……俺も、頑張らないとな。
◇
……胡桃さんから話を聞いた後。俺は彼女にお礼を言って、学校を去った。魔緒の過去は想像以上に険しく、最早表現方法が分からないほどのもので、内容を飲み込むのにさえ時間が掛かりそうだ。
「……そう、だったんだ」
とりあえず俺は、空き地に戻って、胡桃さんから聞いた話を絵美那たちに伝えた。……こんな重い話を、俺一人だけで抱えるのは辛すぎたし、自分なりに整理するためにも、一度みんなに話して、情報を共有するべきだと思ったのだ。
「なるほどね……道理で、お兄さんに協力的なわけだわ」
ここに来ているのは、俺の他に、絵美那と光子、そしてアンネさんとヴィクターさんだ。花野はうちで留守番らしい。
「マオにそんな過去が……というか、ヴィクターは知ってたんですの?」
「はい~。マオの周囲に、怨霊のようなものが見えましたから~」
それから。ヴィクターさんがあんな発言をしたのは、この話を既に知っていたかららしい。精霊使いというのは、普通では見えないものを認識できるとのことで、それで魔緒の過去も見通せたとか。……その切欠が怨霊っていうのも、洒落になってない気がするけど。
「でも、それだと不可抗力でもあるし、あまり気にすることでもないよね?」
「そうなんだけどさ……」
胡桃さんから聞いた話を信じるとして。言ってみれば、魔緒は巻き込まれただけで、ある意味被害者だ。……理屈では割り切れないことがあるのだが、それでも、彼を責めるのはお門違いというものだ。
「問題は、マオ本人がどう思うかですわね……」
アンネさんの呟き通り、そこが難点だった。いくら俺たちが気にしてなかったとしても、魔緒自身はそうもいかないだろう。それで済んだら、こんな風に頭を抱えたりしない。
「……本当なら、マオと擦れ違ったまま別れたくはないのですが」
すると、アンネさんが残念そうにこう切り出した。
「私とヴィクターは、「西欧魔術師協会」に戻らなければならないのですわ」
「え……?」
つまり、二人は帰国するということか? ……そういえば、彼女たちの目的は黒憑だった。あいつが死んだ今、アンネさんたちの仕事も終わったのだ。
「報告は昨日の内に済ませましたが、やはり一度戻らなくては……それに、滞在するにも、当座のお金もあまりありませんし。マオの家にはいられなくて、昨夜はホテルに泊まりましたが。解決する見通しが立たない以上、もう日本にいるのは無理ですわ」
「日本の物価は高すぎるのでございますよ~」
そうか。二人とも外国人だから、ここに留まるには費用がかかるのか。それだと、さすがに魔緒と和解するまでいるのは無理だろう。いつ解決するかも分からないんだから。
「だったら、うちに来る?」
「え?」
「は?」
そしたら、光子がアンネさんたちにそんなことを言った。うちって……俺の家か? 光子は現在家出中だし、必然的にそうなるよな?
「ちょ、おい、光子。うちに泊めるのは……」
「あら、お兄さんの家じゃないわよ? 既に私と花野が厄介になってるのに、これ以上は無茶でしょ?」
俺の突っ込みに、光子はさも当然のようにそう返してきた。うちじゃないって……じゃあ、どういうことだよ?
「うちっていうのは、私の実家よ。いい加減、家に戻ろうかと思ってたし」
「なっ……!?」
光子は平然とそう言った。実家に帰るって……それじゃあ、優香はどうするんだよ?
「それはありがたいのですが……ご迷惑ではありませんの?」
「いいえ、そんなことないわ。無駄に広いし……正直、家出してたから、何か切欠がないと帰れないのよ。寧ろ、帰宅に協力して欲しいくらいだわ」
「それなら、お言葉に甘えたいのでございます~」
俺の疑問は無視して、光子はアンネさんたちと話を進めていく。そりゃ、いつまでもこのままってわけにはいかないんだろうけどさ……。
「じゃあ、これから私はお兄さんの家に戻って、帰る準備をしてくるから。午後三時に、もう一度ここに集合ね」
「分かりましたわ」
「了解なのでございます~」
しかし、俺が口を挟む間もなく、とんとん拍子で話が決まってしまった。……優香があんな状態なのに、光子のサポートがなくなったら、俺はどうすればいいんだよ?
「……どういうことだよ?」
「ああ、私が帰ること?」
帰り道にて。俺は光子に、先程のことを問い詰めていた。……俺と一緒に、優香を守るんじゃなかったのかよ?
「理由は二つ。一つは、いつまでもこんな爛れた関係を続けられないから。アンネさんたちのことはただの切欠よ。実際、あの二人もあのままでは帰れないだろうし」
それは分かる。アンネさんもヴィクターさんも、魔緒と仲違いしたままで帰国はしたくないだろう。だから、協力したいのも分かる。それに、いつまでも今の状態を続けるわけには行かないのも。
「もう一つは優香のためよ。優香と、お兄さんのため」
「優香と、俺のため……?」
ただ、こちらは意味が分からなかった。優香から物理的に距離を取るのが、どうして優香のためなんだよ?
「だって、私がいたら、二人とも私に頼っちゃうじゃない。優香はお兄さんのことを忘れてて、お兄さんもそんな優香とどう接すればいいのか分からない。でも、私を緩衝材にしても、何も得られないわ。―――優香にお兄さんの記憶がないのなら、それなりに、お互いに歩み寄らないと。そうじゃないと、いつまで経っても今のままよ? もしも記憶が戻らなかったとしても、今まで通りの兄妹でいられるように努力しなくちゃ」
……そうか。光子に頼り続けても、それでは優香との関係は改善しない―――いや、このまま記憶が戻らなかったら、最早修復などでは駄目だ。一から、新しい関係を築かなければならないのだから。それなのに、光子にずっと頼っていてはいけないんだ。
「ま、私も鬼じゃないから。最初はちょくちょく様子見るし、絵美那さんにも協力してもらうわね」
……ほんと、光子には一生、頭が上がらないな。優香のために、ここまで気配りできるなんて。
「でもまあ、優香は絶対に嫌がると思うけどね……」
「それは同感」
折角、一年近くも親友と暮らしてきたのだ。加えて、家族の中で一番一緒にいるであろう、俺に関する記憶がないのだ。緩衝材になる光子がいなくなるのは、不安で仕方ないだろうな。
「……泣かれちゃったら、フォローしておいてね」
「無茶言うなよ……」
そんなことが出来るなら、そもそもこんなに悩んでいない。優香とまともに話すことも出来ないのに……。
「お兄さんなら大丈夫よ。血の繋がった兄妹なんだから」
「……ああ」
けれど、確信めいた彼女の言葉に勇気付けられた。……俺も、頑張らないとな。