16話 爬虫類エリアpart2
「雄一さん?」
「はい、何ですか?」
俺は急に聞かれてビクリと驚いてしまう。さっきまで観察していた、何か良く分からないトカゲがするすると糸を縫うかのように逃げていってしまう。
少しばかり、動物が逃げたという残念感に囚われる。
「少しだけクイズしませんか?」
「クイズですか、面白そうですね」
「それじゃあ、問題です」
そういうと、綾香は可愛らしく人差し指を立て、薄めた目でこちらを見る。
心の中で、これは難しい問題が来ると心で構える。
「爬虫類って漢字分かりますよね」
「ま、まぁ」
「その爬虫類の爬の意味を当てなさい」
「……」
つい無言で黙ってしまう。
あの爬虫類の漢字に意味なんてあっただろうか。それどころか、いざ書かれろといわれたら危いという事ですらある。
俺がむむぅと唸っていると、綾香はそれを見て小さく誇ったような笑顔でこちらを見てくる。
そんな笑顔に惚れつつも、問題の意味を考える。
「……ぶ、分類上で分かりやすくするため?」
「その理由は」
そう言葉を吐いた瞬間、綾香が勝ち誇った表情をしたためこの答えは間違っているのだと察した。
「分類で魚類ってあるじゃないですか、あれって魚って簡単に判別できるようにしたわけかたかなぁって。鳥類とかも分かりやすいですし」
そう俺が答えた瞬間、完全に綾香の表情が勝ち誇ったように笑う。しかし、そんな笑いに出さえ、可愛いと思ってしまう。
「正解は、地を這う、という意味でした」
「へぇ~」
「でも、私の中で地を這うって意味はおかしいと思うんですよね」
綾香が大きく一歩を踏み出すのと同時に、その言葉は吐かれた。
「だって、爬虫類の中にカメって一応いるんです。カメって陸上では地を這いますが、どちらかというと海での生活が多いので地を這うって言うのはおかしいと思うんです」
「確かにそうですね。確かにカメって海のイメージありますしね」
「でも一応、色んな考えはあるらしいんですよ」
綾香は一呼吸置くと、また話し始める。
「系統分類の考えってあるんです。さっきのは一般的な分類と考えて、こっちは邪道と思ってくださいね」
「はぁ~」
また難しい単語が出てきたな、と頭の中で悩みながら綾香の話に耳を傾ける。
「現生動物の系統で行くと、有羊膜類というので分けたものです。これでも、カメの位置って結構激論が飛んでいるんですよね」
「有羊膜類……」
綾香の話に徐々に話されているなと感じてしまう。難しい単語はやっぱり苦手のようだ。
「綾香、もう少し簡単に説明してくれるか?」
「……」
今度は綾香がむむぅと唸って考え出す。
足元に先程から小さなトカゲがチョロチョロと動き回っているが、そんなのお構いなしだ。
少し踏んでしまいそうになってしまうが、気にしないでおく。
「カメは、妻に逆切れされて攻撃を喰らう妻の親友的立場?」
「な、何となく分かりやすい気はする」
色々と違うような気はするが、あえて口出しはしないよう伏せておく。
まぁ、大体は分かった気はする。
「あっ、雄一さん!! これ見てみてくださいっ!!」
「ん?」
そう言って視線を地面に落とすと、なんだか見慣れてしまったが小さなトカゲがいた。
いかにも外国に居そうという雰囲気をかもし出すトカゲだ。
体は薄い緑に茶を足したような色だ。頭の上から背中にかけて小さなトゲのような突起があり、小さな体には少し大きいイメージを持たせる黒い瞳が可愛らしく思える。
「そうだ雄一さん。もう一問だけクイズをしませんか?」
たぶん分からないんだろうな、と自分の中で察しつつも「良いよ」と反応する。
「それでは問題です。このトカゲの名前は何でしょう」
「……」
凄い難しい問題を出された。
目の前の小さいトカゲの名前なんて知る筈も無い。まず第一、英語染みた難しい単語なんて知らないし、ペットショップなんかにも行かないから爬虫類なんて、トカゲなんて名前でしか答えられない。
「あ、アーノルド・シュワルツネッカー」
「それ、どこの知事かボディービルダーですか? 一応付け足しておきますけどアロイス抜けてますし、日本語で言うととシュワルツェネッガーみたいな感じになりますよ」
凄い看破された。
全く分からなかったから、それっぽそうな名前を言ってみたのだが、凄いちゃんとした回答が帰ってきてしまった。
それどころか、俺はアメリカの戦争ものの映画に出ている方を考えたのだが、知事とかボディービルダーとかどこのアーノルド・シュワルツネッカーだよと言いたくなっていしまう。
「正解は、ムカシトカゲです」
「……」
「雄一さん、今私を疑ったでしょ。嘘ついたなって思ったでしょ」
「い、いや、そんなことはないから」
俺が焦りながらいうと、綾香は「まぁ、いっか」と言う。一応、セーフらしいと安堵の溜息が漏れてしまう。
「現地のニュージーランドではトゥアタラって呼ばれてます」
「なんか、無駄に日本語が混じってませんか」
「現地の人に言ってください。私、理由なんて知りませんよ」
「あっ……」
綾香の地雷でも踏んでしまったのだろうか、急に綾香がムスッと拗ねてしまった気がする。
何かせねばと、色んな言葉を考えてみる。
「で、でもムカシトカゲとか面白い名前ですよね。トゥアタラだって、二つのアタラみたいな……」
「それが本当だったら、アタラって何なんでしょうね?」
「小さいお菓子にそんな名前付いてそう。小麦粉をこねた奴を油で揚げて、醤油ベースのたれを塗ったせんべい的な……」
「間違ってなさそうな解答ですね」
言い方は若干素っ気ないが、表情は小さく笑っていた。
俺は、何かしらの危機感を覚えていたのか、その表情で何度思ったか分からない安堵に駆られる。
「まぁ、ムカシトカゲって名前ですけど、スヘェノドン属の総称でもあるんです。ムカシトカゲ目っていう分類で言うと、この一種しか残ってないんです。だから、案外珍しいんですよ」
「へぇ~。面白い名前までもって、珍動物とは」
「珍……ではないですが、一応は絶滅危惧種です。それも二十年前ほどから絶滅危惧種ですよ」
「絶滅危惧種なんて、珍しいといえば珍しいのかな」
「滅多に見れないという意味じゃ、珍しいですよ。このトカゲも昔は凄い繁栄していたんですけどね」
「仕方ないといえば、仕方ないのかなぁ」
俺は、そういうと再びムカシトカゲをみる。
その小さな体躯で、チョロチョロと動いては何かを探すかのように、あたりを見る姿をみると、何かに怯えているようにも見える。
綾香が小さく唸ったと思えば「そういえば」と思い出したように、ハッする。
「珍しいで言えば、このムカシトカゲの立ち位置って結構微妙なんですよ」
「そうなんですか」
「名前もトカゲで姿もトカゲっぽいじゃないですか。だから、トカゲと思うんですけど違うんですよ」
「……コイツ、トカゲじゃないんですか」
「トカゲに近いといわれるヘビくらいの立ち位置です」
ムカシトカゲがこちらを見ると、その大きな黒い瞳でこちらを見つめてくる。それについ視線を外してしまった俺だった。
「その立ち位置で、色んな研究で注目されているんです」
「なんかコイツって凄いんですね」
「考えてみると、凄いですよね」
二人でムカシトカゲを見ていると、それに耐え切れなくなったのかムカシトカゲはどこかに走って逃げてしまう。
「トカゲってやっぱりすごいんですよね」
「えっ、何でですか?」
トカゲが凄いといわれても、俺としてはいまいちピンとこない。
「トカゲってそこそこ温かくないと生息できないんです。その中でもムカシトカゲは、かなり低い気温でも生息できて冬眠するんですよ」
「冬眠ですか。冬眠なんて熊とかそんな動物しかしないと思ってました」
「冬眠はするのですが、あんまりにも気温が高すぎても死んでしまいますが。それでも、トカゲ類の中では代謝率は低いですし、体温も低い。トカゲ類と思うと、結構色んなところが離れているんですよ」
「やっぱり、色んな意味でも立ち位置が安定しませんね、アイツ」
「違うんですよ」
綾香の視線が、先程よりも強くなり口調も強くなった。俺は、気のせいだろうが背筋に冷たいものが通ったような気がする。
「立ち位置って言うのは、自分で決めれないのが不便なんです。結局、誰かが決めるとそれが普通になってしまう。でも、立ち位置は自分では変えられない」
「綾香……」
俺が小さく名前を呟くが、綾香にはその言葉は届いていないのか話しを進める。
「立ち位置って言うのは不便なんです。そんなものがあるから、動物だって絶滅してしまう、被害者は立ち位置が低いという理由だけで悲しみを味わっていく。たから、嫌なんです」
綾香がそこまで話すと、深呼吸を一度入れた。
「だから、弱肉強食の世界って怖いですよね……。人間で良かったって思います」
「人間は絶滅する気配すら見せないからね」
やっぱり、綾香は綾香だなって感じた。
◇◇◆ ◆◇◇
その後も、色んな場所を見て行った。そのたびに、綾香の動物に対する知識に凄さを覚えていく。
一つ思うとしたら、爬虫類エリアでヘビに会わなかったのは良かったなというところだ。もし会っていたら、きっと怖くて振るえが出ていたかも知れない。
そんなことを思いつつ、今日一日が楽しかったと感じる。色んなところに巡り、綾香が動物好きという以外な一面も見れとても楽しかった。
しかし、綾香が時々見せた悲しい表情が、頭に残っていた。
動物園から、離れ今はもう自分の住むいつもの町並みが並んでいる。
今、西の空を見てみるとオレンジ色へと色を変えた太陽が沈んでいこうとしていた。ふと、体を撫でる木枯らしと思える風がふく。
「今日一日ありがとうございました」
「い、いえ。こっちこそ楽しませてもらったし、それに色んな豆知識が聞けたし。本当に楽しかったです」
「あんな、無駄話でよければいつでも聞かせてあげますけどね」
そういうと、綾香はとても嬉しそうな笑みをこぼした。俺も思えば、自然と笑みが浮かんでいるのに気づいた。
「それじゃあ、今日はこれで失礼しますね」
ふと時計を見てみると午後6時になろうとしている所だった。時計の針は一定のリズムで時を刻むが、俺は今日一日とても早く時が流れたと思う。それほど、綾香との時間は楽しかったのだろう。
「それじゃあ、また明日」
「雄一さん、そのことなんですけどね……」
綾香は困ったような表情を浮かべた。
「明日は学校の用事があり、外させて下さい。もし予定を立てていたら申し訳ないんですけど……」
俺は、少しガックリとしながらも、用事なら仕方が無いと自分で割り切る。
「用事なら仕方ないですよ。正直のところ、予定なんて全く考えていませんでしたけど……」
「本当にすみません」
「あ、謝らないでください。用事なら仕方が無いじゃないですか」
いつの間にか、表情には必死とでも言えるような表情が浮かんでいた。
「それじゃあ、私はこれで帰りますね」
そういうと、綾香はスタスタと歩みを進め夕焼けに解けるように視界から消えようとしていた。
しかし、その別れの挨拶とは裏腹に俺は小さく物惜しさを覚えていた。
何か、最後に言い残したことがあるような、何かをし忘れたような、そんな心が何か忘れてないかと訴えかけてくる。
俺は今日一日楽しく過ごせた、でも、何かが違っている思いも隠せない。何がが俺には足りなかったんだという思いもある。
そう考えたら、口が勝手に動いた。
「綾香さん!!」
俺は大声で綾香の名前を呼んでいた。
「雄一さん、なんでしょう?」
振り向きざま、綾香は何食わぬ顔で答えた。その表情は、今日見た綾香のそのままの表情だ。
なにも変わらない、綾香らしい表情。
少し澄ましたようなクールにも捉えられるが、その表情には何かを隠しているような澄ました表情。
それが綾香なのだと勝手に認識してしまっているのは俺だけかも知れない。
そんな表情を見ていると、俺はなぜか安心してしまった。今日の綾香なら言える。そう、思う。
「こ、これからタメ口でも構わないでしょうか?」
そういった瞬間、綾香は二コッと満面の笑みを浮かべていった。
「もちろん賛成です」
そういい残すと、夕焼けに消えて行った。




