お前が一番訳分からんわ。
「何だったんだよ、さっきの人は?」
店を出た後。俺は魔緒に、さっきの女性について尋ねていた。こいつは旧友とか言ってたけど、本当にそれだけとは思えないのだ。
「俺もよく分からん」
「は?」
しかし、魔緒の返答は意外なものだった。よく分からないって、お前が一番訳分からんわ。
「実際、あいつとはほんとに接点がなかった。精々、席が隣同士だったってだけだ。まともに口を利いた覚えもない」
「けど、さっきは不倫寸前までいってたじゃないか」
「寸前言うな」
怒られた。確かに、あんだけ冷たく突っぱねてたから、寸前というのは不適切だろう。口説かれていた、と表現するべきか。
「……まあ、あいつも苦労してそうだしな」
「と言うと?」
突っ込んでみると、何故か一瞬躊躇う素振りを見せたが、すぐさま「お前にならいいか」と呟いて、話し始めた。
「三山線脱線事故を知っているか?」
「いや?」
三山線というのは、近くを通っているローカル線のことだ。けれど、そこで脱線事故なんてあったか……? 全然記憶にないが。
「まあ、十年以上前の事故だからな。知らなくても無理ないが」
魔緒によると、三山線では十年以上前に大きな事故があったらしい。何でも、走行中の車両が脱線し横転、多数の死傷者を出したとか。
「特に三両目の被害が大きくてな。乗客十七人の内、五人が死亡、七人が重傷、四人が軽傷だった」
五人―――三両目に乗っていた客の内、三分の一くらいか。そんなに悲惨な事故があったんだな……。
「でだ。綾川も乗っていたんだよ。その車両に」
「つまり、三両目に?」
俺の問いに対して、魔緒は静かに頷いた。なるほど、そんな事故に遭った奴なら、名前を覚えていても不思議じゃないな。
「ということは、あの人も酷い目に遭ったんだ」
「いや、あいつは事故そのものではなんともなかった」
「へ?」
納得しかけた俺に、魔緒はそう、否定の言葉を放ってきた。……いやだって、さっき言ってたじゃん。三両目は被害が大きかったって。
「三両目にいたのは十七人。死者五人、重傷者七人、軽傷者四人。さて、問題だ。「17-5-7-4」は?」
いや、そんなの……あ。
「1……ってことは、まさか」
「そのまさかだ」
「17-5-7-4」。その答えは、「1」。―――つまり、無傷の人間が一人いることになる。
「綾川は、その事故での数少ない、三両目に乗っていた客の中では唯一、掠り傷一つ負わなかったんだ」
「そんなことって、あるのかよ……?」
殆どの乗客が死亡ないし負傷しているのに、一人だけ無傷で生還しただなんて……奇跡、と言っても程があるだろ。
「まあ、確かに信じ難いさ。実際、あいつの隣にいた奴は惨い死に方してたらしいし」
隣同士で、片方は無事で片方は無残に死亡……文字通り、紙一重だったんだな。
「で、だ。奇跡的に生還できたのは良かったんだが……その後が問題でな」
「その後?」
何でだ? 助かったんだから、めでたしめでたしで済む話じゃないのか? 俺の疑問に答えるように、魔緒は少し声のトーンを落として、続けた。
「あいつの隣にいた奴が、惨い死に方をしたって言っただろ? そいつ、クラスメイトだったんだよ」
「……ってことは何か? 偶然一緒だったクラスメイトが死んで、あの人だけ無傷だったってことか?」
「ああ。しかも相手はクラスの人気者。イケメンで成績優秀スポーツ万能、性格は明るく社交的で家は裕福。おまけにサッカー部所属で一年生でありながらチームのエースだった」
魔緒が語る被害者は、正に完璧超人だった。俺の知り合いにもそんな感じの奴がいるから分かるが、そのクラスメイトとやらはさぞかしモテたんだろう。
「そのせいで、あいつはいわれない誹謗中傷の餌食になったんだよ。当時の綾川が控えめで影の薄い奴だったのも災いして、特に、死んだ男子生徒に懸想していた女子が騒ぎ出してな。そのまま学校規模の虐めに発展したんだ」
……それは酷い。不幸にも事故に巻き込まれて、偶然無事で、しかも偶然暮らすの人気者が死んだだけなのに……八つ当たりも大概にしろよ。と、話を聞いているだけで憤慨してしまう。
「それが原因で綾川は転校して、それっきりさ。ついさっき再会するまで、会うどころか、噂を耳にすることさえなかった」
なるほど……確かにそれなら、どんな苦労をしてきたのか、想像に難くない。
「ま、元気そうだったからな。なによりだ」
そう言う魔緒は心底安堵しているようで、彼女にまつわるエピソードを覚えていることからも、本当にあの人を気に掛けていたのだと分かった。
「さて、そろそろ戻って訓練再開な」
はは……やっぱ、懐かしの顔に巡り会えても、そこは平常運行なんだな。
◇
……琢矢の魔術訓練が終わり、講師である魔緒は帰宅の徒についていた。
「ふぅ……今日も大変だったな」
午後からは主に、魔術使用を前提とした戦闘訓練を行っていた。つまり、鉄パイプを装備した琢矢を相手に、素手で攻撃を防ぎ、躱し、いなしていたのだ。しかも相手は素人なので、ただ闇雲に得物を振るってくる。それを捌くのには、さすがの魔緒も骨が折れるのだ。
「っと」
軽い疲労の纏わりつく足を、唐突に止める魔緒。彼の視線の先には、小さな児童公園があった。何人かの子供が、ボールを蹴って遊んでいる。
「……」
「どうしたの?」
「……唐突に現れるなよ」
突如聞こえてきた声に振り返ると、そこには少女がいた。青白い肌に純白のワンピースを身に纏った彼女は、これまた雪のように白い髪を生やしていた。髪、肌、服と、全身真っ白な少女だったが、ただ一つ、瞳だけは燃えるように赤かった。……そう、まるで魔緒のように。
「仕方ないじゃん。私は、まおちんが望んだときしか現れることが出来ないんだから」
「だからって、何の前触れもないってのは困る。……心の準備も、出来ないしな」
困惑気味の魔緒に、少女は優しく微笑みかけた。その笑みに、魔緒は一瞬だけたじろくと、すぐ不機嫌そうな表情を浮かべた。
「……お前、俺が困るとそんなに嬉しいのか?」
「うん。私のことで困ってくれるなら、すっごく嬉しい」
「……性格、悪くなったな」
言葉とは裏腹に、魔緒は少女と一緒になって笑っていた。彼女の言葉に、魔緒への確かな想いが内包されていたからだろうか? ……というか、この子誰?
「……まおちん。まだ私のこと、引き摺ってるの?」
微笑んでいた少女が不意に、悲しげな表情を浮かべ、問いかけてきた。しかし魔緒は、寧ろその笑みを増して、こう答えた。
「ああ。お前のことは、一生引き摺ってやる」
「……まおちんも、性格悪くなったね」
少女は不貞腐れるように唇を尖らせると、しかしまたすぐに笑顔を見せた。
「なるほど……だから、あの子たちを助けたいと思ったんだね」
「まあ、半分くらいはな」
「半分?」
魔緒の返事に、少女は首を傾げていたが、やがて合点がいったかのように頷きだした。
「なるほど。「子供を守るのに、理由なんていらない」、ってことね」
「ああ。そういうことだ」
少女の台詞に、魔緒は大きく頷いた。と、そのとき、魔緒の足に何かがぶつかった。
「ん?」
足元に視線を向けると、そこにはボールが転がっていた。公園に目を向ければ、中の子供が手を振っているので、遊んでいたら飛び出してしまったのだろう。
「よっと」
ボールを拾って投げてやると、それを受け取った子供はお辞儀をしてから、仲間の元へと戻っていった。
「……っと」
魔緒が再び振り返ると、そこにはもう、少女の姿はなかった。
「……ったく、ほんとに唐突だな、お前は」
魔緒は暫しの間その場に佇んでいたが、やがて、再び歩き出した。