……誤魔化せた、のか?
……その頃、優香たちは。
「ねぇねぇ優香ちゃん」
「何?」
チョコレート作りの最中、絵美那さんが私に話しかけてきた。今は湯煎で融かしたチョコを、樹脂製の型に流しているところだった。
「こういう融けたチョコをさ、体のあんなところやこんなところに塗り固めて、「チョコは私だよ(はぁと)」とかやると、男の子はイチコロじゃない?」
「なっ……!」
絵美那さんのトンデモ発言に、私は思わず硬直した。な、なんてこと言い出すのよ!? 危うく、チョコの入った容器をひっくり返すところだったじゃない!
「でもでも、琢矢君なら瞬殺されると思うけどなぁ~。優香ちゃんが、「私を、た・べ・て」って迫ったら、速攻で野獣に変身☆だよ!」
「そ、そうかな……」
しかしそこまで力説されると、くだらない案のはずなのに、とても魅力的に思えてしまう。体にチョコを塗るってことは、それを食べるためには、必然的に私の体を舐めなければならないわけで―――
「あの……二人とも、それは駄目ですからね。食べ物を粗末にしてはいけませんよ? それに、そんなことされたら普通に引きます」
「そ、そそそうよねっ! 絵美那さん、なんてこと言ってるのよっ!?」
すると、花野が呆れたように口を挟んだ。あ、危なかった……花野が突っ込んでくれたお陰で、血迷わなくて済んだわ。そんなことやったら、末代までの恥じゃない。
「えぇー? 優香ちゃんなら絶対やると思ったのにぃ~」
「や、やらないわよっ!」
絵美那さんが残念そうにしていたけど、私は絶対にやらないからっ! そうよ。そんなの、私のキャラじゃないし。あの兄貴ならすぐにも飛びつきそうだけど、兄貴と「そういう関係」にはなりたくないし。
「なら、私はチョコに惚れ薬でも入れようかな?」
「駄目っ!」
乱れた思考を律していたら、絵美那さんがまたもや爆弾発言を。どさくさに紛れて、何するつもりなのよ!
「冗談だよ~。入れるのはただの精力剤だから」
「それも駄目っ!」
……全く、油断も隙もない。そもそも、薬に頼るなんて、人としてどうなのよ? そういうの、一番嫌いな人だと思ってたんだけど。
「ほんとに冗談だから。薬なんて入れないし、爪とか髪の毛とか体液とかも入れないから、安心して?」
「そこでその選択肢が出てくること自体おかしいと思うんだけど」
「え? だって、食べたものはその人に吸収されて、体の一部になるんだよ? 自分の体が、あの人の体に吸収されるだなんて……って考えたら、キュンって来ない?」
「……来るわけないでしょ」
絵美那さんの思考が本格的におかしくなってきた。あ、ちょっと分かるかも―――だなんて、これっぽっちも思ってないから。
「そう? 私、琢矢君の―――(自主規制)―――とか、喜んで食べれるけど。寧ろ食べたいけど」
「え……」
けれど続いた言葉に、私はカルチャーショックを受けた。―――(自主規制)―――食べるの? っていうか、あんなの食べて、病気にならないの?
「私としては、ちょっと嫌がる振りをしつつ、無理やり食べさせられるのがベストなんだけど」
……絵美那さん、恐るべし。私には、―――(自主規制)―――をそもそも口に入れるなんて発想がなかったわ。
「優香。真似しちゃ駄目よ? っていうか、絵美那さんも、女の子が―――(自主規制)―――なんて言わないの」
「はーい。じゃあはいせ―――」
「いや、遠回しならいいって意味じゃないから」
絵美那さんの下ネタ暴走を、光子が止めてくれる。……ごめん光子。私、ちょっと頭が混乱してきた。っていうか、絵美那さんの変態っぷりが増量してるし。昔から下ネタに抵抗がない人だったけど、これは酷い……。
……さて、琢矢はどうしたのか。
「それじゃあ、またな」
「ああ」
喫茶店を出た俺たちは、またもや車に乗り込んで、元いた空き地にへと来ていた。というか、ここまで送ってもらったのだ。魔緒はアンネさんたちと一緒に、車に乗って帰っていく。……さて、俺も帰るか。
「ただいまー」
そんなわけで、俺はすぐに帰宅した。光子はいないかもしれないが、優香が帰ってるはずなので、出来るだけ早く戻っておきたかったのだ。
「……ん?」
けれど、家に入った途端、慌しい気配が漂ってきた。何かあったのか?
「あ、琢矢君。もう帰って来たんですか? 早いですね」
と思った途端、花野が出迎えてくれた。光子の代わりに、うちにいてくれたのか?
「ああ。なんか、魔緒と色々あってさ……優香は?」
「今はお部屋でお休みみたいですから、そっとしてあげて下さい」
「……なんかあったんか?」
「いえ、ただの昼寝だそうです」
なんだ、そうなのか。調子が悪くなったとか、病気とかじゃないなら、一安心だ。仮にそうなっても、花野はその辺の医者より頼りになりそうだけどな。
「そうか。んじゃ」
「……どこへ行くんです?」
それから俺はこの場を立ち去ろうとしたのだが、花野に呼び止められてしまう。心なしか、殺気が篭っているような……。
「ど、どこって、自分の部屋だけど?」
「そうですか。では、僕もこれで失礼しますね」
俺がそう答えると、花野は意外にもあっさり引き下がった。そしてそのまま、どこかへと行ってしまう。……誤魔化せた、のか?
「ふぅ……」
勿論、俺は自分の部屋に行くわけじゃない。……優香の様子を見に行くつもりなのだが、そっとしておけと言われた以上は、隠しておくしかないだろう。
「さて、行くか」
優香だって、昼寝の邪魔はされたくないだろうけど、もしものことがあったら心配だ。もしものことがないのであれば、すぐに退散すればいいし。
「うぅ……何で、私がこんなことを?」
私は自室のベッドで横たわっていた。チョコを作っていたら、突然兄貴が帰って来たので、その対策ということらしい。……自分でも何言っているのか分からないけど、絵美那さんや花野にそう言われて、ただこうしているだけなのだから仕方ない。
「……優香? 寝てるのか?」
「……!?」
すると、誰かが部屋の扉をノックした。声からすると……兄貴? どうしてここに?
「入るぞ」
「……!」
扉が開く気配がして、私は咄嗟に目を瞑った。……いや、そんなことする必要はなかったんだろうけど、反射的にそうしてしまったのだ。
「優香?」
扉が開いて、兄貴が部屋に入ってくるのが、気配で分かった。どうして兄貴がここにいるのか……もしかしたら、これが「作戦」なのかもしれない。兄貴を私の部屋に誘き出して、その隙にチョコ作りの痕跡を消すのだろう。つまり、私は囮なのだ。
「優香……寝てるのか?」
兄貴は小声で、優しく呼びかけてくる。起きていれば聞こえるけど、眠っていたら気づかない程度の音量で。……もしも私が眠っていた場合、起こしてしまわないようにするための配慮か。
「……寝てるのか。まあ、顔色もいいみたいだし、病気じゃないならいいか」
兄貴は一人で納得するように呟くと、そのまま部屋を出て行った。……なんだ、私のことを心配してたのか。確かに、兄貴はそうだった。変態で非常識なシスコンだけど、いつも私のことを一番に考えてくれる。―――かつての兄貴からは、想像もつかない程に。
「……すぅ」
そんなことを考えていたら、段々と意識が遠退いていった。それが眠りに就くことなのだと気づいたときには、私は既に夢の中だった。