8話目 失なう恋心
ショッピングモールで買い物を何とか済ませると、そのまま寄り道をせず直ぐに駅に向って歩き、電車に乗り最寄り駅へと向う。
四駅も跨いでくるので、なかなかの時間が掛かる。一駅一駅で距離があるので、尚更時間が掛かる。
夜を走る電車の窓から覗く景色は、様々な光を映し出す外の光景がとても綺麗に見え、となりでウトウトしながら眠たそうに肩を寄せてくる結衣も夜景に似合う美しさはあると思う。
「ハッ!!」
薄っすらとよだれを垂らしそうな気配をさせなければの話だが。
「眠いんなら寝ても良いぞ」
「いや、眠たくないし」
「眠たそうにクタクタしているのがよく言うな」
「……眠たくないし」
そう言いながらも、目は半開きでかなり眠たそうにしている。不思議と体の動きもゆっくりとなっていて、一層眠たそうに見える。
初めてナマケモノを見た気がする。
「まだ、駅までは遠いんだ。なんなら肩貸してやろうか?」
「良いよ。そこまではしなくても、寝れるから」
「結局寝るんだな」
そう納得すると、俺は腰から携帯端末を取り出すと現在の時刻を確認する。六時はいつの間にか通り過ぎており、七時に指しかかろうとしていた。時間というものは、実際の時間よりも凄く早く進んでいるような感覚がする。
楽しいものほど時間は早く進むとは、よく言ったものだと心の中で感心してしまう。
「勝手なことを言わないでよ……寝ないから……」
「とか言いながら、もう眠たそうだし」
「意地でも寝ないから」
寝ぼけているからなのか、言葉がかみ合っていない。何とか言い返さないと、という考えが丸見えである。
と急に結衣の体がガクッと落ちた、と思うと体がムクッと起き上がる。眠たそう以外の言葉では表現できっこないほど、眠たそうである。
「それじゃあ肩……貸してよね」
「あぁ」
そう言って俺の肩にもたれ掛かる結衣。しかし、肩ではなく実際腕と思うと、背が小さいなと思ってしまう。
そのまま、すぐに小さな寝息を立てながら寝こけてしまう結衣。横目で見るその顔は、安らぎ以外のものは感じさせないほどに眠っていた。
「早いな……」
小さく口に出しながら、結衣の体重を軽く堪えながら駅に着くのをただただ待つ。
今日は珍しく人が少なく、空席もかなり多かった。居るのもサラリーマンと高校生が少し居るくらいだった。
向かいの窓にふと、俺と結衣が映った。夜景に溶け込むように写った二人の姿を見ながら、隣に綾香が居たらと言うことを考えてしまう。
二日前だ。その二日前に彼女と出会って、俺は確実に彼女しか目が行かない奴に成り果てたかも知れない。
隣に眠りこけている結衣と、今日一日接してみてこれがいつもの俺なのだろうか、と思う瞬間があった。朝でも結衣を泣かせ、昼でも結衣を怒らしてしまった。
ここまで結衣に迷惑を掛けて、俺を心配させたんだろうかと思うことがいくらでもあった。
ただ彼女しか頭に無かった、は言い訳にはならないのは分かっているが、隣に居る女子一人も守れない男が綾香を守れるだろうか、笑わせてあげられるだろうか。彼女に吊り合う彼氏になれるだろうか。
そう思うと、心が思い。
天然で、馬鹿で、背が小さくて、弱くて、人と会話しても噛みあわなくて、人目を気にせずに眠ってしまう、こんな奴も守れなくてどうするんだ。そう思うと、自分に対する羞恥すら沸いてくる。
その安らかな寝顔だけが、心を打つ。
「雄一……」
寝言で俺のことが出るなんて、結衣の脳内が本当に知りたい。
今日散々な目に遭わせてしまった、いや、遭わせた俺の名前が出てくるなんて、全く持って信じられない。結衣は人を信用しないと言うのを覚えたほうが良いような気がする。
詐欺に合ってしまうんじゃないかという、不安がふと過ぎってしまう。
「お前って、案外いっぱい色んなところに居るんだな……」
独り言とは悲しいものだ。そう自分でも、思いながら駅に着くまで眠る結衣を見守っていた。
◆◇◇ ◆◇◇
駅から出ると、かなり冷え込んでおり秋とは言いがたい寒さがあった。隣で、腕を摩る結衣がそれを如実に現していた。
「寒いのか?」
「ぜ、全然寒くないよ」
そう言いながら、小さく身震いをする結衣。
「お前は本当に嘘が下手だな」
「悪いか」
「全然……悪くねぇよ」
そういうと、俺は上に来ているパーカーのファスナーを下ろし脱ぐと、それを結衣の肩に掛ける。
「寒いんだろ、着ろよ」
こんなことしか出来ないのだ。小さいことしか出来ないのだ。
パーカーがなくなった瞬間、首元に冷たい風が吹いたようにヒヤリとしたものが走った。
「い、良いよ。雄一も寒そうだし」
「俺はヒートテック着てるから大丈夫」
「ヒートテックって、それでも寒いでしょ?」
「ヒートテック舐めんなよ!! 結構温かいからな!!」
大きな声を出して言う俺に対して、結衣が小さく「ははっ」と笑う。
「何か、可笑しかったか?」
「ううん、別に……」
そういうと、結衣は俺の貸したパーカーを着る。しかし、結衣の白い服に合っていないのか、それとも結衣のせいなのか似合っていない。
「似合ってないな……」
俺がぼそりと呟くが、結衣は結構気に入ったようで、しっかりと着込む。
「なんか、腹減ったな……」
「そう? それじゃあ良いお店教えてあげる」
「お前の良い店が不安なんだが」
俺の言葉に反するように、胸を張る結衣。
「私が紹介するラーメン屋さんは凄く美味しいって評判なんだよ」
「……ラーメンかよ」
小腹といった気がするのだが、気のせいだろうか。いや、気のせいだった。
「まぁ、ラーメンでも良いか」
そういうと、俺は歩き出す。周囲の気温の低さに驚かされ、鳥肌が立っているほど寒いのだが、ここで弱音を吐いたら俺の負けだ。そう言い聞かせ、なんとか堪える。
「ねぇ、雄一」
「?」
気がつくと隣に結衣が居ない事に気がつき、後ろを振り向く。先程の位置から一歩たりとも歩いていない結衣が居た。
頬を赤らめ、手に持つカバンもギュッと握り締めていた。そして、息づかいも早く、まるで緊張しているようだった。
何に緊張しているのだろうか。
「私と雄一ってさ、幼馴染ってくらい一緒にいた時間長かったよね」
「まぁ、案外長いな」
突然何を言い出すんだと思っていると、結衣の握る手の力が徐々に強くなっているのが伝わってくる。
「それにさ、私と雄一ってさ仲が良かったよね」
「今日のことを考えれば不安だがな」
それを言うと、気のせいか不安になってしまう。
「でもさ、他の人よりは仲が良かったよね」
「そうなのか?」
「そうだよ……」
結衣がこちらを視界にしっかりと捉えた。
強い視線が、俺の元に集められる。
「まるで、恋人みたいだなって思ったこと無い?」
「……何を言ってんだよ」
俺は心の中で薄っすらとした、何かしらの得体の知れないものの正体を分かっていながら、否定していた。
これからの展開が、分かってしまっていたのか、俺は否定した。
「私さ」
一旦区切ると、小さく息を吸う。そして、決意の眼差しでこちらを見てくる。
「雄一のことがす――――――」
「言うなよ」
遮る。
「えっ?」
結衣が言葉を発す前に、俺が言葉を遮ってしまった事に驚いたのか、動揺しているのか、驚愕の表情を浮かべていた。
俺に向って目が、どうして、と訴えかけてくる。
「なんで? 雄一?」
困った表情で、こちらを見つめる結衣。
俺の考えは簡単だ。今は、今だけは綾香の事は考えてられなかった。いや、今はその好きと言う気持ちよりも、結衣を泣かせないようにしなければという考えの方が強かった。
結衣の心を踏みにじるのだから。
「俺さ、結衣が必死に思ってくれていてくれたのは分かってたんだ」
「……」
無言で聞く結衣の表情が硬い。まるで、石化でもしてしまったような、拒絶しているような表情だ。
聞きたくない。嫌だ。そんな思いが伝わってくる。
俺だって同じだ。
「お前がいつも一緒に居てくれたこと、本当に嬉しかったんだよ。話し相手が居るから、だけじゃない。本当に友達以上に接してくれた結衣が、嬉しかった」
「なら……」
「でも!!」
大きな声を上げる。
これは伝えなければいけない。そう、今の俺は考えていた。ろくな考えは浮かばない、馬鹿な俺がしなければいけない、伝えなければいけないんだと頭の中で必死に考えた。
もし、結衣の心を傷つけてしまっても、結衣に伝えたかった。
「俺には、今、好きな奴がいるんだ!!」
結衣を否定するわけじゃない。結衣は、結衣で一緒に居たいと思える存在だ。でも、好きとは違う。
それを伝えたかったが、結衣にはなんと伝わってしまっただろうか。
「そ、そうなんだね」
結衣はうつむくと、腕を持ち上げ目を擦りだす。
「おい……結衣?」
不安ながらに聞くと、声を小さく張りながら結衣が答えた。
「また」
「えっ?」
驚いた俺は、情けない声が出たのには全く気がつかなかった。
「また、私を泣かせたな」
「あっ……」
そのことに気がつくと、俺は結衣の元に駆け寄っていた。何か出来ると思っていたわけじゃないけど、何かしなければと思っていた。
「結衣……」
顔を持ち上げた結衣は、頬を真っ赤に染めながら、目も赤くなっており、その目じりには涙が浮かんでいた。そんな結衣は、必死に笑っていたのだった。
どうして笑えるのかは、分からなかった。でも、結衣は泣き虫でも、弱虫じゃないと知っていた。
でも、結衣の心が傷ついているとは分かっている。俺の中でも、承知している。その中で、どうして笑えるのかと、困惑してしまった。
「なんだか、スッキリしたよ……」
「えっ?」
目を擦り、結衣が答える。
「私が嫌われているんじゃないって事がわかってさ」
「嫌う? 何を言ってるんだよ!!」
俺は、知らぬ間に大声で言っていた。
周囲の目が俺の方に向って、飛び込んでくる。それも冷たい目でだった。でも、不思議と全く気にならなかった。
「俺がお前を嫌うわけ無いだろ!!」
その言葉は口から勝手に出ていた。俺が意図する前に、結衣に向って出ていた。
「それが聞けただけで安心だよ……雄一」
「結衣……」
俺はいつの間にか、不安げな表情をしていたのだろうか、結衣が肩を背伸びしながら叩いてくる。
「なに不安げな顔しているんだよ雄一」
その必死さに、少し笑ってしまう。
「雄一は、薄く笑っているくらいがカッコいいんだよ」
「俺は薄く笑って無くても、カッコいいんだよ」
「そんなカッコいい雄一に付き合ってもらおっかな、ラーメン」
「あぁ、ラーメンは二杯ならおごってやる。安い奴をな」
「ケチ」
結衣がそういうと、俺を追い抜いて数歩先に歩くと、こちらを見る。
「いくよ、雄一」
「あぁ」
俺は、服の入った袋を持ち直すと結衣の跡に続いてラーメン屋に向うのだった。
俺は馬鹿だ。
小さな小さな、結衣を守れないほど俺は馬鹿だ。その、ちっぽけさはアリにも負けず劣らずと言っても過言字ではないと、自負できるほどである。
昔、妹に言われたことがある。『お兄ちゃんは、いざという時以外弱い』と。
それを許すわけじゃないが、それでも良いのではないのか。
いざというとき、彼女を守りきれる強さがあれば。