1話目 出会い
学校が終わり、部活も引退した秋の頃だ。少し肌寒さが出始めて、残暑が薄れ始めた。木の葉も茶色に色づいていた。
雄一が通う桜花高校は二学期制なので、秋休みがある。丁度今日、終業式を終わらせてきて、家路に着くところだ。
駅に向う通りを歩いていると、思ったより人が歩いていた。夕焼けが時刻を知らせていた。腕時計を見ると、そろそろ六時になろうかとしているときだった。
朝からわざわざ授業を終わらせてきて、その上、先生の残業の手伝いまでさせられてうんざりな一日を過ごしたと後悔している。特に、用事も無かったので、別に良かったのかもしれない。
だが、いつも募る疲労感に負けないように、重たい足取りで一歩一歩と歩を進める。
と、ふと綺麗な声が聞こえてきた。
「?」
雄一は、声の方を向くとそこには、小さなラジカセを地面に置き、マイクスタンドに置かれたマイクに向かい、古ぼけたギターを引いている女性が居た。
いつの間にか、暗くなっていた空に反するような電灯の光が、歌う彼女の黒髪を綺麗に輝き、その茶色いコートに覗く白い肌が一層白く写った。
歌っている歌は、なんともいえない皮肉な恋愛を歌った歌のようだった。なぜか、その歌詞が雄一の胸を叩く。
いつの間にか、雄一は彼女の近くまで歩み寄ってその歌を聴いていた。
カナリアにもオウムにも、どんな美声を持つ鳥でも彼女の声には敵わないといっても過言ではない、声だった。透き通るような声に、曲に合わせて、刹那さや、怒り、感情を歌う。
そこだけ、スポットライトにでも当てられたかの如く煌めいていた。
雄一は、その声に食い入るように聞き込んでいた。
いつの間にか、俺は時を忘れて彼女の歌を聴いていた。カバンを地面に置き、必死に歌う彼女の姿を目に映していた。
ギターが最後に、大きく音を鳴らしたかと思うと、曲は終わっていた。
「ありがとうございました」
目の前の彼女は、誰かに向って大きくお辞儀をする。それに驚いた俺は、辺りをキョロキョロしてしまう。が、ハッとすると、拍手をする。しかし盛大とは程遠く、雄一の拍手だけが鳴っていた。
「ありがとうございます」
彼女は、ふとこちらを見て二コッと笑って見せた。女神が微笑んだのではと感違いさえしてしまうほど、雄一の心を打った。
「い、いえ……。と、とっても良かったです!!」
気がついたときには、どうでも良いことを口走っていた。焦っていたのか、それとも緊張したのか、噛んでしまったかと思うと、顔が熱くなるのを感じた。穴があったら、入りたりたい。
「もう一曲歌うので、良かったら聞いてくれますか?」
「も、もちろんです!!」
俺は、久々にこんな感情を味わった気がする。
目の前で、彼女がギターを抱えなおすと、ふーと息を吐き、大きく吸い込んだ。そのしぐさでさえ、綺麗なものを感じさせた。
「それじゃあ、歌います」
そういうと、ラジカセのスイッチを押す。ポーンと曲が流れ出した。彼女が一瞬目をつぶると、覚悟を決めたかのような目つきになると、口を開いて歌う。
淡いピンクの唇が動くたび、美声を放つ。そして、曲と混ざり合り、ギターがそれを先導する。
その音が俺の耳に入るたび、鳥肌がたまらなく走る。体の芯を貫くような、その声は、今まで聞いてきた女優の声よりも、歌手の声よりも、体を震えさせられた。
全身が、その声を欲しているのが分かる。声が発せられるたび、脳内にそれが幾度と無くリピートを繰り返し、更に反復も行い、新しく切り替わっていく。
他の音が全てシャットダウンさせられた二人だけの空間のように思えられた。その、空間に響き渡る声が胸を刺していく。
「す、凄い……」
小さく声が漏れてしまうほどに彼女の歌声は、美しかった。
そして、彼女の歌は終わった。
俺は、その世界に取り残されたような感覚に陥っていた。
「どうでしたか、今の歌、青春をイメージして作ったんです」
正直言って、青春とかもう爆発してしまえば良いと思うほど、凄かった。歌詞が、頭の中で再生されていく。
「良かったです。特にサビ前の、私が彼方を思うたびに、の歌詞が良かったです!!」
「ありがとうございます。良かったら、名前を教えてもらえませんか? 私の名前は、飯島綾香といいます」
「俺は、河野雄一です」
「雄一さんですね。覚えました。私、ここで毎日路上ライブやっているので、良かったら、また見に来てくださいね」
そう言って、微笑む彼女にハイの反応を示すのには時間はかからなかった。
「ハイ、毎日見に来させてもらいます」
そう俺は言うと、カバンの中から財布を取り出して苦笑いをしてしまった。札も無く、小銭が残っているだけの少ない財布の中身に。
「どうしたんですか?」
「あっ、いえ……」
そういうと、俺は小銭入れから五百円玉を取り出すと、彼女の横においてあるギターのケースに向って投げ入れた。
「あんまり、お金が無くてすみません。ワンコインなんかで……」
「別に良いのに……。申し訳ないです」
そういうと、彼女はしゅんとしてしまった。
「良いんです、俺の自己満足ですから。今日はありがとうございました」
俺は、そういうとその場を逃げるかの様に帰って行ったのだった。




