屋敷住人への公開と紹介 二
しばらくして揺れが止まったまほらは、すわりの悪い首の位置を正しながら、挨拶に移った。
「あの、わたし、渡良瀬まほらといいます。その、自分でもなぜここにいるのかよくわかんなくて、いわゆる記憶喪失という奴みたいなのですが」
周囲の様子をうかがいながら、まほらは手短に現状を説明する。律希はおおげさなほど驚いていたが、たった今紅林に説明された三月はどう応じたものかと困っている。おまけに律希が初めてしまった自己紹介の流れは崩しがたく、紅林はもう自身の紹介を終えているため三月をせっつくしかなかった。まほらに恐れを抱いたためか、嫌そうになおも紅林を見る三月だが、こればかりは助け舟も出せそうにない。
「……え、と。初めまして渡良瀬さん、私は如月三月。吾朗の上司だよ」
「上司さんですか。すると、偽術研究機関のACOにも」
「ええ、一応はあそこの出身かな……第一級国家偽術師の資格も、持ってる」
うわあ、と感嘆の悲鳴をあげたまほらは、尊敬の念が感じられる視線で三月を凝視した。三月の方はというと、しきりに紅林の方を見て助けを乞う。そのように乞われても、これからしばらくは一緒に暮らすんだから我慢してくれ、と紅林は思った。が、情けない顔でしょげている三月を見て仕方なく横へ進み出て、話題を継いで自分から三月を紹介した。
「普段は『第一級国家偽術師・東海地方大竜地脈第三組成研究所首席研究所長の如月三月です』と厭味ったらしいくらい長い自己紹介をする俺の上司だ」
「あんた、どういう紹介をしてるんだよばか」
「ACOに居た時も俺の先輩という立場だったが、こうして今も先輩風を吹かせようとしていてほとほと困ってる。お前もACO出身なら、こいつの後輩になるからな……おい三月、あまり手厳しく接してやるなよ」
「私はあんたみたく無礼な奴以外には厳しく接したりしないよ」
「ウソつけ、職場の暴君」
「吾朗」
ふざけてみたら乗ってくれたのでてっきりまほらに思惑がバレないよう演技してくれているのだと判断した紅林だったが、半笑いで横を見ると三月は噛みつきそうな目つきで紅林の眉間を睨みつけていた。先ほどの沈黙の時よりもなお、紅林には恐ろしい様と映った。
「吾朗?」
二度目のコールは妙に語尾が跳ね上がっていて、そのことが奇妙な威圧感をもたらしていた。
「……まあ、あんま怒らせない方がいいのは確かだな」
「よくわかっているじゃないか」
怖々と口にすると三月は紅林からそっぽを向いて階段をあがっていった。生きた心地のしなかった紅林は止まっていた呼吸を取り戻すと、「おっかねえ」と階段の上にいる彼女には聞こえないようささやいた。
「だめですよ、ああいうこと言ったらー。三月さん等級のこと気にしてない、って示そうと常に気をつけてるんですから」
「そりゃそうだろうよ……あいつ、俺とはちがって〝一国〟なんだからな」
遠い目をしつつ、またも後半部分はささやくに留める。律希はなにか言いたげにしていたが、耳ざとく一国という単語を聞きとったまほらが先に、首をかしげて問いかけた。
「一国、ってなに?」
「あー、第一級国家偽術師のことだ。同じように二国、三国、ときて地方偽術師は一地二地三地って呼んでる。偽術師の等級についての俗称だよ」
「へえ……そんで、紅林さんは?」
続けざまに無邪気に、単なる興味本位の好奇心で言ったのだろうが、紅林には少し答えにくい質問だった。彼の事情を知る律希も問題が発生した、という顔で目をそらしており、弱り気味の紅林は「四地」と自嘲しつつ言った。
「四……四?」
「最下級の、第四級地方偽術師だ。その気になれば、中高生でも三地の資格はとれるのにな」
「え……? でも、だって、ACOにいたってことは、少なくとも国家偽術師資格がとれるだけの技が身について」
「ない。俺はあそこを途中でやめたんだ。……ずいぶん苦労したぜ、おかげで偽術師として働く道は閉ざされて、二年前までフリーターだったからな。無事にACO卒業して出てきた三月が研究員として拾ってくれなけりゃ、まだ同じようなことしてたはず」
その経緯があったゆえに、紅林にとって偽術研究は食うための手段にすぎず、誇りもなにもありはしないのである。そして研究に関与して様々な提案や成果をあげたとしても、技が身についていないため成果の実践はできず、資格がないため研究発表に際して表舞台に名をあげることもできない。
「覚悟はしてた、はずなんだがな。なんだか、なぁ」
情けない声をあげた紅林は、心底面倒くさそうに頭を掻いた。無神経なことを聞いてしまったとばつの悪そうな顔をするまほらだが、紅林は特に何も言わず、背後の階段に気配を感じて振り返った。すると、三月が玖珂を連れて降りてくる。どうやらまほらがここに滞在することについて、一応はここの家主であり最年長者でもある玖珂に話を通しておこうということらしかった。
玖珂はデザインナイフ片手にゆらゆらと階段を踏みしめ、律希、紅林、まほらの順に視線を動かして見定めた。もともと玖珂が怪しげな風貌であること以上に、刃物を持っていることがあってか、臆したまほらが身を縮めた。
「やあ紅林くん。頼んでいたルートビアを渡してもらおうか!」
「ねえよそんなもん。こんな流通の悪い土地で」
「おお、悲しきかな、俺の欲しいものはだいたいここにないな! ふっ、だがそれでいいのだ。人は常に欠けたものを探しあらゆるものにその欠片の影を見る! そうでなくては俺の作品にも意味などありはせんわ! そもそも芸術とは今の世の規格規定というものに」
「その話まだ続くのか?」
「いいところに入ろうとしていたろうに! 芸術というのはだな」「急いでんだよ」「……く、仕方あるまいな、次の講義はしかと予定しておくぞ紅林くん。で、なんだったか? たしかその子をここに住まわせたいのだったか?」
早口の玖珂が呼吸のためにわずかに黙る隙間へと言葉を挟みこんで制した紅林は、無言でうなずいて後ろに立ちすくむまほらを指差した。玖珂は片手にデザインナイフを持ったままつかつかと詰め寄り、いろいろな角度からじっとり眺めまわした。まほらは身をかわして近付かないようにしているが、一向に気にせず玖珂は彼女の周囲をぐるぐる回る。しばらくそうしてから、ぐわばっと玖珂が紅林の方を向いた。
「美少女だな!」
「それ今関係ねぇだろ」
しかし玖珂、満面の笑みである。まほらがのけぞるようにして逃げようとしている。紅林は無理もないだろうごめんな、と同情するしかない。
「いやいや俺は美しいものか醜悪なものにのみ興味惹かれるのでな。住まわせて近くにいる人間もどちらかの方がありがたい! よって家主としては問題なく住まわせようものさ。いやむしろ俺から食費と衣裳代と滞在費用の他にお小遣いを出してあげてもいい! ただし」
「ただし?」
「衣裳の決定権を俺に置くことの他、指定した衣裳でモデルをやっていただきたい! いや、正直三月くんも律希くんも写真は結構な数撮影しているのだが、若干飽きてきたのでな!」
「教授ちょっと裏で私とお話しようか」
「あたし面と向かって撮られた覚えないですよ?」
女性陣二人が盗撮の可能性に思い当たり、特に三月が厳しい追及と厳罰を辞さない態度で、腕組みしながら玖珂の白衣を踏みつけ逃げられないようにした。長い裾を切らずにいたことが裏目に出たと理解した玖珂は、恐怖に慄きつつも最後の足掻きか二人に人差し指を向ける。
「言っとくがきみら二人ともカメラ向けた時の写真映り最っ悪だからな! 作り笑顔がヘタすぎるのだから盗撮するほかないだろう! あと三月くんなどは平素の姿が虚飾と偽りに彩られているのでそうでない時の写真を撮らんと欲す」
紅林と律希が憐憫の情がこもった目つきで三月、の胸の辺りを見る中、赤くなった三月は玖珂の肩甲骨付近を掌底で殴りつけた。三月が怒りに駆られる理由がわからず、引き気味で騒ぎを見つめていたまほらは、思わず紅林に確認を取った。
「……あの、紅林さん、言ってたのとちがくない」
「俺も知らなかったんだ、盗撮のことなんて」
正直に述べた紅林に、頭痛がしてきたとつぶやいてまほらはこめかみを押えた。
「いや、別に変なことはされないと思うぞ?」
「いやだよこんな変な人と一つ屋根の下にいるの」
「だが基本的にあいつ作業場兼自室にこもってるから、鉢合わせもしねぇはずだぜ」
「基本いないとしてもひょっこり現れたら心臓に悪いじゃない……見た目からしてちょっと怖いもん、この人」
だるだるとしていて、サイズがあっていないのか引きずるような裾の白衣。常に猫背で前かがみの姿勢は、表情に陰を落として落ちくぼんだ瞳からさらに光を奪う。もじゃもじゃと焼きそばのごとくちぢれて傷んだ髪の毛も伸びに伸びていて顔を隠し、余計に不気味さが際立つ。
慣れてきたために紅林も何も言わないようになってきていたが、観察してみると不審人物の素養がかなり出そろった外見であった。
「なあ教授、あんたイメチェンできねぇのか」
「脱げばいいのかね」
「ダメだ服装って概念に不純物が混じってる」
「なにが不純だというのかね。そもそも防寒具以上の皮をまとうことの方が不自然かつ不純と呼べるものだろうに。人の原初の姿に回帰することに不合理なことなどありはしない! だから三月くん、きみもいい加減胸に無駄な皮を詰めることはやめたまえ。見栄張る努力はもっと別のところに働かせるべきだ!」
「教授もいい加減あんまお金にならない道楽で作品つくるのをやめてしまえばいいよ!」
「くく、俺は不動産収入があるのでね。働かなくてもいいのだよ!」
「わ、私よりひとまわり年上だというのに」
「ふはは、働いたことなど一度たりともないわい!」
わーわーと不毛な言い争いで時間が空費されていく中、滞在については玖珂より許可が出たので、問題を片付けた紅林は二人の言い合いにはさほど興味も無い。
残る問題は所在なさげなまほらが自分の立ち位置がわからないのかおろおろと足踏みしていたことだ。不憫に思った紅林が声をかけると、びくついてから彼を見上げる。
「……騒がしいし、変な奴もいるしでけっこう面倒な場所かもしれねぇんだがさ」
「うん」
「それでもお前を追いかけたり突き出したりする奴は、いねぇよ。なんだか事情はわからないが、一時でも落ち着いて物を考えられる方がいいだろ? 失くしてる記憶も、取り戻せるかもしれないしな」
「……うん」
なんとかここへ留まらせようと、紅林はなるべく選んだ優しい言葉をかける。
もちろんそこには貴重なバレッジの存在を逃してなるかという思いが大きくあったものの、事情も理解できぬまま追われ逃げ惑い恐ろしい思いをしたのであろうこの少女に、同情する気持ちがあったのも確かであった。
「まだお前子供なんだから、周りを頼れよ」
「でも、それ……本当に、迷惑じゃ、ない?」
「迷惑だと思う奴がいるとしたらそいつが子供なんだ」
呼びかけると、まほらはまだ逡巡していたが。律希が笑顔で横合いから出てくると、突然に肩を叩いたのでびっくりして顔をあげた。
「あたしはにぎやかな方がいいですよ! 女の子増えますし。ガールズトークできますし」
「そりゃお前はいいだろうが、まほらの方はわからないだろ」
「いいでしょう、まほらちゃん?」
紅林にうまく誘導される形で、律希が尋ねる。紅林とは違い打算なく単純に、楽しそうだからと好意と厚意を振りまく律希にこう問われると、首を横に振るのは難しそうだ。しかしこれでもまほらはどうしようかと迷う様子を見せるが、いつの間にか言い合いをやめてこちらを見入っていた三月と玖珂に気付くとこうまで言わせて断る方が失礼に値すると思ったのか、頭を下げて「しばらくお願いします」とつぶやいた。紅林をのぞく三人がどよめいた。
「ん、じゃあよろしくお願いしますねまほらちゃん」
「芸術に興味は無いかね」
「教授そろそろ黙っておきなよ」
なにやらわいわいと、また騒ぎが起こりそうな雰囲気になりつつある。紅林はこそっと抜け出すと冷蔵庫へジンジャーエールをしまいにいき、掛け時計を見て今日の日付などを確認した。ひとまず、落ち着いたことに安心する。次いで、自分の計画にうまくまほらを誘いこめそうなことに期待を抱いた。
圧倒的なあの魔力量。まほらの記憶が本当にないのかそういうフリなのかはわからずとも、アレを利用できる機会は巡ってきそうだった。落ちぶれ、技もなく、研究をしても正当に評価されることはもう二度とない。そんな自分であっても、這いあがるチャンスが到来した。
「……あとは、バレッジをうまく使わせてもらえるように誘導しなきゃな……」
つぶやきはかしゅ、と開けられたジンジャーエールの音に掻き消された。
そこでなんとなく自分の背を見ている人間がいた気がして紅林はホールの方を振り返ったが、四人とも談笑しているだけである。不可解には思ったがあまり気にせず、紅林は缶の中身を飲み干した。酷薄な笑みが、唇の端で暗い感情を模った。