けれど、そんなことはどうでもよくて
……その頃、琢矢は。
「なるほど。通学路はその殆どが住宅街に面しているわけか。道理で人通りが多いわけだ」
俺たちは、学校と家の中間くらいまで来ていた。通学路は住宅街の傍にあるので、人気があって攫われにくい反面、潜伏場所は多くなる。
「あ、そこの通りは人があんまり通らないから、要注意な」
「了解した」
ただし、人が沢山通る場所ではあるけれど、人の寄り付かない通りというのは無数に存在する。そこでは、多少荒っぽいことをしても、簡単には気づかれないだろう。
「それからこの近く、徒歩圏内くらいに、何か主だった施設は?」
「少しに遠くに古本屋があるけど、年中無休だし……あ。そういえばこの辺には、薔薇公園があったな」
「薔薇公園?」
薔薇公園とは、その名の通り薔薇が咲き乱れている公園だ。この公園は個人の敷地を一般に開放したもので、その個人というのが―――
「優香の幼馴染に鶴野光子っていう子がいるんだけど、そいつの屋敷の一部なんだよ」
「……その幼馴染は、どっかのご令嬢か?」
俺の説明に、魔緒は呆気にとられたようにそう問うた。そういえば、あいつの家ってどれくらいの金を持ってるんだろうか? 聞いたことなかったけど、恐らく日本屈指の富豪ではないだろうか?
「まあいい。休憩がてら見てくるか」
というわけで、俺たちは薔薇公園へと向かった。
「ん? 程影、どうしてここに?」
辿り着いた薔薇公園。赤、白、ピンクなどの様々な色の薔薇が咲き誇るこの場所に、何故か程影がいた。噂を聞いて、見物にでも来たのだろうか?
「ああ。退魔師の気配を探っていたのだが……そうしたらここに辿り着いたんだ」
「何?」
退魔師の気配を探ったら、どうして薔薇公園に行き当たるんだよ?
「どうにも、ここの近く―――というか、あの建物に、退魔師が潜んでいそうなんだが」
「あの建物って……光子の屋敷じゃないか」
程影が指差した先にあったのは、光子が住まう、でっかい屋敷。レンガ造りで風情のある建造物は、この辺りでは有数の名所だ。
「誰だ? そいつは」
さっきいなかった程影に、光子の話をした。優香の幼馴染で、金持ちだってことを。
「……なるほど、それでか」
「何がだよ?」
俺の説明を聞いて、程影は一人納得したようだった。魔緒がそれについて問うと、程影は淡々と話し始めた。
「退魔師や除霊師は、現代日本では稼業にならない。活動資金を別途調達する必要がある。……その鶴野光子というのは、霧絵のスポンサーになっている可能性が高い」
「スポンサー……。つまりは、あの屋敷にある金が、退魔師に流れていると?」
魔緒の質問に、程影は肯定するように頷く。……って、ちょっと待て。
「その理屈だと、光子が、優香を攫う手助けをしているってことになるだろ!?」
「そうだな」
俺の疑問に、程影は当然のように頷いた。おいおい、冗談も大概にしてくれよ……。
「無論、今の状況から断言するのは得策ではない。もしかすれば、あの屋敷に乗り込んで、金品を強奪しようとしているのかもしれないからな」
「強盗の真似事か。退魔師がそんなことをするとは思いたくないな」
強盗って……あんな強力な武器を持った連中、いくら金持ちの屋敷が厳重なセキュリティを敷いてても、意味ないぞ。
「……あ」
「ん? どうかしたのか?」
そこで、俺は一つ、大切なことを思い出した。それは、妹の私生活を隅々まで把握している俺だからこそ知り得た、優香の予定。
「優香……今日、光子の家に行くって言ってた」
「何……!?」
まずい……! もしも退魔師の奴らが光子の屋敷に押し入ってて、そこで優香と出くわしたら―――とんでもない状態じゃないか!
「優香……!」
「お、おい……!」
そこまで考えが至ったところで、俺は思わず走り出していた。魔緒が制止する声が聞こえてきたが、今はそんなものよりも、優香のことだ!
……琢矢が走り去った後、残された魔緒、ほのか、程影は。
「どうする?」
「……仕方ない。追い掛けて、一緒に突入するか」
程影の問いに、魔緒は嘆息混じりにそう告げた。
「ほ、本気っすか……?」
「幸い、あいつと屋敷の主は知り合いだ。俺と程影があいつの後ろに、魔術と霊術で姿を消してついていく。もしも間違いなら、そのまま離脱すればいい。瓦町はここで待機してくれ。万が一のときは応援要請を頼む」
「りょ、了解っす……」
戸惑うほのかに指示を出した後、魔緒と程影は、琢矢の後を追った。
「……まあ、強盗であれば、まだいい方だがな」
その途中、程影は意味深な呟きを漏らすのだった。
「優香……!」
俺は光子の屋敷に侵入していた。正面からではなく、使用人が通る裏口から塀の内側へ忍び込み、偶然開いていた勝手口から入り込む。焦っている癖に、態々侵入が容易な場所を選ぶ辺り、意外と冷静さを保っているのかもしれない。
「―――あぁぁぁぁぁ!」
「優香……!?」
だけれども、そんな悲鳴が聞こえてきたと同時に、俺の理性は完全に途絶えた。悲鳴が優香のものかも考えず―――考えなくても分かるが―――に、誰かに見つかる可能性も頭から消し飛んで、ただ声のした方向へと走り出すのだった。
「優香っ……!」
豪奢で広大な螺旋階段を駆け上り、高そうな絵画や壺の飾られた廊下を抜けて、声の発生源と思われる部屋に辿り着いた。……そういえば、ここは光子の私室だった気がする。
「……っ!?」
部屋の中を見て、俺は絶句せざるを得なかった。部屋にいたのは、ここの主たる光子。彼女の前には、その執事である花野が、誰かを抱えていた。そして、花野に抱えられているのは―――優香であった。退魔師がいるようには見えなくて安心した反面、それとは別の問題が起こっているようで、言葉を紡げないのだ。
「あら、お兄さん。いらっしゃい」
すると、光子は俺に気づいて、微笑みながら手を振ってくる。けれど、そんなことはどうでもよくて。問題なのは、彼女と優香が一緒にいること。それと、先ほどの悲鳴。一体、何があったのか。光子の性格を考えれば、優香にドッキリを仕掛けた可能性もあるのだが、どうも優香は失神しているようだし、優香にそこまでの仕打ちをするとは到底思えなかったのだ。
「それと、そっちのお二人はお友達かしら?」
「え……?」
続けられた言葉の意図が分からず振り返ると、そこには、二人の人影があった。
「さすがにばれるか」
一人は魔緒だった。古ぼけた本を片手に、俺の後ろに立っている。
「なるほどな」
もう一人は程影。俺を挟んで魔緒の反対側に立っていた。……二人とも、いつの間に?
「程影、こいつのことを頼む」
「了解した」
「―――っ!?」
そんな疑問が湧き上がるのと同時、突如視界が消滅した。いや、溢れんばかりの光によって、視界が塗り潰されたのだ。
「うぉっ……!」
直後、体に襲い掛かる浮遊感。何かに引っ張られるような感覚と共に、光が徐々に消えて、目の前が黒く染まっていく。
「……見事にやられちゃったわね」
先ほどまで琢矢たちがいた部屋にて。光子は、呆然とした様子で呟いた。
「お嬢様、よろしいのですか? 今ならまだ追いかけられますが」
「ううん、いいの。あれで」
忠実なる執事の言葉にも首を振って、少女はただ、こう告げる。
「多分、面白いことになってると思うから。楽しんでもらいましょう」
と。