする優香。そんな彼女の気持ちを察したのか、白猫は優香の指をぺろぺろと舐めた。
「ははっ、くすぐったいよー」
猫と戯れ無邪気に笑う優香は、普段兄の前では見せない、無垢な少女そのままであった。
「……ちっ」
そんな少女の姿を、物陰から窺う人物がいた。艶のある黒髪が印象的な女性で、薄手のロングコートに身を包み、電柱の陰から優香の様子を窺っていた。
「まったく、手を打つのが早いわね」
サングラスで目は隠れているものの、その表情は怒りで歪められていると分かる。履いているハイヒールの踵を打ち鳴らし、苛立たしさを少しでも紛らわそうとしている。
「……ま、いっか」
けれども、女性はすぐにその怒りを静めた。そして髪を掻き上げると、唇の端を吊り上げ笑う。
「だって―――彼のやったことだし」
これくらいは大目に見ないとね、と呟いて、女性はその場を後にした。