エルフの森 連続ツルツル事件(九)
この世界に来てから、俺は同郷の人間とそれなりに遭遇して来た。まず副島さん。そして苺将軍は確定だろうし、粘菌から救ってくれたプレストもそうだろう。よくわからないのが黒ずくめの男だが、プレストの仲間であれだけの力を持っているならプレイヤーに違いない。マレビトという異世界からの訪問者は結構身近にいるものなのだ。しかし、彼らは一様にひっそりと暮らしており、その持てる力をフルに使って派手な活躍をしているというワケではなさそうだ。ゲームを知らない副島さんはともかく、苺将軍は村の番人のような暮らしを。プレストはギルドマスターによれば時折目覚めて救済に現れる正義の味方をしており、普段はその異質な力をアピールする事なく過ごしている。彼らをマレビトだと言って目の前につれて来ても、事情を知らない普通の人なら先ず信じないだろう。
だからこそ。
こうして分かりやすい形で彼らマレビトの異質さを垣間見る事の出来る遺跡は貴重だと言える。これを見て、俺は初めてこの世界に『俺と同じ世界の人間が確かに存在していた』という事を実感した。
シマ君が案内してくれた遺跡『おやすみハウス』は、外観からは想像もつかないような巨大な工房だった。その光景はゲームにおける『クリエイトマスターの究極工房』そのままなのだが、細かな所で同郷の人間らしさの感じられる名残が存在した。例えば、壁に掛けられたホワイトボード。生産者の集まりらしく、各工程の作業予定表が記されている。錬金工程、素材収集リスト、武器防具の作成進行具合などが記されており、工場勤めの長かった俺にはお馴染みの光景だった。長い時を経ても腐らない紙も凄いと思うが、こうして一致団結して作業にあたっていた当時の名残を目にすると、胸に熱い物がこみ上げてくる。きっと指揮をとった人間は工場勤務をしていた人間だろうが、そうしたノウハウを持っていた者は少なかったはずだ。プレイヤーの大半は高校から大学くらいの若者で、そんな彼らが戦争に身を投じて殺意の真っ只中でこれだけまとまって頑張っていた。それは並大抵の苦労ではなかっただろう。
フレイやルシアがシマ君に案内されてトイレに行ってる間、俺は工房を観察して回った。リリーは装備を外してベッドで寛いでいる。セーラは俺と一緒が良いのか、胸当てや細剣を外してからそばにやって来た。
「カトーさん、何を見てるんですか?」
「ああ、工具を。この壁に立てかけられてるハンマー、俺のいた世界のメーカーの名前が掘られてるんだ」
所々にこんなイタズラもある。俺の手にとったハンマーは、最硬にして最高、投擲武器としても最強なブルーメタルハンマーだ。自己修復能力があり劣化せず、永遠に使える工具。その柄には『MATSUDO』という刻印があった。松戸は新潟にある金属加工会社で、他にも高品質な農機具を作っている。その松戸の名を異世界で見るのだから、なんとも奇妙な感覚だった。
「故郷が恋しくなったりしませんか?」
上目づかいでセーラが尋ねてくる。ひさびさに見た日本のメーカー名、確かに普通なら郷愁を誘うのかもしれない。だが、俺にはあまりそうした気持ちがわいてこなかった。
「いや、それは無いな。そもそも、小さな頃から各地を転々として生きて来たからどこが故郷かよく分からないんだ。一番長く定住していたのは五年だし、そこでの思い出だってあまり楽しくはなかったからな」
「そう……ですか」
セーラは安心したような、でも切ないような、複雑な表情を浮かべていた。俺がホームシックにかかってないか心配だったのだろうか。セーラを残して元の世界に帰ってしまうとか想像したのだろうか。何にせよ、不安にさせてしまったようだった。
「単にこっちの世界に懐かしい物を見つけて、面白がってただけだよ。帰れなくても、向こうと同じ物ならこちらの世界で散々見ている。カパマーキ村の屋敷や、キャロット村の町並みなんかモロに小さな頃住んでた町と似ているからな。食事に関してもフォーリードの街にある物と殆ど同じだから、特別帰りたいとか思った事は無いよ」
ちなみに俺は元々四国の出身だ。随分昔に水軍が活躍していたらしく、その本拠地と言われている町で幼少期を過ごした。傾斜のきつい地形のそこかしこに石垣が作られ、そこに古めかしい家が建っているような所だった。頑丈な足腰は恐らくそんな地形に育まれたのだろう、同級生からはプロ野球選手や柔道家が出ている。皆、足腰は特別強かった。ホームシックの話に戻るが、フォーリードは傾斜地にある点で当時住んでいた町に似てるし、キャロット村の城下町な風景も懐かしく思える。カパマーキ村には神社だってあるし、「ここまで揃っているとむしろこっちの方が故郷で良いんじゃないか」と思ってしまうくらいに、俺にとってこの国には馴染みやすい場所が多かった。
「だからな、セーラ。俺が寂しがっているんじゃないかとか考える必要は無いぞ。俺はセーラのいるこの世界が大好きで、ここで生きてここで死ぬと決めてるんだからな」
「カトーさん……」
腕にキュッと抱きついてくるセーラ。何やら感極まっているらしい。おや、もしかして俺、今良い事言ったのか? 男前なセリフを言ってたのか? どこだ、どこらへんがグッと来たんだ、教えてくれセーラ!
「セーにゃんに何してんの、カトーさぁああんっ!」
その時。
背後から何かが飛んで来て背中に強烈な攻撃を仕掛けて来た。
ドガッ!
「ぬおっ!?」
「ハ、ハンマー持ってセーにゃんをどうするつもりさ、カトーさん! イジメ、良くない!」
「フ、フレイさん!? 違うんです、これはイジメじゃなくて……」
「へっ? だって『ここで死ね』って言ってなかった?」
それじゃイジメじゃなくて殺人未遂の現場だろう。しかしそうか、俺はハンマーを片手に持ったままあのセリフ言ってたのか、そりゃ勘違いするわな。そして訂正させてもらえるなら、『ここで死ね』じゃなくて『ここで死ぬ』だ。……ダメだ、何だか無理心中の現場みたいだ。とりあえずハンマーを手放すのが正解だったらしい。
「ゴメン、カトーさん! 私の勘違いだった!」
「いや、別に痛くなかったから構わないんだけどな」
ポリポリと背中を掻いてから振り返る。フレイは手を合わせて頭を下げていた。
「跳び蹴りが出来るくらいには回復したようで何よりだ。ところでどうだった? マレビト特製のトイレや洗面所は使い易かったかな」
「あ、そうそれ! もうびっくりするくらい凄かったよ!!」
そう興奮して話すフレイの向こうから、肩にシマ君を乗せたルシアが歩いて来た。シマ君自身は平然としてるがルシアは何だか余計疲れたような、呆然とした表情をしている。俺の方を見たルシアは力無く口を開いた。
「デタラメ……カトーさんよりデタラメでした」
失礼な。基準にする人物を間違えてるだろう。
「一見普通の便座のあるトイレなんですけど、完全水洗式なんです。貯水する設備も無いのに。シマさんの話では流れた先に焼却装置もあって、千年前から稼働し続けてるらしいですよ……」
『製作者は「ヤケクソ・システム」言うてたな。動力源は自動MP回復究極高速を宿した魔鉱石や。純度100%で最大保有MP9999、劣化無し。それ一つだけで世界を滅ぼせるかもしらん石や。それを便器に一つはめ込んで、焼却場の方にも一つ使うてるんよ。水も火も、全てその石でコントロールしとる』
なんという才能と資材の無駄使い。製作者自身がヤケクソな気分で造ったとかじゃないよな。
「ちなみにその魔鉱石、他にどれくらい使われてるんだ?」
『ん~、寝台の明かりのエネルギーに一つやろ。工房のエネルギー源にも二つ。結界装置に一つ。予備に三つ。で、地下室の明かりやトイレにも一つずつやから……最低八つやな。もしかしたらまだまだ隠されとるかもしらんけど、俺には見つけられんかった』
クラッ……とルシアがよろめいたので慌てて支えた。確かにデタラメだ、流石に俺でもそんな無茶な事はしない。というかそんな凄まじいアイテムの作り方、生産系を疎かにしていた俺には全く分からないしな。製作者は一体何を考えてたんだろう、快適さを追求するにしても度が過ぎている。腕の中で朦朧としたルシアが「間違ってる、こんなの間違ってる」とブツブツ言い出した。頭はもうパンク状態らしい。
「これだけ貴重な鉱石が千年以上手付かずだったというのは凄いな。遺跡自体は見つかってるのに、盗まれたりしないのか」
『そら大丈夫や。俺もそこそこ戦えるし、何より凶悪な結界が張られとるからな。マレビト以外立ち入り禁止……立ち入ろうとしたら最後、あらゆる呪いが降りかかって森の外に強制送還される凶悪なトラップ付きや』
そこまで言ってから、俺にニヤリと笑ってシマ君は続けた。
『逆に言えば兄さんみたいな、邪悪な気配の無いマレビトやったらなんも問題無く入れる結界や。自分、気づいとったやろ? 何か結界くぐり抜けた感触しとったハズや』
………。
なるほどね。しかし、それなら少しおかしくないか。
「ルシアとセーラも結界を突き抜けたけど、害は無かったぞ」
二人は俺と同様に結界の存在を知覚しながらも害を受けずに通り抜けている。恐らくシマ君が結界を解除する前に。だから疑問に思ったのだが、シマ君は別に驚きもせずこう続けるのだった。
『そっちのエルフの嬢ちゃんは分からんけど、ルシアの姉さんなら何も不思議は無いで。マレビトの血ぃ受け継いどるもんは、その因子が強かったら同じように結界を通り抜けよるからな』
さて大変な事になった。
本来であればここで俺がマレビトである事をカミングアウトして仲間たちからビックリされる所なのだが、シマ君の発言にこちらがいきなりビックリさせられてしまったのだ。ルシアがマレビトの子孫。なんとも世間は狭いものである。ルシアはショックな事が立て続けに起きて腰砕けとなり、現在ベッドの上でフニャフニャになっている。起きているのだが、身体に力が入らず上半身だけなんとか起こしてこちらを向いている状態だ。リリーは変わらずベッドに腰かけて、同じようにフレイも座っている。みんなでベッドの方に行くから俺とセーラも何となくベッドの上に座り、何だか不思議な状態で話をする事になった。ベッドを寄せ合って、構図はまるで修学旅行の夜だ。
「……とりあえず、どの話から始めようか。ネズミの事、ルシアの先祖の事、俺から伝えたい事。大きく三つに分けられるけど」
「じゃあカトさんのにしたら? そんなに深刻そうな話題じゃないみたいだし」
おおうリリー、辛辣じゃないか。確かにそんな深刻な話でも無いけど。
「なら、そっちから行くか。まぁ大したことでも無いんだけど。
……俺、カトー・シゲユキはマレビトである。以上」
「「ぶふっ!?」」
リリーとフレイが噴いた。毒霧攻撃か、なかなか通じゃないか。でも布団の上ではやめた方が良いぞ。
……ルシアはぼんやりと此方を見つめるだけだ。セーラはそれを少し心配そうに見ている。
「ぶっちゃけるが、俺は元々別の世界に生きていた人間なんだ。けど妙なトラブルに巻き込まれてな、わけも分からないままこの世界に迷い込んだ。セーラやボンゾさんにはもう話していたんだが、みんなにはまだだったな。言い出すタイミングが掴めないままズルズルとここまで延びてしまった、その点は申し訳なく思っている」
「え……あの、カトさん本当に? 冗談じゃなくて?」
「リリ姉、この顔は真面目なカトーさんだから本当っぽいよ。カトーさんはふざけてる時、鼻の穴が広がるから」
どんな見分け方だ。
『俺は一目で見抜いたけどな。マレビトを見てきたもんから言わせると、やっぱマレビトとここの人間は雰囲気からして違う』
「自分では違和感無く溶け込んでると思ってたけどな。確かに、何も変な事をしてないのに街ではやけに目立っていた。そうかマレビトゆえに……か」
リリーとフレイが俺の言葉に眉をひそめる。ルシアの視線は怪訝なものに変わった。何故だ、何故そんな目で俺を見る。セーラに視線で問いかけると、彼女は静かに目をそらした。おいっ。
『ルシアの姉さんの話をさせてもらうとな、実は俺のよう知っとるマレビトにそっくりなんよ。気配、雰囲気もな。せやからすぐ分かった』
「私にそっくり……」
『せや。マスター・ポコ、俺の知る限りでは最強の格闘家やな』
話はこのままルシアの先祖の方に流れるらしい。やれやれ俺の告白タイムはこれまでか、ならば静かにシマ君の話に耳を傾けよう。それに格闘家、ね。なかなか興味深い話じゃないか。俺は少しワクワクしながら、シマ君の言葉を待った。
◆◆◆その頃、森の奥◆◆◆◆
降り止まぬ雨から逃れる為に、その巨大なネズミは洞窟の中に身を潜めていた。口の中には今日の収穫が大量に収められており、唾液で少しずつ消化しながら空腹を満たして行く。彼の口には歯が少ししか存在しない。随分前に立派な前歯を折ってしまって以来、ロクに咀嚼出来ない状態が続いていた。どうしてこんな事になったのだろう、とネズミはぼんやりと考え始める。そしてやはり原因はこれ以外に考えられない、と自らの腹にへばりついた物に憎々しげな視線を向けた。
腹部の長い毛の奥には、人の手が隠れている。
ほんの数週間前。ネズミは群れの仲間と共に餌を求めてこの森にやって来た。それまで住んでいた山にモンスターが増え始め、危険な上に餌まで少なくなってきたので移住する事にしたのだ。しかしその途中でヨロイトカゲの群れに遭遇、奮闘し何とか逃げる事に成功したものの、仲間を庇った際に前歯をへし折られてしまった。
ネズミにとって前歯は命だ。これ無くして物を食べる事など出来ない。口に出来るのは柔らかな果実のみという状態では体力を維持する事も出来ず、ネズミは徐々に仲間たちについて行けなくなっていった。薄情なもので、仲間たちの中に彼を助けようなどと思う者は誰もおらず、彼自身も見捨てられるのは仕方ないと割り切っていた。それは単なるネズミである彼らにとって当たり前の事だったのだ。
彼に転機が訪れたのは、群れから遅れ出して間もない頃だった。もはや唾液すら出ないくらい衰弱していた彼は、地面に落ちていた何かを見つける。黄色い粘液にまみれたその物体は生きているらしく弱々しく動いていた。よくわからないが、これなら捕まえられるだろう。そう思った彼は早速物体に覆い被さり動きを封じた。そして……
『ピギュッ!?』
侵食が始まった。
腹にくらいついた物体は粘菌を彼の身体にまとわりつかせ、ゆっくりと毛穴から体内に侵入して行く。彼は理解不能な事態に混乱してもがくが、体力が無いのでなすがまま。更に衰弱し、死が間近に迫って来るのを本能で感じとっていた。そして意識を失う寸前、彼は自分の身体の変化に気づく。
体毛が伸び身体に活力が漲っている。同時に、脳に恐ろしい量の情報が流れ込んで来たのだ。たかだかネズミの小さな脳、処理しきれる情報量など知れたもののハズなのだが、その粘菌はネズミの脳を肥大化させていたらしい。次々と飛び込んでくる情報を、彼は自分のものとして行った。単なる動物のモンスター化。サウスコリで起きている不可思議な現象が、彼の身にも起きたのだった。
彼は蘇った。
だが、彼は彼でなくなっていった。
前歯で物をかじれない、食べ物を咀嚼出来ないのは変わらない。だがそれを克服しようと身体は強烈な胃酸を出すようになった。胃酸は自らの胃すら溶かそうとする程の強い酸性。何かを腹に入れておかないと死んでしまう。また、空腹感が絶えず頭を支配して気が狂いそうになった。仲間の姿がうまそうに見えて仕方ない。欲望に負けたネズミは、せめて命までは取らないよう仲間の体毛だけをターゲットにして襲い始める。唾液も次第にそれ専用に進化し毛だけを舐めとる特殊な唾液となった。
毛は腹持ちが良かった。
また毛の中に何か特殊な栄養素が含まれているのか、摂取している間は頭を支配していた理不尽な空腹感も治まっている。毛だけならば相手の命を奪う事も無いし、何度も生えてくるから食に困る事は無いだろう。いつの間にかそんな事も考えられるようになっていた彼は、以後、動物の体毛をターゲットに活動を始める。しかし、しばらくして彼の思惑通りには行かなくなってきた。
流れ込む情報や知識が頭の中で構築されて行き、一つの人格を作り出したのだ。そしてその人格に追いやられるように、『自分』が無くなって行くのをネズミは感じ始めた。それは言いようの無い恐怖。単なるネズミだった頃には感じる事の無かった気持ちだった。
『グジュ、ジュル……ゴクッ』
必死で毛を溶かし、飲み込める硬さにまで柔らかくしてから一気に飲み込む。空腹時が一番『自分』が消えそうになるのだ。怖い、怖い、怖い。小刻みに震えながら、必死に次の毛を頬の奥から出して溶かしにかかる。それは今までよく口にしていたクマの剛毛と違って、細くて何やら良い味がした。
ヒトの毛だ。
ヒトの毛は益々頭がおかしくなる毒だ。身体が勝手に動き出したり、記憶があやふやになってしまう恐ろしい毒。しかし美味いから止められないのだ。ああ、また『自分』が無くなって行く。少ししか取れなかったが、この味は格別に美味く感じる。きっともう戻れなくなるだろう、と彼はその毛を飲み込んだ。
そして。
『……?』
彼は訪れるはずの衝動がやって来ない事に気づく。
それだけではなく、それまで感じていた空腹感が嘘のように無くなり、頭も以前よりスッキリとしていた。『自分』は消えていなかったのだ。
『ナン……デ?』
絞り出すように発する言葉。原因など、一つしか思い当たらない。
あのヒトの毛。
あれさえあれば、この苦しみから解放されるのではないか。
暗闇の中、ネズミの目が今ギラリと輝き始める。ゆっくりと立ち上がった身体は、先ほどよりも一回り程大きくなっていた。




