セーラの耳掃除とサディストの暗躍
突然だが、俺は耳掃除について多少のこだわりを持っている。日本にいた頃は一本七千円の特注耳かきを五本所持し、それらを駆使して耳の中をくまなく掃除したものだ。時に血が出るくらいまでほじくり返し、その瘡蓋をまた剥がして血を出すというループにハマったのは良い思い出だ。そんな耳かきにどっぷりハマってしまった切っ掛けと言えば、それは耳鼻科の先生の神業の如き耳掃除であった。
それは高校生の頃、部活をしていて耳に擦り傷をしてしまった時の事だ。当時の俺は自分の事に鈍感で、多少の擦り傷などツバでもつけときゃすぐ治るという考え方をしていた。実際怪我の治りは早い方だったので、その時もすぐに治ると思っていたのだ。しかし予想に反して耳の傷は悪化、奇妙な形に膨らみ熱を持ち始めた。寝る時などは枕に擦れて痛み、だんだん睡眠を取るのも困難になり始めた頃、母親に無理やり病院に連れて行かれて危険な状態だった事が発覚する。耳の中の毛細血管が破裂して血が溜まっていた事に加えて、外側からの傷で雑菌が入り、血膿となっていたのだ。
耳鼻科で血膿を抜き取って治療をしてもらった俺は、それからしばらく部活で別メニューを組む事になった。また身辺を清潔に保つ事を心がけ、特にベッド周りは毎日のように掃除をする事になる。死んでこちらの世界に来てもその習慣は続いているから、ちょっとトラウマになってるのかもしれない。とにかく、俺はそれまで以上に自分の身体を気にかけるようになった。
耳鼻科へは定期的に通い続けた。術後の経過を診てもらう事に加えて、その病院ではサービスなのか耳掃除をしてくれたのだが、これが余りに気持ち良くて虜になってしまったのだ。とにかく馬鹿デカい耳垢が取れる取れる。それまでの自分が、どれだけ適当な耳掃除をしていたかが良く分かる取れっぷりだった。検査の度に耳掃除をしてくれる上に医療行為に入るから保険もきいて安い。これはハマらない方がおかしかった。結局大学進学で地元を離れるまで、俺の耳鼻科通いは続く事になる。そして耳掃除の快感を忘れられない俺は自分でも耳掃除にこだわり始め、ついに耳かきを特注するまでになった。
だからこそ耳掃除は素人に任せるものではなく、専門家がいないのであれば自分でやるものだ、という考えが俺にはある。あるのだが、その信念を曲げなければならない時が来た。セーラだ。セーラが「カトーさん、耳掃除しましょう」と言い出したのだ。そして太ももをポンポンと叩いて俺をいざなったのだ。これは曲げざるを得ない。
「セーラ、耳掃除なら自分で出来るんだが」
「でも自分だけじゃ気づかない所に耳垢があったりしますし、誰かに掃除して貰った方が絶対良いですよ。大丈夫、フレイさんやルシアさんの話では私は上手らしいので、カトーさんの耳も綺麗に掃除出来ると思います」
「……そうか」
セーラのにこやかな表情に完敗した俺は、結局耳掃除をしてもらう事にした。しかしなぁ……もし手元が狂ったりしたらどうしよう、という不安がある。医者以外に自分の耳を任せるのはドキドキものなのだ。
ちなみに、セーラはとても危険なスキルを新たに身につけている。それは『防御力無効攻撃(発動確率:中)』。本来であれば余程の怪力の攻撃でしか傷をつけられない俺を時折締め落とせていたのは、どうやらこのスキルのせいらしいのだ。本人もいつこのスキルを身につけたのか分からないという。そんなセーラの耳掃除。恐ろしく思えても仕方ないだろう。
しかし俺は耳掃除をしてもらう事に決めた。特注耳かきが無い今、確かに耳掃除はおろそかになっていたのだ。セーラの器用さを信じ、俺は彼女の太ももにダイブする。しかし間違っても恋人としてのイチャイチャ行為はしない。命に関わるからな。
「では、行きますよー」
「来い。覚悟は出来ている」
バクバクと心臓が鳴る。横目で見ると、銀色に光る細い棒を手にしたセーラ。この世界の耳かきは基本的に鉄製だが、この耳かきはボンゾが遊びで作ったミスリル銀の耳かきなのだ。下手な槍より殺傷能力はあるだろうし、そんな物を持った上で手元が狂いスキルが発動するなんて事になれば軽く死ねる。今日ほどボンゾを恨んだ日は無かった。
しょわっ……
耳の中に耳かきが入った。ゴソゴソという音が耳の中に響き渡り、骨伝導で頭の中をも駆け巡る。怖い。怖いが耳鼻科で耳掃除をしてもらった時を思い出して期待している自分もいる。複雑だ。
「カトーさん、耳掃除サボってましたね? 結構凄い事になってますよ」
「すまない。取れそうか?」
「勿論です。取り甲斐がありますね、この耳は……」
セーラの目がギラリと輝いたような気がした。
しょわしょわ……
ぐっ
べりべり
「ぬおっ!?」
「動かないで下さいね」
しょわあぁぁ……
耳の壁に沿って耳かきが引き抜かれる。ハンカチの上に乗せられたのは、驚くほど大きな耳垢だった。
「まず手前のちょっと大きなのを取りました」
「いやかなり馬鹿デカいんだが……これが一番じゃないのか」
「奥にもっと大きなのがありますよ。それは後でピンセットで取りますから」
そう言って取り出して見せたのはまたもミスリル銀製。ボンゾ、遊びすぎだ。
耳かきがまた耳の中に入る。しょわしょわという音が響き渡った。この柔らかな音とくすぐったくなる感触が、なんとも眠気を誘う。
しょわ、しょわ
ゴソゴソ……
ごしゅごしゅごしゅ
ベリベリベリッ
「うぉぅっ!?」
「動かないで下さいね」
またしても大物だ。一体俺の耳の中はどうなってやがる、穴が塞がってやしないだろうな。
しかしセーラの腕前はこれで証明された。上手いわ、本当に。今まで気づけなかったが、俺の耳は随分とゴミゴミしていたらしい。セーラの掃除によって周囲の音がやけにクリアに聴こえるようになり、その事に気づいた。
そのせいか、部屋の外、誰かがこそこそと喋る音も良く聞こえてくる。
『入り辛いんだけど。カトさんの変な声聞こえて凄く入り辛いんだけど』
『リリ姉。別にやらしい事してるわけじゃないし、構わず入ればいいじゃん』
『でも私も甘い空気に耐えられるか、ちょっと心配かなー……』
三人だ。それも良く知る声だった。これは歓迎せざるを得ない。
「カモオォォォォォンッッッ!!」
ビシッ!
「動かないで下さいね」
「お、おう……」
怒られた。側頭部へのチョップでHPを15も削られている。明らかにスキルを発動していた。
俺の声を聞いて恐る恐る部屋へと入ってくる三人娘。リリー、フレイ、ルシアである。三人はベッドの上の俺とセーラを見て一瞬呆然。そしてすぐに納得の顔になった。
「カトさんが変な声出すのも分かるよ。私も出したし」
「いいな、いいな! セーにゃん、次私!」
「前回の耳掃除から約一週間……私もまたやって貰いたいかも」
どうやら経験済みらしい。フレイなんてセーラの呼称が変わってるし、どうやら仲の良さはグレードアップしているようだった。しかしセーにゃんか……セーにゃん。いいな、セーにゃん。でも俺はさすがに恥ずかしくて言えない。
「セーラの腕前には驚いているよ。結構本格的で、本当に隅々まで綺麗になる感じだ」
「カトーさん、片方終わりました。頭の向きを変えて下さい」
「……はい」
集中し出すと周りが見えなくなるようだ。甘さのかけらも無く、なんだか仕事に打ち込む職人のような目つきで指示を出すセーラ。いや嬉しいんだが、心のどこかでは甘い空気を求めていたりする俺。ちょっと寂しかった。
指示通りに向きを変える俺。ルシアたちに背を向ける事になってしまったが仕方ない。そのままの体勢で、俺は話を続けた。
「それにしても皆遊びに行ったりしなくて良いのか? せっかく給料が入ったのに。フレイなんかかなりのボーナスをもらったんだから、美味しい物でも食べに行くとかすれば良いのに」
「あー……何というか、そのせいもあって出るのが面倒というか。なんかもう休み中ずっとホテルでいいやとか思ってる」
恐らく苦笑いでも浮かべてるのだろう、なんとも言えない感情の込められた言葉だった。彼女は今、フォーリードで一、二を争うくらいに注目を集めている冒険者の一人である。きっと周囲の視線が煩わしいのだろう。この3日間、彼女はホテルの外に出れないでいる。
そう、3日。セーラたちが仕事から帰って来てから数えると4日間が経過している。そしてその間、色んな事があった。
先ずフレイが今のようになってしまった原因、ゴールデンフォックス討伐認定証と表彰式の件から説明しよう。本来であればギルド職員がクランハウスに来て簡単に済ます事になっていたのだが、急遽ギルドにて表彰式が行われる事になってしまった。これには理由がある。そしてその理由には俺が関わっていたりするのだ。
トレット村でのイカ騒動で俺はブラッディダゴンを倒した。これにより海は平和を取り戻し、滞っていた海の物流が回復したのだが、同時に沢山の人が海を渡ってフォーリードへとやって来る事になった。以前、盗賊騒動の時にギルドが所属冒険者に召集をかけた事があったが、足止めを食らっていた海の向こうの冒険者たちもこの流れに乗って街にやって来る。彼らが先ず街に入ってから行ったのは、現在どれだけの仕事があるか。そして最近討伐されたモンスターリストのチェックだった。
フレイは一躍有名となった。ギルドへの問い合わせも殺到した。フレイの所属クランとそのバックにいるヴァンドーム家の存在を知ると勧誘目的の問い合わせは減ったが、純粋に一目見てみたいという高ランク冒険者もおり、そうした連中を落ち着かせる為にギルドは大々的な表彰式を行う事にしたのだ。フレイは多少騒ぎになるのは覚悟していたが、ここまでの騒ぎとなるとは思っていなかったらしくかなり動揺していた。それでも表彰式に出る事にしたのは、同時に俺の救助活動とブラッディダゴン討伐の表彰式も同時に行う事になったからだった。注目を多少分散させようという意図がギルド側にあったのかは分からないが、結果的にフレイの負担は多少軽減された。
その表彰式が終わってから、しばらく色んな冒険者がクランハウスへやってきて挨拶に来た。もはや仕事どころではない、という事でBチームは休日を伸ばす事に決定。クロスも奥さんたちの仕事に付き合うとかで冒険者としての活動を少し休む事に。ボンゾは長旅をしてきた冒険者たちから武器の修復依頼が殺到して店を空けられないと言い、結局クランは活動休止状態になった。
元々冒険者を副業としていた人間が多かっただけに、こういう事になったりする。リリーにしても実家の花屋の手伝いが出来るなら嬉しい、というから実質専業冒険者は俺、セーラ、フレイの三人だけ。こうして見るとまだまだ規模としては小さいクランなのだと実感する。そしてそんな専業三人は延びた休日をそれぞれ満喫しようとしたのだが……
冒険者たちからの視線が鬱陶しくてウンザリしていた。
冒険者からの勧誘は無い。前述の通り、この街で最高レベルの待遇を受けている人間を引き抜けるクランなどこの街には存在しない。まして俺などはクラン名に名前がついているのだ、絶対に引き抜けないと判断するのが普通だ。
ただ、冒険者なのか分からない人間は何人か声をかけてきた。俺の場合はその殆どが品の無い女だったが、「悪いが君には興味すら持てない」というと皆怒って帰って行った。フレイも軟派されたらしいが「試し撃ちの的になってくれたら考えてもいいかな」と言って追い返したという。俺も酷いが、フレイはもっと酷いと思う。ちなみにセーラはそうした誘いを全く受けていない。嫌な予感がする、と言ってそうした人間のいる場所を避けるように行動していたからだ。直感スキルはやはり便利である。
声はかけられなくなった。しかし視線は向けられる。その視線にしても尊敬や憧れならまだ気分は良いが、どう見てもそんな明るい雰囲気ではない。懐疑的な視線、妬むような視線ばかりだ。本当にこんなヤツに表彰されるような事が出来たのか、こんな若造が大金持ちやがってチクショウ、という気持ちがそのまま顔にも表れている。それは中級冒険者の利用するグランドホテル・フォーリードの客も同様であり、俺たちはなんとも気分の悪い、窮屈な思いをしていた。だから今日もこうしてホテルの部屋で過ごしている。食事もルームサービスで、なるべくフレイやルシアも呼んで一緒に食べていた。
「なあ。良かったらホテルを変えないか。ホテル・ヴァンドームならこうした煩わしさも無いだろうし、今よりは気分良くすごせるだろう」
俺はそう提案するが、フレイやルシアは「うーん」と唸って考え込む。やはりあっちは値段がネックとなってくるんだろうな。しかしなぁ。俺一人ならこんな視線など何とも思わないが、女の子にはキツいだろう。既にそれなりに強くなって大抵の男にも勝てるようになった女性陣。しかし心はまだそこまで強くないのでは、と俺は心配してしまうのだ。
その時。しばらく黙っていたセーラが口を開いた。
「はい、耳掃除おしまい。……あの、一つ提案があるんですが良いですか?」
耳がやけにクリアになっていた。素晴らしい。凄まじいスッキリ具合だ、今こそ『耳かっぽじって良く聞く』を体現する時!
「なんだ? 意見があるなら遠慮なく言ってくれ」
「では……」
コホン、一つ咳払いをしてから続ける。
「もし良かったら、皆で一緒に住めるような大きな家を借りませんか?」
………。
……みんなで?
「セーにゃん、それは素晴らしいアイデア! 仕事の無い日は『セーにゃん飯』が食べられるってわけだね!」
セーにゃん飯……?
「私、あの仕事で本格的にお料理してみたいなって思ったんですよ。それに皆で考えたご飯を、カトーさんにも食べてもらいたいなって。今お料理作ろうと思ったら厨房を借りに行くかボンゾさんの家に行くしかないので、自由になる台所が欲しかったんですよ」
ふむ……。
以前俺が新居の話をした時は乗り気じゃなかったセーラだが、どうやら前回の仕事で考え方が変わったらしい。二人きりの時間が減るのは少し残念だが、皆で楽しく過ごすのも悪くないかもれないな。
「みんなが賛成なら、それも構わないよ。フレイは賛成みたいだが、リリーは……自宅があるか。ルシアはどうだ?」
叔父が同じ街に居る以上、そっちに行くのが自然だろうけど。ルシアの場合はいまいちよく分からないんだよな、前からずっとホテル住まいだったようだから。ひょっとしたらホテルで生活するのが好きなのかもしれない。
「えっと……お邪魔でないなら、一緒が良いです」
なぜか遠慮がちなルシア。そもそも邪魔なのは妙な視線を向けてくる連中であってルシアではない。そう言うと、ルシアは何やら俯いてフレイはケラケラ笑う。リリーは呆れ、セーラは微笑んでいた。……もしやアレか? ルシアは俺が、同居人がいても夜中にセーラと官能的な時間を過ごすとでも思っているのか? それで音が聞こえて気まずい事になるんじゃないか、と。甘いなルシア。この街にはいわゆるラブホテルらしき物も存在する。『やめ亭』だ。ちゃんとそっちを利用するから心配なんてしなくて良いんだぞ。
「ではとりあえずこのメンツで借家を探すか。一応ローランドを通してキスクワードにも報告しよう。もしかしたら良い物件を知ってるかもしれないしな」
こうして話はまとまり。俺たちは新居探しをする事となった。これからの新しい生活に向けて期待に胸筋を膨らませる一方で、俺はこうせざるを得ない現状に気落ちしてしまう。この街の冒険者たちの貧富の差は激しい。そして不遇な冒険者が多いから、少し活躍したくらいでそうした人たちから嫉妬や敵意を向けられてしまう。俺の目的はいつか来るであろう隣国からの侵略を、『街のみんな』で食い止める事。その為にはこうした軋轢は無くしたい所だが……どうしたものか。
そんな事をセーラの太ももに頭を乗せたまま考えていると、フレイがやってきて俺を強引にどかした。
「はいはい、カトーさんは終わったから次は私の番ね。セーにゃん、また綿棒でクルクルして。クルクル」
「はいはい。……カトーさん、そういうわけでちょっとどいて下さいね」
「はい」
ううむ悔しい。耳掃除に関して、セーラはあまりにも公平だ。恋人だろうが容赦しない。俺は泣く泣く太ももをフレイに譲り、フレイはニコニコしながらその大きな猫耳をセーラに預けた。
………。
……猫耳?
「「あ゛」」
ルシアとリリーが同時に声を上げた。ふむ……。あ、もしかして秘密だったのか?
「そう言えばカトーさんってフレイさんの耳を見るのは初めてでしたっけ」
何でも無い風に言うセーラだが、その言葉を聞いてフレイも固まる。フレイは油の切れたロボットがギギギ……と音を立てるかのように首をこちらにゆっくりと向けた。その色は青白くなってしまっている。まさに顔面蒼白、よほど重要な秘密だったのだろう。仕方ないので、俺は茶化してやる事にした。
「セーラ。フレイの猫耳を掃除するのは、俺の耳と比べてどうだ? 時間は短いのか?」
「うーん……猿人族の方の耳は掃除しやすいんですけど、猫人族の方の耳は難しいですよ。基本的に湿ってる上に柔らかいですから、綿棒で優しくしないと傷ついちゃうんです」
「つまり長い時間太ももを独占できるわけだ。ぐぬぬぬぬ……」
「いや、あの、カトーさん。問題ってそこ?」
「何を言っているフレイ、そこ以外に問題なんて無いだろう。しかしこのまま何もしないまま黙っているのも……そうだ!!」
俺はとっさに閃く。そう、俺にだって猫耳に負けない獣耳があるじゃないか!
「こうなったら変身するしかあるまい! 『パンツマン参上!』」
「だから私の耳と変身と一緒にすんじゃない! カトーさん、やめれーー!」
抗議など聞かぬ。男には……譲れぬものがあるのだよフレイ!
ピカァッと股間が虹色の光を放ち、衣服がどんどん剥ぎ取られて行く。そして顔のまわりをモコモコとした何かが覆った。ああ、そうだこのモコモコだ。今俺は人間を止めて一匹のケモノとなる。そして今まで以上に耳を掃除してもらうのだ。
「コンコン、コン・コン(ヒーロー、推・参)!」
負けを認めたのかフレイは脱力する。二種類の耳を持つ男に勝てるとでも思ったのか。ちなみに俺はこれからも変身できる動物の種類を増やして行くつもりだ。色んな動物になって様々な耳掃除を体験する……こんな素晴らしい事は無いだろう。俺はこれからの耳掃除人生における勝ち組なのだ。さしあたってはまたセーラに耳掃除をお願いしようか。セーラ、頼む。
近づいてキツネ耳を見せると、セーラはホッとしたような顔をした。
「良かった、耳は綺麗なままですよ。これで汚れちゃったてたら、またやり直しになっちゃいますからね」
なん……だと……?
「いやカトーさん、そういう事じゃなくて。私見てびっくりしないの?」
「コンココ、コココンココンココンココ、コッコココン……
(それより、耳掃除してくんないのが、ショックだよ……)」
打ちひしがれる俺。策士策に溺れるとはこの事か。泣いて斬られて誰かを走らせる事になるのか。……いや、何を言ってるんだ俺は。
結局獣耳の計は成らず、セーラの太ももはその後フレイ、ルシア、リリーへと奪われる事になる。そして俺はというと手の空いてる人にモフモフと愛でられる羽目となった。そしてなかなか変身解除のキーワード『キャー、このケダモノ!』を言ってもらえないまま、次の日の朝を迎える事になる。変身を解いたのは、クランハウスで着替えをしていたローランドだった……。
◆◆◆その頃、クロスたちは◆◆◆◆
街はずれの広場に、一際大きなグリフォンに乗った赤毛の少女がいた。少女は短い髪の毛を手櫛で整えてから、グリフォンの足元に並ぶ姉たちと夫である男を見て笑う。
「じゃあ、私の用事は済んだから軍隊に戻るね! クロ兄様、しばらくまた会えないけど恋しくなったらすぐに呼んでね、文字通り飛んで来るから!」
「……頼むから軍規を守って大人しくしてくれ」
この数日間、幼い妻の無茶苦茶な武勇伝を聞かされて胃に穴を開けまくったクロス。何度回復しようと色んな角度で胃を攻撃してくる少女の笑顔が、何だか小悪魔どころか侯爵級の大悪魔に見えていた。
「ジー姉様もお仕事頑張ってね。はやく子供作らないと期限切れになるよ」
「やかましい、このまな板娘! その呼び方やめなさいって言ってるでしょ!」
妙齢の女性は長くうねる真っ赤な髪の毛を掻き上げながら憤る。分厚い眼鏡の向こうにはキツい性格そのままの鋭い眼差しがあった。
「アメ姉様も頑張って下さい。クロ兄様は無駄に元気みたいだからマリオネットを沢山使って生体兵器にすると良いですよ」
「一々言う事が滅茶苦茶だな、お前は」
実は三姉妹で一番常識人なのが、次女のアメリアだった。その彼女にしても、少女の言う通り愛しい夫を操り人形にして攻撃する特殊能力『マリオネット』を奥の手にしているぶっ飛んだ人である。
そしてその三姉妹の中で最も危険で滅茶苦茶なのが、このチビっ子奥様。ジュリア・ヴァンドームであった。ジュリアは最後に大きく手を振って「またねー!」と言うと、勢い良く空へと飛び去って行った。
「……ふぅ。まるで嵐が過ぎ去ったみたいだな。これでしばらく落ち着いて過ごせる」
クロスの言葉は知らない人間からしたら酷い事を言ってるように聞こえるだろう。しかしそれだけ彼も苦しめられているのだ、精神的に。そんなクロスにトドメをさすかのように、長女ジーナは口を開く。
「そう長く平穏でいられるかしらね」
「……どういう意味だ? いや、聞かない方がいいのは分かってるんだが、どうせお前は無理矢理聞かせるんだろう。なら、自分から尋ねた方がまだ精神的に楽なんだ。聞かせてくれ」
そんな悲しい事を言う夫の姿に、アメリアも申し訳なさで涙をにじませる。にじませるのだが、男を責める事に堪らない快感を覚えるヴァンドーム家の女に、ジーナの所業を止められるわけがなかった。
「あのグリフォンの背中に乗せた幼生だけどね」
「……グリフォンの幼生だろう。調教を頼まれてるって話だったが」
「そう。で、あの幼生三体で最後なのよ」
「そうか。良かったじゃないか」
言いながらも、クロスは必死に考える。なぜこれが平穏を妨げる事につながるのか。きっとジュリアの事だ、こちらの想像の斜め上に行くに違いない。しかし根が善良なクロスには彼女の行動を推測する事など出来なかった。そしてそんな彼をジーナは事実という刃で斬り伏せる。
「そうね。良かったのかもね。あの子、これでこの国の全てのグリフォンにマリオネットを仕込む事になったんだから」
「「ブフォッ!?」」
噴いた。
盛大に。
「ね、姉様!? ジュリアは本当に!?」
「一体何を考えてるんだアイツは、クーデターでも起こすつもりか!?」
ジュリアのマリオネットは主にモンスターを操る。その力で、部隊内のグリフォンを全て掌握。調教の仕事を通じて物流に関係するグリフォンまでその力で操れるようになっていたのだ。そしてこれは勿論、彼女がずっと計画していた事である。
「ジュリアはね。確か5歳の頃にこう言ってたわ。
『この国は内部から崩壊する。その時に今から備えておいた方が良い。クックック、私が自ら内部に入り込んで起爆剤となっても良いのだがな』
……ってね。多分あの子は、先ずこの国から制空権を奪うつもりなのよ」
「アイツは一体何と戦ってるんだ……」
今また胃に穴が開いた、とクロスは感じた。今まで聞いた無茶苦茶の中でも五本の指に入る無茶ぶりである。キリキリ、キリキリという痛みに顔をしかめた。その様子を見ながら、ジーナは恍惚とした表情を浮かべる。そして更に彼女は追い討ちをかけた。
「私もね。今回は魔法協会に新しい制限をかけた魔法のスクロールを持って来たけど、用事はそれだけじゃないの」
「や、やめてくれ。もうこれ以上は耐えられない……」
「私の本当の目的はね」
ニヤリと笑った。
「調査の結果、この地方に水の精霊が封印されている事が分かったんだけどね。それを見つけて私のマリオネットを仕込めないか試したかったのよ。ほら、私のマリオネットは精霊獣でも通じるでしょ。上手く行けば精霊も操れるかもしれないじゃない、そうなったら面白いわよ? いけ好かないミリア教のジジイ共に精霊の力を見せつけて一泡噴かせられるし、なにより精霊の復活は私たち魔法使いの宿願だったじゃない。復活させた暁にはガンガン精霊魔法を使って世界のパワーバランスを崩し……
あら? クロス? クロスくーん」
「姉様、やりすぎです。胃に穴どころか真っ二つに裂けたかも」
「あらあら、軟弱な坊やだこと」
クロスは倒れていた。ヒキガエルのように、地面にべったりと。もうダメだ、死んでしまう、助けてくれカトー……とつぶやきながら。しかしこの世界は残酷で、そんなクロスを容赦なく自動HP回復スキル(特大)は回復してしまう。精神は回復していないのに。
空いては塞がり、塞がってはまた空く胃の痛みに苦しめられながら。
でも明日はきっと良い日になるんだ、と信じて微笑むクロスだった。
「なんだ、余裕あるんじゃない」
「泣きながら笑うな、気持ち悪い。
ほら、さっさと立て」
「ぅう……」




