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騒々しい同居人の喝采と紹介


 と、紅林の背後、ホールの方からただいまーと高い声が響く。振り返ると、肩までで短く整えたショートボブの髪型が良く似合う、背の低い少女がいた。豊かな感情をそのまま前面に押し出す表情と、少し気の強そうな印象の目元を明るい喜色に染めながら、ぱたぱたと紅林に駆けよってくる。


「ただいま戻りました、師匠」


「おかえり律希(りつき)……そして、できれば師匠と呼ぶのはやめよう」


「ヤです。師匠は師匠なんで」


 紅林が諦め半分で呼び名を改変することを求めたが、本日もやはり諦めるしかなかった。


 飾り気の無いデニムのジャケットと黒いパンツを着こんだ彼女、桐原律希(きりはらりつき)は照れた笑みと共に紅林の横をすり抜け、奥のテーブルにいた三月にもただいま帰りましたと報告をしていった。グラス片手にひらひらと手を振るだけの反応を見せる三月の前で、律希は紅林の食べかけの夕食に箸を向け始める。


「まて律希、俺の夕飯だそれは」


「え? いやすいません、バイト先で今日はまかない出なかったんですごめんなさいもぐもぐ」


「食べるな」


「別に一食くらい抜いたところで死にはしないだろう。けれど律希は成長期だし、これはもうお腹が空いてても仕方がないね。たんとおあがりよ」


「わーい」


「三月、お前も酒抜いたところで死にゃしねぇよ早く禁酒しろ。……あと聞きたいんだが、俺はもう成長期、終わってるのか」


「あんた、もう十八歳だったろう」


 グラスを置いて立ち上がった三月は、女性にしては長身で一七〇センチ近くある。ふらふらと歩いて紅林に近付いて、見下ろした。わざとらしく自分の背丈を手で測り、水平に紅林の頭上へその手を移動させることで身長差を明確に示した。目測で四、五センチ、掌と頭上の間に隙間が生まれていた。


 憐れむように鼻で笑い、三月はテーブルに戻っていく。


「ご愁傷様」


「うるせぇまな板」


 すかさず紅林に反撃の言葉を投げつけられ、笑っていた三月の表情に亀裂が入る。


 三月は身長高く脚も長く、非常に均整のとれた体つきをしていたが、いかんせん胸囲だけは成長が芳しくない。六つも歳の離れた、今年十六歳の律希にさえ敗北を喫していた。


「腹筋と大胸筋の天下分け目はどこだ」


「そんなに筋肉ばかりなわけないだろうばか!」


「ドラム缶みたいな起伏の無い胴体しやがって」


「それ以上言われるとへこむからやめなよこの性悪ちび!」


 不毛な言い合いに我関せずと無関心を決め込み、律希はもくもくと紅林の夕食をたいらげつつあった。肉もサラダも白飯も好き嫌いせず息つく暇も無く、ぱくぱくと素早い箸の動きで口に運ぶ。紅林は時折横目で律希を見て、言い合いの仲裁か加勢にでも入ってくれないかと期待したのだが、てんで動く気配は無い。どっしり構えて食事中である。


 やがて脇によけてあったジンジャーエールもごくごくと飲みほして、満足げな顔ではー、と溜め息を漏らした。わずかな間に、皿もボトルも綺麗に空になっていた。律希は手を合わせてごちそうさまでしたと誰にともなくささやき、言い合いを続ける二人の間を縫ってキッチンへ移動する。関わる気は一切ないようだった。


 そしてそろそろ取っ組み合いの争いにでも発展しようかというほどに二人の舌戦が白熱してきたその時、またホールから声が聞こえてきた。


「ダメだ――――っ!」


 轟いた叫びは、ホールで反響して余韻の残滓を振りまく。先の一声が消えやらぬうちに、また叫びがホールいっぱいに広がる。


「ダメだダメだダメだった――――っ!」


 紅林と三月が言い合いを中断してホールの方をのぞきこむと、二階奥の部屋から飛びだした男がもじゃもじゃとうねる頭髪を掻きむしりながらホールへ続く階段を下りてくるところであった。どんよりと落ちくぼんだ瞳と屈曲した背中が、ほどよく気味悪い印象を投げかける。


 白衣をまとう男の小脇に抱えられた箱の中には、石膏やパテで汚れた道具類が収まっている。男は敗北感と焦燥感に駆られた表情で、歯を食いしばって何かに耐えていると見受けられた。


「おい教授、飯は要らないんじゃなかったのか」


「要るものか夕食など! アポリアだ、どん詰まりだ! もういやだ、おしまいだ!」


 がちゃがちゃと道具類がこすれる音を鳴らしながら歩いて、階段を降りてきた教授こと玖珂竹友(くがたけとも)という男は、ああ、とうめいて顔を下げた。階段の下まで近づいていった紅林たち三人は、突然動きを止めた玖珂を見てどうしたのだろうと様子をうかがう。


 程なくして彼は顔をあげると、思いきり背筋を反らすようにして天井を見上げた。


「できあがる気がしない! もう一歩ということは分かっている、頂上は見えている! だがしかし! この垂直な壁にぶち当たった気分! やってられんわい!」


「えーと、今度はなにを作ろうとしていたんだい、教授?」


 今にも後ろに逃げ出しそうな体勢をとりながらも、三月は毎度のことなので諦めて問いかけた。ぎょろりと目玉だけ動かして顔は上を向いたまま三月を見据えた玖珂は、ぎらりと犬歯を閃かせるように笑いながら叫んだ。


「そう、それだ! いいことを聞いてくれたな三月くん。聞いてくれたまえ三月くん! 今回は球体関節を用いた製作だったわけだがそもそもそれが持つ柔らかで女性的な屈曲運動性は表面化してしまえば従来通りの領域にしか到達し得ないと判じた俺は、関節駆動部をあえて肉の海に沈め尚且つ流動性のある液体に埋めることで瞬間的な無個性との同居を図り人形(ひとがた)の人形らしさ人を模る愚かしさをも覆い隠す可能性に着眼して製作にあたったのだ!」


「はあ」


「しかしパテと石膏で固めたモノ――あえて人形という呼称を与えてしまえば一義的な見方しか許さないことになるのであくまでもあれの呼称は〝モノ〟なのだが――そのモノを粘性の液体に埋める過程で肉体と粘液との境界について思い至ってしまってな! 粘液を粘液たらしめているのは人間側の認識であり、遠目に見ればそれは液体である。ならば触れることで認識を得て粘液を粘液と確たるものにし続けているこのモノを見るにあたって人は無個性の前に人間性を媒介してしまうのではないかと気付いてしまったのだ! テーマ折れたわ!」


 またがっくりと肩を落としてうなだれる。テンションは変わらず維持されるにもかかわらず、表層的な身体動作における感情表現などは目まぐるしく変わるため、それなりに付き合いの長い紅林でも彼への対応は毎回疲れる。


 ……教授などと呼ばれ白衣を身につけているため理系の人間だと誤解を招きがちだが、玖珂はおおよそ一般人には理解を得ることが難しそうな立体芸術を作り続けているアーティスト、彼の自称によるなら〝物造りの雄〟なのだそうである。


「いやでも、にんぎょ、じゃなかった、モノはモノじゃないんですか?」


 いつの間に取り出したのか二本目のジンジャーエールを飲んでいる律希が首をかしげてそう問うと、玖珂はまた上体を起こして今度は頭を掻いていた指で律希を指し示した。


「モノはモノ。そうその通りだ律希くん! だが人はえてしてバイパスを通り迂回して穿った見方をすることが多い! バイパスを通ってバイアスがかった視点を得るのだ! 子供のように純粋にあるがまま居るがままの姿を捉えろと言ってもできるものではない。だから形が人に近ければ感情をそこに置いて移入して見てしまう可能性を考慮せねばならないっ! つまり無個性をイメージづけられない! どうしよう」


 ぼりぼりと頭を掻いて悩み続け、玖珂は地団太踏んだ。金曜の夜という一番疲れが溜まっていて一番ゆっくりしたい時分にこうして束縛されるのは、三人にとっても苦痛のようだった。


 だが玖珂はこの洋館の主でもあり、紅林たちにとっては大家のような存在である。あまり邪険にするわけにもいかず、なんとも対処に困る相手なのだ。


「セメントでも買ってきてそこに埋めちまえよ……そしたら何が埋まってるか見えないから誰も感情移入なんてしねぇだろ」


「それで伝わるか! ……いや伝わるか。普遍的で無価値と言ってもいいセメントに埋められる性質、価値観……」


 ぶつぶつとなにか考え始め、顎に手を当てた体勢のまましばし固まる玖珂。次第ににやにやとした笑みを強めていき、うはっ、と腹に含んだような笑声をあげると三人に敬礼して後ろに反りかえった。


「あ、これはこれでいいな! 解決したわい。ありがとう早速作業に移る! 完成したら是非お披露目の席で紅林くんにスピーチを頼みたい!」


「……悪ぃが御免こうむる」


 玖珂は自分の中で納得できる考えを手にしたらしく、憑きものが落ちたように落ち着きを取り戻すときびすを返して部屋に戻っていこうとする。なんだったのか、と三人はその背中を見て溜め息をついた。


「あの考えの下に作られた物が売れたりするんだから、不思議なもんだよな」


「ていうか師匠とかあたしとか三月さんのアドバイスで作れて、それから売れるんですから、お家賃ちょっと下げるなりなんなり感謝を表してほしいですよね」


「どうせ大した値が付くわけではないし、そこまで望むのは酷だと思うよ」


 三人はどうせ聞こえていないのをいいことに、思い思いの言葉を玖珂の背中にぶつけていく。背後の三人が何事かつぶやいていることに、気付いているのかいないのか、玖珂は上機嫌で作業場まで戻っていく。


 と、その時。上機嫌すぎて前しか見えていなかったのか、玖珂が足下の白衣の裾を踏みつけて、なんの脈絡もなく転んだ。踊場のところで半回転するように尻餅をついた玖珂は、小脇に抱えていた道具箱を、階段の向こうに投げだした。


「は?」


 上を見て気付いた紅林は、飛来する道具類を視認する。


 石膏やパテで汚れたコテ、やすり、デザインナイフ。それらの道具類が、階段の上から紅林たちへ降り注ぐ。目測で、自分たちに当たるまでの距離は二メートルを切って――紅林は計算を開始した。「あ」律希が間の抜けた声をあげ、三月が片腕で顔をかばう。


 その間に、紅林は計算を終える。


 慣れた思考の道筋が、目測から把握に至った空間の距離、認識加速により素早くはじき出された計算結果をトレースし、周囲の魔力を収束――虚空の中で焦点を合わせた位置、一〇立方センチメートルの空間を掌握――そこへ魔力を充填し、計算で導き出された術式を展開。


 金属がこすれる硬質な音に似た振動が辺りを埋めた時、それすなわち飛来する物体が一定の空間に侵入した瞬間でもある。空を飛ぶそれらの動きが、一斉に遅くなった(、、、、、、、、)


 その隙に律希は後ろに下がり、三月と紅林も二歩横にかわした。そして一定の空間を抜けた途端に道具類の動きはまた早くなったがすぐに下に落ち、大理石のホールに散らばった。はあ、と深い息を吐いて階段の上を睨みあげた紅林は、拳を握って静かに怒気を露わにした。


「……教授、危ねぇから白衣の裾切っとけって言ったろが」


「ん、あー、済まない! 汚れを拭ったりするのに便利だからな。長い方がいいんだこれは!」


「いや、師匠がなんとかしてくれなかったら今頃あたし串刺しになってるとこじゃないですか」


「安心したまえ、どうせ切っ先で石膏もパテも固まってるからさほど刺さりはしないだろう! 痛い! 投げるな投げるな投げないで! 俺の相棒を傷つけるな!」


 力任せに紅林からコテを投げ返され、玖珂は作業場に退散していく。やるせない顔で後姿を見送った紅林をじっと三月が見つめていて、視線に気づくと紅林は一人、ドアから表へ出た。


 そして、またぎゅっと拳を握りひとりごちた。「使わせんなよ、教授」と。



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