おわりの黒と白
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研究所を出た紅林は、適当に止血を済ませた左腕をぶらさげながら道を歩き、やがて丘の上の木陰に三人を見つける。三月の愛車たるビートルの周りに集まったのは、三月と玖珂と律希だった。
「こっから空間傾倒で狙い撃ちしたのか」
「狙撃には狙撃というものかな。私もバレッジ壊されてあんまり偽術使えないんだから、無理をさせないでほしいよ。トランクでの運搬の時にも使っているんだから」
あきれ顔で言う三月だが、結局協力してくれたな、と紅林は心中で礼を言う。直接言うと、なんだか互いに照れ臭くなりそうだった。そこに玖珂がやってきて、白衣のポケットに手を入れたまま顎でしゃくるように紅林を示した。じろじろと、額の怪我や左腕の出血を見ている。
「やれやれ、そこまでボロボロになってまで倒すことにメリットはあったのかね?」
「なかったな。俺がけじめつけたかっただけだ。……いやむしろ、追われる身になるってのに、さらに心象悪くしたかもな」
「アホですねあんた」
「お前ホント口悪くなったな」
「したいようにすると決めたんだから仕方ないですよ」
へらりと笑う律希に、紅林はもうなにも言わないことにした。眼下に見ゆる研究所に一瞥くれて、右腕だけで引きずってきたトランクを投げだす。
「どうなっても知らねぇぞ。犯罪者の片棒かついで一緒に逃亡生活なんてよ」
「もともと実家とはほとんど縁切れてますし、あたしはみんなと一緒がいいんです」
「この四人組が、そんなにいいもんかぁ?」
「おとと、紅林さんちょい待ってください。四人じゃないでしょうに」
とんとんと爪先でトランクをつつき、律希がにこりと笑う。そういえば、とは思ったものの、なんとなく開けるまでには躊躇いがあった。どう言葉をかけようか、言いたいことを頭の中でまとめあげるのに苦労する。
「……そうだったな。出てこいよ、亘理」
結局、ただ呼びかけて開くことにした。セメントに閉ざされた重たいトランクを開くと、紅林は外延を解除した。戦闘中でさえも視界から外さずにおいた理由は、そこにあった。
「しかし実のところ、佐野とやらの提示した条件は満たしていたのだな。亘理真帆と共にあの場へ赴くとの条件だったのだろ?」
「引き渡す気なんざさらさらなかったんだから、同じこったろ」
玖珂と話していると、空間の拡張が解かれたトランクの中から、真帆が現れる。重く沈んだ表情のまま、じっとうつむき地面に目を注いでいた。
あの夜、下の雑木林へ逃げたと思われていた真帆は、実は窓から外に飛び出してすぐに雨どいを掴み、屋根の上へ逃げていたのだ。足音などからこのことに気付いた紅林が一時間ほど後に回収し、隠し場所として考えたのが、今回の戦闘でも用いる予定のトランクの中だった。
「引き渡したところで――俺は監禁生活、こいつに待つのは」
真帆の重苦しい顔色は、消えることなく陰を強めている。佐野と紅林の会話を聞いていた真帆もまた、自分が用済みの存在となったことを悟ったのだ。
思わず逃げたはいいものの、その後自分が袋小路に行き詰っていることを知り、相当なショックを受けたらしい。今日までの間、飲まず食わずで黙りこくったまま、反応することなく過ごしていた。表情は幽鬼のごとく、生きているように見えない。紅林はあの不気味な球体関節人形を想起させられた。
「行くぞ、亘理」
ふらつく真帆の肩をつかみ、引き寄せるようにして車へ誘う。ぱん、と音が弾けて、つかんでいた右手が落とされた。紅林が振り向くと、虚ろな顔のまま、真帆は下を向き続けていた。
「いかない」
「じゃあどうすんだよ」
「なんにも。わたし、だって、もう必要とされてないもん」
頭をかかえてしゃがみこむ。律希はひどく心を痛めた様子で、痛ましい真帆から目を背けた。玖珂と三月は、二人の間でかわされる会話の行き先を気にかけていた。
紅林は立ち尽くしたまま、へたりこむ真帆に言葉をかける。
「知らねぇよ。お前が望んでそうなったんだろうが」
辛辣な、言葉を。真帆は驚きと困惑に彩りを占められた顔の中、瞳に激情の火を灯す。
「……なんで、そんな」
「お前が言ったんだろ。謝るつもりも許されるつもりもない。すべての行動は自分が周りに認められたかったからで、そのためならなんでも利用していくって。かたちだけ謝ったところで、機会があればまた盗むって」
断罪するように、紅林は鋭く刺さる言葉ばかりを選んで、投げつける。真帆の戸惑いが消え、驚きが薄れ、瞳に灯った激情に、紅林の言葉が油となって降り注がれた。
「しょうがない、じゃない。それしかなかったんだもん。しょうがない」
「だったら現状も受け入れろ。悲嘆にくれて慰め待ってんじゃねぇ、お前は加害者なんだぜ。俺の預かり知らぬところでやってたこととはいえ、俺の軽率な行動も原因とはいえ、俺という他人を利用したんだ。お前が利用されていたところで、誰を恨む。筋違いにもほどがあんだろ」
「なによ……じゃあどうすればいいの? 謝れば終わるわけじゃないでしょ? だから謝らないって決めたのに、いまさら、どうやって」
「半端なんだよ、お前は」
声の調子があがっていって、今にも怒鳴り散らしそうだった真帆を、紅林の言葉が止めた。またも惑う色が満ち満ちてくる真帆は、なにそれ、とかすれた泣き声で問う。
「謝らないって決めたなら、許されないって思うなら、そのことをわざわざ宣言するな。自分の心情を知ってもらって同情してほしいようにしか聞こえねえんだよ。悪ぶってる中で善人ぶるな。間違いを認めるなら謝るか、黙って反省し続けろ――俺はお前を許さないし、今こうして俺が犯罪者になってるのもお前の責任だ」
「なに、それ……なにそれ、なんなの。叱るようなこと言ってると思ったら、責任転嫁? 逃げればよかったのに! わたし突き出して、逃げればよかったのに! 自分で選んだことなのに、わたしのせいなの!」
「自分に返ってくる言葉こっちに向けてんじゃねぇ」
言い返され、口ごもる。大人げない、とは自分でも思う紅林だったが、今ここですべてを清算しておかねばならないとの思いがあった。この気迫に押されてか、他の三人は一切口を差し挟むこともない。
「……俺は、自分を見つけられたよ」
紅林は屈んで、真帆と視線を合わせた。瞳に涙を溜めて唇を震わせる真帆は、焼きつきそうなまなざしで見返した。
向き合ったまま目を背けていた先日の時とはちがう。本気の相対だった。
「昔の願いを思い出したのか、今はそれが願いってだけなのかはわからねぇが。だれかを認めてやれる、そういう奴になりたいって、それが俺の根幹にあるって見つけたんだ」
「……それが、なに。なんなの」
「お前は周りに認められたくて、孤独な身の上を恨んで、魔術師を目指したんだろ」
素直にうなずく。紅林も応じた。
「俺は認めることで、昔認めてもらえなかった自分を慰めてやりたいんだと思う。周囲にいなかった存在へのあこがれが、俺の根元にある。もしそうなれたら、だれかに喜んでもらえたら、俺はきっとなにより嬉しいんだろう」
三月との再会。玖珂という年上の、少々変わっているが信頼できる人物との出会い。これらが嬉しかったのは、己を己として、偽術師の腕などを差し引いて認めてくれる人物だったからにちがいない。
律希の師をいやいやながら引き受けたのも、ひょっとしたら――。
「お前はどうなんだ。認めてもらった先で、なにを願ってた」
「そ、んなの……」
しゃくりあげる真帆は、紅林と向き合い、あ、と言葉を漏らす。瞳に宿した火をすうっと小さくしていき、代わりにあふれさせる。
頬とまぶたに挟まれた瞳がぼろぼろと涙を流し、噛みしめた下唇をほどいた時、彼女は心中を吐露した。ささやく小ささで、けれど彼女にとってはなにより大事で大きな事柄を。
「…………褒めて、ほしかった」
紅林は、聞き届ける。
「周りに……教員に、褒め、られたかったよっ……わたしにとって、あそこしか。あそこ以外、世界なんて、知らなく、て。だから、褒めてほしか、った。認めて、ほしかった……!」
罪悪感は、ないはずがないのだ。けれど押さえこんで上回るほどに、彼女は人から認められることを望んだ。ここまで承認欲求を歪めてしまったACOという環境に対しあらためて憤りを覚える紅林だったが、いまは目の前の少女が崩れ落ちるのを、支えるべきだと感じた。
他人の研究を盗んで用いて、結果、膨れ上がる。
必死に締め付け、平気だとごまかしてきたが。真帆は自分の望みを明確にし、自覚を強めたことで、自分の行動が望む結果を遠ざけるものだと知った。
「あ、ぁ……。ごめんなさい。リンゴ、本当に、ごめんなさいっ……」
だから謝ろうと思ったのだろう。謝ることで清算しなければと思った。
至極単純な話だ。『悪いことをした人間が、褒められるはずもない』。真帆はその考えに至ったのだ。
けれども再会した紅林は見る影もないほど落ちぶれていて、おまけに自分のせいで追い詰められていたと知って。謝って済むはずがない、ならばなにも言わず去り、拒絶された方がいいと考えた。それが先日橋の下で交わされた会話の真の意図であり、結局のところ彼女は。
許されたかったのだろう。
「あの日、わたしが認め、られたく、て。教員につめよった時、味方になってくれて。ほんとうに、うれしかったの……ありがとうって、ずっと言い、たくて。……でも、もう、リンゴをこんなにしちゃって、わたしのせいで、だから、お礼も、言ってもだめだと思って」
まだ彼女は、十二歳だというのに。
子供らしさを、失って。
「リンゴ……ありがとう。ごめ、んなさい。ずっと、ずっと言おうと思って、たのに、言えなくて――ごめんなさい」
「……ああ」
泣きじゃくる真帆の肩を叩き、紅林はそっと頭に手をあてがった。
髪を掻きわけるようにして撫で、静かに微笑む。
「謝ったなら、それでいい。……許しはしないが、俺はこれからのお前で、判断する」
笑う紅林を瞳に映して、真帆はまた泣いた。対処に困った風な紅林は後ろの面々を振り返って助けを請うが、三人が三人、車の傍で固まっているのみで何もしてくれそうになかった。
唯一律希だけはしかと紅林に目を合わせてしまったので、仕方なさそうに面倒臭そうに、ビートルのボンネットを叩いて視線を集める。
「さって、話もまとまったみたいですし。追っ手がいつ来るかもしれないんですから、ささっと出発しましょうよ」
にへっと笑んだ律希は上を指差す。崖の遥か上方、三十メートルは離れた位置を示していた。これでも八尾を取り囲む崖の中では、低い方である。泣きやみはじめた真帆の頭に手を置いたままそこを眺めた紅林は、ビートルのルーフに頬杖ついていた三月を向いて、片手で拝むような姿勢をとる。
「……そうだな。じゃあ三月、頼んだぞ」
「まったく、私だってバレッジを壊されてると先刻説明したじゃないか」
「それでも俺よりは遥かに魔力多いだろ」
「日に十二回しか使えなくなったよ」
仏頂面で頬づえはやめないまま上を向き、魔力を放つ。崖の上まで魔力が立ち上り、道を作った。範囲の中にあった小石や枝が浮き、上を目指して飛び始める。
空間傾倒で、この地を脱出するつもりなのだ。
「環境管理局の相手するには、俺も三月も魔力量が心配だからなぁ……」
車に乗り込む玖珂、三月、律希に続いて紅林はドアを開け、崖の縁まで繋がった魔力の道を見上げてぼやく。
柵のように、いつも自分を取り囲んでいた崖。そこを飛び越えていくことに、なにか得体のしれない恐怖を見た。
それがあの日ACOを出奔した際にも感じた、未知への言い知れない気持ちなのだと気付くまでに、時間はかからなかった。同時に、なにもわからない未来へと跳んできた真帆のことを思って、相当の勇気がある、と思った。
ふと手にあたたかさを覚え、紅林は振り向く。自分より遥かに小さな少女が、あの日の姿のままで紅林の後ろにいる。
今度は自分が、彼女の前に出る番だ。
導くほどに先を行く者にはなれなくとも、共に歩み行ける道を探したい。
いこうぜ、と声をかければ、少女はうなずいた。
急がないで、歩調を合わせた。




