33話 綾香の部屋で二人きり
「どうぞ、遠慮なく上がってください」
そういうと綾香は、靴を脱ぎスタスタと部屋の中へ上がっていく。
喫茶店アリスでの手伝いが終わった後、綾香に案内されるままアパートへ来て、エレベータに乗り、ここまできてしまった。
だが、今更ながら後悔というか、後ろめたさというものがある。自分が悪いことをしていないのは確かなのだが、どこか失態を犯している気分になってしまう。それは、女性の部屋で二人きりという状況が、変な想像を起こさせるのか。
もしかすると綾香は、どんな人でもむやみやたらに部屋に招きこんだりしていないだろうか。無防備すぎるではないか……。そうだった場合、注意をするべきなのだろうか。
様々な考えが頭をよぎっていく。
だが、綾香はしっかり者だ。そんなことは万が一にも無いだろう。無いと信じていたい。
「お、おじゃまします……」
雄一は恐る恐るといった様子で靴を脱ぐ。そして、玄関周りにスリッパが無いかキョロキョロと探す。
「あっ、スリッパなら大丈夫です。私そういうのはあまり気にしないので」
「そ、そうか……」
雄一は、そのまま上がり玄関を進むと、リビングが広がっていた。内装もそうだが、やっぱり女子らしい部屋というか、シンプルながらにどこか個性というものを感じる。
自分の部屋との違いというものを露見してしまう。自分の部屋は散らかってないとは思っていたが、やはりこちらのほうが整頓されており綺麗だと言える。
綾香らしいといえば、綾香らしいのだろう。
しかし、いったいどこで腰を落ち着けたら良いのだろうと、不安になってしまう。
他人の家には言ったことがあるが、自分で勝手に位置を決め座ってしまうというのも行儀が悪い気がしてくる。そのためか、相手の指示が来るまで待つのが、いつも通りなのだが、この時間がどうも苦手なのだ。
「雄一さん、私は少し着替えますので、そのイスに座って外側を向いてもらって良いでしょうか?」
「えっ!?」
思考回路が一旦停止しかけた。今、なんて言った?
「その、机のイスです。どちらでも良いので座ってもらっても良いですか?」
綾香が指を差しているのは、部屋中央に置かれた小さな机の隣にふたつ置かれた座椅子だった。
「は、恥ずかしいので……」
頬を赤く染めながら、小さくそっぽを向く。照れ隠しのようだった。
「わ、分かった。よ、よそ向いてるから……。できるだけ早く……お願いします……」
「すぐに終わりますので……」
俺は緊張しているのか、心臓がバクバクと動いている音を聞きながら、慌てて指定されたイスに座る。そして、綾香から目を背ける。
見てはいけない。見てはいけない……。自身に暗示をかけていく。それをより強くするために目を瞑る。
背後で布が擦れる音が聞こえる。聴覚が過敏に反応しているのか、すぐ後ろから聞こえてくるような妙な錯覚に陥ってしまう。意識をそちらに向けないように、必死に自制する。
下手な真似をしたらダメだ。絶対にダメだ。
この時間が、一秒が一分のように感じてしまう。時の流れが遅くなったかのような感覚だ。意識のし過ぎなのだろうか。
「雄一さん」
「は、はい!!」
突然の呼びかけに、驚いて変な声が出てしまった。頭の中が徐々に冷めていく。嫌な汗が背中を流れるような感覚。
「もう、良いですよ」
「そ、そうか……」
雄一は恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、黒色のプリントTシャツの上に同じく黒色で無地のパーカーを着て、ジャージを穿いている綾香だった。髪は、昼同様に止めてあった。
なんだか、いつもの着飾っている感がないというか、おしゃれを抜きにした普段の綾香なのだと思うと、どこか新鮮味を感じてしまう。それに、普通にこういう綾香も分かる気がする。
「……ジロジロ見ないでください」
「あっ、す、すまん……」
俺は、咄嗟に目を背けてしまう。
どこか重たい空気が漂う。当然予想をしていたことではないか。男が、女性の部屋に初めて行き、くつろげというほうが難しい。緊張して、会話もままならないのも仕方ないのだ。
「それじゃあ、私は絵を取ってきますね」
「あっ、そうか……」
俺は、少し納得した表情で綾香のほうに視線を再び戻す。
「緊張しないでゆっくりしていってください」
「なんか、悪いな……」
「いえ、なんてことはありませんよ。来客をもてなすのは、常識ですから。まぁ、何もないんですが」
そういうと、綾香は机の上に置いてあったリモコンを手に取るとテレビを点ける。テレビに電源がつきニュースが流れ始める。
無音だった部屋にキャスターの声が流れ、どこか落ち着きの無さが解消された気がする。
綾香は何食わぬ顔で、玄関の方へと歩いていった。
雄一はというと、することが無いのでとりあえずテレビを見ていた。ほんとに、こういう何かができるものというのがあるのと無いのとでは、居心地というものがやっぱり違ってくる。
何気なくテレビを眺めていると、高校生が暴力事件を起こしたという事件が流れてきた。ここら辺で起きたわけではないが、初老のおじいさんを夜に襲い、お金を奪って逃げたという事件だった。
いじめだったり、こういう暴力問題であったり、窃盗であったりと、高校生でもこういう事件を起こすことはあるのだろう……。自分と同じと置き換えると、どうも親近感が沸かない。一枚壁を隔てて、どこか遠くで起きているという感覚がある。
「雄一さん、ありましたよ」
そう言って綾香は三枚キャンバスのようなものを持ってきた。木枠に、布のようなものがかぶせられた、よく見るような奴だ。幅六十cmくらいの長方形で、少し大きめに感じる。
それを机の上に一枚一枚並べていく。
「おお~」
雄一は声を上げて反応してしまう。
一枚は、風景は夜の町の一角だった。石が敷き詰められて作られた道があり、その隣にはイスなどが並べられておりカフェや喫茶店といった雰囲気のお店がある。どこか、ヨーロッパの雰囲気といえばそれっぽくなるかもしれない。
「コレは、ゴッホの夜のカフェテラスという作品をみて、衝動で描いた作品です。教室の先生が、果物や野菜しか描かせてくれなかったので、思い切って描いてみたんですよ」
「反抗期みたいなかんじだな」
「まぁ、自由気ままにやりたかいって思いが凄く強かったのかも知れなかったですね」
「なんか分かるな……」
雄一は、次の作品に目を向ける。
バックが一面濃い紫色で、中央には紅い花が一輪だけ咲いていた。根元は黒でコントラストによって見えない。一輪というところが、どこか物悲しさを伝えてくる。
それに、どこか寂しそうに感じる。
「コレも、最近嫌なことがあって書いた作品ですね」
「なんていう花だっけ?」
「彼岸花です」
「そうそう。でもなんか、すごい悲しそうな作品ですね」
「まぁ背景が黒いだけにそう思えるのかも知れませんね」
「そうなのかな……」
それではなく、絵から伝わってくるのだ。色の配色じゃない、どこか本質的ななにか思いのようなもの……。まぁ、こんな感性があっても不確定要素で間違っているのかも知れない。
三枚目を見てみると、先程と同じ花だが様子が全く違った。オレンジ色で明るい背景に、中央にはブーケのような形状を取った青い花。とても、明るい色をしており、先程とは違ってとても元気のでる作品だった。
「これは?」
「それは薔薇ですよ」
「ん? 薔薇に青色なんてあったか?」
「いえ、昔は存在していませんが、今はありますよ。昔は実現しない花ってなっています」
「品種改良かなにか?」
「その通りです。でも、実際はこんなに青色じゃなくて、薄い紫みたいな感じですけどね……」
「そうなのか?」
「はい。今も研究中らしいですよ」
その話を聞くと、青色の薔薇というのはなにか神秘的なものに感じてしまう。不可能を可能にすると言うことはなにか、奇跡のようにも感じてしまうものだ。
「青い薔薇は、結構立ち位置は危ういんですけどね……」
「どういうことだ?」
「品種改良でいろいろ技術を使っているから、遺伝子組み換えとかに抵抗がある方の反発が強いらしいんです」
「なんか、悲しいな。すごい発見なのに……」
「感じ方は人それぞれですし、自分の信じていたものを否定されるというのも恐怖に思いますし」
雄一は再び、それぞれの絵を眺めている。
すべて、綾香らしい作品というか、どこかそのときの感情のようなものが伝わって来る感覚だ。単に上手って言うこともあるだろうが、それだけじゃなく訴えかけてくるものがある。
「絵画って奥深いな……」
「絵自体、何千年もの歴史がありますからね。壁画とか……すごく長いですよ」
「俺はこういうのは苦手だったからな……」
「絵にうまい下手もありませんよ。自分が満足いったら、それが満点の作品です。他人に見てもらいたいということであれば、別ですが……」
「綾香はどっちだったんだ?」
「私は……自分が満足いく作品作りをしていましたね」
そういうと、綾香はそっと絵に手をのせる。そして、その質感を味わうように、そっとなでる。
「思ったこと、感じたことを、そのままキャンパスに絵描いていました。抽象絵画でも良かったのですが、どこか統一性があるほうが好きなので、こういう作品になってしまうのですが……」
どこか、悲しそうな表情をしながら語る綾香。
「私は、それでも結構楽しかったんですよね」
それが遊びとしてという意図があったとは、いまの雄一には受け取れなかった。なにか、別の意味があるように思えたのだ。
「そうなんだ……。俺は、中学の美術の成績は二だったからな」
「成績は関係ありませんよ。所詮、受験だって五教科ですし」
そういうと、綾香は立ち上がると時計へと目をやる。
「もう、七時になりますね」
「そんなに経ったか? それじゃあ、そろそろ帰らないとな」
雄一が立ち上がると、綾香が突然肩を押さえてきた。綾香の体型からは創造もしない、なにかずっしりとした重みが伝わってきた。
「今日はご飯をご馳走します」
「いや、申し訳ないって。それに、妹も待っているし」
そう反論しようとしたら、綾香がどこか悲しそうな表情を浮かべた気がした。
「そうですか……。それなら仕方が無いですね」
そういうと、綾香は抑えていた肩を離す。たったそれだけの行為のはずなのに、どこかに消えてしまうという錯覚が一瞬頭をよぎる。
「忘れ物のないようにしてくださいね……」
綾香は立ち上がると、玄関のほうへと歩き出す。
「い、いや、こっちからメール送れば分かってくれるはずだから。まぁ、大丈夫なはずだ……」
自分でもあたふたした様子が分かる。
それでも綾香はこちらを見ると、小さいならが笑みを浮かべた。
「良かった。すぐに、準備に取り掛かりますね」
そう言って、絵画を持つとキッチンのほうへと向かっていった。




