―――優香の身が危険に晒されているということだ。
……同じ頃、とある白猫は。
(……この気配。結界?)
優香を見守っていた白猫―――魔緒の式神であり、もう一つの人格である魔似耶―――は、近くで結界が張られたことに気づいた。
(……念のため、優香ちゃんにもう少し近づくのにゃ)
それを何らかの非常事態と捉え、護衛対象である優香と距離を縮めようとする魔似耶。猫の体で、住宅の塀を歩いていく。
(―――にゃっ!)
しかし、魔似耶は殺気を感じて、歩いていた塀から飛び降りる。一拍遅れて、今まで彼女がいた場所に、小さなナイフが突き刺さった。
(投げナイフ、なのにゃ……?)
ナイフの刺さり方から見て、魔似耶はそう判断した。ナイフの角度が垂直に近く、普通に投げたなら、射出地点は上空ということになってしまう。だが、どこかから上空に向かって投げたのなら、放物線を描いて落下するはずなので、この角度も納得できる。
(……またなのにゃ)
更に、追撃と言わんばかりに、追加でナイフが降って来る。魔似耶は猫の姿のままでそれを回避しつつ、移動を開始した。出来るだけ、優香から遠ざかるように。
(相手は私を狙ってるのにゃ。だったら、出来るだけ人気のない場所に移動しないと……)
敵は魔似耶の位置を知る術があるのだろう。でなければ、ここまで正確な攻撃は出来ない。裏を返せば、彼女が他の人間がいない場所へ行けば、それだけ無関係の人が巻き添えを食らう可能性も減る訳だ。
(それに、私を狙っているのは、優香ちゃんを確保するためのはずなのにゃ)
故に、魔似耶が彼女を離れるのは、相手の思う壺なわけだ。けれども、他に手立てはない。ここで無理に優香の元へ向かえば、彼女にナイフが当たる可能性もある。そんな危険な真似は出来ない。
(……ここは、琢矢君に任せるしかないのにゃ)
となれば必然、誰かの力を借りるしかない。魔似耶は式神の使い手―――もう一人の自分である魔緒に、思念を飛ばすのだった。
……さて、その琢矢は。
「さ、行こっ。琢矢君」
「ああ」
放課後。俺と絵美那は揃って学校を出た。最近は絵美那と一緒に帰宅することも多くなったが、そのせいなのか、周りからは絵美那と付き合ってるんじゃないかと疑惑を持たれている。一部の女子は、九月に現れた謎の美少女が、絵美那と同一人物だと気づいているらしくて、それもその噂を加速させている。……実際は、俺が答えを保留にしているんだが。
「今日はどうするの?」
「そうだな……」
どうするか―――優香とコミュニケーションをとるか、それとも魔術の自主練に励むか。俺としては優香を優先したいのだが、今のままでは何も得られない気がした。それだったら、優香を守る為に自主練をしたほうがいいように思える。
「っと、電話だ。ちょい悪い」
そんなことを考えていたら、ポケットの携帯電話が震えだした。メールの場合はバイブが二回だけだし、これは多分通話だろう。絵美那に断りを入れた後、俺は電話に出た。
《妹が危ない》
電話が繋がった途端、そんな言葉が聞こえてきた。この声は……魔緒か? っていうか、妹が危ないって。
「優香に何かあったのか?」
《分からん。ただ、魔似耶が何者かの襲撃を受けている》
それだけで、大体の事情は察した。……魔似耶はこっそり、優香を護衛してくれているはずだ。その魔似耶が襲われたのは、彼女を優香から引き離すため。つまり―――優香の身が危険に晒されているということだ。
《とにかく急げ。黒憑が死んでも、「災厄」がなくなったわけじゃないぞ》
「……っ」
俺はすぐに通話を切って、ポケットから発信機の受信機を取り出した。安っぽい液晶画面に黒い点と尺度が表示され、優香の居場所がはっきりと分かる。
「琢矢君、急いで。私は後から行くから」
俺と魔緒の会話を聞いていた絵美那が、俺を急かしてくる。……そうだな。もしも本当に優香が襲われているなら、絵美那は俺と一緒じゃないほうがいいかもしれない。
「……行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
俺は絵美那に見送られて、優香の元へ急いだ。……優香っ、無事でいてくれっ!
「……さてと。私も追いかけないと」
妹の元へと向かった琢矢を見送り、絵美那は鞄から受信機を取り出した。……優香に仕掛けられた発信機は、絵美那が作ったもの。故に、彼女もその電波を拾うことが出来る。
「待っててね、優香ちゃん」
液晶画面に表示された地点へと、歩みを進める絵美那。その足取りは緩やかで、確かなものであった。
◇
……その頃、優香は。
「……はぁ」
帰宅途中。私は重々しく溜息を吐いていた。それは精神的な疲労からではなく、体力的な理由でだった。……どうしてなのか、さっきから体がだるい。謎の倦怠感で、思った以上に体が動かないのだ。
「光子に甘えておけば良かったかな……?」
幸い、動こうと思えば動ける程度の気力はある。だから、光子を呼ぶのは気が引けた。でも、彼女を呼びつけたいくらいには疲弊しているのも事実だった。
「……車だ」
そんなとき、後方から車が走ってきた。私は通行の邪魔にならないように、道路の端へと移動する。
「……え?」
けれど、車は通り過ぎず、私の傍で停止した。そしてその車―――黒いワンボックスカー―――のドアが開いて、男性が何人か降りてくる。
「……あ、あの」
降りてきたのは三人。彼らは素早く動いて、まるで私を囲むような位置に立った。……え? ちょ、何? 何なの?
「むぐっ……!?」
しかし、疑問を口にする暇はなかった。私の背後に立った男が、私の口を塞いできたのだ。勿論抵抗しようとしたけど、残った二人の男に腕を掴まれてしまってそれも出来ない。……た、大変っ!
「んーっ! んーっ!」
声を上げようとしても、口はタオルのようなもので塞がれていて出来ない。腕は男たちの強い力で固定されている。足や胴体を使ってどうにか踏ん張るけれど、その甲斐もなく、私はワンボックスカーに押し込まれそうになった。
「優香を……離せっ!」
だけど、そうはならなかった。突然男たちの手が離れ、私は地面に倒れ込む―――と思ったら、誰かに優しく抱き留められた。
「優香っ……!」
私を抱き留めて、必死に声を掛けてきたのは、あいつ―――自称私の兄、ううん、私の兄貴だった。