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閑話 雨降る森の迷子たち

※閑話と題した話に関してはカトー以外の人間のエピソードとなりますので、三人称で話が進みます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 フォーリードの街から西へ約二時間ほど歩くと、常緑樹の覆い繁るうっそうとした森がある。広さにして7,000ヘクタールに及ぶこの森は、高低差の激しい地形である事に加えて霧の発生しやすい地域であった。窪地のような場所には霧溜まりが出来、またエルフたちの隠れ里がある関係で認識阻害や迷いの結界がある為に迷いやすく、旅人たちからは「迷いの森」と恐れられている場所でもある。


 キャロの森と呼ばれる地域は、その中でも外れにある森である。街に一番近く、森の奥と比べても気候は穏やかだ。しかし雨が多い事には変わりが無く、その日も朝から霧雨がシトシトと森の木々を濡らしていた。キャロの森の中、小さな集落であるキャロット村に住む少女は、寝室の窓からその景色を眺めていた。


「今日も良い日になりそうですね」


 大抵の人は雨を見て憂鬱そうな顔をするものだが、この兎人族の少女はそうではないらしい。勢い良く小さなベッドから飛び下りると、パジャマを脱いで着替えを始める。タンスの中から襦袢と足袋を取り出し、壁に掛けられた手製のハンガーを手に取る。ツル植物を編んで乾燥させたそのハンガーには、彼女が普段着ている薄黄色の着物と緋色の帯が掛けられてあった。馴れた手つきで素早く着替えると、壁に立てかけた姿見で着崩れがないかチェックする。そして腰元の布地を縦に一度ピシッと引っ張ってから、少女はニッコリと笑みを作った。


「では、今日も1日頑張りましょう!」


 姿見に向かってそう言うと、少女は元気良くパタパタと部屋を駆け出て行った。


 彼女の名前はウサミーミ・イ・ナーバ。キャロット村のジャム職人である。









 ウサミーミには家族が居ない。まだ物心つく前に隣国サウスコリの襲撃を受けて住んでいた村が壊滅し、なんとか両親に連れられこの村に逃げのびたが、その両親は襲撃時に負った怪我が元で死んでしまった。その後ウサミーミは村長の元に預けられ、村の皆が親代わりとなって彼女を育てあげる事になる。結果、ウサミーミは誰からも愛され、また誰に対しても優しくなれる少女に成長した。村長の死後、ウサミーミは小さな家を借りて趣味だったジャム作りを本格的に仕事として始めるが、その美味しさに加えて本人の人柄もあり、村で彼女のジャムを買わない人は居ないというまでになっていた。


 今日もウサミーミは朝からジャム作り。花柄のエプロンを身につけ、冷蔵庫のような形をしたアイテムボックスから果物の入った瓶を取り出して行く。そこには、先日採ったルビーベリーの瓶もあった。


「ふふふ、あの人たち面白かったですね。また来てくれないかなぁ」


 ウサミーミは瓶を手に取り、その時の事を思い出して笑う。とても元気で果物採集が上手なエルフの女の子と、ぶっきらぼうだけど優しいドワーフのおじさん。そして……一見怖いけど面白くて楽しい、猿人族の男の人。色々あって大変だったけど、非常に楽しく、素敵な1日だった。


 昨日の思い出を反芻して笑顔になっていると、そんなウサミーミに声をかける女性があらわれた。


「おはようございます、ミーミさん。何やら楽しそうですわね」


「あ、カグヤさん! おはようございます!」


 現れたのはウサミーミ同様に長い黒髪が美しい、兎人族の女性である。彼女は藍染の着物を着ており、所々に絞りで花のような形の柄があしらわれていた。それは決して上手い物ではないが、彼女が着こなすと不思議と上等な物に見えてしまう。優雅であり、気品に満ちた空気をもった女性であった。


「カグヤさんその着物で外を歩かないで下さいよ、恥ずかしいじゃないですか」


「あら、何を恥じる事がありますの? あなたから贈られた、大切なお着物ですもの。私の趣味にも合ってますし、何も問題はありませんわ」


 涼しげにそう答えるカグヤと呼ばれた女性。ウサミーミは恥ずかしそうに唸るばかりである。そんな彼女のそばまで歩み寄ると、手元にある瓶を見て言った。


「あら、またルビーベリーですか。次回出荷分は作り終えたのではなくて?」


「え……あ、はい。今日は新商品を考えようと思ってるんです。昨日沢山ルビーベリーが採れましたから」


「そうですの……なら私も手伝いますわ。今日は良い陽気ですから、体調もいいんです。何もせずに過ごすのも勿体無いですからね」


「あ、ありがとうございます!」


 カグヤの申し出に、ウサミーミは満面の笑みでそう答えた。二人は早速沢山の果物を手に厨房へと向かう。ウサミーミの表情は格別に明るいものとなっていた。







 兎人族のカグヤ。彼女は雨の日にだけあらわれる。


 彼女は普段、村の外に建てた小さな小屋に寝泊まりをしている。恐ろしいまでの強さを誇り、刀の一振りで大岩を断つなど朝飯前という腕前で、村の番人として働いていた。侵入者がなければ日がな一日寝て過ごすか、読書で一日を潰している。外に出るのが億劫な彼女は、体調の良くなる雨の日だけ活動的になるのだ。何故雨の日だけなのかは本人にも分からない。しかし「雨」が自分の中の何かを呼び起こす事だけは理解していた。


 ウサミーミは彼女の事が大好きだった。


 初めての出会いは、森の中で迷子になった時の事。まだ小さかったウサミーミは、山菜採りの最中に別の隠れ里のトラップに引っかかり、無限回廊をさまよってしまった。そこへ現れたのがカグヤだったのだ。カグヤはウサミーミを回廊から救い出し、キャロット村まで彼女を送り届ける。ウサミーミはカグヤに半ば一目惚れのような懐き方をして、カグヤに村に残るようせがんだ。そして元々一人暮らしをしていたカグヤはウサミーミの情熱に圧されて、何となくこの村に住む事になったのだ。


 カグヤは毎日起きていられるわけではない。しかし起きる事が出来た日は、必ずウサミーミの元に顔を出しに来ていた。そして気が向いたら、こうして手伝いなどをして一緒に居てあげるのだ。


「さて、私は何をすれば宜しいのかしら。ジャムを作るのでしょう?」


「はい。瓶詰めされたルビーベリーを取り出して、ボールに移して下さい。全部出したら、潰してもらいますから。……今日はタリアナの実と苔桃をミックスしたいと思ってるんです」


「あら、それは楽しみですわ。酸味が強めに出るのかしら」


「そうですね。煮詰めたら小鍋に分けて、その後蜂蜜とかを足したり色々試したいんです」


「フフフ、分かりました」


 カグヤはそう言ってマギヤンの小瓶を開け始める。ウサミーミも棚から砂糖等の調味料を取り出し、準備を始めた。雨の日は、こうしてカグヤが訪ねて来てくれる。だからウサミーミは雨が大好きだった。いつも以上に気合いの入ったウサミーミは、元気良く鉄鍋に水を汲みに行くのだった。








 同時刻。

 フォーリードの街にある、老朽化の進んだとあるホテルにて。一人の男が目を覚ました。やせ細り、頬の痩けたその顔には生気が感じられない。息で身体が微かに上下していなければ、誰が見ても死体にしか見えない男。ただ目にだけは多少の光が宿っていた。


「またか……何故起こすんだ。俺にまだ何かさせようと言うのか、神崎」


 そうつぶやいて、ゆっくりと身体を起こす。特殊な素材で編まれた黒いマントはどのような状況でも体温を一定に保つ優れものだったが、彼自身が何も食べずただ寝るだけでは体力の消耗を抑える事が出来ない。衰えた身体は自然と体温も低くなり、身体の動きも鈍ってくる。男は予想以上の身体の鈍さに顔をしかめた。一週間ほど前にも一度起きたが、その時よりも衰えが激しかったのだ。


「……立てないか。参ったな」


 男は胸ポケットから銀で作られたアミュレットを取り出す。その中央に組み込まれた小さなサファイアに、少しだけ魔力を通した。このアミュレットは言わばナースコールのような物である。彼の世話をしている人間がおり、その人を呼ぶために使われる。もっともその助けも必ず来てくれるわけではない。起きていれば来てくれる、という程度の物である。男は保険の意味でアミュレットを使った。来てくれたら万々歳、というくらいの気持ちである。


 アミュレットを使った後、男は横になっていたベッドの枕元に置いてある、一本の酒瓶の蓋を開けた。酒は酒でも魔力の籠もった酒であり、MPだけでも回復したかったのだ。男は酒を飲みながら、窓の外を眺める。ちょうどそこからは宿の看板が見えるが、その看板にはあるべき場所に文字がなかった。


「『あ』が落ちたか何かしたのか……『やめ亭』になってるじゃないか、直そうとしないのかここの主人は」


 フォーリードで最も古い宿、『あやめ亭』。この街が出来る前からあったとされる由緒ある宿も、今では朽ちて宿と呼んで良いのか迷うような姿となっている。そんな建物の一室、男の住む部屋だけは真新しく、まるで新築のような清潔さを保っていた。


 ここは、彼の『拠点』。

 フォーリードを出身地として設定した場合にプレイヤーに与えられる部屋である。

 この部屋はプレイヤーにしか見つけられず、またそのプレイヤーがフレンド登録した者以外の入室を拒むようになっていた。


 男は瓶に入った酒を飲み干す。そして空き瓶を床に転がすと、窓の外、高曇りの空を眺めてため息をついた。この降りそうで降らない煮え切らない空が、まるで今の自分を見ているようで妙にイラつくのだ。降るなら降ればいいのに。けれど、きっと雲はそのうち流れ晴れて行くのだろう。世界は残酷なまでに強く、逞しい。悲しみや苦しみに捕らわれる事など無いのだから。


 男が陰鬱な面持ちで窓から目を背けると、ちょうど部屋の空間が歪み中から一人の女性が姿をあらわした。兎の耳を生やしたその女性は、ウサミーミと調理を楽しんでいるはずのカグヤであった。


「また急な呼び出しですわね。せっかくミーミさんと楽しい一時を過ごしていたのに、台無しですわ」


 少し怒ったような表情で言うカグヤ。しかし男は冷たい視線を彼女に向けると、静かな怒りを込めた声で言った。


「オレも君など呼んじゃいないよ。それは君自身が一番よく分かっているはずだが」


「わかってますわ。けれど文句の一つでも言ってやりたかったんですの。私にも自分の人生を楽しむ権利がありますのよ」


「悪かった」


「……もうっ!」


 これ以上何を言っても無駄だと思ったのか、カグヤは目を閉じて顔を背ける。そしてしばらくすると、美しい黒髪が次第に色を変え……鮮やかな赤へと変化した。服装も着物が光の粒となって消え、スーツのような物が身体を覆う。彼女の顔つきは怒ったような表情から少し悪戯好きそうな小悪魔的表情に変わり、次に目蓋を開けた時には、先ほどまでの不機嫌が嘘のように笑顔となっていた。


「ゲイリー、久しぶりだ。ボクの記憶では昨日の事のようにも感じられるけど、あれから一週間くらいかな?」


「ああ、多分な。プレスト、悪いが身体が動かない。いつものをお願い出来るか」


「ふふっ♪ 君も好きだねぇ……ボクも好きだけどさ」


 ゲイリーと呼ばれた男に近づくプレスト。ベッドの上に座るとその身体にしなだれかかり、片手を頬に添えて勢い良く唇を重ねた。ゲイリーもその行為を当然のように受け入れる。カグヤに対しては拒絶の意志を示していた彼も、プレストに対しては嘘のように優しい。プレストの口付けは次第に熱を帯び、ゲイリーの口腔を舌で蹂躙し始める。そしてゲイリーもプレストの身体を抱き締めて、その行為に没頭した。


……約10分後。


「ありがとう、プレスト。これで何とかベッドから起き上がれる」


「ど、どういらひまひれぇ……」


 頬を上気させてベッドに倒れ込むプレストと、先ほどより少し元気になったゲイリーの姿がそこにあった。


「ゲ、ゲイリー。君お酒飲んでたね?」


「ああ。魔力を回復させる為にな」


「せっかくの君とのキスがお酒の味とか、勘弁して欲しいよ。ボクがどれほどこの瞬間を楽しみにしているのか、君は知らないんだ」


「だから何も食べずに寝ているだろ。頻繁にキスしてくれないと、寂しさと飢えでオレは死んでしまうんだ」


「飢えはともかく、寂しくて死んじゃうのは兎のボクの特権だと思うんだけどね……というか食べなよ、本当に死ぬから」


「前向きに検討するのもやぶさかではない」


「食え」


 軽口のやりとりをするくらいには回復したらしい。ゲイリーはプレストの言葉に肩をすくめた後、少し真面目な顔をして言った。


「『邪神の楔』の反応がある。どうやら俺はこの反応に起こされたらしい。ここから北西に25キロといった所か」


「もしかしてカトー君かな」


「多分な。それを確かめたいと思っている。ゲートを繋いで貰っていいか」


「勿論さ。言っただろう、ボクは何があろうとも君と共にあるって。一緒に行くよ」


「……ありがとう」


 むくりと起き上がったプレストが、ゲイリーの身体を支えながらベッドから立たせる。そして部屋の中央まで移動すると、片手を宙にかざした。空間が波打ち、その向こうに違う景色があらわれる。


「ねえ、ゲイリー」


「なんだ?」


「無茶、しないでね」


「なるべくそうしたい」


 その答えを聞いて小さくため息をついてから、プレストはゲートを発動させた。二人は音も無く、その部屋から姿を消す。残ったのは静寂と、かすかなルビーベリーの甘い香りだけだった。










 キャロット村では、ウサミーミが一人で鍋を煮立たせていた。鉄製の小ぶりな鍋の中には、果実酒と蜂蜜を加えられたジャムが、艶やかな光沢を放ちながら湯気を立てている。甘い香りを漂わせながら、クツクツと音を鳴らしていた。


 それを、しょんぼりとしながらウサミーミは木のヘラで回す。いつでも一緒に居られるわけではないと、知ってはいたのだが、やはりどうしても気落ちしてしまう。鼻をすんと鳴らすと、鍋に蓋をして薪の火を消した。


「これで、よし。美味しくできるかな……」


 冷めた時にどんな味となるか。それを確かめなくてはいけない為、これからしばらく待つ事になる。本来であれば別の作業に移る所だが、今日はそんな気持ちになれなかった。厨房の窓から外を見ると、雨は止み、眩しい陽の光が草木に残った雨雫を煌めかせていた。


(雨、あがっちゃった)


 目尻に溜まった涙を指で拭ってから、ウサミーミは力無く笑った。寂しいけれど仕方がない。ただ、その原因となった人の事を思うと、心の中に言い表せない淀みが生まれてしまう。その感情はよく分からないけど……多分、良くないものだと、ウサミーミは頭を振った。


 身体の不自由な男の人と、カグヤの中にいるもう一人の女性。プレストとゲイリーの存在はウサミーミも知っていたが、二人の持つ暗い雰囲気、そして血のニオイはウサミーミには受け入れられないものであった。大好きなカグヤを消してしまう、怖い二人の事を考えると、どうしても胸がざわつくのだ。


(怖い……こんな気持ちイヤなのに。イヤなのに、消えない……助けてカグヤさん、私、私……)


 薄暗い感情の淀みが心を支配しそうになる、その時。厨房の入り口の扉をトントンと叩く音が聞こえた。ウサミーミは我に返り、激しい動悸を抑えるように深呼吸をする。そして「はぁい、今行きますよー!」と空元気の声をあげて扉に駆け寄った。そして……


 ガラッ

「どちら様で……あっ、ハナちゃん!」


「ガウッ」


 そこにあらわれたのは一匹の大きなクマ。花かんむりをして手に網かごを持った、ウサミーミの友人だった。


「ガウアウ、ガウウッ」


「わ、いいんですか? これ作るのにすっごく苦労したでしょう?」


「ガウガウア」


 ハナちゃんと呼ばれたクマが差し出したのは、花弁の大きな黄色い花を中心に小さな青い花や赤い花を編み込んだ花のかんむりであった。ウサミーミは突然のプレゼントに驚き、そして感極まって涙を流しそうになる。しかしなんとかこらえて、ハナに言った。


「ありがとうございます、とっても嬉しいです。お礼と言ってはなんですが、良かったらジャムの味見をしてくれませんか? 実は味見をしてくれる方を探していたんですよ」


「ガァウッ! ガウガウ」


 ハナは両手を上げて喜ぶ。端から見たらまるでウサミーミが襲われているかのような物騒な絵だが、ウサミーミは嬉しそうに微笑んでいた。クマのハナは、ウサミーミが悲しんでたりすると、どこからともなくやって来て彼女を慰める。それは初めて会った10年前からずっと変わらなかった。


「では、奥にどうぞ。もう少ししたら冷めますからね」


「ガウッ!」


 上機嫌なハナを見てウサミーミも笑う。いつの間にかその顔から先ほどまでの憂いが消えて、いつもの明るい表情へと変わっていた。










 それからしばらくして。


 キャロット村の外れ、カグヤの住む小屋のそばに、ゲイリーとプレストの姿があらわれた。ゲイリーはプレストの肩を借りながらおぼつかない足取りで小屋の中に入る。木製の小さなベッドの上に身を投げ出すと、後はプレストにされるがままになっていた。


「少し身体を浮かして。マントを取っちゃうから」


「すまない」


 慣れた手つきで着替えさせるプレスト。しかし時折思い出し笑いをしてしまって、その手は止まりがちだ。最初はクスクスと笑う程度だったが、次第に爆笑に変わった。


「あ、あは、あははははっ! ゲイリー、どうだった? カトー君との初対面は!」


「……鬱だ」


 苦々しい顔で答えるゲイリー。いつか顔を合わせる事があるだろう、と覚悟はしていたのだが……想像していた姿とは全く違う、覆面レスラーのような外見に戸惑いを隠せないのだ。


「変態だね、あれこそ変態だよ。ボクは感動したなぁ、あの姿と強さに。君もあれくらいはっちゃけたら人生楽しくなると思うよ」


「楽しくなるかもしれないが、同時に終わりも近そうだ」


 憮然とした表情で答えるゲイリー。いくら何でもあれは無い、と心の中でつぶやく。しかしあの姿は確かに見覚えがあった。いつ、どこで見たのだろう。ゲイリーは目を閉じてしばらく考え込んだ後、ハッとした表情になって口を開いた。


「ルチャドールか」


「お茶道路? なんだい、それ」


「お茶じゃない、ルチャだ。メキシコのプロレスだよ。あいつのあの格好は、向こうのレスラーに多い格好なんだ。戦いの最中に繰り出したバク転のような巻き込み技も、恐らく有名選手の使う『空中殺法』を真似たものだろう」


「……詳しいんだね?」


 少し引き気味のプレスト。いきなり饒舌になったゲイリーに驚いたのだ。口数の少ないゲイリーがここまで話すのも珍しければ、自分の事を他人に話すのも稀。そんな彼が情熱的に自分の興味ある事を誰かに話す姿など、まず滅多に見られるものではないのだ。それがプレストにとって全く興味の無いプロレスの話というのが悲しい所だが、プレストはめげずに続きを促した。


「骨董屋でビデオテープを探したものさ。残念ながらオレの好きなレスラーのビデオは『ベータ』でしか見つけられなかったけどね。次にベータ再生機を探したんだけど、見つける前にこっちの世界に来た。前の世界に未練があるとすればこれくらいかな」


「へ、へぇ……そうなんだ……」

 どうしよう、やっぱりついて行けない。そんな気持ちでプレストは言葉を続けた。

「良かったね。カトー君がいれば、次の百年は話の合う友達と楽しく過ごせそうじゃないか」


 しかしその言葉はあまりに軽はずみだった。プレストの言葉を耳にした途端、ゲイリーは悲しそうな顔になって俯いてしまう。その姿にプレストも自分の迂闊さを呪った。


「ごめん、ゲイリー。軽いノリで口にする言葉じゃなかった」


「いや……これは仕方ない事だし、いい加減受け入れなきゃダメだ。今更悲しむ事じゃないよ。そうじゃなくて、オレが悲しんだのはお前の事だ」


「ボクの事……?」


「ああ。百年という言葉で思い出した。プレスト、お前もそろそろタイムリミットが近いだろう? 次の百年はお前の居ない百年なんだと思ったら、どうにもやるせなくてな……」


 そう。プレストはもうすぐ消える。それは本人が一番良く分かっていた。良く分かっていただけに、その寂しさや怖さを忘れたくて今まで考えないようにしていたのだ。しかしタイムリミットは近い。プレストは目の前の男との別れを思い、悪寒に近いものを感じて自分の身体を抱き締めた。恐怖の先にある、もっと根源的な衝動に襲われたのだ。しかしそれを何とか自分の中に押し込めて、プレストは俯くゲイリーの身体を抱き寄せた。


「そうだね。ボクは消える。多分、あと一年か二年のうちだ。この身体はカグヤに完全に受け継がれ、ボクという存在は永久に失われる事になる」


「プレスト……」


「でも勘違いしないで欲しい。確かにボクは消えるけど、ボクが君を愛した事実は消えないんだ。君への愛は、きっと何が起きようとも不滅だよ」

 そしてプレストはその美しく透き通った紅い瞳でゲイリーを見つめて言った。

「愛してる、ゲイリー。ボクがボクでなくなっても……君が君という存在にとどまれなくなろうとも。いつまでも、ボクのこの気持ちに変わりは無いよ。これだけは覚えておいてね」


「………」


 言葉が出てこなかった。ゲイリーはいつの間にか涙を流していた。それほど彼にとってプレストの言葉には響くものがあったのだ。そして二人は、その温もりが確かにそこに在る事を確認するかのように抱き締めあう。


「大丈夫だよ。ボクはずっと君と共にある。言っただろう?」


「ああ、覚えてるよ。ありがとう、プレスト」


 涙を流しながら言うゲイリーの頭を撫でながら、プレストは優しく微笑んだ。ゲイリーが泣き虫なのは、初めて会った頃から変わらない。弱くて、後ろ向きで、臆病者。けれど優しくて誰よりも頑張り屋な彼を、プレストは心から愛していた。彼との物語は終焉の時を迎えようとしている。しかし悲しくは無いのだ。きっと彼はどんな存在になろうとも、優しくて臆病なゲイリーであり続けるだろう。愛が不滅なように、プレストの愛したゲイリーもまた不滅なのだから。








 それからどれくらい時間が経過したのか。互いに温もりを求め合った後、プレストは自身の中にうごめく存在を感じて肩をすくめた。


「ごめん、ゲイリー。今日はここまでみたいだ、バトンタッチの時間だよ」


「カグヤか?」


「ううん。新成雪美(あらたなり ゆきみ)の最後の人格さ。多分彼女が一番本来のボクに近いと思う。君とは初対面だけど、カグヤみたいに嫌わないでくれると嬉しいかな」


「嫌ってはいない。苦手なだけだ」


「フフフ、それならいいんだけど」


 ベッドの上、着崩れたスーツを整えながらプレストは笑った。そして、少し眉を下げて苦笑いに似た表情を作る。


「ねえゲイリー。ボクもカグヤも、最後の子も。みんな元は一人の人間だったんだよ。だからね、ボクが好きな人は他の子たちも好きなハズさ」


「……信じ難いな」


「間違い無く、カグヤは君を気にしてる。きっとこれから会う子だって、君を好きになるハズだよ」


 言いながら、プレストは目蓋を閉じた。ゲイリーに向かって顎を少し上げるような仕草をする。いつものキスをせがむ姿勢だ。ゲイリーも自然に唇を寄せる。その瞬間、プレストの口元がニヤリと歪み、目は悪戯が成功したような喜びで弧を描いていた。


「だから、新しいボクにも優しくしてあげてね。じゃあ、おやすみ」


「は? 何を……ムグッ!?」


 食らいつくような勢いで重ねられる唇。おやすみの挨拶にしてはやたらと情熱的なキスは、まるでゲイリーを内側から食らいつくさんばかりに強引で……しかし、しばらくしてその動きが止まる。


 意識を失いかけたゲイリーが何とか我に返ると、目の前には先ほどとは全く印象の違う女性がいた。顔の造りは変わらないが、髪の毛は純白と言っていいくらいに白く、その瞳はエメラルドのように深く美しい緑を湛えている。肌は陶磁器のように白……いのだろうが、今は鮮やかなピンク色に染まっていた。恐る恐る唇を離すゲイリー。案の定、目の前の女性はプルプルと震え出して……



「ひゃわわわわわわわわっ!?」



 慌て出した。

 その慌て方も、両手をバタバタと振ってベッドの上を跳ね回るという子供のような動き。服装はスーツから可愛らしい淡い青のワンピースへと変わっていたが、ベッドの上で暴れた為にはだけて下着が露わになってしまっていた。女性は余程気が動転したのか、はたまた恥ずかしいのか、ベッドにかけられた掛け布団を頭からすっぽりと被る。結果、情事の後のゲイリーはズボン以外は裸という格好を外気に晒す事になった。


「……記憶は連続してるのか?」


 この程度では動じないゲイリーも異常である。プレストに対する時の柔らかさは消え、ただ冷たく言葉を投げかける。その態度の豹変が、慌てる女性に冷や水をかけた形となり、強引に冷静さを取り戻させた。


「は、はい。その、言いにくいですけど、全部の記憶を持っているので、その……」


 先ほどまでの会話すら把握済み、という事である。鼻の頭をポリポリと掻くゲイリー。さすがにここまで知られて、尚且つその事で照れられてはゲイリーでさえ恥ずかしくなってしまう。ばつの悪さを何とかごまかしながら、ゲイリーは話を続けた。


「君と彼女は違う。気にするなとは言えないが、割り切って考えてくれ。その方が、お互いに幸せだと思う」


「分かりました。……あの、恥ずかしいので、服を着てくれませんか? 私も武装したいので」


「武装する意味が分からないが、構わない。オレも寒いからな、着替えさせてもらおう」


 そう言って素早く服を着るゲイリー。先ほどのキスのおかげで、いつもより身体の動きは良い。プレストによって綺麗にたたまれた服を着直すと、黒いマントを羽織っていつもの格好になった。そして振り返り……固まる。


「個性的な格好だな」


『まぁナ』


 そこには真っ赤な鎧武者がいた。木造の狭い小屋の中に、全身を隠すような物々しい甲冑。その違和感たるや尋常ではない。しかしゲイリーにとっては大した事ではなかった。単に、あまりにシュールな光景だったので戸惑っただけである。


「口調も違うようだが」


『……この方ガ、気分が楽なんダ』


「そうか」


 やはりこの子も自分を隠さないと気持ちを安定させられないらしい。プレストやカグヤが何かを演じて、脆くて繊細な自分(こころ)を隠さずにはいられなかったように。ゲイリーは「難儀なものだな」とつぶやいて頭を掻いた。


「じゃあ、オレは行くよ。プレストに伝えてくれ、しばらくは体調も大丈夫そうだし、急に呼び出す事も無いだろうと」


『え、あ、もうカ? お茶くらい出すガ』


「君は平気かもしれないが、鎧武者を向かいにお茶を飲むのは気が休まらないよ。せめて顔くらいは出してもらいたいが、それも無理なんだろう。なら、オレは帰るだけさ。これ以上ここにいて君にプレッシャーを与えたくないしな」


 ゲイリーは自分の身体から発せられる威圧感を自覚している。そして、目の前の女性がそれに負けて足を震わせているのもちゃんと分かっていた。第一、声からして震えているのだ。不良に怯える女の子のようで気の毒でならなかった。ゲイリーは彼女に背を向けると、小屋の外へと歩き出す。その背中を、赤い鎧武者はただ見送るしか出来なかった。実際には動く事すら出来なかったのだ。


『ごめんなさイ』


 小屋に一人きりとなってから初めて、彼女は声を震わせずにそうつぶやいた。










 小屋を後にしたゲイリーは、さてこれからどうするかと考える。体力は随分回復している。先ほど大きな魔法を使って魔力は半減しているものの、それだって1日寝ればすぐに回復するのだ。時間は腐るほどある。このまま帰って寝るだけというのも勿体ない気がしたのだ。


 そんな事を考えていると、森の中の小道を、こちらに歩いてくる人影を見つけた。数は2つ。人を凌駕する大きさの影と、小さな子供程度しかない影だった。よくよく見るとそれはゲイリーのよく知る二人であり、向こうも同じタイミングでこちらを認識したようだ。大きな影は身構えて、小さな影はその影に隠れるようにしていた。


 クマのハナと、兎人族のウサミーミである。ゲイリーは参ったなと鼻の頭を掻いた。二人とは相性が悪い上に関係も悪かったのだ。彼女たちの目的は確実にカグヤの家であり、自分ではない。ならば黙ってやり過ごそうとゲイリーは歩き出した。


 いつものように、ゲイリーは二人を避けるように道を開ける。そしてすれ違おうとすると、意外な事に向こうから声をかけてきた。


「あの……ゲイリーさん」


「なんだ」


 どうしてもぶっきらぼうな言い方になってしまうゲイリー。普通の子供ならこれで畏縮してしまうのだが、ウサミーミは勇気を振り絞って続けた。


「ジャム、作ったんです。良かったら一つ貰ってくれませんか」


「オレにか?」


「はい。甘いものが苦手なら、無理にとは言いませんけど……」


「………」

 少し考え。

「貰おうか」

 と答えた。


 それは気まぐれだった。珍しく向こうから声をかけてきたという事。そして何となく気分が良かった事。それくらいで、深い理由など無かった。しかしジャムを貰うと告げた時、少女の顔がパッと明るくなったのを見て、ゲイリーは偶にはこういうのも良いかと心の中でつぶやく。


「良かったら今度、感想を聞かせて下さい」


「分かった」


 それは端から見たら何でも無い会話である。小さな子供が、男にジャムを渡して感想を聞かせてと言っただけ。その後軽く挨拶を交わして、二人と一匹は別れる。しかし、その単純なやりとりは男にささやかな変化をもたらしていた。




「次の百年、か。このまま朽ちて行くだけなのも、寂しいよな」

 手元のジャムの入った小瓶を見つめながら言う。

「あの子たちを守るというのも、良い暇つぶしにはなるかもな」


 まるで誰かに言い訳をするかのようにそうつぶやいて、ゲイリーはまた歩き出した。身体は段々と透けて、森の景色と同化し始める。そして完全に姿が見えなくなると同時に、森の中からゲイリーという存在は消え失せるのだった。







 ゲイリー・アイリッシュ。


 かつて世界を救い、世界に殉じ、そして世界を呪って眠りについた男。このまま朽ちるまで眠り続けるはずの彼の運命は、少女の小さな勇気によって変化の時を迎える。


 ただ闇の中をさまようだけだった男の心に、今小さな明かりが灯ろうとしていた。









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