エルフの森 連続ツルツル事件(二)
俺は一生『育毛剤』と縁の無い生活を送るだろう。以前の俺は頑なにそう信じていた。
そもそもが女にモテない俺である。髪の毛をどういじくろうが「存在そのものが恐怖」と陰口を叩かれていた俺がカッコイイなどと言われるわけもなく。レスリング部をやめた後も特に髪の毛に気を使う事などしなかった。むしろ毎月のように行かなければならない理髪店の料金が鬱陶しく、いっそこのまま伸びなければいいのにと思っていたものだ。
そんな俺だから、抜け毛を気にして頭をトントン叩いたり、育毛剤を塗り込んで鏡とにらめっこしている連中の気持ちがまるで分からない。別にそのままハゲさせときゃいいのに、と思ってしまう。もし俺がハゲかけて来たら、思い切ってツルっと剃ってしまうだろう。実際、最後の欧州出張で円形ハゲが出来た時は「みっともない」と思って全部剃ったからな。しかしそんな風に考えるのは少数だったらしく、俺の尊敬する副島さんでさえカツラを装着してハゲを隠していた。朝礼の真っ只中、空を舞うカツラを見た時、滑稽さや可笑しさの中に一抹の寂しさを感じたのをよく覚えている。
そんな俺が『育毛剤』のお世話になっている。世の中、何が起きるか本当に分からないものだ。
キスクワードがくれた育毛剤『超高級毛生え薬フサフサーノX』は、こちらの想像を遥かに凌駕する効果を発揮した。塗った途端に頭皮がムズムズとし始め、毛穴という毛穴が痛みに似た熱を持ち、次の瞬間怒涛の勢いで毛が伸び始めたのだ。それは楽しそうに薬を塗っていたリリーたちがひっくり返るくらいの異様さ。一人遠巻きに見ていたルシアが急いで水で洗い流してくれたから途中で止まってくれたが、あのまま伸び続けていたらどうなっていたか分からない。『怒髪天を突く』を物理的に可能にしてしまうくらい伸びていた可能性もある。
とにかく、有り得ないくらいに髪の毛は伸びた。これで囮役はバッチリこなせそうだ。凄まじいボリュームになってしまった髪をなんとかフードの中にしまうと、俺たちは依頼人の待つキウリの森へと向かった。キウリの森は以前仕事をしたキャロの森の少し西にあるらしい。距離としてはそんなに遠くないので、今回は徒歩で向かう事にした。
「そろそろ、フードを取っても大丈夫じゃないですか」
フォーリード西門を出てしばらくしてから、ルシアがそう言って俺の頭を見た。街の人たちをビックリさせない為……というよりこれ以上変な噂が立たないようにする為に頭を隠していたのだが、確かに人気の無い草原なら隠す必要も無いだろう。俺は勢い良くフードを取り払った。途端にボワサッと音を立てて飛び出す髪の毛。
「ふう……。蒸れて暑苦しかったが、今は風が通り抜けて気持ち良い」
手鏡が無いのでよくわからないんだが、今の俺の髪型は全方向に満遍なく伸びた『ボンバーヘッド』らしい。本来ならばそうした髪型は、パーマをかけたようなモジャモジャヘアーによって形状が維持されるものだが、俺のは違う。ストレートヘアーが硬く、重力に逆らって真っすぐ伸びようとしているのだ。フードを外した途端にまたピンと真っすぐになり、多分その姿は『ウニ』に近いんじゃないかと思う。モテるモテないとかいう以前に、これは本当に髪の毛だろうかと疑いたくなってきた。
剛毛? いや、豪毛……俺にとってはむしろ拷問に近い。
「くっ……くははははっ! あはははは、カトさん凄い、あははははははは!!」
「刺さる、これは何か刺さるよ、アハハハハハハ!」
リリーとフレイが酷い。ルシアも笑いをこらえるので必死らしい。いや君が取れって言ったんじゃないか、そのリアクションは無いだろう。
そんな中、セーラは優しく微笑んでいた。優しく優しく、ただ優しい笑顔。ああセーラ、やっぱり君は俺の女神だよ。いつだって俺の味方なんだ。
「カトーさん……ちょっとお願いがあるんですけど、いいですか?」
「なんだ? セーラの頼み事なら何でも聞いてやるぞ」
「えっと……じゃあ、編ませて下さい!」
「勿論構わないぞ。幾らでも編ま……ん?」
「ありがとうございます、じゃあちょっと座って下さいね!」
「いや、あの……んん?」
どういう事だ?
手際良くピクニック用のシートを取り出し地面に敷くセーラ。笑いながら手伝うリリーたち。あれよあれよという間に準備は整って、それからしばらく女性陣による編み物大会が繰り広げられる事になった。……俺の頭で。いや、あの、どういう展開なんだコレ。
結局それから一時間もの間編み物は続けられ、完成した俺の頭は不思議な事になってしまった。
まぁ、アレだ。
ドレッドヘアーになり損ねた何かが乱立する、前衛的な生け花みたいな感じだ。
満足げなセーラたちには悪いが、明らかに失敗作としか思えなかった。雰囲気を考えたら絶対口に出せないけどさ、人の頭で遊ぶのはやめて欲しい。編まれてる間は手の感触とかがちょっと気持ち良かったけどな。
さて、珍妙な頭となった俺とセーラたちは依頼人の待つキウリの森へと移動を再開した。西の森林地帯はエルフ、兎人族、妖精といった『森の民』と呼ばれる連中が主に活動するエリア。そこかしこに『迷いの結界』が張られており、普通に歩いていたらいつの間にか森の外に抜けてしまったり、最悪は迷い続けて行き倒れになる事もあるらしい。ルシアやフレイといった、ある程度経験のある冒険者にはこの森を苦手としている人が多いのだと言う。
「現実問題として、食料や水が足りなくなったり病気になったりするととても危険なんですよ。迷いの結界が無くても、充分迷いやすい所ですから。抜け出せないまま亡くなる方が結構多いんです」
「木の形をしたモンスターも多いんだけどさ、木を道しるべにしてたら動き回るからすぐわけわかんなくなる。だから魔法を使えない人は方位磁石と地形の起伏だけを頼りにしないといけないから大変だよ。そんな所でモンスターと戦ってたりしたら、すぐ頭の中がパニックになって簡単に迷っちゃうよね」
なるほどなぁ。
二人の話を聞いてると、リリーも不安そうな顔をして話に加わる。
「お母さんから聞いたんだけどさ。毒の霧がたまる場所があって、知らずにそれを吸って死んじゃう人もいるんだって。だから冒険者になるって決めた時に、なるべく経験のある人と一緒じゃないと森での仕事は受けない方が良いって言われた」
それは……あれだな、毒ガスの事だろうな。窪地にガスがたまって、迷い込んだ登山者がそれを吸って死亡、なんて話をよく聞く。この国は縦に細長いバナナのような形をしていて、隣国との国境の殆どを山脈で区切っている。例外がこの南部の森らしいが、山岳地帯の一部である以上火山活動帯である可能性も高いし、そうしたガスが噴き出る場所があっても不思議ではない。
「森での経験なら、やはり冒険者としてのキャリアが長いフレイが一番か……。あ、そう言えばセーラはどうなんだ?」
「うーん……」
少し困ったような顔をするセーラ。
「私がいたのは小さな森でしたし、そうした危険は無かったのでよく分かりません。木こりの仕事をしていた時は色んな森に行きましたけど、森の奥に行く事はありませんでしたね。ボンゾさんが居れば良かったんですが……」
つまり俺たちは森初心者の集まりみたいな物らしい。確かに経験豊富なボンゾの存在は大きかったかもしれないな、彼のおかげで俺とセーラは安心して森で仕事をしたり戦ったり出来ていたから。しかしまぁ、キャロの森での仕事経験もあるし。俺とセーラだってズブの素人と言う訳じゃない。食料は沢山ストックがあるし、水の心配も魔法のおかげで無いのだから大丈夫だろう。ガスを吸ってもこの世界ならウォーターキュアで回復出来るだろうし、その気になれば空を飛んで街に戻れる。そこまで心配する必要は無いと思う。
「依頼人の居る村についたら、危険な場所や毒霧の出るポイントをあらかじめ教えてもらっておいた方が良いな。まぁ、迷ったとしても食料や水に関しては心配しなくて良い。特に食料だが、俺は常に二週間分の食料をアイテムボックスに入れてあるから」
そう言うと、セーラを除いた女性陣は驚いて目を丸くする。実は焼きたてのパンやホテルで売られている弁当、鮮魚市のある広場で売られていた焼き魚など、目についた美味しそうな物を手当たり次第に買ってストックしてあるのだ。今や俺のアイテムボックスはちょっとしたスーパーのように品揃えが豊富だったりする。
「昨日もモーモー鳥の丸焼きとかいう楽しそうな料理を見つけて衝動買いしてしまった。丸々ストックしてあるから、今日の昼飯にでも食べるか?」
「……カトさんが居ればどこでだって生活していけそうな気がする」
「リリ姉に同意。毎回それは感じてる」
「今までの私たちの苦労って、何だったんだろう」
「丸焼き……」
最後のつぶやきは勿論セーラだ。
とにかく、食料事情での心配はしなくて良いという事でみんなの表情は幾分明るくなったようだ。他にもタオルや寝袋、テントも沢山買ってあるし、どんな状況にも対応出来るだけの準備はしてある。リーダーとしてやれるだけの事はやってきたつもりだ。
しばらくアイテムボックスの中身について話をしながら、俺たちは目的地へと歩みを進めて行った。
さて、森である。
フォーリードから森の間はせいぜい2km程度で、少し歩けばすぐにたどり着いてしまえる距離である。が、前回は依頼人のウサミーミさんが出迎えてくれたものの今回は出迎えナシ。自力でキウリの森のカパマーキ村へとたどり着かなければならない。ローランドにも確認したが、自力でたどり着くだけの実力が無ければ仕事は任せられないのだとか。……なんとも不思議な依頼人である。
うっそうとした森を前にして、フレイが俺に困った顔で尋ねる。
「どうやってカパマーキ村を探すの? カトーさんなら索敵スキルで味方のマークが固まってる所を探すとか?」
「いや、それだと結界に阻まれて見つからないと思う。それよりも、やはり知ってる人に聞くのが一番だろう」
「知ってる人?」
不思議そうに首を傾げるフレイに、俺はアイテムボックスから取り出した小さなアミュレットを見せる。首から下げるロザリオのような形をしたそのアミュレットは、以前キャロの森で仕事をした際にもらったものだった。一緒に仕事をしたセーラはすぐに気づいて笑顔になる。
「それは苺将軍さんにもらったアミュレットですね! じゃあ、目的地の事も苺将軍さんに?」
「ああ。このアミュレットがあればキャロット村へ迷わずたどり着けるらしい。キャロット村の住人なら、隣の森の村の場所くらい知ってるだろう。もし可能ならモッサンに関する情報も集められるかな、と」
苺将軍からもらったアミュレット。まさかこんな形で使う事になるとは思わなかった。
俺は以前苺将軍がゲートを開いた森の入り口付近でアミュレットをかざす。使い方は分からないが、多分これで何かしらの変化が起こる筈だ。そう信じて待っていると、目の前の空間がゆっくりと揺らぎだした。
「カトーさん、なんか揺れてる! 景色揺れてるよ!」
すぐさまフレイが反応。本当に目が良いんだなぁ。
「これは……転移ゲート? こんな何も無い場所でどうやって……」
ルシアが何やらつぶやいているが、俺にだって仕組みは分からない。
アミュレットをかざして数十秒、一際大きく空間が揺らぐと、その空間には先ほどまでとは全く違う景色が映っていた。深い森の奥に建てられた小さな家。恐らくキャロット村のどこかだ。
「俺が空間を繋げたままにしておくから、怖がらずに皆は向こうの景色を目掛けて歩いて行ってくれ。皆が行ったら、俺も後に続く」
恐る恐る、という感じで歩いて行くフレイとリリー。ルシアも困惑気味ながら、言われた通りに歩いて行く。俺を信じているセーラは何の不安も感じていないようだが、何だかとても楽しそうなのは何故だろう。
「カトーさん」
途中で振り返ってセーラは言う。
「何だか今日は良い事がありそうな、そんな気がするんです」
「そうか。セーラがそう言うなら、本当に良い事があるかもしれないな」
そう返すとセーラはとびきりの笑顔になって頷き、ゲートをくぐって行った。
……ふむ。
直感スキルが何かを感じとっているのかもしれない。何にせよ、悪い事は起きなさそうだから深く気にする事はないだろう。
皆が転移したのを確認してから、俺も空間の揺らぎへと身を踊らせた。
転移ゲートを抜けた先は、深い森の中に建つ一軒の小屋の前だった。見渡す限り、建物はそれしか無い。はて、ここはキャロット村ではないのだろうかと首を傾げる俺。セーラたちも辺りを見渡して不思議そうな顔をしている。
とりあえず俺は小屋の戸をノックした。農機具でも置いてそうな、果たして人が住んでいるか怪しい建物ではあるが、それでも人の気配はするのだ。挨拶をして、この場所が何処なのか聞いてみようと思っていた。
トントン、と軽く叩いてみる。するとすぐに引き戸がギギッという音を立てて開いたのだが……
いない。
誰もいな……
『誰やねん、こんな場所に……って、おわあっ!? なんでこっちに来んねん、急展開すぎる!! つーかなんちゅう頭しとんねや、かぶき過ぎやろ!?』
いきなり足元で大きな声がした。見るとそこには、子猫と言っていいくらいに小さな白い猫が。大きく目を見開いてこちらを見ていたのだ。ううむ、さすがファンタジー。猫だって喋るようだ。
「いきなり尋ねてすまない。以前キャロット村の住人にもらったアミュレットを使ってみたんだが、村につかずにこの建物の前に出てしまったんだ。出来れば村への道を教えて欲しいんだが……」
俺がなるべく怖がらせないように言うと、なんとか落ち着いてきたのか猫は耳を伏せながらも姿勢を正して俺を見据えた。
『……キャロット村の住人っちゅうかカグヤか苺やろ、そのアミュレットくれたんは。どんな使い方したらここにたどり着くんか知らんけど、まぁこの際どうでもええ。とりあえず苺は居らんで、カグヤもな』
苺……苺将軍の事だろう。どうやら猫は彼女の知り合いらしい。カグヤという人物は知らないが、きっとこの小屋で一緒に住んでいるのだろう。二人で住むにはちょっと小さいような気もするが、そこはあまり触れない方が良いかもしれない。なんとなくそんな気がした。
『キャロット村はここから南へ200メートルも行った所や。けど自分、目的地はそこやないやろ? カパマーキ村ならそこから西に1kmっちゅう感じやで』
「……よく知ってるな」
『最近仕事の依頼を受けに行って迷う連中が多いからな、ようここらへんにも迷い込んで来るんよ。ほんまにあの村の連中は意地の悪い奴ばかりや』
どうもカパマーキ村の人間に良い印象を持っていないらしく、苛立ち混じりでそんな事を言う猫。しかし場所を教えてくれたのはありがたい。ここに来た甲斐があったというものだ。
「教えてくれてありがとう。……苺将軍に挨拶がしたかったんだが、不在という事なら出直すよ。申し訳ないが、もし良かったら彼女によろしく伝えてもらえないかな。仕事を終えたら、また寄らせてもらうよ」
そう言伝を頼んで、俺は猫に頭を下げる。すると猫はじっとこちらを見つめてから、何を思ったのか『ちょいそこで待っててや』と言い残して小屋の奥へと歩いて行った。はて、どうしたんだろう。待てと言われれば待てるが、一体何の用があるんだろうな。後ろでは喋る猫に興奮してリリーたちが楽しそうに話をしていた。その話を聞きながら、俺はしばらくぼんやりと猫が戻るのを待つのだった。
◆◆◆◆◆◆◆
小屋の奥。小綺麗にされた部屋のベッドで、眠そうな顔をした女性が横になっている。ゆったりとした寝間着に身を包んでいるが、それは間違いなく赤毛の兎人族のプレストであった。彼女は飛び込んで来た猫妖精に笑顔を見せながら、気だるい声で話しかける。
「聞いてたよ。予想外の展開でびっくりだね」
『意味不明や。なんでキャロット村の結界破りを使ってこっちに転移して来んねん。バグっとるで、あの兄さん』
「多分……間違えて転移魔法を組み込んだアミュレットでもあげたんじゃないかな。座標をこの小屋にして。苺はどうやらポカミスをよくする性格のようだから」
『ポカミスて……
で、どないすんの? プレストはんは「おねむ」みたいやけど、次に目ぇ覚めるんは苺やろか』
「いや……」
プレストは窓から空を眺める。木々の間からはどんよりとした雲が見えた。どうやら一雨きそうである。
「カグヤだね。苺はまだ眠ったままだと思う」
『あっちゃー……よりにもよってあのうるさいお嬢かいな。アカンわ、俺はそろそろ退散する』
うんざりした顔をしながらうなだれる猫妖精。しかしすぐにプレストを見上げると、ニヤリと口元を曲げてみせた。
『ちゅう事で、俺はあの兄さんと一緒にハゲ共をからかいに行って来るわ』
「……おや。君はカトー君を警戒していたように記憶してるけど、どんな風の吹き回しだい?」
『いやまぁ、なんちゅうか。話してみたら結構マトモやったからな、なんか興味わいてきた。どうせ暇やし、ちょい付き合って来ようかと。ほな行ってくるわ』
言いながら、軽快にトットットと歩いて行く猫妖精。プレストは苦笑いしながらその背中を見送る。猫妖精は戸の手前まで行ってから一度こちらを振り返り、小さくニャアと鳴いた。
「いってらっしゃい。土産話を期待してるよ」
その言葉に満足したのだろうか。猫妖精はもう一度ニャアと鳴いてから、引き戸を開けて外で待つカトーのもとへと歩いて行った。プレストはそれを笑顔で見送ってから、重いまぶたを力無く閉じる。ベッドに横になりながら、鈍重になる思考の中でこんな事を考えていた。
(今寝たら、次に目覚めるのはいつになるんだろう。猫君の土産話を、果たしてボク自身は聞く事が出来るのかな)
遠くで微かに雨粒の、草木を叩く音が聞こえたような気がした。プレストはゆっくりと意識を手放しながら、その音に身を委ねるのだった。
 




