18話 午前中
気のせいだろうか、教室から出た瞬間に空に灰色の雲が徐々に増えていき、青色の晴天は何処かへと押しやられていく。少しづつだが、空気も重たくなっていくのを感じていた。
朝、天気予報を見忘れたことを思い出し、少しだけガックリしてしまう。
傘持ってきていないな、と悔やむが最悪の場合は濡れて帰ろう。一応、タオルは常備品として持っている。
そんな今日の最悪の場合を想定した考えを巡らせつつ、箒を両手に持ち地面に落ちている落ち葉を掃いていく。
綾香が今日、HRの時間に言い渡された仕事内容は、午前中は中庭の落ち葉掃除など、午後からは校内の空き教室に行く。
重たい空ながらも午前中なので、中庭でせっせと箒を使い落ち葉をかき集めていく。少しだけ重たい竹箒は、手に馴染むことなく余計な負担が掛かっているのか、手に肉刺でも出来てしまいそうのでは、と思ってしまうほど痛む。
それもその筈だろう、同じ班で掃除をするはずの他の三人が掃除を行わないのだから。
同じクラスメイトの男子二人と、女子一人に加えて綾香の四人班が中庭担当だった。
その女子というのも、綾香に様々な難癖をつけてくるあの三人の中の一人だ。迷惑と言ったらこの上ないのだが、決まっている以上仕方が無い。そう割り切るしかない。
綾香の班が担当している中庭といっても、この学校には三つある。どの庭も大きさ的には小さいので、三班で分担すれば一班一つとして、一班でやれるだろうとの事だった。
しかし、一班でやるところを一人でやっているのだから、その疲労感はきっと四倍になっているだろう。
最悪だ……。
そんな考えを巡らせるものの、状況を打開できる訳がない。ただただ自分のテンションが下がっていくだけだった。
他の三人はというと、楽しくワイワイと話しながら遊んでいる。掃除が出来なかった場合、叱られるのを承知で遊んでいるのだろうか、そんな考えを思うが、そんな事は考えていないだろう。
落ち葉を地道に集めて、かれこれ三十分掛かっただろうか、落ち葉で小さな山が出来上がる。
この山を築き上げるのに、三十分も掛かったのだ完全なる時間のロス以外の何者でもなかった。
この中に芋を入れて、焼いたら美味しい芋が焼けるのだろう、そんな無駄な発想を思いつつも、大きなゴミ袋に入れようとしてゴミ袋を取ろうとしたが、うっかりゴミ袋を忘れているのに気づいた。
幸いゴミ袋は近くにあった。
綾香が手を伸ばしゴミ袋を取ろうとした瞬間、誰かの手に触れたのを感じた。
特に驚くことも無く、怯えることも無く、そちらに眼を向けると先程遊んでいた男子のうちの一人がそこにはいた。確か名前を、安藤雅人と言っただろうか。すこし、うろ覚えなのが心配なところだ。
顔立ちもよく、剣道部で鍛え上げられた筋肉はズッシリとした体を作っていて、部活系男子と言ったイメージだろうか。汗臭さが伝わってきそうだ。
「俺も……手伝うよ」
雅人の口から頑張って吐かれたのであろう言葉とは違い、顔はすこし作られた感はしたものの笑っていた。
「……」
少し戸惑ってしまうが、この山に一人で立ち向かうのも無謀だろう。精々撒き散らして終わるのがオチなのかもしれない。
「……それじゃあお願いします。ゴミ袋の口持っててください」
「わ、分かった」
そういうと雅人は、ゴミ袋の口を持ち待っていた。
綾香は落ち葉の山を少しずつ崩しながら、大きなちりとりへと移動させていき、それをゴミ袋に詰めてく。
少し自分に落ち葉が降りかかってきて、制服に付くが気にせずに作業を進めていく。
「ちょっと雅人、そんな事する必要ないってぇ」
「そうだぞ、あんな奴を手伝う必要ないぞ」
残りの二人がこちらに向って、言葉を投げ掛けてくるが私は気にしない。こういうのは、気にしたら負けた。
「これやら無かったら、後々めんどくさそうだからさ。生徒指導の神埼とか来そうだしさ」
そう雅人が言ったと思ったら、こちらを向いて「頑張ろっか、綾香さん」と笑顔を向けながら言ってくる。
「……そうだね」
相手のことは気にしないように、無愛想に呟く。
ゴミ袋に落ち葉を入れ終えたら、口を縛り一つ落ち葉が大量に入ったゴミ袋が完成する。手につけている軍手に今更だが、不快感を覚えていた。
次々と袋に入れていくと、ゴミ袋は計三つ出来上がった。どれもこれも、落ち葉がパンパンに入っており重たそうだ。
「それじゃあ、俺二つ持つから綾香さんは一つ持てる?」
「……大丈夫。一つなら持てます」
そういうと雅人は「よし」と小さく意気込むと、大きなゴミ袋を片手に一つづつもち、何の苦も無くといった表情で持ったのだった。
綾香もゴミ袋を持つが、かなりの重量だった。両手で頑張って持ってやっとといったところだった。その重量に驚き、体がよろめいてしまうが大丈夫だ。
「大丈夫?」
雅人が自分の身を按じてくれているのに気づくと「大丈夫です」と言っておく。
このゴミ袋を焼却場へと持っていけば、午前中の仕事は終わりとなる。
重たいゴミ袋を持ちながら、少しよろめきながらも一歩を踏み出して、焼却場へと持っていくのだった。
◆◇◇ ◆◇◇
焼却場までは、ここからいつも通りの速さなら三分もかからない距離だが、ゴミ袋のせいできっと時間は延びるだろうと考えた。
ここからすこし長い駐輪場を曲がりグラウンドを直進していけば、焼却場が見えてくる。
早く着かないかなと考えていると、とつぜん雅人が話しかけてきた。
「そういえば綾香さんって、趣味とかある?」
突然なんだと思ったが素直に答えてしまう。
「弾き語りとか得意ですし、読書も好きです」
すらっと出てきた回答に自分で安心してしまう。まだ、人と会話できるだけの能力は残っているようだ。噛み噛みで失敗することだけは避けておきたかった。
「へぇ~、弾き語りとか出来るんだ。それってどこかで、やってたりするの?」
「一応、駅前で弾いていたりします。でも、最近は引越しの準備をしてて忙しかったりするから、やってません」
「引越し? 綾香さん引っ越すの?」
「はい。ちょっと都会に出て行こうと思いまして」
そういうと雅人は珍しいものでも見るかのような視線でこちらを見てくる。その視線に耐え切れず、少し視線を逸らしてしまう。
「そうなんだ。それじゃあ、今度手伝いに行こうか?」
「えっ!?」
突然の事に驚いてしまった。この人何を言っているのだろうか、そんな風に驚いてしまった。変な声を出していないか、何かしてないかと急に不安になってしまうが、雅人は顔色一つかえずに話を進めていく。
「俺も、こっちへとは五年前くらいに引っ越してきてさ、その準備が忙しかったのを思い出してさ」
「そうなんですか……」
そんなことを言われてもという話だ。先程、この人は何気無く一人暮らしの女子の家に上がろうとしたのだ。そんな事、自然に抵抗が生まれていまだに多少動揺している。
「引越しの作業は、信頼できる友達がいるので大丈夫です」
「綾香さんに友達いたんだ」
言葉の選択を間違えたことに気づくが、そんな挑発染みたことは反応しないことにしている。動揺も消え、いつもどおりの自分が戻ってくるのにホッとした。
「それって、この学校の人? この学校の人なら、紹介して欲しいな」
「いえ、違う学校のひとです」
そう答えると、雅人は「ふ~ん」と言いながらこちらに眼差しを向けてくる。まるで、体を舐めまわすかのような悪寒の走る視線。だが、そんなことは自分の推測だけだ、真実か否かは分からない。
駐輪場を右に曲がると、大きなグラウンドが視界いっぱいにひろがる。ここから直進したところに、焼却場があるのだ。
「その友達ってどんな人?」
「そうですね、男の人なのですがとっても優しいです。少し照れ屋なところがあったり、面白い回答をしてくれたりと、一緒に居て楽しい方です」
そんな言葉を口にしていたとき、頭を過ぎっていたのは昨日の動物園での一日に加え、それ以前まで一緒に居たことのある雄一との記憶が鮮明に思い出される。
「綾香さんって、もしかしてその人のこと好きだったりするの?」
「えっ!? いや、そんなことは……」
少し躊躇ってしまったが、心は雄一に揺れているだろう。嘘で偽らない自分の心に正直に答える。心の中では、優しくされた雄一に揺れているのかも知れない。
そんな反応を見て、雅人はおもしろおかしく笑う。
「……なにがおかしいんですか?」
「いや、綾香さんもそういうことあるんだって思ってさ」
自分にケンカでも吹っかけてくる言い方に、少しイラつきを覚えてしまうが、気にしないことにする。
「いや、俺も好きな子がいてさ。ちょっと陰気な子なんだけどさ、話すと実際は楽しくてさ」
そういうと、こちらに再び眼差しを向けてくる。
「……私は、あまり人の色恋沙汰には手を出さないようにしているんです」
突然向けられた視線に素っ気な反応を示してしまう。雅人もそんな返答にまんざらでもなかったかのように、会話を続けていく。
「えっ、どうして?」
「小学校でも、中学校でも、人の色恋沙汰首を突っ込んで良い思いをしたことは一度としてないので」
そうである。
人の事情に首を突っ込んだとしても、良いことは決して起こることは無い。残るのは自分で生んだ罪悪感かその人からの偏見の眼差しだけのだから。
それを知っているからこそ、あまり人の事情に首は突っ込まない。恋のような話しに関わらず、個人的な事情や悩みに対しても同様だ。そんな事に手を貸したところで、自分への報酬はろくでもないのだから。
「そうなんだ」
「それに、高校で付き合ったとしても人間の最大の偉業である、子孫繁栄までは遠いですしね」
「……そうだね」
すこし引いている様子の雅人だった。
そんな相手の反応をみているうちに、いつの間にか焼却場へと着いていた。
「それじゃあ、俺がゴミ袋持ってくよ」
「遠慮なく、ここまで着たからさいごまで持っていきます」
「そっか、ありがとう」
そこまで言うと、焼却場にいる先生の元まで持っていく。
最後の仕事だ。そう思うと、一層の力が入っていくのに気がつく。
そう思っているうちに、午前中の掃除の終わりを告げるチャイムが鳴ったのだった。




