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トレット村のイカ騒動(6)

 早朝の景色には何にも代え難い風情がある。何だか某古文の現代語訳のような出だしで申し訳ないが、心からそう思う。空も海も大地も暗い青に染め上げられて、静けさの中徐々に明るくなって行く景色が個人的にとても美しく思えるのだ。トレット村は漁村で朝早くから仕事を始める漁師も多い事から、もうチラホラと浜辺に人影が見えているが、これもまた風情があって良い。


 そんな中、犬耳少女は何をやっているかと言うと。バケツから取り出した木の棒のついた糸を、海に放り投げて遊んでいた。童心に戻るのも構わないが、実年齢を知ってる人間からするとちょっとどうかと思ってしまう光景だ。


「副島さん、何をしてるんですか」


「ん? 何って見てわからんかな。釣りだよ」


 すみません、分かりませんでした。


「まぁ見てなさい、中々面白いものだよ」


 そう言ってしばらく波の中に糸を遊ばせる副島さん。そして徐々に糸を手繰り寄せると、波打ち際に木の棒が見えだした。棒には針が付けられており、そこには茶色の平べったい生き物が引っかかっている。なんだ?


「ヒラメの一種のようだよ。イカの生け簀のニオイを嗅いで、沢山寄ってくるんだ。食らいついてる木の棒は言ってみればルアーみたいなもんでね、メタルイカの甲をつけて海中で光らせるようにしている」


 ヒラメ。言われてみるとよく似ていた。糸には4つの木の棒が仕掛けられており、そのうち2つにそのヒラメは引っかかっていた。


「ベタ釣りに近いものでね。波に揉まれて転がる木の棒を、魚やイカの死体と間違えて飛びついてくるんだよ。ちょうどこの近海によくいる『ギンガシラ』という魚が好物で、それと間違えている事が多いようだね」


「よくそんな魚の種類とか覚えられますね。まだこの世界に来てそんなにたってないんでしょう」


「好きだから、かなぁ。それにほれ、働いてる場所が場所だけに、色んな魚を目にするから嫌でも覚える。ここの漁師から直接手ほどきも受けるし、詳しくもなるさ。最近ではね、この村の子供たちに私が釣りのやり方や魚の名前を教えてるくらいだよ」


 元々釣りが生き甲斐みたいなものだったから楽しいんだ、と笑う副島さん。バケツにヒラメを2枚入れると、また海に木の棒を投げ込んだ。なんというか、俺よりもこの世界を楽しんでいるような気がする。年長者の余裕のようなものが感じられた。


「この方法で、生け簀に寄ってきたイカも釣れる。交尾しようと寄ってくるんだろうね。釣れたらそこの焚き火で焼いて食おうか」


 なんとも逞しい少女(おっさん)だ。副島さんはその後もどんどんヒラメを釣り上げ、イカもあわせて計15匹の釣果を上げた。もちろんバケツ一つじゃ足りず、作業小屋にあったバケツも借りる事となった。どうやら釣り上げた魚たちは、あの食堂で出す食材となるらしい。


 副島さんは作業小屋に置いてある木のまな板を持ってきて、おもむろにイカを置いた。そして三角形の頭に針を打ちつけてから、イカの胴体を小刀で縦に切り裂く。素早く皿を取ると、その裏側にある黒い内臓を取って用意していた袋に入れた。


「それは?」


「スミ袋だよ。慣れてない人はすぐ破ってしまうが、これはイカ墨スパゲティを作る時に重宝するから取っておくんだ。スパゲティはいつも昼間のメニューに並べているから、君もこの村にいるうちに一度は食べてみると良い」


 副島さんは話しながらも手を止めない。流れるような手捌きでイカを解体する。少し意外だったのがゲソを捨てた事だろうか。抜き取ったゲソ部分を、何故か真上に放り投げる副島さん。それを当然のように空を舞う海鳥が咥えて飛び去って行った。


「いつもここで釣りをしてるからね。向こうも待ってるんだよ」


 なんというか、もう村の住人だ。どれくらいこの村にいるんだろう。


 イカを捌いた後は、開いた身に何やら茶色いものを塗りたくってから金属の針を通す。手元に濡れた紙を巻きつけると、それを俺に渡した。


「火で適当に炙ってから食べてごらん。美味いもんだよ」


「あ、ありがとうございます」


 見張り中に良いんだろうか。まぁ索敵には何も引っかからないから大丈夫か……。そう思って、渡されたイカを火で炙る。直ぐにジュウジュウという音と共に馴染みのニオイが漂ってきた。


「副島さん、これ味噌ですか」


「そう。味噌と麹と酒、少しの醤油を混ぜたもんだよ。アッガー・ルタにはニョクマムみたいな癖のある調味料しかなかったが、こっちに来てからいきなり日本と同じ食生活が出来るから私も驚いた」


「ニョクマム?」


「魚醤だよ。魚の塩漬けを発酵させて作る醤油みたいなもんさ。この近くでも作ってるみたいだけど、興味があったら買ってみると良い」


「卵ご飯とかに合いますか」


「それは止めといった方がいい、ニオイが独特で醤油感覚で使えるもんじゃないから」


 副島さんの豆知識がまた炸裂したなぁ。勉強になる。そんな話をしながらイカの両面を焼き、頃合いを見計らって火から離し、ふうふうと冷ましてから一気にかぶりついた。


「どうかね。なかなかだろう?」


「…………」


 言葉が出ない。しっかり焼いているのに身がプリッとしていて、歯ごたえがある上に噛むほどに甘くなって行く。味噌の香りがまた良くて、小さな頃に磯で食べた貝や小魚の磯焼きを思い出した。脳裏に浮かぶ故郷の海に、思わず目頭が熱くなる。


「言葉はいらないな。君の今の顔を見ればどれだけ美味いか伝わってくるよ。君はもしかしたらグルメリポートとかやらせたら良いかもしれんね」


 そうだろうか。不味い物食ったら間違いなく般若になって逆効果になりそうだが……しかし本当に美味いな、これ。俺はただひたすらイカを食べ、苦笑いしながら次のイカを副島さんが手渡し、それをまた俺は一心不乱に食べ続ける。副島さんは食べないのかと尋ねると、彼……いや彼女は笑いながら答えた。


「君が勢い良く食べる姿を見てたら、私まで腹いっぱいになったよ。まぁ心配は無用だ、帰ったらあの夫婦が私の朝食を用意してるハズだから。それに……そうだなぁ。食べてる時にこんな事を言うのは何だがね」

 副島さんは、少ししんみりしたような顔をした。

「社の人間で君の葬式をした時。冷たくなった君を見て、私は色々と後悔してたんだ。君が仕事をし過ぎて少しおかしくなっていたのは社内でも知られていたからね。生きてるうちに、もっと楽しい事を教えてやりたかった。もっと美味い物を食べさせてやりたかった。そしてもっと気楽に生きて良いんだって事を教えてあげたかった、そんな事をずっと考えていたんだ」


「…………」


「だからこうして今日、美味い物を食べさせてやれた事が、何より嬉しい。生きて、動いて、笑って、泣いて。元気一杯の加藤君を見られただけで、私は幸せなんだよ」


 その優しい言葉が、ただでさえ涙もろくなってる俺の胸を直撃する。幾らなんでもこれは強烈過ぎた。俺の涙腺はまたまた決壊し、顔をくしゃくしゃにしてイカを頬張る羽目になってしまった。大の男が、本当に情けない。しかしそんな俺を副島さんは笑う事なく、ただ優しく見守り続けた。









 朝の8時となった。

 副島さんは既に釣りを終えて食堂へと戻っている。あれから「もう少し追加するか」と何匹ものヒラメやイカを釣り上げ、「お昼にでも食べなさい」とまたまたイカ焼きを作ってくれた。世話になりっぱなしである。索敵には相変わらず何も引っかからず、俺は和やかな時間を過ごしたまま夜警を終えた。ジョニーと警備場所を交代して、今は村の中間地点にある第二作業小屋の前に立っている。これから12時までここで警備、そこからは自由時間の予定だ。


 第二作業小屋は基本的にイカの天日干しをしている。今日も日差しはきつくなりそうで、俺は早速麦藁帽子を装着して万全の体制で仕事に臨んでいた。遠くでは社長&従業員の朝礼の叫び声が響き渡っている。……朝っぱらから暑苦しい。


「しかし……平和なもんだな」


 俺は夜と比べて優しくなっている潮風を受けながら、そうつぶやいていた。未だモンスターは出ず。少し拍子抜けしていたと言っても良い。目の前では子供たちが砂で城を作って遊んでいたり、観光客なのか漁師っぽくない格好の親子連れが浜辺を歩いたりしていた。それを見つめる俺はなんだか海辺の監視員のようである。平和なのは良い事だから不満は無いのだが、仕事なのにこんなに楽で良いのかなとも思う。そんな事を考えてる俺のそばで、一人の子供が突然城を蹴り壊した。なんだなんだ喧嘩か。平和な漁村でここだけ乱世が始まった。


「ん?」


 喧嘩をいさめようとしたその時。俺の索敵レーダーに一つの赤い点があらわれた。それは沖から凄いスピードでこちら……いや、第一作業小屋の方へと突き進んでいる。狙いは生け簀だな、確実に。肉眼でも水面に突き出た背びれを確認出来た。これは、サメか何かのモンスターだ。


「モンスター出現!! みんな避難しろぉーーーーっ!!」


 すぐさまそう叫ぶと、浜辺にいた人たちは迅速に動き出した。うむ、素晴らしい反応だ、慣れてるな。目の前の子供たちも動いて……おい、一人うずくまってるぞ。


「おい君、何やってんだ! 早く逃げろ!」


「ろ、籠城してんだ」


「今さっき蹴り一発で壊された城に籠城とかバカか! はやく行け!」


「バカにバカって言う方がバカなんだぞバーカッ!」


 ………。


 子供も良し悪しだな。こういう子供は好きになれん。


「お取り潰し」  バスッ

 筋力100以上の蹴りを城の残骸にお見舞いする。

「城は無くなった。これで気兼ねなく避難出来るな」


「む、無体なっ!!」


 どこでそんな言葉仕入れてるんだろう。やけに古臭い言葉だが、時代劇なんてこの世界に無いだろうに。あ、副島さんか。子供に何を教えてんだ、釣りだけじゃなかったのかよ。


……とにかく無事にアホの子を避難させた俺は、猛スピードで第一作業小屋へと向かう。そこにはジョニーが臨戦態勢をとって海を見つめていた。従業員たちは……なんで居るんだ、避難しろよ。


「ジョニー、何故彼らは避難しない!」


「言っても無駄だ! 下手したら参戦しかねない!」


 どんだけ好戦的なんだコイツら。


「それよりカトー、気をつけろ! あの背びれはブルーマーダー、この近海じゃ一番デカいサメのモンスターだ!」


「わかった!」


 いや分からんけどな。ブルーマーダー? どんなモンスターなんだ。とりあえず遠くからでも一発魔法を撃って様子を見るか。俺はこちらへグングン速度を上げながらやってくる背びれの、少し下を狙って魔法を放つ。


『ウォーターカッター!』


「お、おい水属性魔法は……」


 効かないって事は無いと思う。良く考えてみろ、水の中に生きてる魚だって高圧噴射された水にはバラバラにされる。その理屈で言えば、これだけ水に溢れた場所でウォーターカッターなんて使えば凄まじい威力になって、あんなサメなんて一発で仕留められるハズだ。しかし……


 巨大な水の刃は、スルッとサメのシルエットをすり抜けて行った。あれ?


「水棲モンスターには、水魔法は通じない! やつらがモンスターと言われる所以だ、自然の摂理から逸脱してるのがモンスターなんだ」


 なるほど、そういう世界だったな。俺もネイのアイスニードルが思いっきり肩に刺さっても傷一つつかなかったし。つまり俺もモンスターの仲間入り……じゃなくて。その法則から行くと、俺の魔法は奴らに通用しないじゃないか。水属性魔法しか持ってないし。ううむ、これは肉弾戦オンリーに切り替えて行くしかないか……


 しかし俺は閃いた。


「ジョニー、奴は俺が倒す。今いい事を思いついた」


「お、おいムチャをするな!」


 ムチャじゃないんだな、これが。俺はニヤリと笑って海の中へと入って行く。そして肩まで浸かった後、あのセリフを口にした。



『パンツマン、参上!』



 海中に虹色の光が放射される。まるで海はダンスフロアのように色とりどりの光で埋め尽くされる。イカやヒラメは舞い踊り、さながらここは竜宮城。踊りませんか乙姫様、今宵あなたとダンス・オール・ナイト……


「フオオオオォォォォ!!」

 身体中に爆発的なエネルギーが漲る! モラルの法則が乱れ始めた! さあ覚悟しろサメ野郎、子供の頃にお前主役の映画を見てチビった恨みをここで晴らす!!


『ウォーターポール!!』


 海中に一気に身を沈めた俺は、すぐさま全力で水柱の魔法を発動した。場所は俺の後方からパンツ目掛けて。もうお分かりだろう、パンツ吸収逆噴射を利用した攻撃……体当たりならば属性など関係無くなるのだ。


「ガボガボガボアーック(パンツマンアターック)!」


 その勢いはまさに神速。自分でも驚くくらいのスピードで、俺は海の中を爆進する。はっきり言おう、物凄い水流で痛くて目が開かない! なんという盲点、やはりやってみなくちゃ分からない事はたくさんあるんだな!!


 そう考えて少しばかり焦った瞬間。俺の周囲は真っ暗闇に包まれた。おや? 身体がなにやら生暖かい物の中を突き進み、ブチブチグチャグチャと何かを切り裂いて行くぞ? これはなんだ、一体何が起きている。よくわからず、とにかく俺はクロールをしてみた。なんだか進みが悪くなってるような気がしたのだ。クロールクロール、全力前進! 行っておくが俺は水泳が苦手だ、筋肉ばかりで沈みやすいからな。だから小学生の頃からがむしゃらに手足を動かし推進力だけで勝負してきた。あの頃のがむしゃらさを今ここに再現、行くぞオリンピック金メダルはすぐそこだあぁぁぁぁぁぁ!!


『ーーーー……! ーーーーっっ!!』


 何やらゴールが見えてきた、やったぞ俺、おめでとう俺! さあ周りが明るくなった、勝利は誰の手に!? まぁ俺しか泳いでないから俺が一着に決まっているがな!!


 海面に顔を出して振り返る俺。砂浜は意外と近い所にあり、どうやら俺は大して泳いでないようだ。おかしいな、あれだけ頑張ったのに。皆の拍手が無いのも、そのせいだろうか。しかしそれにしては様子が変だ。俺はどうしたものかと周囲を見渡した。すると……


 赤、赤、赤。


 俺の周りが凄い赤で埋め尽くされている。そして、目の前には何かの肉片がプカプカと浮いているのだった。


「おや?」


 そして俺が理解出来ずにとりあえず平泳ぎで浜辺までたどり着いてみると、そこには目を輝かせて震える社長と従業員たちがいた。バシャバシャと海からあがる俺……明らかに不審なマスクマンなんだが、社長の目にはそう映らないらしい。ワナワナと震えながら、彼は叫んだ。


「す、素晴らしい! 今まで幾多の冒険者を見て来たが、君のような豪快な戦い方をする奴は一人もいなかった! なんという事だ、私は今奇跡を目の前にしている!!」


「はい?」


 困惑する俺をよそに、社長はテンションをヒートアップさせて行く。ジョニーも呆れかえった顔で俺を見ていた。


「カトー、敵の体内に入って食い破るとかお前の方がモンスターなんじゃないか」


「……?」


 何が何だか分からない。しかし話の流れで、なんとなく俺が奴を倒したという事は分かった。いやしかし実感湧かないな、だって俺一度も奴の顔を見てないんだぞ。一体どんな感じのモンスターだったんだか。


 周囲にはいつの間にか人だかりが出来、カトーカトーと大合唱が響き渡っていた。この姿を見て俺だと分かって、尚且つ近づいて誉めるんだから凄い。頭とか未だに血まみれなんだけどなぁ。……妙な所で感心していると、社長は突然妙な事を言い出した。


「よし、みんな。手分けしてあのサメの肉片を沖に向かって投げるんだ! 血も広範囲に流れるように、桶で拡散させよう!!」


 話が見えない。


「一体、何をするつもりなんだ?」


 そう尋ねると、社長はニヤリと笑って言い放った。


「勿論! 奴の血と肉で、ダークダゴンを呼び寄せるのだよ! 今日は朝からさい先が良いぞ、これなら一匹や二匹狩る事が出来るかもしれんなっっっ!!」


「ちょ……マジか!? わざわざ村人を危険にさらしてどうする!」


「何を言ってるのかね。どのみちこれだけのイカを収穫してたら、いずれこの村は奴らのターゲットにされる。ならば私たちが居るうちに粗方狩り尽くした方が村の安全に繋がるじゃないか!」


「えーと……あれ、そうなのかな?」


「そうなのだよ! だから頑張って、奴らをブチ殺そう!!」


「わ、分かった。とりあえず殺せばいいんだな」


「うむ、皆殺しだ!!」


 ……あれ、そういう話だったっけ?


 俺は何となく釈然としないままとりあえずサメの肉片を投げる作業を手伝う事にした。後ろの方でジョニーが「やっぱりコイツも染まって来たか……同類っぽいもんな」と悲しそうにつぶやいていたのが印象的だった。


 いや……違うよ?



 俺、普通だよ?






 普通…………だよね?










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