屋敷住人への公開と紹介
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偽術師という語が生まれたのは六十年前の大戦の後である。だがその以前、大戦が起こるまでの世界においては〝魔術〟と呼ばれる技術が存在していた。
八十年前、一般相対性理論、量子力学といった時間、空間、粒子などを取り扱うこれら学問の考えを基軸としてさまざまな理論がこの世に生まれた。中でも発達したループ量子重力理論を元にして空間・重力・物質の表現法を知り、生物と世界との間を漂う〝負の質量を持つ粒子〟通称を魔力というその存在を、人類は計算で導き出すことに成功した。そしてその粒子が持つ『対消滅時にエネルギーを発して空間に奇怪な歪みを与える』という性質を利用することで、一定の時間と空間を操る能力を手に入れた。
その能力を特異性質時空間展開術式、通称として〝魔術〟と呼んだのだ。魔術は様々な技術と結合し、人々の生活を豊かにし――当然のごとく、案の定、人の世を滅ぼしかけた。
これまでの兵器の概念を覆す時空操作能力は、大戦においてかつてないほどの死傷者を出す悪魔の道具と化した。世界人口は二割ほど減少し、いくつかの小国も消えた。さらに、勝利国でさえも大きな被害に見舞われた。なぜか。
大地が形を結んだ遥か昔に埋もれて、今回の大戦で引き上げられ莫大な量が消費された魔力粒子。それが溜まっていた大陸プレートの上層部に位置する空間が、魔力の支えを失って沈んだためだ。これに連動して地表も沈み、かくして魔力溜まり――〝地脈〟が比較的浅くに存在した地点は深くへこむこととなった。
さながら、巨人が足跡を残したように。それらの場が地脈断層大地と呼ばれ、魔力粒子の薄くなった世界においてそこだけが研究に足るだけの量を保有する場となった。当然、研究施設はそこを中心におかれることとなる。
そうしてかつての〝魔術〟のように大規模に時空を操れるほどの魔力量は存在しなくなり、また魔術を操る方法論を記した書物も、方法論を知る術師も戦火で失われた。
以後、産業などへ安全に利用するため地脈研究が開始され、理論立てて作られた技術には人類の自戒の意味を込めて『偽物の魔術』として〝偽術〟の呼称がついた。また主要な研究の場として〝ACO〟という、現在でも国家資格としての偽術師養成などを行っている機関が設立され、偽術は魔術の代替品として深く広く浸透することとなった。
「で、お前はどうしたいんだ」
「なんていうか、わかんない」
「またそれかよ」
「だって、気が付いたら森の中で、追っ手がいて、捕まりたいとは思えなかったから、逃げるしかなくて。自分がなんのために森に居たのかも、わかんないんだよ」
困り果てた顔で少女はうつむき加減に横を歩くが、紅林はなんとなく、少女が追われていた事情などもある程度把握し始めていた。偽術師で、バレッジ保有者。それだけで十分、紅林には思い当たるところがあったのだ。
もちろん伝えたところで仕方がないので黙っていたが、それと同時に彼は、環境管理局に秘匿することで自分にメリットがあるかを考え始めていた。
無許可侵入者の隠匿がバレた際のデメリットと天秤にかけ、利益があるかを考える。するとわずかながら匿う方にメリットがあると思われた。もしもスパイであるなら見張ることで逆に利用できる部分もあるかもしれないし、そうでなくともバレッジ保有者は貴重な人材である。……自らの目的のために、大いに貢献してもらえる。
よって紅林は針路を自宅の方へ取り、特にあてもなくコンビニの前から離れるだけの道のりを外れる。行くあてのない少女はわりと、すんなりついてきた。こいつ誘拐するの簡単そうだな、と紅林はちょっと心配した。
「うちに来るか?」
「え」
けれど心配することと自分が選ぶ行動の目的とは、また個別に切り離して考えていた。簡素に素っ気なくさりげなく。提案の詳細を語り、彼女の行き場を定めようと目論む。
「俺の上司と知人と大家も住んでる奇妙な洋館だがな。一人くらい泊まれるスペースはあるし、警察と仲の良い模範的な一般市民もいねぇし。しばらく隠れる分にはちょうどいいと思う」
「でも」
「ああ、ちなみに上司と知人は性別区分では女性だ。そんで俺と大家は女に飢えたりかまけたりする暇のある人間じゃねぇから、身の安全も保証してやれるぞ」
「そういう言い方って。ていうか、そういう問題じゃなくて……」
「なんだ、なら金の心配でもしてるのか? 何年も住むってならともかく、一時的に滞在するくらい気にすんな」
「いや、そこも心配はしたけど、そんだけじゃなくて」
首をかしげる紅林の隣で足を止めて、少女の手が袖をつかんで引きとめ、すぐに手放す。自分で行ったことだというのにひどく寂しげな顔で突き放した彼女は、自分より一回り大きな紅林の手を見ていた。
「そこまでしてもらう理由なんて、ないでしょ」
「でも現時点で持ってる記憶の中で、頼れる人間のあてはないんだろ」
「そりゃ、そうだよ」
「じゃ、いいだろ。たまたま俺が助けられる時だったから助けといてやる。満足するまで隠れてきゃいい」
言い切った紅林の方を見上げる、そんな少女に目を逸らさず彼も応じる。ころころと鈴虫が音色を立てるあぜ道の中途、向きあった二人の間の距離を、おずおずと少女の方から詰める。
「本当にいいの? なんで?」
「急に疑り深くなったな。まあいい、それくらいの方が普通だ。ただなんだ、理由か。……理由な……アレだ、俺に助けてられるだけの余裕があって、かつこのまま放っといてお前がまた攫われそうになったりすると、寝覚めが悪ぃからじゃねぇかな」
うん、と一人納得する紅林の前で、少女は一瞬呆気にとられたが、その後は曖昧で薄く陰った表情を浮かべて「そんなことあるわけないでしょ?」と囁いた。思考の半分では利益不利益を考えていただけにその言葉でぎくりとするところのある紅林であったが、気まずさを感じると言い負かされそうだと思ったので即座に言い返す。
「あるんだから、仕方ねぇだろう」
言い訳じみているというか、すねたような物言いの返答だった。否定の意を込めて訊き返した少女でさえ、思わず噴き出してしまうようなセリフだった。自分でも妙なセリフだという感触がじわじわと湧きあがってきたのか、紅林は結局気まずそうな顔になった。
けれどひとしきり笑ったあとで、少女は紅林へ向き直って頭を下げた。いろいろと彼女にも思うところはあったのだろうが、このまま一人で逃げたり隠れたりすることに対しての心細さが大きかったのだろうと紅林は思った。
「じゃあ……少しの間だけ、お願いします」
「おう。俺は紅林吾朗」
「わたしは、わた……」
「綿?」
「……渡良瀬。渡良瀬、まほら」
ほんのわずかに迷ってから名乗ったまほらは、歩き出した紅林の後ろにつく。
帰路につく紅林は、さて同居人の三名にはどのように話すべきか、とうまい説明を考え始めていた。
「ずいぶん遅かったね吾朗。酔いがさめてしまったよ」
「師匠、あたしの、あたしのアイスはー」
「あ、悪い。だいぶうろうろしてたから溶けてるかも」
「ししょぉのばかー!」
紅林が投げだしたビニール袋に納められたアイスクリームに慌てて飛び付いた律希は、わなわなと両腕を震わせながら急いで冷凍庫にしまいにいった。三月に焼酎の酒瓶を渡しながら靴を脱ぐ紅林は、呆れたように台所の方を見る。
「あいつ自分で買いに行った方が絶対早いだろ。あんだけ健脚なら」
「食後に弟子を走らせるつもりだなんて、本当にあんたは人にものを教えるに向かないね」
「うるせえ俺だってやりたくてやってんじゃねぇ」
「私の使い走りのことかな?」
「師匠と弟子って奴だよ」
「聞き捨てならないですよ師匠! 罰として明日の稽古は普段の倍付き合ってくださいね!」
「倍もこなしたらお前にとっての罰みたいになると思うがいいのかよ?」
「ならばお手柔らかにお願いします!」
「……稽古にならねぇってそれ。あー、あとな、二人にちょっと話があるんだが」
大理石の敷き詰められたホールに上がり込む紅林が呼びかけると、台所からスプーンをくわえて顔だけのぞかせた律希と焼酎の酒瓶を開封しようとしていた三月は、同時に首をかしげた。
「あんたがそういうこと言う時は、大抵なにかまずいことがあった時だよ。今回はなんだい」
「まずいことってわけじゃねぇんだが、まあちょっとな。おい、入れよ渡良瀬」
後ろのドアの方へ声をかけると、ドアが申し訳程度にちょこんと開き、こそこそおずおずとうつむいたまほらが室内へ姿を現した。その人影が少女であることを認識した瞬間、三月は酒瓶を取り落としそうになり、律希の口からはスプーンが落ちた。
「あの、えっと、渡良瀬、まほらといいます」
顔をあげたまほらは一番近くにいた三月と目が合うと瞬時に下を向き、気まずそうに目を合わせないようにしている。三月はものすごく嫌なものを見たような顔をしていたのでそのせいだろうと紅林は思ったが、次の一秒の間にその顔は紅林の方を向いた。律希の方を見ると、落としたスプーンに手を伸ばしながら三月と同じような表情を浮かべている。
「な、なんだよ二人して」
「いや、だって吾朗、夜道でなにを拾ってきたかと思えばまさか女の子だなどとは、さすがの私でも想像さえしていなかったよ……しかも見ない顔だと思ったら、パスも持っていない」
無許可侵入者であることについて言及する言葉が三月の口から飛び出したせいか、縮こまって紅林の後ろへ隠れるまほら。早くもパスを不携帯であることについて看破されてしまい、紅林もどう説明したものか迷う。
彼の上司である三月も当然ながら研究所で働く偽術師の一人であり、所員はすべからく空間把握を使える。よって見抜かれるだろうとは予想していたのだが、こうも早いとは思っていなかった。
「私はあんたと違って町の人の顔くらいはしっかりと覚えているんだよ」
「表情から考えを読むなよ、ったく。そうだよこいつは無許可侵入者だよ」
「ならどうして」
「ちょっと耳貸せ。……あのな、も一度こいつのこと空間把握して、魔力量を確かめてみろ」
三月は唐突な命令に怪訝な顔をしたが、紅林に言われるまま再度魔力を瞳に集め、まほらの周囲空間を把握した。すると怪訝な顔が慄きの色に染められ、訝しむ目線は一段階レベルをあげて警戒の域に達した。うつむいているためその反応もわからないまほらは、どうすればいいのかとその場で立ちすくんでいる。
「これ……この子、バレッジ持ち? だとしてもこんな化け物じみた量、普通の偽術師ならまずありえないよ」
「だがここに有り得てる。チャンスだと思わねぇのか、三月」
「なにがだよばか。むしろピンチだろう、吾朗。パスなしの偽術師といったら相手は偽術研究のスパイと相場が決まっている。しかもこの尋常ならざる魔力量、私とあんたでかかっても倒されかねない危険度じゃないか」
「それがだな、こいつ自分が何をするために動いてたのか、さっぱり覚えてないらしい。ここ数年の記憶が抜けてて、どうすればいいのかもわからず悩んでるんだと」
「そ、その訴えを鵜呑みにしたというのかい? ああ、なんて愚かな」
「馬鹿言え、ひっかけクイズで多少は試したわ。だが面識の無い奴の記憶喪失なんざフリなのかマジなのかわかるわけねぇだろ」
「だったらなおさら早く環境管理局へ通達を」
「駄目だ」
自分を押しのけて前へ進もうとした三月を押し留め、紅林は三月の目に真っ向から対峙した。爛々とした輝きが宿るその目に気圧されて、三月が一歩紅林から遠ざかる。
「言ったろ? これはチャンスだ。記憶喪失がホントかウソかはわからねぇが、環境管理局やACOに追われてるのは事実だ。そんで寄る辺も無い中で、たまたま俺を利用できると判断してる。なら記憶喪失で俺たちを頼るしかない身の上……まあ演技かそうでないかはともかく、俺たちにはそう見せるだろう人格。それをこっちも利用させてもらえばいい」
「……バレッジ持ちが希少なことは私もわかっているよ。けれど、記憶喪失がフリだったとして、途中でそれを露呈させた場合は?」
「露呈させるって時は俺たちに牙を剥くってこったろ。勝てる算段と生き残れる策は立てとく。そんで責任追及がきたら、あの魔力量による圧倒的な力で脅されてたとでも言えばいい。最悪の場合でもお前は助かるだろ、ここの研究所は成果も多くあがってるわけだしな」
「でも吾朗」
「俺は〝一国〟で立場が守られてるお前とはちがうんだよ。リスク負わなきゃ成りあがれない」
歯噛みして、紅林はうつむく。自分の弱みを旧友に晒してしまったことに、少なからず羞恥心を抱いたのだった。そのセリフを引き出すまでに追い込んでしまった三月の方としても気まずい空気を感じてしまい、沈黙の内に時が過ぎる。しかし、
「うわーなんですかこの子、師匠の隠し子ですかいや似てないですねでもかわいい!」
話し合いを横合いから踏みつぶすように、律希の大声がホールに響き渡った。唖然としつつ二人が見やると、律希に頭を撫でられてしどろもどろになっているまほらがそこにいた。
「えっ、いや、その、あっ」
「あたしは律希といいますよ。お嬢ちゃんのお名前はなんですか?」
「へっ、その、わたしは、わた、わた」
「綿? 渡部? 四月朔日?」
「わっ、たったっ、った、」
「おいやめてやれ危ないそいつの名前は渡良瀬だ、いいから離してやれ律希!」
ぴたりと動きを止めた律希はごめんねー、と思ってもいなさそうな笑顔で言ってまほらの肩をぽんぽんと叩いた。まほらは頭をぐらぐらさせながら、手を振って気にしていないとアピールする。紅林と三月は胸をなでおろした。
もしもまほらが本当にスパイでありこの魔力量を制御できる偽術師だった場合、ヘタな言動などのためにこの町ごと紅林たちが滅される可能性も無きにしもあらずなのだ。何も知らず不躾な行動をとった律希のために本懐も遂げることができずにやられてしまうというのでは、あまりにもあんまりだ。