……優香。お前はいつの間に、そこまで兄想いな妹になったんだ? お兄ちゃん、死ぬほど嬉しいぞ?
……因みに、こちらの兄妹はどうなのか。
「……疲れた」
夜。風呂から出た俺は、リビングのソファに寝転がった。今日はアンネさんの訓練を受けて、かなり疲弊している。あの後はひたすら魔力の制御を練習していて、普段以上に魔力を消耗してしまったようだ。そのためか、体の倦怠感も相当なものになっている。
「……兄貴?」
「ん?」
しかし俺は、頭上から掛かった声に、気怠い体を起こした。すると、ソファの傍で、優香が俺を見下ろしていた。
「どうかしたの?」
「いやまあ……ちょっと疲れただけだ」
「ふーん」
優香には魔術のことは言えないので、疲労が溜まっていることだけ伝えた。そしたらば、優香は適当な相槌を打って、どこかへと行ってしまった。……しまった。折角優香が心配してくれたのに、選択肢を誤ったか?
「……何泣きそうな顔してんのよ?」
「ゆ、優香……!」
と思ったら、優香が戻ってきた。ただ、胸に何か抱えてる。丸い樹脂性の物体で、これは確か―――
「湯たんぽ。まだ冷えるし、温まるわよ」
「優香……うぅ」
「ちょ、何泣いてるのよ!?」
優香の優しさに、思わず涙がちょちょぎれた。……妹に優しくされると、こんなに嬉しいのか。
「全く……ほんと、大袈裟なんだから」
呆れながらも、優香はコンロでお湯を沸かし、湯たんぽの準備をしてくれる。……優香。お前はいつの間に、そこまで兄想いな妹になったんだ? お兄ちゃん、死ぬほど嬉しいぞ?
「……もう、馬鹿なんだから」
優香の呟きは、いつもよりも温かく感じられた。ついでに、湯たんぽも凄く温かかった。一日の疲労が一晩で吹き飛ぶくらいには。
「……全く、兄貴は馬鹿なんだから」
夜。疲れているという兄貴のために、私は湯たんぽを用意してあげた。すると、兄貴は涙を流して喜んだのだ。大袈裟だとは思ったけど、悪い気はしなかった。自分のしたことで兄貴が嬉しく思うのなら、私としても本望だ。
「……兄貴」
―――でも、最近ちょっと変だ。前は、兄貴にこんなことをしようだなんて、全然思わなかった。兄貴が私のことを大切にしてくれてるのは知ってたけど、その変態さに身の毛がよだって、嫌悪感のほうが強かったのだ。……だから、こんなにも、兄貴を愛しく思うことなんてなかった。
「……どうしちゃったんだろう、私」
いつからだろうか、こんな風に思うようになったのは。絵美那さんの宣戦布告を聞いたときから? ……ううん、違う。そのときには既にこうなっていた。海に行ったとき……も、こうだった。となると、考えられるのは二つ。変な人物に銃を向けられて、「あの人」が現れたこと。それから、光子がうちにやって来て、一緒に住みだしたこと。この時期から、兄貴に対する気持ちが、徐々に変化していった気がするのだ。
「……なんで、なんだろう?」
二つとも、理由は分かる。危険な目に遭って、そのとき兄貴が頼もしかったから。光子が、何かと私に茶々を入れて、兄貴との距離を縮めようとしていたから。けれど、それだけじゃない気がする。
「……う~ん」
いくら考えても、答えは見えてこない。何か、大切なことを忘れてるのかもしれないんだけど……。
◇
……翌日。いつもの空き地にて。
「タクヤッ! 何度同じことを言わせますのっ!? 魔力を放出しすぎですわっ!」
アンネさんの怒鳴り声が、空き地の中に響き渡る。俺は今、アンネさんから魔術の指南を受けていたのだが、これがまた大変だった。今までは魔力の制御など意識せずにいたのだが、アンネさん曰く、俺の魔術は無駄に魔力を消費しているらしく、彼女にはそこを直すように言われているのだ。しかし、そもそも魔力とは何なのかすら知らない俺からすれば、そんなことを言われてもどうにもならない。制御を精一杯しても、何も変わり映えしないのだ。
「あらあら~。熱血指導でございます~」
そんな俺たちを、ヴィクターさんがニコニコと眺めていた。……っていうか、あんたら仕事はいいのか? 教えてもらえるのはありがたいんだが、それがどうしても気になる。
「心配しなくてもいいぜ。どの道、ボスの「占い」が終わるまでの間、そいつらはフリーになるんだ。今の内に、教われることは教わっておけよ」
そんな俺の思考を読んだのか、魔緒が本を読みながら説明してくれた。……っていうか、こっちも仕事しろよ。待機なんだとしても、もっと生産的なことでもするとか、色々あるだろうに。
「さ、もう一度ですわっ! 魔力の量を完璧に制御して、魔術の効率化を図るんですのっ!」
アンネさんはそう言って、訓練を再開させようとする。けれど、俺は魔力を感知できないし、それどころか魔力が何なのかすら分かっていない。なのに、これ以上やっても意味があるんだろうか?
「アンネ。そういえば、そいつに魔力の説明をちゃんとしてないぞ」
「え?」
すると、魔緒がそうやってフォローしてくれた。……っていうか、そもそもこいつの説明不足だよな? 段階を踏んで話すみたいな風に言ってたけど、実際は途中でサボってたし。
「……マオ。あなたそれでも魔術師ですの?」
「だから、俺は魔力式じゃないっての。それに、うちは人員が不足しているから、お前らみたいに手取り足取りは教えられないんだよ。というわけで全部丸投げする」
ジト目で魔緒を睨みつけるアンネさんに、魔緒は投げ遣りな言葉を返す。ほんと、色々と雑だよな。社会人って、みんなこんなんじゃないよな?
「……全く。それならそうと早く言って欲しいものですわ。お陰で、余計な回り道をしてしまいました」
アンネさんは溜息を吐くと、気持ちを切り替えたのか、魔力についての説明を始めた。
「魔力とは、魔術師が自身の魂を精製して作り出す、高密度なエネルギー体ですわ。魔力は通常の魂よりもマナの濃度が高く、魔術の行使に必要なエネルギーとマナの両方を賄えますの」
ふむふむ。魔力は魂を精製して作った、高エネルギー体、と。俺や優香には、その魔力を沢山精製する能力があるわけなんだな。……勿論、優香に魔力を作る力があるのは大前提の話なので、そこは忘れていない。
「術者の霊体を一部だけ切り取って魔力に変え、その高いエネルギーを元にマナを作用させる。それが古代魔術の原理であり、現在に通ずる魔術の基礎ですわ」
つまり、俺の魂を魔力に変えて、俺は魔術を使っているのか。……って、ちょっと待て。
「それだと、俺は自分の魂を削りながら魔術を使ってるってことか?」
魂を魔力にしていたら、その内全部使い切るんじゃないだろうか? 昔、そういうゲームがあったぞ。
「霊体にも代謝はあるらしいぞ。髪を切ってもすぐに生えてくるように、霊体も使って大丈夫な部分があるんじゃないか?」
俺の疑問に、魔緒がそう答えた。……つまり、俺は自分の髪の毛で魔術を使っているのか? いや、物の例えなんだろうけど。
「人間が作り出せる魔力の質は殆ど変わりありませんわ。含まれているマナの量も大差ありませんし。ただ、魔力そのものの量は個人差がありますけど。元々の霊体密度に比例するものなのですわ」
ということは、優香の場合、その霊体密度とやらが極端に大きいのだろう。……そんな理由で狙われるなんて、ほんとに迷惑な話だ。
「尤も、個人によって使えるマナの種類が違いますから、使える魔術も自ずと違ってきますわ。私の場合、「火」、「水」、「風」、「地」の四種類、俗に言う四大元素のマナが得意ですわ」
「四大元素?」
それって、かつて世界を構成していると信じられていた、四つのものだろ? やっぱ、魔術でも影響してくるんか。
「四大元素を司る四種のマナ―――「火」、「水」、「風」、「地」の四つは、第一元素、或いは物質元素と呼ばれていますわ。他にも、「光」、「闇」、「雷」の三種を含む第二元素、或いは光量子元素というものもありますわ」
「俺が使ってるのも第二元素の二つだな。尤も、その分類は西洋近代魔術のものだが」
アンネさんの講義に魔緒が所々補足してくる。……丸投げしたくせに。或いは、適当に茶々入れたいだけか?
「第三元素は「聖」、「悪」、「神」、「心」の四種を含む霊質元素。第四元素は「向」、「力」、「磁」の三種を含んだ無属性元素ですわ。他にも分類不明のマナがありますが、つまりはその分だけ魔術にもタイプがあるいうことですわ」
……なんだか、ゲームか漫画の設定みたいだな。魔術がそもそもファンタジーそのものなんだけどさ。
「ということは、マナにも強弱とかあんの?」
この手の属性には、相性と言うものが設定されている場合が多い。炎は水に弱く、水は電気に弱い、といった具合に。マナにもそういう関係があるのかもしれない。そう思って、俺は尋ねてみた。
「ありませんわ。基本的に、ですけど」
「基本的に?」
「例えば、水は電気分解できるが、同時に水が抵抗になるだろ? 火は水で消せるが、火は水を蒸発させる。一方的に効果を及ぼす強弱関係はないが、双方に効果的な相性はあるってことだ」
要するに、漫画ほど現実は甘くないってことか。相手に対して効果的でも、自分も影響は避けられない。一方的に有利にはならないわけだな。
「……さて、説明も終わりましたし、再開しますわよ」
一通りの話が終わったところで、アンネさんがそう言った。……結局、そこは変わらないんだな。