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出立者の検査と監視


 昼前にようやく起きてきたまほらは、ダイニングで本を読んでいた紅林を見ると一礼して、向かいの席についた。


「おそよう」


「えと、遅いことは、認めるけど」


 もにょもにょと反論のようにつぶやいたまほらは、寝巻として律希から借りたジャージの、あまった裾を擦り合わせながら紅林の方を見た。髪留を外しているので鎖骨に届くくらいまで下りた髪、そこへ隠れた表情はうかがい辛く、紅林はどう言葉をかけたものかと迷う。


「とりあえず、なんか食べるか」


「うん」


 冷蔵庫から取り出してきた朝食と紅茶を電子レンジに入れて、九十秒ほどで取り出す。ほどよく温まった食事をみて、満足げにうなずいた紅林は食事をトレイに載せて振り返る。


 すっとまほらの方へ差し出すと、彼女は相当お腹がすいていたのか息もつかさず食べ進めた。途中で紅林が呆然と見ていることに気付くとさすがに多少は自重したが、それでもペースはあまり落ちなかった。


「あんまりメシ、食べてなかったのか」


「うん、まあ……一ヶ所に留まる時間、なるべく少なくしたかったし。無防備でいられる余裕、ないから」


「そうか。でもゆっくり食べろよ」


「ん」


 もぐもぐとよく食べて、まほらは出された食事だけでなく、紅林の勧めたシリアルやバターロールも食べ尽くした。よくそんな細くて小さい身体に詰め込めるもんだ、と奇妙な感心と共に紅林がじっと眺めていると、ようやく人の視線を気にする余裕が出てきたのか、はっとして行儀よく食べるようにする。


 じきにすべて食べ終えて、紅茶をすするまほらを尻目に、紅林は立ち上がって本を閉じた。


「もう読み終わったの?」


「そんなにぱっぱと読み進められる本じゃねぇよ。六千円もしたしな」


 分厚い革の装丁でいかにも高価な雰囲気を漂わせる本の背表紙には『十一次元座標に於ける魔力反応の固定または維持に際しての偽術運用法』と長ったらしい題が打ってある。興味をそそられたのか、まほらはカップをテーブルに置くと身を乗り出した。


「面白そう」


「実際興味深いぜ、これ。従来の方法じゃ自作の偽術による魔力反応の固定には他人の術式で補えないところが多々あったが、この本の著者の考えでは固定するんじゃなく、同じ状態を観測上ではほぼ一定と見なせるくらいに連続して発生させることに考えをシフトさせてる」


「できるの、そんなこと」


「いやまだ仮説。これの著者の朽葉って奴、今回の『他人の偽術を代用する理論』といい着眼点はいいんだが、いつも証明の作業は他人任せなんだよな。夢のある与太話ってやつ」


「なぁんだ。でも夢があるのは、悪いことじゃないよね」


「どうだかな」


 笑う紅林に、まほらはむっとした唇のとがらせ方をした。そこで、紅林同様になにか分厚い本を読みながら現れた三月が、テーブルを挟んで談話している二人を認めて声をかけた。


「まほらちゃんも起きてきたんだね。朝食は済ませたかい?」


「はい、おかげさまで」


「そう。ところで吾朗、あんた今自由に使えるお金はどれくらいあるのかな」


「研究費のことか」


「あんた国からの予算をなんだと思っているんだよ。自由なお金と言ったら普通、給料とかのことに決まっているじゃないか」


 肩をすくめる三月に、紅林は眉をひそめた。


「きゅうりょうだとぉ? 下っ端研究員がもらえる雀の涙の給料に余りが出ると思ってんのか?」


「あんたはたしか家賃が光熱費込みで四万二千円、食費が三万弱、携帯代と電話代とネット代で二万弱、共用新聞代で八百円、月に読む研究書代が五万強だったかな。ううん、余らないね」


「把握した上で聞いてんじゃねぇよ畜生。だいたい研究書なんざ仕事のためのもんなんだから領収証切らせろよ畜生」


「研究所経由で申し込むと届くのが遅いからね。可哀想だと同情しておくとするよ」


 とにかくお金はないんだね、と三月はいやにそこだけ強調した。紅林は歯噛みしてうなる。


 研究とはスピード勝負の側面があり、同じ研究だったとしたら一秒でも早く成果を発表した方がその分野のスペシャリストと呼ばれ、残りは押し並べて後追い研究者と言われることとなるのだ。ゆえに、研究の元となる書物を手にするまでの所要時間についても、なるべく早く届くことが求められるのである。


 そんなことは当然知っているはずの三月はポケットからブランド物と思しき財布を取り出すと、中から五万ほど抜きとった。反射的に紅林は両手を伸ばして腕の間に顔をうずめた。


「ありがたい。俺の研究書代か」


「度し難い。あんたにくれてやるなんて誰がいつ言ったんだよ」


「じゃあなんで取り出したんだよ!」


 目の前でひらひらと万札を見せびらかす三月に憤慨して幾度となく手を振りかざす紅林だが、悲しいかな、三月が背伸びして上空に手を伸ばすと紅林では届かないのだった。


「クソが、身長にばっか栄養とられたあばら貧乳が」


「誰があばらだよ誰が。まだ膨らむよまだ」


「子供できるまで無理だ無理」


「……ほう。私へのセクハラとはお上をも恐れぬ図太さだね吾朗。明後日からあんたの席だけ(むしろ)にして残業を二時間ほど増やしてあげてもいいんだよ」


「お前こそパワハラじゃねぇか!」


 言い合いをしていると、ふと紅林は寒気を感じた。振り返ると、取り残されたまほらがすごい形相で自分をにらんでいることに気付いたので、三月の袖を引っ張り慌てて取り繕う。


「で? なんなんだそのお金様は」


「様付けってあんた、どこまで卑屈になるんだい……これは、まほらちゃんの生活用品とか服を買いに行くんだよ。いつまでかは知らないけれど、しばらくはここで生活するんだろう?」


 棚からの牡丹餅が真横の人間に掻っ攫われたことについては息詰まり鬼気迫る表情を見せる紅林だったが、理由がはっきりとしていてうなずかざるを得ない内容だったので、金への執着を断ち切って首肯した。三月は腕組みして万札で口元を隠し、まほらに目をやった。


「服も律希のものでは少しサイズが大きすぎるようだしね。街の方へ出向いて一通り揃えるとしようよ」



        +



 三月の運転するニュービートルに乗り込む紅林は助手席から、後部座席のまほらを見ていた。


 外の景色を眺めている彼女がこちらに気付く前に視線を元に戻すと、横でハンドルを握る三月に微かな声で話しかける。


「……街に行くのはいいんだがな。出る時はともかく、入る時はどうすんだ」


「私を誰だと思っているんだい、吾朗。環境管理局の偽術師が作るパス程度、その気になればいくらでも偽造可能だよ」


「ばか、お前そんなのバレたら降格処分どころじゃすまねぇぞ」


「その時はあんたが昨日言っていた通り、脅されていたとでも言っておくとするよ」


 しれっとそんな返しを言ってのける三月は、紅林の危惧をなんとも思っていないようだった。


 その後は黙って進んでゆき、田舎の自然の中へ作られた研究用の観測装置や収集装置である白い塔のような建造物がいくつも横を過ぎる。まほらはそれらに興味を持ったのか、視界をよぎっていくたびに目で追っていた。紅林はちらちら、そんな彼女の様子を観察していた。


 十分も走らないうちに、三人を乗せた車は八尾の地脈断層大地の端に着く。つづら折りに切り崩して作られた道への出入り口である無機質なコンクリートの門は、検問のように堅く重苦しい空気が流れていて紅林の嫌いな場所だった。門のカメラが車の接近を認めると、横の詰所の扉が開いた。


 そこから現れた警察に似た制服姿の男たちは皆、第三級国家偽術師以上の資格を持っている。彼らこそが地脈断層大地の研究を守るべく組織された〝環境管理局〟の局員であり、国にとって重要な偽術研究を保護するこの地の番人だった。


 また、偽術を研究対象ではなく戦闘手段に特化させた彼らもかつてはACOに所属し偽術を学んでいた人材であり。紅林にとってはわずかながら関わりのあった人物もいるため、運転席の三月に隠れるように身を縮めた。


「身分証を拝見」


「はいはい」


 やる気なさそうに三月は財布を探り、自分の研究者IDなど個人情報が記載されたカードを渡してハンドルにもたれかかった。ついで、紅林たちに向けて空間の情報を認識する偽術が使われ、車の中に研究に要する物品や研究成果の持ちだしがないかを確認される。


 五分もしないうちにIDカードは返却され、局員たちは帽子をとって会釈した。


「ありがとうございました。今回は長期外出許可証をいただいておりませんので、二日後の十月十日午後十四時までにお戻りください」


「はいはいごくろうさま」


 適当に受け答えすると、三月はエンジンをかける。ちなみに第一級国家偽術師であるところの三月と一緒でなければ、これだけの短時間で通り抜けることは普通、できない。


 以前必要があって紅林が外出許可を取ろうとした際には、第四級地方偽術師という存在自体があまり知られていないこともあり、二時間ほど確認に手間を取られた。


 自分がいかに社会にとって取るに足らない存在であるのかを思い知らされたのだ。そのこともあって紅林は、この門を通ることがあまり好きではなかった。


「……あ、ところで」


「はい」


 パワーウインドウを閉める間際に、三月は一番近くにいた局員に話しかけた。横の紅林でも聞き取れるかどうか、という程度の小さな声である。


「ここ最近、なにか変わったことはなかったかな?」


「変わったこと、ですか。いえ、特別にご報告するほどのことは何も起こっておりませんが、なにかあったのですか」


「いや、ちょっと魔力の観測値に変動があったりしただけでね。なにもないなら、いいよ」


 ウインドウを閉めると、三月は少しだけ紅林に目配せして、自分の問いかけの意味を伝えようとしていると見えた。即座に振り返ってしまった紅林はしっかりまほらと目を合わせてしまい、自分たちが何を心配しているか気付かれたのではないかと思ったが。幸いにもまほらは開いていく大きな門に気を取られていただけのようで、紅林の表情にはさほど注意を払っていなかった。


「環境管理局は関与してない」


「みたいだな。俺たちに隠してる可能性も、ないわけじゃないが」


 ではまほらの追っ手はACOか、はたまた強大な魔力量のバレッジを狙うなんらかのグループか。どちらであったにせよ、地脈断層大地外部においては環境管理局の検問が無い分、遭遇の確率が上がると考えられる。


「少なくとも、ACOの連中かそうでないかくらいは見分けられるだろうね」


「戦闘は免れねぇがな」


「……ねえ吾朗、今あんた、偽術何回使える?」


「ああ? 一国のお前がいりゃ、俺の手なんざ借りなくてもいい猫の手だろ」


「そういう意味では無いよ」


 動き出した車の運転のために三月は前を向いていたが、声音は紅林の方へ向き、案じるような意味合いが込められていた。繰り返し、三月は問い、強まった語調はまほらにも聞こえそうなものだった。


「何回、偽術が使えるんだい?」


「…………〝空間把握〟は特に制限なく使える。俺の技で言うなら、〝外延(エクステンション)〟が奥行きか幅か高さを、最大五メートルまで。〝縮地(カットバック)〟も同じ条件で、こっちは最小十センチまでだ。回数は……二つの技合わせて一日四回が限度だ」


「……そうかい」


 三月は車の速度をあげ、一瞬、ひどく悲しげに紅林の方を見て、運転に集中し直した。


「だから言ってんだろ。俺の手出しなんざお前をわずらわせるだけだって。ああでもさっき、近接格闘の技術は忘れたとかほざいてたっけな、お前」


 あえて三月の意図するところに気付かないフリをして、先の話題を蒸し返してからかう素振りを紅林は見せた。けれど三月の方もその紅林の意図に気付かないフリをしているのか、「そうだったね」とつぶやいてまっすぐ前を見据え、取り合わない。紅林は舌打ちして、またまほらの方を見た。


 まほらはうつむいて身じろぎすらせず、眠っているようだった。紅林は腹の上に重ねた手を置いて、窓の外を見やる。断崖に囲まれた八尾の町が、眼下に広がっていた。


 自然や田園地帯の中に目を引く人工物、偽術研究のための装置が点々としていて、どこか違和感のある構図となっている。この町がこうなる前、地脈断層大地として偽術研究という事業に利用される前の姿を知らない紅林でさえそう思うのだから、昔からここに住んでいた人々などはさらに不思議な印象を受けるのだろう。まるで違う世界のような。既視感と違和感の入り混じる、自分の知るものとの印象の差異。


 紅林には理解できない感覚だ。彼には、昔を知る場所などACOの他になく。ACOは六十年前に大戦後の世界を牽引する新技術として偽術研究をはじめた時から今まで、何も変化の無い異質な場所であるからだ。


 一度道を曲がると、今度は眼前に岩肌が差し出される。がたがたと幾度も曲がる道の上では、近くを見ると酔いを招きそうだったため、紅林はすぐに目を閉じることにした。



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