それは素敵なピクニック(4)
彫金師ヴォーン。
彼はワイルドフロンティアにおいて上位種族に位置する『巨人族』であった。
上位種族とはキャラメイク時には選べない種族で、特定条件を満たした上で転生して初めて成れる種族の事だ。ワイルドフロンティアの歴史における巨人族は、かつて竜人族や魔族と共に世界を力で支配しようとして敗れた種族。人間種やエルフ、ドワーフたちが多数派となった今ではかつてのような野心家も居らず、穏やかな連中が大半を占める。しかし、いくら大昔の事と言っても敵対していた事実は変わらず、人間からは差別的な扱いを受ける事が今でも多い。フォーリードのあるマンディール国は人間の王が支配する国でありながら多種族国家であり、巨人族に対しても平等に扱う為、ヴォーンのような人達が多く移り住んで来ているという。
現在俺たちはヴォーンと共にフォーリードの街へと帰る途中。何も知らない俺は正直に巨人族を知らないと伝え、まずはそこから教えてもらっていた。先ほどバンプウッドの件で色々話したのだが、それは後で説明しよう。まずはヴォーンの事からだ。
「で、ヴォーン。おめぇははるばるキンロウまで何しに行って来たんだ?」
「近く、マンディールのギフ王子が成人を迎えるのは知っているな。その式典で扱う宝剣の柄に虎獅子の彫金を施してきた」
「へえ、そりゃ大層な仕事をしてきたもんだ。ならその馬車は褒美って所か」
「うむ。ミスリル銀と鉄を積むのにちょうど良かったからな。荷台の奥に積んである。そろそろ俺の店にも新しい作品を置かなければならんから、その材料も含めて褒美として貰って来た」
よくわからんが、剣の柄に彫り物をしただけでそれだけの褒美が貰えるのか。どれだけ腕を買われてるのだろう。ちなみに彼の彫った虎獅子はワイルドフロンティアの中でもかなりの強敵であるトラレオーネの事だ。ライオンのような鬣を持った虎で、疾風系のスキルを駆使して気配とニオイを分散させる厄介なヤツだ。索敵してもダミーだらけで位置が掴めなくなる。イベントで群れを成して襲撃してくるが、その時には鶴翼の陣を敷いて来た。どんな虎だ。
「で、そのバンプウッドは嫁さんへの土産か?」
「まさか。カンティーナの町からしばらく歩いた所で襲われ、その後街道沿いの森でも襲われた。増えてると聞いたが異常な遭遇率だ」
何でもないようにさらっと言ってのけたが……つまり二体も一人で倒したという事だ。どれだけ強いというんだ、このヴォーンという男は。というか結婚してたんだな。
「ヴォーンさんって強いんですねぇ! 私たちなんて、三人で何とか倒したのに」
セーラの言葉に俺も頷いた。
「ヴォーンさんは冒険者を兼任してると言ったが、それだけ強いならランクは凄い事になってそうだな」
しかしヴォーンは俺の言葉に苦笑いを浮かべた。
「いや。試験とやらが面倒でな、ランクはEだ。それにギルドの仕事よりも自分の仕事を優先している。時々こうして危険なモンスターを倒して金を貰うくらいだ」
「カトー、コイツはこういうヤツだ。身体の強さだけなら多分おめぇとタメ張るぐらい強いが、とにかく彫金しか頭にねえのよ。後は嫁さんか。まだ一年経ってねえよな」
「……明日でちょうど一年だ」
「ハッハッハ! なら急いで帰らないといけねえな! その獲物を売っ払った金で何か買ってやりな」
「うむ……」
いつの間にか惚気話になっていた。どういう事だ。しかし堅物っぽい男が照れる姿はなかなかに面白い。いいなぁとセーラが呟いているが、彼女の美貌なら相手など腐るほど出てくるだろう。俺は……うん、無理だ。初めて母以外の女性に声をかけられた時は三毛猫だったし、その声は「フシャーッ」だった。
「……それより。先ほどセーラ殿が言っていた事が気になる」
ヴォーンが話題を強引に変えた。
「切り株のバンプウッドというのは何だ。バンプウッドは大木以外にも種類があるのか?」
「おう、俺も驚いたんだがな。何だかネバネバした気味の悪いヤツが切り株の中に入っていったかと思ったら、その切り株がバンプウッドになりやがったんだ」
ボンゾが今日の戦いの経緯を話す。最初は普通に聞いていたヴォーンだったが、次第に目つきが険しくなって来た。セーラなどは怖くて震え、俺の後ろに隠れてしまった。というかマントの中に入るな、流石に暑い。
「うぅむ……奇妙だな」
「そうだろ? だからギルドに報告しようと思ってな。弁当箱にそのネバネバがついてるから、それも一緒に届けようかと思ってんだ」
「見せて貰っても?」
「構わねえぜ」
ボンゾの差し出した弁当箱を手にして、蓋を開ける。険しい目つきは更に剣呑な物になった。あの粘菌の正体を知っているのだろうか。……いやいやセーラ、怖いの分かったから密着してしがみつきながら震えるのはよせ。背中はふるふると柔らかいのが当たって気持ちいいが、二の腕が異様に痛い。これ確実に血が出てるだろ。
「……この中で状態異常を回復するスキルを持っている者は?」
「俺だ」
手を上げて即答する。しがみつかれてる関係で肘より先しか動かせないけどな。
「なら、アイテムボックスを使える者は?」
今度は全員が手を上げた。というかセーラ、マントから手だけ出すな。俺が不思議な生き物になってるから。
ヴォーンは弁当箱に蓋をすると、ボンゾの腰のポシェットを指差して片付けろと言った。バッグではなく、アイテムボックスにしまえという事だろう。そして、俺にこの場にいる全員に状態異常回復スキルの使用を指示する。すぐさま俺はウォーターキュアを唱えた。
一体なんだと言うのか。
全員が癒やしの雨を浴び、ステータスに異常がないか確認した後。ヴォーンが口を開いた。
「これはキンロウの近衛兵に聞いた話だから事実だと思うのだが。隣国のサウスコリで奇妙な病気が流行っているらしい」
「病気?」
俺が聞き返すとヴォーンは静かに頷いた。
「最初は犬や猫といった動物が凶暴化するだけだったが、そのうち牛や馬のような大きな動物も凶暴化し始めた。そして時間の経過と共に、角や羽が生え……モンスターになっていったらしい」
「あんだとっ!?」
ボンゾが声を上げる。俺とセーラも開いた口がふさがらない。何でもない動物がモンスターになる? そんなイベント、ゲームでは全く出なかったぞ。
「その治療の際に確認されたのが、弁当箱についていたような粘着物だったという。俺も城に入る際に身体検査を受けた。人への感染は確認されていないが、危険である事には変わりないからな」
モンスター化させる粘菌……そう言えばバンプウッドはゲームではイベントモンスターで、魔法生物扱いだった。決して自然発生する敵ではなく、邪悪な魔法使いが使役する魔物だったハズだ。決して粘菌が変化するモンスターではない。つまり……
「俺たちが倒した切り株はバンプウッドというより、モンスター化された切り株という事か」
「……切り株も生き物だ。その可能性は高いだろう」
俺たちの誰もが顔を青ざめさせた。粘菌が、切り株モンスターを量産する。あんなモンスターが増え続けたら、フォーリードの街などひとたまりもない。いや、この国の存亡に関わるだろう。空気感染でない事が救いだが、こんな粘菌を放置していたら今後どんな進化を遂げるか分からない。
「ボンゾさん。もしかしたら、最近のバンプウッド増加にこの粘菌が関わってるんじゃないか?」
「俺もそれを考えてた。本当に最近急に増えだしたからな。こりゃあ、ちょっと大事になってきたぞ……」
最悪の事態を思い浮かべて顔を歪める。重苦しい空気のまま、俺たちはフォーリードへの道を歩いて行った。
フォーリードについたのは夕日も沈みかけた黄昏時だった。門兵に挨拶をしてからギルドへと向かう。ギルドからの信頼の厚いヴォーンとボンゾが報告へと向かい、俺とセーラは、今日はそのまま帰るという話になった。ボンゾ宅でのお祝いはお流れである。流石にお祝い気分ではなくなったからだ。ボンゾからは明日、改めて誘わせてもらうと謝られた。しっかり準備して、ご馳走させてもらうからな、と。楽しみだっただけに残念ではあるが、まぁ仕方ないだろう。むしろ面倒事を任せてしまって申し訳なくなる。
「はぁ……何だか疲れちゃいましたね」
「そうだな。最近想定外の事が続いてるし、精神的にも疲れてるのかもしれないな」
「じゃあ、今日はもう宿に帰りますか?」
確かに空は宵の口といった色合いだ。このまま帰ってもいいだろう。しかし……セーラの言葉がどこかしら寂しい響きを帯びている事に気づいて、俺は答えた。
「なあセーラさん。ちょうど夕飯時だし、昼に食べ損なったセーラさんの弁当を食べさせて貰っていいか?」
「えっ!? あ、あの、流石にアイテムボックスに入れてるからって、もう冷たくなって美味しくないと思いますし……」
「俺、冷えた飯でも問題なく食べられるぞ」
「でもでも、もしかしたら傷んでるかも知れないし、第一お昼にあんなに美味しいお弁当食べたら私の作ったお弁当なんて……」
「セーラさん」
俺はセーラの両肩に手を置いて、言った。
「俺はセーラさんの弁当が食べたい。今すぐにでもね」
「ふえぇぇぇぇぇっ!?」
バフッという音でもしそうなくらい、一気に顔を赤らめるセーラ。蚊のメスにすら避けられる俺のような男相手に、ここまで照れるとかどんだけウブなんだ。
「ダメかな……俺、本音を言えば嬉しかったんだよ。女の子に弁当を作って貰った事なんて無いし、それがちょっとした味見の為だとしても食べてみたかったんだ」
これは本当だ。女からの贈り物なんて、動物園のメスゴリラから奇声と共に投げつけられた糞くらいなのだから。ホントもう泣きたくなる。
俺の心の叫びが伝わったのか。セーラは真っ赤な顔のまま頷いた。
「知りませんよ、お腹壊しても」
「心配するな、ウォーターキュアがある」
「もう……」
顔を上げた彼女は、困ったように笑っていた。
「じゃあ、私のお気に入りの場所に行きましょう。北門近くの高台に、綺麗な公園があるんです。街が見渡せて、気持ちいいですよ」
「分かった」
こうして俺は人生初のデートを体験する事になった。……異性として見ていなかったつもりなのに、どうやら俺は自分で気づかなかっただけで充分セーラを意識してしまっていたようだ。
セーラが案内してくれた公園は、彼女の言う通り北門近くの高台にあった。フォーリードは北に向かって緩やかに高くなってゆく地形で、この公園はそのフォーリードの街の中でも一番高い場所にある。四方が開けており、そこからは街全体が見渡せた。空は群青色に染まり、所々に星が瞬く。眼下には無数の家々。白を基調としたレンガ造りの壁に、屋根は原色の赤や緑や黄色である。昼間ならば目にうるさいくらいだろうが、今は夜の色に染め上げられ優しいモザイクを作り上げていた。その一つ一つの窓からは、ランプや魔力灯の明かりが漏れている。俺はその幻想的とも言える光景にしばらく言葉を失った。
「……ね。綺麗でしょう?」
「……ぁあ」
かろうじてそう答える。こんな光景、テレビでしか見た事が無い。いやヨーロッパ紀行物の番組ならちょくちょく見たし、仕事の出張で実際に行った事も多々あるが、ここまで美しい光景など無かったかもしれない。
「こっちにベンチがあるんです。さ、行きましょう」
「ああ。行こうか」
呆けている俺の手を取って、セーラは歩き出した。本来ならそんな事をされたら緊張の一つでもする所だが、今の俺は感覚が麻痺してしまいそこまで気が回らなかった。
公園は全体的に白で統一されていて、案内されたベンチも木製のベンチに白い塗装がなされた物だった。そして公園内の街灯に魔力の明かりが灯ると、その青い光が公園全体をぼんやりと青白く浮かびあがらせる。それはまるで夢の中のように現実感が無く、おかしな魔法にでもかけられてるんじゃないかと思うくらい綺麗だった。
俺とセーラがベンチに腰を掛ける。彼女は小さめの弁当箱を3つアイテムボックスから取り出すと、一つを自分の膝の上に。一つを俺と自分の間のスペースに。そして最後の一つを俺に手渡した。トータル的には二人分はある。確かに自分一人の為にしては量が多かった。手渡された箱を開けると、そこには綺麗に小分けされたおかずの数々が。煮物や玉子焼きやデザートなのかリンゴまである。というかウサギの形とか……どこでそんなお約束ネタを仕入れるのか。びっくりである。
「蓋にお手拭きが付いてますから、それで拭いて下さいね」
「うぉっ!? 芸が細かいな!」
箸まで内蔵している。便利な弁当箱だ、学生の頃に欲しかった。これがあれば箸を入れ忘れて手で食う事も無かっただろうに……
「いただきます」
脳裏に学生の頃の甘酸っぱいというか塩辛い思い出などどうでも良い。今は目の前の弁当に集中するのだ。俺は有り難く手を合わせてから、勢い良く箸を躍らせた。
煮物。うまい。味が染みている。柔らかい。うまい。人参もうまい、苦手だったのに。このきんぴらみたいなのもうまい。シャキシャキしてるのはゴボウか? 何故に悉く和風なのか。まぁいいや、うまいから。玉子焼き……甘い。甘くてうまい。海苔まで挟むとか分かってるなセーラ。うまい。小さめのハンバーグ、これもうまい。繋ぎに何使ってんのかな、冷えてるのに柔らかいし水分が逃げてないや。うまい。めちゃくちゃうまい。
そこまで食べて、気づいた。
「悪い、俺食ってばっかしだな。感想言わなきゃ意味無いのに」
余りに夢中になって食ってたら、セーラをほったらかしにしていた。しかしセーラは笑っていた。
「いいんですよ、感想なんて。そんなに美味しそうに食べてくれたら、それだけで充分嬉しいですから」
「……そうか? でもセーラも食わなきゃ……あ、俺もパン買ってたな。待ってくれ、今出す」
一旦弁当箱を置き、アイテムボックスからパンを取り出した。
「店で買ったので悪いんだけど、これ俺のお気に入りなんだよ。少し固いけど、味は本当に良いから」
「ありがとうございます」
紙袋に入ったパンを受け取って、セーラは微笑む。変だな、いつものアタフタしてるセーラはどこ行ったんだ。これじゃ、いつもと逆じゃないか。調子が狂うぞ。
しかしその後も俺がアタフタしてセーラが見守るという図式が変わる事は無かった。ああ、つまりこれは俺が舞い上がってるという事か。そこまでは何とか分かったが、俺にはどうしようも無かった。ただうまいうまいと弁当を食べ続け、結局セーラの分まで平らげてしまっていた。セーラはパンを2つ食べただけ。小食過ぎると思うのだが、大丈夫なのだろうか。
「ふぅ……ご馳走様。何だか済まないな、俺ばかり食べてしまっていた。セーラさんは足りてないだろう?」
「いいえ、お腹一杯ですよ。ついでに言うと、ちょっと顎も疲れましたけど。でも美味しかったです、ハムもチーズも良い物を使ってましたし、パン自体も噛めば噛むほど甘くなって……カトーさんがハマるのも分かりました」
「そっか……気に入ってくれて何よりだ。共感してくれる相手が一人でもいてくれると、嬉しいものだからな」
食べ終わり、少し落ち着きを取り戻す。ベンチの背にもたれて空を見上げると、いつの間にかそこには視界一杯に星が瞬いていた。
「……凄いな」
「本当に。私のいた所よりも、ここの空は広くて綺麗です。初めてこの街に来た時は、毎日ここで空を眺めていました。カトーさんのいた所では、どうでしたか?」
「俺のいた所? そうだな……空を見上げる事すら忘れていたよ。そんな余裕なんて無かったし、目の前の事で一杯一杯だったな。でも月は偶に見ていたよ、あれだけはどこにいても簡単に見つけられるから」
そう言って夜空を仰ぎ見て……俺は自分の失言に気づいた。
無い。
月が無いのだ。
それどころか、そこには知っている星座が一つも無かった。別に星の事に詳しくなくても、一般常識としてカシオペア座や北斗七星は誰でも知っている。俺でも夜空を見れば、数分で探し出す事が出来るのだ。しかしいくら探しても、その空には月もカシオペアも北斗七星も出ていなかった。
「カトーさん……」
セーラの声は、どこまでも落ち着いている。動揺する俺とは正反対に。そして透き通った瞳で俺を見つめ、言葉を続けた。
「カトーさん。あなたは、どこから来たんですか?」




