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逃走者たちの闘争と対応


「は、あ?」


 我知らず変な声をあげてしまった紅林は、しかし困惑から驚愕へと表情を塗りかえられた。


 佐野は何もない空間に立ちつくし、首を上向け紅林たちを睨みつつ、脚を屈伸させて跳躍の構えを見せていた。そして跳ぶ。何も無い空間にて脚を折り曲げ跳躍、何も無い空間にて着地、を繰り返し、重力に逆らいながら進んでくる。紅林が空間把握を使うと、魔力の塊が、佐野の足下に着地から跳躍までの間だけ存在しているのがわかった。


 おそらくはそれが、佐野の偽術なのだ。しかし空間把握はあくまでも魔力の有無を観測するためだけの偽術であるため、これ以上の詳細はわからない。


「空間に足場を作る偽術、もしくは空間に入れないようにする偽術か!」


 後者であるなら、先ほど室内の家具が空間傾倒により襲いかかったにもかかわらず無傷でいられた理由がわかる。最初紅林が部屋に入ろうとした際に扉の向こうを塞いでいたのも、この偽術だったのだと思われた。


 そうこうしている内に素早い跳躍を連続させて走るような速度で近づく佐野は、右手のナイフを小さな動きで投擲した。距離が近いこともあり、三月はかわし切れない位置だった。


 これに対し〝目配せして左手の五指を開く〟という合図を三月が行うより早く、紅林は空間伸縮を発動させる。〝外延(エクステンション)〟。十センチの距離が引き伸ばされ五メートルの奥行きを持ち、確実に届くタイミングであったにもかかわらず、ナイフは五メートル余分に空を走らされたため失速した。傍から見ていると、ある空間に侵入した途端にナイフの動きが遅くなったと映る。


 三月はサイドステップで辛くもこれを避けると、紅林に呼びかけた。


「吾朗、もう一度だよ!」


 三月も佐野の偽術の性質に気付いたのか再度術式を構成し直し、紅林に向かって右拳を握ると、その手を後ろへ引いてみせる。重力方向を、今度は自分たちの方へ傾けるという合図だ。紅林は急いで〝縮地〟で三月と佐野の間の距離を縮めた。軋む空間の向こうから、重力方向の変化で体勢を崩した佐野が近付く。相手が倒れ込む力も利用し、三月は渾身の右掌でカウンターを決めようとした。


「――浅い、間抜けが」


 佐野の一声と共に、魔力の塊が現れ彼の動きが止まる。厚さは三センチにも満たないが、瞬時に五十センチ四方の壁を成し、あと少しで佐野の顔面を捉えたはずの三月のカウンターを弾く。空中で打撃を跳ね返しただけとは思えない、硬質で乾いた音が響いた。掌を痛めたのか、三月の小さな悲鳴が続く。とたんに壁が消え、接近を許してしまう。


 連なるは、迎撃の音。佐野は下半身が落ちてくる勢いを載せると、脇腹めがけて左中段回し蹴りを繰り出した。とっさに右肘を下に落として三月は防御したが、重い一撃によろめいてしまい壁にもたれかかる。今更ながら、容易い相手ではないということを思い知ったのか、三月は引きつった笑みを浮かべる。


 続くは、追撃の音。左足が接地すると同時に魔力の壁で三月の退路を塞ぎ、ようやく通常重力下の空間へ戻った佐野は、壁に追い込んだ三月に左のフックを打ちこもうと拳で風切る。けれど三月は、なおも苦しげに、笑った。佐野は三月の表情を訝しみ、


「如月、貴様」


 そこで、気付いたらしい。


 ――三月の身体の陰に居たため一瞬見失った紅林が、己の視界にいないということを。


 佐野が首のみ振り向くと、紅林が足を振り上げていた。一瞬の死角が作った好機を逃すことなく、紅林は〝縮地〟で三月と佐野の脇にある空間を縮め、一歩で佐野の背後に回っていたのだ。もちろんそこは、三月の空間傾倒により重力方向が変化させられたままである。


「喰らえよ」


 重力による落下の力も加わった紅林の横蹴りが、佐野の鳩尾を狙う。同時に、佐野の正面には三月が移動する。どちらかを壁で防がれても、どちらかが一撃をいれることができるように。


 両側から挟み打つ、まさに必中の挟撃だった。


 だが。


「浅知恵だ」


 踵を軸に半回転した佐野の動きが止まる。偽術により、二人の攻撃は、どちらも弾かれる。しかも紅林は重力落下の勢いを殺せず壁にぶち当たってバウンドし、肺腑で空気が固まったような嫌な感覚と同時に吐き気を覚え、吹っ飛んだ先で三月の斜め前に転がって激しく咳こんだ。


 かろうじて紅林が空間把握を使えば、魔力の壁は半球状に佐野の周囲を覆っていた。


「……そ、そんな風にも、張れる、のか……」


「足場と為すのは応用のひとつに過ぎん。形態も状況に応じて使い分ける。勝手な憶測で高を括り仕損じるとは、やはり堕ちたな紅林」


 言い返そうとして余計に紅林は咳こみ、その隙に蹴られそうになったが三月が引っ張り、自分の背後へ移動させる。紅林は胸を押さえつつ、落ちていたナイフを拾い立ち上がろうとする。が、妙にそれが軽く感じられた。戦力差を、感じてしまったためだろうか。


 すると、自分を引っ張るためにほとんど佐野に背を向けてしまっていた三月が、紅林の目を見てから、自分たちの部屋の扉を見て、また佐野に向き直った。


「……まずい状況になってしまったみたいだね。まさか、あんたがここまで強くなっているとは思いもしなかったよ」


「なめるな。お前らと共に学んでいたあの頃ならばいざ知らず、今はお前と同じ一国の身だぞ、俺は。そうやすやすと切り抜けることができると考えてもらっては困る」


 憮然とした態度で以て対峙する佐野は、地面に足を擦りつけてじっくりと間を詰める。話す間も、三月は左半身の構えを取るフリをして背に隠した右手で、部屋の扉を指していた。紅林は、なんとなく意図を理解する。


「あっそう……ああそう。でもいいのかな? あんたの仕事は私たちを殺害することで時空干渉実験を阻止することもそうだろうけど。わざわざ奪いに来たあの子の安全の確保も、仕事でしょう?」


「そうであれば、なんだというのだ」


 徒手の左手を前に出して左半身となった佐野は、三月を睨む。


「だとしたらさ。あの部屋の奥行きって、三メートルはあったのではないかな?」


 三月は片手を差し出すと、人差し指をまほらの部屋の方に向ける。意味がないと見えるその所作に、佐野の睨む目が、なにか感づいた色を孕んだ。なんとか立ち上がれた紅林はそろそろと弧を描くように移動し、自分たちの部屋の扉へと、さりげなく歩み寄った。


「……ねえ、佐野。無防備に落ちたら――」


 三月は、己の左手にあるまほらの部屋を見た。佐野が部屋を出てくる際に、扉は開け放たれたままとなっていた。


「――打ちどころによっては、死ぬにも十分ではないかな?」


 そしてまたも、物が床を引きずられる音が部屋の内より響く。きゃああ、とまほらの甲高い声が割れたガラスのように飛び散った。三月は部屋の奥、窓の方へ向けて重力を傾けたのだろう。下手すれば窓を突き破り、まほらが六階の高さから転落しかねない。舌打ちして魔力の壁を発動したらしい佐野は、一瞬部屋の中に気を取られた。


 隙を見逃さず、紅林は自分たちの部屋の扉を開け、中へ逃げ込む。間をおかず奥の窓ガラスへ向けてナイフを投げつけ、蜘蛛の巣のごときひびを張り巡らせた。そしてベッドの上にあったバスローブをつかむと正面に掲げてクッションとし、体当たりでガラスを砕き、六階の高さから空中に身を投げだす。


 一瞬の停滞、重力との競り合い。それに負けて紅林は落ち始める――――空へと。


 後ろから追ってきた三月が空間傾倒で、重力方向を天に向けたのだ。そのまま四階上に昇り、屋上へ辿り着く。ガラスの破片とナイフはそのまま屋上に散らし、なんとか一息ついた。


「サンキュ、三月。ガラスとかナイフとか、地上に落とさなくて済んだな」


「ああ、そうだね」


「あとは早いとこ逃げねぇと。俺は魔力使いきっちまったし、また空間傾倒で隣のビルまで飛ぶか」


 近場のビルで高さが同程度のものを探そうと辺りを見渡していると、紅林のボトムスの裾が引っ張られた。首をかしげて、紅林は手の主、三月を見下ろす。


「いや、それは……ちょっと、難しい、かもしれない」


「ああ? どうし」


 て、と繋いだ音は、ほとんどかすれて消えた。


 足を崩してへたりこんだ三月の影に血が、舞い散る。背中側から右の脇腹を貫いているナイフが、切っ先から雫を落としていた。短く息を連ねている三月は、不思議そうに傷口を見て、次に紅林に目を向けた。痛みによるものか、瞳が潤んでいる。


「……は。おい三月、それ、」


「後ろから、佐野が投げた、みたいだよ……しかも的確に、バレッジを壊され、た、みたい」


 ボトムスの裾を引く手が、震えた。紅林からも血の気が引く。


 バレッジ。大容量魔力貯蔵装置であるそれは生産に多大なコストを要するため、ACOに認可を受けた第一級国家偽術師でもなければ身につけることのできない、数の限られた特殊な機械である。これを破壊するほどとは、いよいよ紅林と三月は危険視されているらしい。


 用いることで研究の幅を広げることができる一方で、誰でも強力な偽術を扱えるようになってしまうことから悪用の危険にさらすわけにはいかないバレッジは、半年ごとの筆記試験と年間三回の研究論文受理、ならびに精神鑑定を受けてようやく取得できる。それでも盗難の危険が残るため、用心のためにACOは術師の右脇腹、体内へとバレッジを納めるのだ。


 かつては紅林も、持っていた。しかしACOを抜けるにあたり摘出されてしまい、大容量の魔力を扱うことに慣れ切っていた身体は、日に四度、ごく狭い範囲でしか偽術を発動できないほどに弱体化した。これは本来人体が持つ魔力量を、遥かに下回った数値と言える。


「……ったた……とに、かく。バレッジが、壊れたってことは。私も、もう偽術は使え、ない」


「そんな……」


「吾朗、非常階段から、逃げなさい。あいつらもすぐに、来るよ」


「んなことすりゃお前が死ぬぞ馬鹿。……おい三月、佐野はお前にナイフ刺さったのは、確認してるんだな」


「自分の投げたナイフに、手ごたえがあったかくらいは、わかってるだろうよ。仮にも、暗殺目的で、ACOが差し向けたん、だから」


「だったらお前が倒れてる可能性は考慮してるよな……」


 周囲を見渡すと、紅林は干してあったシーツを乱暴に剥ぎ取り、丸めて三月に渡す。次いで自分の着ていたワークコートを脱ぐと、ボタンを留めて中にシーツを詰め込んだ。


「そんでシーツの余りで止血して……あとは、なるだけ出入り口から離れて、奥の柵の近く行け。この暗闇なら、一瞬見間違えてくれるだろ」


 かんかんと素早く昇ってくる足音が聞こえた気がして、出入り口を向く。ドアの真上にはライトがあり、ドアノブの影を長く引き伸ばしていた。紅林は三月から離れる。遠くから見ると、柵の傍でコートを抱えてへたりこんだ三月は、一応、紅林と抱き合っているように見えなくもなかった。


「俺だと思って大事に抱えとけ」


「あ、あんたなに言って」


「こういうのは演技が大事だぜ。一流の演技は、無いもんが有るように見えるからな。……生き残るためだ、一秒でいいからあいつを誤魔化せ。それが俺だと思い込んで、あいつにも思い込ませて、騙しきれ」


 離れた紅林は屈みこんで、バスローブ越しに手を伸ばし、ガラスの破片をまとめて拾い上げる。バスローブの中に包み込まれた破片はがちゃがちゃと耳障りな音を立てた。落ちていたナイフは口にくわえて、出入り口へ急ぐ。迫る気配に、息を殺して待った。


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