はじまりの白と赤
『大人』というものは自ら進んでそうなるものではなく、周りに認められ成立するものらしい。
だから「早く大人になりたい」と足掻いたり悩んだりする子供がたまにいるが、さほどその行動に意味は無いと考えられている。なぜなら世間一般には「そんな無駄な努力をしているのはまだ子供である証拠」と理解されているからである。
そして続けて『大人』は言う。「安心していいよ、何もしなくたっていいよ。時間の流れが思春期の若さも青さも、ついでに夢と希望と万能感も削り取ってくれるよ」と。
だが当然、『今』の自分の尺度だけを用いて子供の気持ちに近付こうともしない大人から言い放たれるそうした言葉は、子供の心には響かない。
子供たちが目指す大人というのは、子供を諭す大人が言う『大人』のように『現在の自分』に照らし合わせて捉えた特徴からカテゴリとして生み出されるつまらない枠組みではなく。現在の自分が持つ能力、まだ見ぬ可能性、未来に対する有り余る想像の余地。それらが積み重なって強くなった思いが生む、カテゴリではない個としての『自分の理想像』なのだ。
大人になれば、かけっこでもっと速く走れるかもしれない。難しい本を読めるかもしれない。ニュースが面白いのかもしれない。コーヒーがおいしいのかもしれない。
理想像にはそんな夢と希望が詰まっている。「かもしれない」という可能性が強い力を持ち、己を大人へと導いてくれるのだと固く信じているからだ。
しかし。しかしだ。
周りにある日「認められてしまい」、己が大人になったのだと「実感してしまった」その時。多くの人が気付いてしまう――世界を知ってしまって、自分を知ってしまって、人の想像の限界すら知ってしまい、結果気付いてしまう。
『大人』は万能ではなく、ほとんどの可能性が閉ざされている存在だということに。
……もちろんそれは決して悪いことではない。可能性とはすなわち危険性でもあって、安定からかけ離れた険しい道だからだ。そんな道を進み続けるのは容易なことではなく、いずれは先細った可能性が己の首を締めてくるかもしれない。
ゆえに安定を得るべく、自分と周囲を守るため、自ら可能性の扉に鍵をかける。『大人』になるとはそういうことだ。社会のためには多くの人がそうなって、そうあり続けるべきなのだ。
「……でも、俺は」
誰にともなく、かつて子供だった彼はつぶやいた。
「でも、俺はさ」
誰にともなく、なおも大人になりきれない彼は言った。
「魔術師って夢、いいんじゃないかと思うんですよ」
彼が制するように、庇うように差し出した右腕の後ろで泣いていた少女は、彼の言葉を聞いてようやく顔をあげた。
「子供っぽい夢だと思うでしょうけど。魔法使い、つまりはかつての魔術師のようになることが目標なら、それはそれでいいんじゃないですか」
彼は自分でも、言うべきでないことを言ってしまったと自覚した顔つきで、なおも『大人』を睨みあげつつ言いきった。少女の涙は止まる。次に彼女は目を閉じて、彼に訪れる災難から意識を逸らしたと彼には見受けられた。直後、ガッと鈍い音が響いて彼は壁に叩きつけられていた。白い壁に薄く赤い血がにじむ。
『大人』はなんと言ったのか。ただ彼の言葉の軽率さを責める言葉を吐いたことは確かだったが、怒りのあまり呂律が回っておらず細かい内容は彼にも聞き取れない。ひたすらに自分の優位性と自分以外の愚劣さを主張する『大人』は、彼の目にはひどく卑小な存在と映った。
「……だ、か、ら」
そういう態度だから、『大人』は嫌いなんだ。
彼はそのように口を動かそうとしたが、次に叩きつけられた時の打ちどころが悪かったのか、意識を失う。白い部屋の中を最後に見渡した際、彼が見たのは同級の、同じ境遇で育った者たちの不安そうな顔。
先導者が不在となることを嘆く、仲間たちの顔。仲間の表情を読み取った彼は、落ちていく意識の中でひそかに決意していた。
もうこんな場所は要らない。ここに閉じこもる必要はない。自分にできることはわかった。
すぐにでも始めなくてはならない。誰より自分のためにも、それが臨むべきことだと。
彼のその後を仲間は知らない。
ただ夢を守られた彼女だけが、彼の行く末を気にかけた。
……その日、ひとつのマジュツが生まれた。
架空粒子を用いた異能力の話です
異世界なので実際の物理法則、研究理論などとは異なる場合がございます。予めご了承ください。