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閑話 とある夜の出来事

 フォーリードの街で、恐らく最も冒険者に愛用されているホテル、『グランドホテル・フォーリード』。街の中央を貫く大通り、そこから西へ一つ通りを逸れてしばらく歩くと、一際格調高い雰囲気の豪邸があらわれる。それこそが件のホテルであり、現在カトーたちが宿泊している所であった。建物は四階建てと低めだが、地下が三階まであり、キャパシティとしては街最大のホテル『ホテル・ヴァンドーム』に次ぐ広さを誇る。そんなホテルの最上階にあたる四階、その角部屋にカトーとセーラは寝泊まりしていた。


 このホテルに泊まる冒険者は、基本的にそこそこ仕事の出来る人ばかりで、それなりにマナーの良い人が多い。が、やはり中には乱暴な部屋の使い方をする者や、長期滞在で内装を傷つけるといったトラブルを起こす者も時折あらわれた。そもそもが武器を携帯しているような人間が集まっているのだ、喧嘩沙汰になったら大変である。ホテル側もそのあたりは常々警戒しており、街の憲兵に頼んでホテルを巡回地点に入れてもらったりしていた。そうまでしても尚、冒険者を率先して引き込もうとしている理由は、ひとえに彼らの羽振りが良いからだろう。冒険者は他の職業に比べて、やはり収入が良い方なのだ。


 そんな、迷惑だけど有り難い冒険者の宿泊客。その中においてカトーとセーラは、非常に珍しい非の打ち所の無い優良客だった。


 先ず長期で部屋を借りる際に、初めの受付時に宿泊費を一括で支払う。そして部屋で過ごす際、とても清潔に扱ってくれる。彼らがホテルを出た後に従業員による掃除が行われるが、その際もゴミ箱の中身を捨てる以外、掃除の必要がないくらいに綺麗にしているのだ。また、朝と夕の食事をホテルの地下食堂でとってくれるのだが、彼らは端から見ていても気持ちが良いくらいに良く食べ、また行儀も良かった。さらには会計を済ませる際にも料理の感想、そしてサービスの良さを誉める言葉を残して行く。ウェイトレスたちに対する態度も丁寧で紳士的であり、注文した料理が遅れても決して怒ったりはしなかった。


 元々カトーが一人で宿泊していた時から、その羽振りの良さと紳士的な態度で従業員からの評判は極めて良好だった。が、最近ではそこに更に輪をかけて素晴らしい女性が加わって、もはやこの二人はホテルで働く人たちのアイドル的な存在にまでなっている。カトー一人では少し近寄り難い雰囲気があったのだが、そこに愛嬌があって人当たりの良いセーラが一緒になり、今ではセーラにつられるようにカトーまでが柔らかな表情を浮かべるようになっていた。印象が良くならないわけがないのだ。


 だからこそ、多少羽目を外しても心象を悪くされる事がなく、むしろ微笑ましいとすら思われる。そう、例えばネイとフレイのお祝いの席で、ちょっと飲みすぎてしまったとしても……







「カトーさん、わたしは酔ってませんっ。酔ってます!」


「分かった。分からんけど分かったから、もう寝てしまっていいんだぞ?」


「……大好きです!」


「ありがとう、嬉しいよ。嬉しいけど周りの迷惑になるから静かにな?」


 もう日付も変わろうかという時刻。お祝いパーティーも終わり、地下食堂から皆が引き上げて行く中、酔ったセーラをおんぶしながらカトーは最後尾を歩いていた。その姿を珍しげに、またにこやかに見送る食堂のウェイトレスたち。カトーたちの少し前を歩くルシアも、二人を少し羨ましそうに見ていた。


「セーラさんはカトーさんと一緒にいる時が一番幸せそうですね」


「これでも俺、一応婚約者だし。そうでないと困るけどな。……にしても今日は皆飲んだなぁ。セーラも、酒弱いのに何で周りに合わせちゃったんだ?」


「……ぽよ、ぽよ……」


 会話が成り立たないまま、セーラは眠りについた。


「寝たか。まぁ、苦しんではいないからアル中にはなってなさそうだな」


「きっとセーラさんは負けたくなかったんだと思いますよ。カトーさんに相応しい女性でありたい、と思ってお酒も頑張っちゃったんでしょう」


「はぁ? なんでそんな話になるんだ?」


 カトーは知らない。フォーリードへの帰り道、ローランドと交代する形で馬車の荷台に移ったセーラは、フレイやネイたちにカトーとの恋愛について色々と追求を受けている。その際、フレイが冗談でセーラを焚き付けていたのだ。婚約者だからって油断していたら、カトーさんを誰かにとられちゃうかも、と。別にこれはフレイの嫉妬や嫌がらせではない。単なる冗談だったのだが、セーラは本気にしてその冗談を心に深く刻み込んでしまった。元々が自己評価の低いセーラである、自分は本当にカトーに相応しい女性なのかと心の中で自問自答していたのだ。


 だから、ちょっと無理をしてしまった。酒の強いカトーに付き合えるような自分になりたいと、飲めない酒を頑張って飲んで、こんな状態になってしまったのである。途中でフレイもセーラの無理に気づいて、酒とジュースをすり替えたり宥めたりしたのだが後の祭りだった。


 階段を上りながら、ルシアの少し前を行くフレイも速度を落としてカトーたちのそばに来た。


「ごめんねカトーさん。ちょっとした冗談だったんだけど……」


 馬車でのやりとりを話す。カトーはなるほどと頷いて、肩越しにセーラの寝顔を見ながら言った。


「相応しいも何も、セーラがいないと俺が困るのにな。現時点で最高のパートナーなのに、もっと上を目指されたら俺の方が困ってしまうだろう」


「カトーさんマジで凄いね。照れずに即座にそんな言葉が出るとか、ちょっと信じられない」


「恥ずかしい台詞だったか? 俺は本心からそう言ってるよ」


 きっと素面ならカトー自身も恥ずかしさを感じていたのかもしれない。しかしカトーも少し酒が入って感覚が鈍っているらしかった。そんなカトーの堂々とした態度に、赤い頬を更に赤くする二人。ルシアは少し残念そうな表情を浮かべながら言った。


「セーラさんが、ちょっと羨ましいですね。私もカトーさんみたいな恋人が欲しいなぁ、って思っちゃいます」


「ルシアならモテるだろう? 顔立ちも整ってて人当たりも良くて、優しい上に気遣いも出来る。男にとっての理想みたいな存在なんだ、すぐに相手は見つかるさ」


 その言葉に、胸の奥がズキンと痛んだ。好きな人に振り向いて貰えなかったら、そんな言葉など何も嬉しくないのだ。いっそ、ここで気持ちをぶつけてやろうかと思う。しかしルシアが口を開こうとした時、いつの間にか隣を歩いていたフレイがルシアの手を握った。


 目が合うと、フレイは悲しいような、切ないような苦笑いを浮かべていた。


「まぁ私はミリア教徒ですから、同じ宗派の方としか結婚しませんけどね。どこかにお金持ちで優しくて教会を継いでくれる格好いい男の人っていないかなぁ」


「……ハードル高いな。それは確かに厳しそうだ」


 ルシアは無理矢理気持ちを切り替えて、軽口にして誤魔化す。二人の邪魔をしたいわけじゃないのだ、むしろ幸せになってもらいたいとも思う。けれど、どうしても心の隅でこう思ってしまう。


『私の方が先にカトーさんと出会ったのに』

『カトーさんの優しさには、私の方が先に気づいたのに』

『セーラさんは恋人にしたのに、何故私は恋人にしてくれないんだろう』

『私はそんなにセーラさんに劣っているというの? 恋人にする価値が無いというの?』


 ルシアのこうした想いには少々おかしい所がある。複数の恋人を作るなんて事、カトーがするわけがないのだ。しかしルシアのような考え方は、一夫多妻が当たり前の世界に生きている人間からしたら至って普通の事であり、それ故にルシアは諦めきれない。これが重婚の禁止された国の人間なら仕方ないと割り切る所だっただろう。しかしこの世界は違う。結婚制度が変われば考え方も違ってくる、という事をまだこの時点のカトーは理解していなかった。そして当然の事だが、ルシアもカトーが自分の常識とかけ離れた世界からやってきた人間である事を知らない。互いに相手の気持ちを察するには、前提となる価値観自体が違い過ぎていたのだ。


 ルシアとカトーの会話は、その後フレイの軌道修正もあって当たり障りの無い内容となり、何とか和やかな雰囲気を壊さないままホテルの三階までやって来た。フレイとルシアは三階に寝泊まりしており、カトーたちは四階。別れの挨拶を交わし、カトーたちを見送ってから、ルシアは疲れたようにフレイに寄りかかった。


「ありがとう、フレイちゃん。私ってダメだね、我慢しなきゃって分かってたのに……」


「仕方ないよ。私もさ、何だかんだで婚約の話聞いた時、悔しかったもん。けどね、ルシアは全体的に焦り過ぎ」


「……焦り過ぎ?」


「うん。もっと時間かけてカトーさんの事を分からないとダメだと思う。私も今日1日しかカトーさんと一緒じゃなかったけど、それでも実際に一緒に仕事するとだいぶ印象変わったよ。カトーさんって頑固に見えて、結構柔軟な考え方もするし、ズルもするんだよね。ルシア、カトーさんって芋姉を守るためにギルドとかティモシー叔父さんに脅しをかけようとしてたんだけど、そんなカトーさん信じられないでしょ」


「ええっ!? なんで脅すの、カトーさんはそんな人じゃないよ!?」


 フッフッフ、と自慢気に笑ってみせるフレイ。そう、カトーという人物は紳士的でありながら躊躇せず邪道を行くという側面を持つ。仲間を守る為なら何でもやる男であり、それ故に情に脆い一面を持つ事をフレイは見抜いていた。もっとカトーと行動を共にして、性格を把握して行けば、必ず突破口は見つかると信じている。


「ルシアもさ、もっとカトーさんと話をすればいいよ。あと、セーラさん」


「セーラさん? ……セーラさん、か」


「複雑なのは分かるけど、セーラさんって凄い良い人だよ。私はセーラさんを知るのも、カトーさん攻略の鍵になると思うね。それに、カトーさん抜きにしてもセーラさんとは友達になった方がいいよ。マジ癒やされるから」


「癒やされるって……」


 そう言って苦笑いしながらも、確かにこれまでの自分は嫉妬する気持ちに目を曇らせていた事に気づく。いつか、フレイとアメリアに除け者にされて拗ねていた時に、カトーと一緒に愚痴に付き合ってくれた事があった。あの時、確かに自分は彼女に癒やされていたなぁと思い返す。



「でも、うん……。そうだよね。考えてみたら私、二人の事をよく知らないまま嫉妬してた。そんなの変だよね、全然私らしくない」


「そうそう、やっといつものルシアに戻って来たね。なーんかさ、せっかく楽しいパーティーだったのに一人だけノリ悪かったから、気になってしょーがなかったんだよね。ダメだなぁ、私より年上なのにぃ」


 そんな風に軽く茶化して言うフレイに、ルシアもワザとらしく膨れて言った。


「フレイちゃんは大人すぎると思います。たまにどっちが年上か分からなくなるもの。もしかしたら年齢誤魔化してない?」


「なっ……ぶっ飛ばすよルシア」


「いいよ、私耐久値85だもん。絶対効かないから」


「固っ!? なにそれ、1日でどんだけレベル上げてんの! ちょっとステータス見せろ!!」


「いやです~、でもフレイちゃんの本当の年齢教えてくれたら見せます~」


「だから実年齢だっつーの!! ええい待てルシア、今日は確認するまで寝かさねー!」


「そういうのはアメリアさんとどうぞ~」


 バタバタと走り回り、部屋へと消えて行く二人。翌朝、ホテルの従業員とアメリアから小言を貰ったのは、言うまでもない。








 一方部屋へと戻って来たカトーは、セーラをパジャマに着替えさせてベッドに寝かせた後、アイテムボックス内の整理と収納物の確認をしていた。働いていた時から全く変わらない習慣となっており、日記用に買ったノートにはアイテムボックスを出入りした物品のリスト、そして食費や宿泊費などの金額をあらわす数字などで溢れかえっている。


「リリーの鎧の補修費用ってどうなるんだろうな。こっちは何割負担になるんだろう。明日、ローランドに確認しておかないと……」


 そう言葉を発したカトーの顔には、酒の気配などまるで無かった。魔法で回復するまでもなく、アルコールはすっかり抜けていたのだ。ノートに今日の戦闘内容と消費した物の数を記入し、また反省点を幾つか書きとめてから、カトーは手元に置いたグラスの中身を飲み干す。渋みの効いた緑茶であった。


「そう言えば……何か変だったな、あの二人」


 ふと、気になっていた事を思い返す。パーティーの後の会話で、ルシアがやけに思いつめた表情をしていた事。フレイが時々焦ったり、ルシアを気遣うような素振りを見せていた事。何となく気軽に「どうしたんだ」と聞ける雰囲気では無かったので、カトーはあえて気づかないフリをしていたのだ。


「パーティーを組んだばかりだし、まだ信頼を勝ち得る所までは至ってないからな。話してもらえないからって、焦っても仕方ないか……」


 ノートをパタンと閉じてから、カトーは頭を切り替えて部屋の浴室へと向かった。パーティーの前に風呂は済ませたのだが、頭を剃るのを忘れていたのだ。ディメオーラを片手に浴室へと向かうカトー。しばらくして戻って来た時には、カトーの頭は部屋の明かりを反射して光輝いていた。首をコキコキと鳴らしてから一度思い切り伸びをするカトー。次にセーラの眠る布団に入り込むと、目蓋を閉じた数秒後には深い眠りにつく。恐ろしいまでの眠りの速さであった。





 そして深夜。


 もはや明け方に近いような時間に、カトーの腕の中でセーラは目覚める。不安で押しつぶされそうな、そんな表情を浮かべるセーラは、カトーの温もりを確かめてからホッとしたように目を細めた。


 これは今日に限った事ではなく、ここの所毎晩繰り返されている光景である。夜中に起きて、カトーにしがみつくセーラ。彼女を不安にさせるのは、ある夢のせいだった。


 それはセーラが一人で生活していた頃の夢。淡々と森の中で食べ物を探す日々。村に食料を納めてお金や服を貰う時だけ、誰かと話す事が出来る……そんな寂しい日々を、寂しいと感じる事なく過ごしてきた日常。カトーやクレアたちのいる今だからこそ、あの日々を辛いと感じる事の出来るセーラにとって、過去を振り返るような夢は悪夢も同然である。もうあの頃には戻りたくない、そう心が叫ぶのだ。





 セーラはフォーリードから南、トレット村近くの小さな森の中にある、名も無きエルフの集落で生まれた。


 兎人族が10人、エルフが15人、そしてピクシーが時折数人訪れる程度の小さな集落で、セーラは村で最も若い夫婦の子供だった。小さな頃から異常なまでの直感力を発揮し、周囲の人たちから不気味がられてはいたが、まだ父親が生きていた頃は村八分にされるような事はなかった。しかし、人の死ぬ時期を言い当てるようにまでなってくると、話は変わってくる。


 小さなセーラは物事の良し悪しが分からないまま、次々と誰がいつ死ぬかを言い当ててしまった。そして事実、その通りになって行くのだ。村長、友人、そしてついには父親。父の死を告げた時、母親は半狂乱となってセーラを叩きつけた。日頃、村の人たちの陰口に心を病んでしまっていた母親は、我慢しきれなくなってセーラを殺そうとしたのだ。しかし夫に止められ、力なく泣き崩れる。セーラの父親は決してセーラを怒る事なく、病でその命が尽きるまでセーラを守り続けたが、結局妻と娘の関係を修復させられないまま息をひきとった。


 父親の死後、セーラは母親に家を追い出されて新たな村長の家に引き取られる事になる。が、その家の人たちもセーラと暮らす事に難色をしめした為に、苦肉の策として村外れの農具小屋にセーラを住まわせる事に決めた。当時人とのコミュニケーションを避けていたセーラにとっても、その待遇は願ってもないものであった。結局セーラは、子供時代のほとんどを村はずれの小屋で過ごす事になる。そして、18歳になったある年の冬、村長の勧めで街に働きに出る事となった。その年は農作物が不作であり、つまりは体の良い口減らしであった。


 ろくに世の中の事など知らないセーラ。頼るのは己の直感のみである。野垂れ死にしてもおかしくない状況だったが、死に物狂いでモンスターたちから逃げのび、フォーリードの街に辿り着いてからは憲兵たちに助けを求め、ついにセーラは命を繋ぐ事に成功する。その後職業斡旋所を紹介されて、様々な仕事をこなしながらこの街で生活してきた。その後は知っての通りである。人の悪意に翻弄されながらも、偶然出会ったクレアたちによって心を救われた。よき理解者であるクレアたち、そして父親のような存在のボンゾ。彼らの支えによって、セーラは凍らせていた感情を徐々に取り戻して行く事になる。


 そして、運命の出会い。


 ある日雇い労働の仕事で出会った男によって、セーラの人生は大きな転換期を迎える事となった。





 セーラがカトーを初めて見た時に抱いた印象は、一言で言えば『怖い』だった。


 比較的背の低い猿人族にあって、巨人族と見紛うばかりに高い背。そして極めて引き締まった肉体に加えて猛禽類を思わせる鋭い眼光は、見る者に強烈な威圧感を与えた。また、集合場所でいきなり責任者とトラブルになり、そこでの乱暴な行為を見てセーラは益々恐怖する。もしボンゾと一緒でなかったら、きっとセーラは泣き出していただろう。


 しかしその恐怖心も、仕事が始まると同時に直ぐに消えてしまった。カトーが極めて真面目で、仕事に全力を尽くす人間だったからだ。


 それまでセーラが仕事で出会って来た男は、仕事に対して不真面目な人間が多かった。とにかく最低限のノルマをこなして、後は時間をどうやって潰すかという考え方をする者ばかり。またセーラに厭らしい視線を向けて来る者も多く、それがセーラには我慢ならなかった。しかしカトーは違う。初めてする作業で緊張していたというのもあるかもしれないが、真剣に説明を聞き、ひたむきに作業に取り組んでいた。そしてセーラやボンゾに対しては、敬意をもって接していたのだ。


 そう、敬意。カトーにとってはセーラたちは職場の先輩であり、技術で遥か上を行く存在である。敬意を払って当然なのだが、それまで誰かに敬意を払われた経験の無かったセーラには衝撃だったのだ。


 セーラは今でも時折思い返す。初めてカトーが斧を入れて木を切り倒した時……一緒に作業をしていたセーラたちに、カトーはこう言った。


『ありがとう。上手くサポートしてくれたおかげで、こんなに綺麗に切り倒す事が出来たよ。初めての作業班が二人と一緒で、本当に良かった』


 今まで誰かにありがとうなどと言って貰った事の無かったセーラ。カトーにとっては何気ない一言でも、セーラにとってはとても大切な言葉となった。この一件以降、セーラはカトーの事を意識し出して行く。


 カトーは不思議な男だった。


 物覚えが早く、また要領が良い為、他の人の何倍もの仕事を難なくこなして行く。極めて優秀であり、その真面目な仕事ぶりに感動すら覚えた。モンスターに襲われた時などは、信じられない強さでモンスターを退治してしまう。これだけ見れば、非の打ち所の無い完璧超人である。


 ただ、カトーには良くわからない一面もあった。異常に物を知らない、常識はずれの事を言う、奇行に走る……。そして何故かは知らないが、自分の事をなかなか話そうとしない。話しても、それはセーラが直感で嘘だと見破れるものばかりだった。普段の行動は基本的に真面目で誠実なのに、話す事は嘘や誤魔化しだらけ。カトーの事を知りたいセーラにとって、何故カトーがそうまでして壁を作るのか分からず、やきもきする時期が続いた。そんな中でカトーを思い続けていられた理由は、カトーの向ける眼差しにあった。どれだけ嘘をつこうとも、目を見ればカトーが変わらず誠実な人間である事がセーラには分かるのだ。


 カトーの眼差しにはセーラやボンゾに対する敬意が消えていなかった。それどころか、こちらを大切に思っている事が伝わってくるような暖かさが宿っていたのだ。だからこそセーラは嘘つきのカトーを嫌う事が出来ず、益々思いを募らせて行く事になる。その思いが爆発してしまったのがあの夜の出来事であり、結果としてそれは見事に実を結ぶ事となった。







 カトーの腕の中で、セーラはこれまでの出来事を反芻するように振り返る。そして今の自分がどれだけ幸せなのかを再確認するのだ。もし、この暖かな温もりが急に無くなってしまって、また一人ぼっちに戻ってしまったら……そう思うと、胸が不安で苦しくなってくる。セーラは自分の身体を抱きしめるように身体を丸めた。いやだ、戻りたくない、もう一人になりたくないと心の中で叫ぶ。


……その時。


 不意に、セーラの身体を太い腕が抱き寄せた。急な事に驚くセーラ。しかし頭の上から微かに聞こえてくる声に、直ぐに頬をゆるませる。


「大丈夫だ……ずっと一緒だからな、セーラ……」


 そう、それは寝ているはずのカトーの言葉……寝言だった。今日のようにセーラが不安に苛まされた時、カトーはいつも無意識にセーラを抱き寄せて、こうして慰めるのだ。そしてセーラはそんなカトーの優しさに、思わず涙で瞳を潤ませる。


(カトーさん……ありがとう。私、カトーさんを好きになって本当に良かった)


 それまで抱いていた不安は一気に消し飛んでしまい、代わりに胸の中が暖かなもので満たされていった。そして再びやってきた睡魔に誘われるまま、セーラは今度こそ安らかな眠りにつくのだった。










 翌朝。




「マッスル・ウェイクアーーーップ!!」


 ムキムキムキムキムキッ

「あぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ!?」



 温もりは暑苦しさに変わり、導火線を燃やす火種となった。






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