最低で最悪で―――けれど、偽らざる気持ち。
◇
……それから、俺たちはそのまま解散となった。魔緒も、光子たちも、各々の家路に着く。だが、俺と絵美那だけは、空き地に残っていた。
「……それで、話って何?」
彼女が残っているのは、俺が事前にそうするように頼んだからだ。しかし、絵美那はその理由に―――今からする話の内容に、心当たりがないようだった。当然だ。優香の記憶は戻ったし、抱えている問題は一通り片付いた。この状況で話すべきことなど、普通に考えたら何もないのだから。
「……優香の記憶が戻った」
「うん、良かったよね。ほんとに」
「黒憑も倒したし、霧絵の脅威もない。「災厄」は相変わらずちょっかい掛けてくるけど、今すぐどうにかしないといけない状況じゃない」
「うん。暫くゆっくり出来そうだね」
……俺はてっきり、絵美那は薄々勘付いて、惚けているのだと思っていた。けれど、どうやら本気で見当がつかないようだな。
「……それで、さ。ようやくごたごたが片付いたんだから、もう一つはっきりしておかないと、って思ったんだよ」
「何の話?」
……正直、この話はずっと引き延ばしたかった。出来れば一生、こんな話はしたくなかった。この話をすれば、俺と絵美那は決別する羽目になるかもしれない。少なくとも、今まで通りの幼馴染には戻れなくなる。今の関係を壊すことは、とても怖かった。
「……お前から受けた、告白のこと」
けれど、俺は一歩踏み出した。これ以上待たせるのは、絵美那に対して失礼だと思ったから。大切に思っているからこそ、ちゃんと答えを出さないといけないのだ。
「……っ!」
俺が口にした話題に、絵美那は顔を強張らせた。突然の話に、戸惑いと緊張が交じり合っている。そんな表情だ。
「いい加減、先延ばしにするのは良くないし。それに、答えはもう決まったからな」
「……そう」
頷く絵美那は、僅かな期待と―――告げられる言葉に備えるための緊迫感で、一杯になっているようだった。
「……俺にとって、絵美那は家族と同じくらい大切だ」
彼女のために出来ることは、俺の気持ちを余さず伝えるのみ。だから、伝える。
「小さい頃からずっと、時間だけなら優香よりもずっと一緒にいた。人生で一番、一緒にいた気がする」
結論だけを言えば済むのに、俺は敢えて、こんな言葉を重ねる。……結論の後では、ただの言い訳にしかならない。俺の想いを、言い訳にはしたくないのだ。
「それに、俺が辛いとき、大変なとき、優香がピンチのときも、絵美那は助けてくれた。悩みも聞いてくれた。世話になった回数は数え切れないし、恩を返そうとすれば残りの人生全てを費やしても足らない。正直、絵美那がいなかったら、俺は今まで生きて来れなかったと思う」
言葉を飾ることは、しない。必要以上のことは言わないし、逆に必要なことは全て伝える。
「だから、絵美那から告白されたとき―――俺は戸惑った。あまりに近くて、家族同然、いや、家族よりも近くて。そんな絵美那を異性として見れるか。それをずっと考えてきた」
俺の言葉を、絵美那は真剣に聞いてくれている。お世辞にも聞きやすいものではなかったけれど、それでも、一字一句逃さず聞き取ろうとしてくれた。
「俺と絵美那がデートしてるところ。俺と絵美那がキスしてるところ。その先をしてるところ。結婚してるところ。子供が出来て、家庭を築いて―――そんな場面を想像しようとした」
恋人となり、伴侶となり、共に人生を歩む姿。そんなところを、想像してみた。
「―――けれど、駄目だった。俺は何一つ、どの想像でも、絵美那の顔を思い浮かべることが出来なかった」
それなのに、イメージが出来なかった。キスに至っては、実際にしているにも関わらず、それでも想像出来なかった。
「……絵美那。俺はお前を、異性として見れない。お前は優香が関係あると思ってたみたいだけど―――多分、俺がシスコンになってなくても、この答えは変わらなかったと思う。絵美那は大切な幼馴染で、家族よりも大事で。けれど、それだけだ。それ以上の関係には、なれない」
それが、俺の―――俺が出した、答えだった。散々引っ張っておいて、結局断った。最低で最悪で―――けれど、偽らざる気持ち。
「……そっか。私、土俵にすら上がれてなかったんだ」
俺の返事に、絵美那は俯いて、そう漏らした。そして俺に背を向けて、こう続ける。
「……帰って」
それは、絵美那の懇願。彼女が、辛うじて残った理性で紡いだ、最後のプライド。
「明日には、ちゃんと―――琢矢君の幼馴染の、貝塚絵美那に戻れるから。だから、今は帰って」
「……分かった」
本当は、彼女にもっと言葉を掛けたかった。けれど、俺にその資格はない。……彼女をこれ以上無様にしないためには、俺はそれだけ言い残して、この場を立ち去るしかなかった。
「……あーあ。結局、駄目だった」
琢矢がいなくなって。残された絵美那は、誰もいない空き地で、一人、そう呟く。
「……でも、分かりきってた。分かってた、けど―――」
やがて、その声は、嗚咽混じりになっていく。彼女の意思に関係なく。
「―――けど、やっぱり、辛いよ……」
愛しい彼がこの場を去り、声を聞かれる心配がなくなって。絵美那は、激情を抑えられなくなった。心のダムを塞き止めていた理性が、崩壊して。絵美那の慟哭が、空き地中に響き渡った。
「……ふぅ。やっぱり、こうなったのね」
空き地のすぐ外にて。光子は、執事を一人で帰らせて、民家の塀に体を預けていた。
「……同じ乙女のよしみで、これくらいのサービスはしても、罰は当たらないわよね?」
一人で呟きながら、光子は空き地を包むように、結界を展開した。それは、絵美那の声を、外部に漏らさないため。彼女の声を、万が一にも、彼に―――琢矢に聞かせないためだった。
「優香のライバルが減って、嬉しい反面……こういうのは、ちょっと複雑ね」
親友を思いながらも、絵美那の失恋を喜ぶのは抵抗があった。とはいえ、この件と光子は無関係だし、深く考えないほうがいいと思うが。
「……ま、後は当人たち次第よね」
それから光子は、絵美那が落ち着くまで、彼女にすら気づかれないまま、ずっとこの場に留まっていたのだった。
◇
……翌日。
「いってきます」
「いってきまーす」
朝。俺と優香は一緒に家を出た。普段、俺たち兄妹は一緒に登校しない。学校が違うのだから、始業時間は同じでも移動距離が違うし、通学路も途中で別れるから、態々同じ時間にする必要はない。というか、普段は優香が嫌がるのだ。
「ほら、行くわよ、兄貴」
「ああ」
だが、今日は違った。俺は普段よりも早く家を出て、優香と一緒に登校することにしたのだ。
「兄貴と学校なんて、何年振りだろ?」
「小学生のとき、集団登校して以来じゃないか?」
まだ俺がシスコンになる前、俺たちはずっと一緒に学校に通っていた。それも今では、遠い昔の話だ。
「……そう。でも、たまにはいいかもね、こういうの」
「……そうだな」
今日の優香は、何故か妙に機嫌がいい。いや、ご機嫌なのは昨日からか。記憶が戻ってから、優香がやたらと優しいのだ。
「あら、二人一緒なの? 珍しいわね」
「おはようございます、二人とも」
すると、光子と花野も合流してきた。二人は普段、優香と一緒に登校しているから、それでいるんだろう。
「おはよう」
「おはよー」
それぞれ挨拶を交わし、俺たちは四人で通学路を歩いていく。そして―――
「おっはよー!」
「え、絵美那さん……!」
俺たちの行く手を阻むように現れたのは、絵美那だった。……ただ、今日の彼女はいつもと違った。
「どうしたの? そんなスッピンで」
「ん? たまにはいいかなって」
そう、優香が指摘した通り、絵美那は素顔だった。生まれ持った美貌を惜しげもなく晒し、俺たちの元に歩いてくる。
「絵美那……」
絵美那の様子は、見たところ明るいものだった。けれど、それが空元気のような気がして。でも、俺に出来ることは何もなくて。……当然だ。空元気なのだとしたら、その原因は間違いなく俺なのだから。
「大丈夫だよ」
そんな俺の思考が伝わったのか、絵美那は俺にそう言った。
「私はもう、一人でも大丈夫。だから、安心して?」
「……ああ」
どうやら、多少なりとも吹っ切れたみたいだ。……今まで通り、というわけにはいかないだろうけど、それほど気まずくはならなそうだ。
「……二人とも、何なのよ?」
「あ、もしかして妬いてるの? えいっ!」
「ばっ、んなわけないでしょ! っていうか抱きつかないで!」
俺と絵美那の雰囲気を優香が訝しむが、絵美那にからかわれて、そのまま二人はじゃれ合いを始めた。……一応、公衆の面前なんだけどな。優香の胸を揉まないでくれ。羨ましい。
「あら、楽しそうね。私も混ぜて頂戴」
「ちょ、光子まで……!」
そこに光子が加わり、いよいよ収拾がつかなくなりそうな状態に。―――けれど俺は、そんな彼女たちを、感慨深く見つめる。
「ふ、二人とも、いい加減にして……!」
優香は、俺の大切な妹だ。彼女を守ることが、俺の使命と言ってもいい。そのために、俺はこれからも戦っていくのだろう。
「ほらほら~! 良いではないか~!」
絵美那は、俺の大事な幼馴染。彼女と一緒に、俺は優香を守っていく……というのは、さすがに都合が良すぎか。けれど、絵美那ならそうしてくれる。俺はそう、確信していた。
「ふふっ。優香、また成長したんじゃない?」
そして光子は、共に優香を守る同志。直接的な戦力という意味では、絵美那以上に頼もしい人材だ。加えて、優香のためならどんな敵とだって戦ってくれる。……俺は彼女に、いつか恩返しをしないといけないだろうな。
「あ、兄貴っ……! 黙って見てないで、助けなさいよ~!」
「だ~め。優香ちゃんは、今日から私の妹になるの」
「あら、それもいいわね」
「うがぁ~!」
……それはそれとして、いい加減、優香を救出するべきかもしれない。三人に歩み寄りながら、俺はそう思った。