3話目 決意
雄一と綾香はその後、何気無い会話で弾ませていた。心で、なんとか明るく明るくとつとめて、必死に笑顔を守っていた。
綾香の色々なことも聞けた。幼稚園の時、ピアノ教室を習ったけどなかなか上手くいかなかった事、父の持っていたギターを弾いてみて感動した事、ギターを習ってみて指先が血まみれになるほど頑張ったこと。
様々な思い出を語ってくれた。
彼女は、自分の思い出を話しているとき、とても目をキラキラと輝かせて、体を前のめりにさせ話す。
そんな彼女の話を止められるわけも無く、雄一はそれに相槌をうつ。雄一が頷くだけでも、彼女は生き生きと語る。
しかし、時間は過ぎ去っていくものだ。
雄一は腕時計を見ると、時刻はいつの間にか七時三十分を指しており、かれこれ一時間は話し込んでいた。
今日は、特に用事が無いが早く帰らなくても良いが、あまり遅くなるのも困る。
「そろそろ時間だから、私帰るね」
そういうと、彼女は大きなギターのケースを担ぐと、席の隣に置いてあるリュックサックを背負う。中には、今日使っていたマイクやスタンドなど様々なものが入っている。
「そう……ですか」
つい、うつむいてしまう雄一だが、すぐ彼女の方を向くと出来る限りの笑顔を振り撒いく。精一杯の努力を。
「今日は、ありがとうございました」
彼女が、お辞儀をしながらいうので、あたふたした様子で「こちらこそ」と言う。が、そんな雄一を見て彼女は、小さく笑う。
笑われてしまった雄一は、頬が熱くなるのを感じながらも、必死に答える。
「……」
だが、あの話しを思い出すとうつむき黙ってしまう。小さく、微笑んでいた彼女も雄一のことを察してか微笑むのを止めたかと思うと、後ろを向く。
長い黒髪がサラリと揺れ、舞う。
「それじゃあ、今日はありがとう」
そういうと、彼女はレジまで行くと代金を払って行ってしまう。
それを、ただ見ていただけの雄一は、自分に押し寄せる虚しさに心を蝕まれるような感覚に襲われていた。
言いたくても言えないこの思いは、吐くことさえもままならず胸に突っ掛かる。
ふと、みるアイスコーヒーは氷のみとなり、薄い茶色をのこしつつ、水となっていた。それだけが、彼女と話していた時間を証明していた。
だが、それも一時。これが、まだ続けたいと思う感情が込みあがってくる。が、押し込むしかない感情とぶつかりあい、胸が痛い。
「雄一君だっけ?」
「えっ!?」
驚いて後ろを振り返ると、そこには先程のおじさんが立っていた。手をエプロンでぬぐいながら、こちらを向いている。
目は、とても優しく語り掛けてくるようで、小さな不安なら取り除いてくれるような温かさを持っているようだった。
「綾香ちゃんは、昔からあんな感じなんだ……」
そういうと、おじさんは彼女が出て行ったドアを見つめる。カランとなる鐘が、虚しく響き、店内の隅まで鳴っていた。
「あの子、親がなかなか家に居なくてね。よく、うちに来てたんだけど……。そのたびに私に微笑んできてね。なんか、悲しいんだよあの笑顔が」
「えっ……」
口から漏れたのは、驚きと動揺の声だった。
「でも、今の彼女の笑顔は本物だから……。無くさないであげてね、彼氏さん」
そういうと、おじさんは手を肩にのせてポンと優しく叩く。そして、おじさんは胸を張ると一つ言った。
「おじさんは奥さんと結婚するとき、追いかけたよ」
そう言って、笑うおじさんはさらに肩を叩いてくる。
背中を叩くと、雄一はフラリとしてしまいたたらを踏むが、おじさんが最後に言ってきた。
「頑張って」
そうおじさんが言ったときには、雄一は店のドアを乱暴に開け、走り出していた。
そして店内に、また静寂が訪れる。
◆◇◇ ◆◇◇
肺が酸素欲しさに呼吸を繰り返し、必死に起動し、心臓も破裂するんじゃないかと思う程にバクバクと鼓動している。
秋の夜空は、夜空が綺麗に煌めいており、星空がまるで世界を包み込んでいるような感覚に陥ってしまうほどに綺麗だった。
寒くなり始めた時期だが、背中を伝う熱に、胸を叩く心臓の鼓動が早く早くと急かす。
「はぁはぁ……」
頭がクラッとして、ふらつくが体が倒れることを許さず、前へ前へと駆ける。
高校の帰りに良く立ち寄るパン屋を通り過ぎ、不思議な彫刻が置かれた小さな公園を通り過ぎる。
何故気づかなかったのだろう。
雄一は、走りながら必死に頭を回転させて、自分の思いを巡らせる。
なぜ、あの時に言われなければ気づかなかったのか、気づけなかったのか。なぜ、あの時に自分から話せなかったのか。なぜ、あの時に彼女に思いを伝えることが出来なかったのか。
彼女が去ってしまった後の時間、自分はこんな人間だからと諦めていた自分が居る。それを今思えば、殴ってやりたいほど憎たらしく思え、悔しい。
今、雄一は彼女に思いを、否、想いを伝え無ければならない。ただ、何が出来ると言うわけでもない平凡な少年と青年の間の人間だ。
そんな奴でも、何かをやらなければいけないときがある。それが今だと感じる。
たとえ、遠回りないい方で伝えたとしても、噛みに噛んで「何て言ったの?」と聞かれたとしても、自分の出来ることをしなければならない。そんな感情が、回りに回っていく。
息が上がってきて、遂に辛くなってきた。七部袖の上着では寒く感じてくる時間帯だったが、不思議とそんなことは感じず、逆に暑く感じてしまうほどだった。
「どこに居るんだ……」
足も疲れてきて、筋肉痛になってもおかしく無いほどに思える程走った。もう、居ないのではないかと思えてしまう。が、走る。
駅に向って走っていく。
夜の暗闇に反抗するかのように、明るく光る電灯がいくつも道順を示している様だった。彼女の元まで、綾香の元まで続いているかもという幻想にでも手を伸ばす。
「可愛い……」
もう、居ないのではと思って走るのを諦めた瞬間、近くから脳内を爆発させるかの様に響き渡る声。
間違える筈のないあの声が聞こえた。
声の方向を振り向くと、そこには店で見た綺麗な黒髪を煌めかせ、小さく前かがみになりながら、レンガの家に飾られている人形に目を奪われている綾香が居た。
「綾香さん!!」
雄一は気づいたら叫んでいた。
「ひぃっ!!」
それに気づいた綾香は、可愛らしい声を上げながら、こちらを向くと驚いたような表情を浮かべた。
「僕は……」
胸を刺す針のようなものが、リミッターを掛ける。しかし、堅苦しくなくても良い、自分の思いを伝えるだけだ。そう、呪文のように考えると、リミッターも簡単に解除されてる。
「俺と、一週間だけで良いです。上京するまで、一緒にいよう!!」
夜空に消えていく雄一の声が、町に溶けていった。まるで、風景の一部にもなっていくようで、その光景は眩しいものに写る。
綾香は、いきなりのことで戸惑っているようだったが、こちらを向くとうつむいてしまう。
二つはなれた電灯が、彼女の可愛らしい顔を照らす。
薄暗く、はっきりとは顔を窺えなかったが、それでも頬が赤く染まっていた。
雄一は心の想いを全て吐きだし、頭が冷めてくると自分の言った事がどれだけのことかと理解したときには遅かった。
自分の言った事に対する、羞恥心が湧き上がってきて、こちらもうつむいてしまいそうになる。が、そこを意地でも上げ、彼女を見る。
何かをかんがえこむかの様に思う様子の彼女だが、引っ切り無しに目を泳がせている姿は、なんとも考え物だった。だが、そんなことは関係ない。
どんな様子の彼女でも、想いが伝わってくれればそれでよかった。自分が、これから何をするかは全くの未定だったが、それでも答えが欲しい。
「私は……」
そういうと、彼女はうつむいた顔を上げて雄一の方を見る。
「……、よろしくお願いします」
そういった彼女は、また微笑んだのだった。