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エルフの森 連続ツルツル事件(三)


『俺は猫妖精のシマや。カパマーキ村までは俺が案内したるからしっかり感謝するんやで』


 俺の肩の上で、猫……いやシマ君は自信満々にそう言って胸をはる。何だかよく分からないが道案内を買って出てくれたシマ君。森の地理に詳しくない俺たちにとっては非常に助かる申し出だ。


「わざわざすまないな。正直に言えば、依頼書に書かれた情報だけでは村にたどり着けるか微妙だったんだ」


『まぁ、あの連中は無駄に意地悪やからな。結界も張っとるやろうし、簡単にはたどり着けんやろ。エルフの偉大さをアピールしたいんか知らんけど、そんな態度取っとるからロクに依頼を受けてもらえんようになるのにな』


 そんな風に語るシマ君を、興味深そうに見つめるセーラたち。やはりいくらファンタジー世界だからと言っても、喋る猫というのは珍しいらしい。特にセーラなどは、俺の肩を見上げながら目をキラキラさせていた。


「私、お喋り出来る猫さんなんて初めて見ました。なんというか……たまんないですね!」


「あー、手をワキワキしながら近寄ったら引っ掻かれるよセーラ。猫じゃなくて、猫妖精。妖精を怒らせたら怖いんだから気をつけなよー」


 リリーはそう言うが、妖精でなくても猫は怒らせると怖いものだ。俺は以前大学生の頃、キャンパスをうろつく猫を撫でようとしただけで激怒された。そしてそれ以来、芝生で寝転んだりベンチで寛いでる時に死角から忍び寄って来ては、至近距離でオナラをして去ってゆくという行為を繰り返された。あれ以来俺は猫に近づかないようにしている。


 それにしても、猫妖精というのはゲームでも見なかった種族だ。


「俺は無学だから知らなかったんだが、猫の姿をした妖精がいるという事は犬の姿をした妖精もいるという事だろうか」


『なんでそうなるか知らんけど、犬妖精っちゅうのは知らんなぁ。妖精にも色々あってな、まぁそこらへんは歩きながら話そうか』


 シマ君に促され、俺たちはカパマーキ村へ向かって移動を開始する。そしてその道すがら、その妖精という存在について色々と興味深い話を聞く事が出来た。









 妖精という種族は大きく二種類に分けられる。それは人間寄りか、精霊寄りか、という風に。人間寄りの妖精というのは、人のように繁殖して集団となり社会を形成する者たちの事を言う。ピクシーやコボルトといった種族がそれにあたり、森や山の奥地に集落を作るのが一般的らしい。対して精霊寄りの妖精というのは、その上位存在である精霊が生み出した眷族であり繁殖はしない。いわゆる使い魔に近い存在であり人間寄りの妖精と比べて強い個体が多く、また精霊の加護を受けているのでその系列の魔法を使える者が多いのだと言う。そして、シマ君はその精霊寄りの妖精らしい。彼は水の精霊の眷族で、この森の近辺で長い時を過ごして来た。


『水の精霊が封印されてからずっとやから……もう1300年くらいたっとるかな? その間森と街を行き来する生活をしてきたから、この森の事は俺が一番良う知っとると思うわ』


「1300年……気が遠くなりそうだな」


『なぁに、あっちゅう間や。毎日せせこましく生きてるわけでも無し、ボケーッと過ごしとったら一週間くらい光の速さで過ぎ去るわ。ここまで生きとるとな、時間の感じ方まで変わって来て退屈が苦痛やなくなってくるんよ』


 感覚が麻痺しているのか、それとも元々心が強いのか。よくファンタジー物の小説なんかで不老不死なキャラクターが長い生による孤独に耐えられず潰れて行くのを見るが、彼にはそんな心配は無用らしい。


「それだけ生きてるなら知ってると思うが……妖精モッサンについて何か知らないか。今回の仕事では恐らくモッサンと接触する事になる。少しでも情報が欲しいんだ」


 俺がそう言うと、話を聞いていたルシアとフレイがひそひそと話を始める。


(なんか、これって良いのかな? 依頼人は自力で村にたどり着いて欲しいのに、カトーさんって最初から人に頼ってるよね。今も普通に情報を聞き出してるし)

(固い事言いっこなしだよルシア。それに依頼書に他人を頼るなって書いて無いし。カトーさんは利用出来るものは何でも利用するし、目的の為なら手段を選ばない所あるから今のうちに慣れといた方が良いよ)


 なんか失礼な事を言ってないか。俺はそんな悪人じゃないぞ、善人でもないけど。それに頼ったのは人ではなく猫だし、こうした情報収集も実力のうちだ。そういう事にしておく。


 さて、話をモッサンに戻そう。


『……自分ら、まずモッサンが存在するっちゅう頭でおるんやろうけど、それは間違いやで。モッサンなんておらん。あれは創作物や』


「えっ……」


 俺よりショックを受けたのはセーラだった。俺としては、まぁそういう事もあるだろうとは思っていただけに何ともないが……


『けど、そのモッサンによく似た存在はおる。あれはシロヤマネズミやな。去年の夏くらいからこの森に住み着いとる』


 シマ君の話では、そのシロヤマネズミという動物が件の事件の犯人……犯鼠らしい。シロヤマネズミは本来山岳地帯に住む鼠で、岩肌の色に似せて白や灰色に毛色を変えるという。餌は昆虫や木の実を食べる雑食性で、本来なら毛を食べる事などしないはずなのだが、今回の事件では違った。


『ちょっと前にな、そのシロヤマネズミの群れの一体が突然変異を起こしよったんや。なんや妙なもん食ったんか知らんけど、口からよだれダラダラ垂らしながら仲間や猪の毛を食い始めてな、食えば食うほどデカくなって殆どモンスターみたくなった。今じゃ人の子供くらいの大きさになって、熊さえ襲いよる。自分、髪の毛多すぎやから真っ先に狙われるやろな』


 そう言って脅かすシマ君だが、囮である俺にとっては朗報である。話によればターゲットの肉を食って死なせる事は無いようだし、今までの仕事と比べて命の心配は少ないだろう。


『子供くらいの大きさやからってナメとったらアカンよ。やたらすばしっこくてな、全速力で逃げる猪すら追いついて食らいつきよる。この間もエルフが何人かつるっパゲにされとったけど、人の頭くらいなら一瞬で舐めとられるわ』


 舐めとられる……唾液で溶かされるのか? とにかく驚異的な素早さだという事は何となくわかった。気を緩めたら一瞬でやられて、次にセーラたちが狙われるという事だ。これはアレだな、セーラたち用に帽子か何かを用意してから挑むべきだったな。少し後悔した。


「貴重な情報ありがとう。事前に聞いておいて良かったよ、これである程度対策が練れる。さしあたっては、村についてから帽子か何かを買おう。俺はともかくみんなの髪の毛は守らないといけない」


 俺の言葉に皆の表情が明るくなる。いや、当然だろ? 髪は女の命とも言うし、俺ですら最初円形ハゲにショックを受けたんだ。女性ならもっと辛いはずだ。


 しかしシマ君は残念そうに首を振った。


『あの村の連中、ホンマに根性腐っとるからな。多分売ってくれんと思うで。自分らをハゲ仲間にして笑おうとするやろな』


 ………。


 なぜ、そんな性格になったんだろうな。


『あの村の連中がこの森の国境を守っとるからな。それも国が出来た時から。そら偉そうになるで、ただでさえ年長者を敬う事を徹底しとるエルフ族の中でもとびきり歴史のある一族の住む村や。そこのお嬢ちゃんなんてなまじ可愛いから、この村に嫁げとか命令されるかもしらん』


「その時は依頼を取り消して俺が奴らの頭を丸めてやろう」


 即答するとシマ君が怯えたように耳を伏せた。どうやら思いのほか殺気立ってしまったらしい。ダメだな、こんな事じゃ。こんな事ではセーラに誰かが触れただけでこの森を焼き尽くしてしまいかねない。


 その時、後ろでゴソゴソと物音がした。何だろうと振り返ると、セーラがアイテムボックスであるポシェットから何かを取り出している。長い長い布きれを、バンダナのように巻いて……おや、耳が見えなくなったぞ。


「これでエルフだとバレません。問題は解決しました」


 おおっ


 そこにたたみかけるようにルシアが何かをセーラの頭につけた。それは……猫耳?


「これならセーラさんも猫人族と思われるんじゃないですか?」


「出た、セーにゃん! やっぱあの学生たち腕良いよね。本物としか思えないもん、その付け耳。どう、カトーさん、セーにゃん可愛いっしょ」


 ………。


 芸術だ。今ここに人類の到達した美の至宝が誕生した。そしてその生きた美の化身は、俺を見ながら恥ずかしそうにこう言ったのだ。




「えっと……どうですか、にゃん?」






 う……


 うおぉぉぉぉおおおぉ!?


 これは、これは凄まじい破壊力だ! 多分この瞬間、世界中の猫耳マニアが悶絶して死に絶えたに違いない! 強烈だ、強烈な猫っぷりだぞセーラ!


「もはや何も言うまい。セーラ、安心しろ。お前を守るためなら何人でもエルフを狩ってやる」


「違う違う、カトさん目的が違ってきてる」


 そうだっけ?


 リリーになだめられながら、肩で怯えるシマ君に謝りつつ俺はなんとか気持ちを落ち着けた。セーラはニコニコ顔だが、ルシアとフレイは引き気味だ。いや仕方ないよ、男ならこの反応が普通なんだ。重ねて言うなら、ルシアの猫耳姿も見てみたいぞ。全員猫耳というのもアリかもしれない。

……俺も含めてな。




 そんな話をしながら、森の中を行く。


 依頼人のいるカパマーキ村についたのは、それから30分ほどたった頃だった。









 キャロの森からキウリの森一帯は、基本的にモンスターの少ない地域らしい。前回もルビーベリー採集で結構な時間森に滞在したが、あのハナちゃんとか言うクマが現れるまではモンスターは出現しなかった。初心者向けのクエストがあるくらいだから、平和な森なのかもしれない。現に俺たちが歩いていても、モンスターは一匹も現れなかった。クマや猪が出る、と言ってもモンスター化していない普通の動物の事なのだろう。腰くらいの高さに生えた草をかきわけながら、俺たちは安全に足を進める。セーラなどは歩きながら木の実を採ったりしていた。こんなに平和でいいのだろうか、というくらいに平和だった。


 そして、ついに俺たちはカパマーキ村にたどり着く。パッと見は何の変哲もない森の一画。しかしセーラは何か見えるらしく、目を凝らしてジッと前を見ている。そこに、シマ君が声をかけた。


『お嬢ちゃん、下がっとき。今から俺が結界を破るからな』

 そして次に俺へと向き直る。

『一応、道案内はここまでや。俺ぁここの村の奴らが嫌いやからな。結界を破った後はちょっと離れたとこにある遺跡に行くから、何か分からん事あったら訪ねて来ぃや』


「あ、ああ。分かった。何から何まですまないな」


『ええねん、好きでやっとる事やし。ほな行くで』


 そう言った途端、シマ君は肩から跳躍して空中でピタッと静止する。そして口をパカッと開けると、真っ白に輝く光の粒子が集ま……って、オイ!?




     『白猫魔導砲』




 ゴオォォォォオオオォォォ!!

「「「きゃああああっ!?」」」

「アホォォオッ!!」






 ドゴオオォォォォォォォンッッッ!!




 凄まじい爆音と真っ白な光で埋め尽くされる世界。思わず耳を押さえてうずくまるセーラたち、俺はとっさに前に出て彼女たちを庇う。そんな中、微かに遠くでこんな声がした。




『ほな、バイならや! 村の奴らに宜しく言うといてなー』




 なんて奴だ。


 呆れていると視界が戻って来て、目の前には先ほどと全く違う世界が広がっていた。


 かつて訪れたキャロの村はまるで江戸時代の城下町といった風景だったが、この村はまた違っている。なんというか、神社というか。そう、○○神宮といった巨大な神社の敷地内(境内)のような光景なのだ。あまりにイメージと違って困惑する。そしてそこで目にする人々は、またなんとも異様であった。


 神主が沢山。白衣袴姿の人々。女性は巫女である。全く、エルフと聞いてこの姿を思い浮かべる奴なんているだろうか。俺は完全に意表を突かれた。それはセーラたちも同様だったらしく、リリーやフレイは目が点になっている。セーラは物珍しそうにキョロキョロして、ルシアは何だか気まずそうな顔をしている。なぜ……って、そういやルシアはミリア教徒だよな。そりゃ異教徒の施設っぽい所に来たら警戒するか。


 シマ君の放った白猫魔導砲の音を聞きつけた村人たちが、此方に向かって走ってくる。顔を見るとやはり怒っていた。そりゃそうだよな、こんな力業で結界を突破されたら誰でも敵襲かと思うわ。俺はセーラたちの前に立ち、武器を持っていない事をアピールする為に両手を上げて彼らを迎えた。



「貴様ら、どういうつもりだ!」

「この聖域に侵入してきた目的は何だ!」


 バタバタ、と駆けつけるエルフの男たち。それがまた白衣袴だから奇妙だ。袴の色は白。確か俺のいた日本では神主は袴の色で位が変わったはずだ。一番下が白、次に浅葱色(水色)、紫、紋付きの紫、そして紋付きの白が最上位。その分け方で言えば一番下っぱとなるが、はてさて。


「驚かせてすまない! 実は道案内をしてくれた猫妖精のシマ君が、結界を吹き飛ばしてしまったんだよ。それと彼から『宜しく』と言伝を頼まれた」


 正直に言うと、凄い剣幕だったエルフの男たちの顔から緊張感が抜けて行く。どうやら彼らはシマ君をよく知っているらしく、苦々しい顔をしながら「またアイツか」「あの阿呆」と口々に文句をつぶやきはじめる。


「……それで俺たちの目的だが、仕事の依頼を受けてここに来た。ミシェル・シェンケルという人物が依頼人だ。面会を希望したいのだが、可能だろうか」


 俺が依頼書を見せると、受け取った若いエルフがそこに記されたサインを確かめる。


「確かにミシェル様のサインだな。そう言えば2、3日したら新しい冒険者が来るかもしれないと仰っていたような……」

「よく1日でたどり着いたものだ。捜索隊を出す必要が無いというのも久しぶりだ」

「猫妖精とコンタクトを取れる運の良さも素晴らしいな。これなら期待出来るんじゃないか」


 エルフたちは言いながら、俺たちを品定めするかのようにジロジロと見る。女性陣に色目を使うような視線もあり、それに関してはイラッと来たものの一番の注目は俺の頭だった。


「失礼。あなたの髪はまたなんとも主張が激しいようだが、それは今回の依頼と関係が?」


「ああ。囮役だ」


 なるほど、と納得するエルフたち。いや、それはいいから早く依頼人と会いたいんだが。そんな雰囲気を感じとったのか、先ほどのエルフが依頼書をこちらに返しながら言った。


「村にたどり着いたら、すぐにお通しせよと指示を受けています。案内しますからどうぞついて来て下さい」


 そう言って歩き出すエルフの青年。騒動は収まり、集まっていた他のエルフたちも解散して行く。道行く人々もこちらをチラチラ見るものの、落ち着きを取り戻し自分たちの生活に戻って行く。俺たちも向けられる視線に居心地の悪さを感じながらも、気を取り直して道案内の彼の後を追った。






 エルフの村。


 その名前が何故河童巻きなのかは分からないが、とにかくエルフで種族が統一された村は多民族の住む街に慣れた俺には異様に思える光景だった。エルフである。耳長のエルフしか居ない世界。純血のエルフは美男美女しかいないというが、実際、顔の造形に関しては完璧と言って良い美しさの人々で溢れ返っていた。が、それがなんとも言えない異様さを醸し出しているのだ。今までこの世界をリアルに近いと感じていたが、この光景はむしろゲームそのままと言って良い。余りに容姿が整い過ぎたその世界は不自然すぎて、俺は正直気持ち悪くて仕方なかった。


 周囲のエルフたちを見た後に、仲間を見る。造形的なバランスで負けても、やはりこちらの方が美しいと感じられた。セーラだってエルフのはずだが、顔はやはり個性的だ。もしかしたら先祖にいくらか別の血が混じっているのかもしれない。


「……? どったの、カトーさん」


 フレイが俺の視線に気づいて尋ねてきた。俺は何でもないように答える。


「いや、やっぱり皆の方が可愛いと思ってな。リーダーとして、引き抜きに気をつけないといけないな、と思っていた所だ」


「ぁう……」


 フレイが顔を赤らめた。ルシアもだ。セーラは「エヘヘ……」と顔を緩めていた。もしかして、嬉しかったか? こんな俺でも気の利いた事を言えたらしい。良かった。昔、家で飼っていたメスのインコに「Pちゃんは可愛いな」と褒めたら怒って『スクワット300回!』と命令してきたからな。しゃべらないハズのメスのインコに怒鳴られ驚愕、思わず言う通りにスクワットをしてしまったのは今でもよく覚えている。あれ以来、女性を褒めるのが怖かったりしたのだが、今回は上手くいったようだ。


「あのエルフ狩り発言の後だと、本当に引き抜きが起きたらどうしようってビクビクしちゃうけどね」


 リリーだけは苦笑いしていた。








 さて、エルフの青年に案内されるがままに歩き続ける事約10分。地面が土から玉砂利に変わり、大きな鳥居も見えて来た。本格的に神社といった雰囲気であり、鳥居を境に何やら結界が張られている事に気づく。抵抗感が無いから、俺たちに害があるわけではないらしい。青年は鳥居をくぐってすぐ傍にある小さな建物に俺たちを案内する。


「ここは手水舎と言います。この先に進む前に、ここで手と口を清めて下さい」


 本格的に神社だな。

 さては大昔にここに来たマレビトで、日本文化を再現しようとした奴がいたな? でなきゃこの再現率はおかしい。


 青年はほくそ笑んでいた。どうやら作法などこちらが知らないだろうと思ってバカにしているらしい。残念だったな、俺の家は根っからの神道で母の実家は宮大工だ。俺自身も一般的な神道知識は心得てるんだよ。


「みんな、俺が今から見本を見せるから真似してくれ」


 手水舎。よく水飲み場と勘違いされる、柄杓の置いてある建物と言えば日本人ならすぐに思い浮かべられる建物だ。俺は軽く一度手を叩いてから柄杓を手に取り、ショボショボと竹製っぽい水道から流れ落ちる水で柄杓を満たす。その水で左手を清め、次に右手を清め。左手に水を少し移して口に運び、それで口をすすぐ。最後に柄杓を縦にして残った水を手元に流し、柄杓の柄を清めて終了。柄杓を元の位置に戻してから軽くもう一度手を叩き、一礼して場を離れた。


……これが、いわゆる『手水を取る』という行為になる。一般的な神主になるとこれをほんの数秒でやるらしいが、俺はそこまで慣れていないし今回は見本だ。ゆっくりとやった。どうやらこの作法はこちらでもそのまま通じるらしく、青年は驚いたような顔で俺を見ている。悪いな、俺一人ならいくらでもバカにしてくれて構わんが、仲間がバカにされるのは我慢ならないんだ。作法はきっちりとさせてもらう。


 セーラやリリーの横について、先ほどの作法を一緒になってやってみせる。ぎこちないながらなんとかこなして行くと、最後に手水を取ったルシアが不思議そうに尋ねてきた。


「……よく古代エルフの宗教作法なんて知ってましたね。カトーさんって無宗教じゃなかったんですか?」


「ああ、俺自身は特定の宗派に属していないよ。ただ死んだ母が詳しくてね。知識としては子供の頃からあったんだ。こんな立派な神社なんて無かったから、この作法で果たして通用するのか心配だったんだけど」


 最後にちょっと持ち上げると、気を良くしたのか青年が笑顔で話に乗ってくる。


「いえ、見事でしたよ。初めと終わりできちんと柏手を打つ方はエルフにも少ないのです。一般人の間では、どうしても作法は簡略化されますから。あなたのお母様はよほどしっかりとした方だったのでしょう。他種族の方たちの間でも私たちの信仰が正しく息づいていると思うと、非常に喜ばしいですね」

 どうやらとても好印象のようだ。これはアレだな、フランス人に近い感覚だな。あの連中、初め英語を話した時とか凄く態度が悪いのに、こっちがフランス語に切り替えると一気に態度が友好的になるんだよ。今の彼の反応は、そんなフランス人たちにとてもよく似ていた。プライドがやけに高くて鬱陶しいタイプだ。


 うん、シマ君の言う通りだな。俺もこの村は嫌いだ、仕事以外で来る事は無いだろう。きっと。





 適当に機嫌を取った所で、俺たちはやっと依頼人の住む屋敷へと通された。デカい。昔は田舎に行けばこうしたバカデカい平屋建てが珍しくなかったらしいが、俺がこうした建物を実際に目にするのは初めてだ。異世界に来て古式ゆかしい日本家屋を初めて見るというのは何とも奇妙な感覚である。


 そして、日本にいた頃のように玄関で靴を脱ぎスリッパに履き替えて奥へと進むと、『宮司室』と行書で書かれた木札が掛けられた部屋が現れた。


「ここが村長兼宮司であるミシェル・シェンケル様の部屋となります。くれぐれも、粗相の無いように」


 そう言って小さくお辞儀すると、青年は「冒険者の方々をお連れしました」と部屋の向こうに声をかける。するとすぐさま、神経質そうな声で返事が返って来た。


「ご苦労。お通ししなさい」


「はっ」


 障子戸が引かれ、その向こうに神社に似つかわしく無い、紅色の絨毯の引かれた書斎のような部屋が現れる。高級そうなソファーに座っていたのは、白地に紋の入った袴を身につけた初老のエルフだった。





 ただ……



 その姿を見た途端、俺たち全員が一瞬固まったのは無理の無い事だろう。俺は心の中でこんな事を考えていた。




 キウリの森、カパマーキ村。


 何を思って先祖たちがその名前をつけたのかは分からない。ただ一つ言える事、それは……




 その頭はきっと運命だったのだろう。





 俺は心の中で合掌した。









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