序 パンツと俺
インターネットカフェには今日も暇な客が溢れかえっている。仕事帰りに立ち寄った俺は、そんな混雑した店内をウンザリした顔で歩き、カウンターへと向かう。受付待ちの行列に並び約10分、ようやく自分の番に回って来た。アルバイトのお姉さんが俺を見上げると若干怯えたような表情で言った。
「ご利用のコースはどちらになさいますか」
「VRS、二時間で」
「かしこまりました、405番になります」
いつもよりやや機敏な気がする。そんなに俺は怖い顔をしていたのだろうか。ああ、多分そうなのだろう。混雑は嫌いだし、これからやる事だって憂鬱なのだから。
カードを受け取り向かう先には、まるで棺桶の並ぶ霊安室だ。カバンをコインロッカーに預け、ネクタイを緩めると、俺は405とナンバリングされた棺桶を探した。そして壁際に目的の棺桶を見つけると、カードを差し込み蓋をあける。中に身を沈めてから備え付けのゴーグルを装着して電源を入れる。しばらくすると視界に沢山のアイコンが並んだ。手元の操作パネルで選んだのは、俺にとって忌まわしい思い出しかないアイコン。日本で一、二を争う人気のゲーム、『ワイルドフロンティア・オンライン』である。
VRMMORPG。仮想空間で冒険を楽しむこの手のゲームは、この数年で凄まじい進化を遂げている。中でもこの『ワイルドフロンティア・オンライン』はリアルさと自由度の高さで日本においてかなりの人気を誇っており、バージョンアップの度に新技術を次々と取り入れ、サービス開始から三年間でまるで別物とも言えるクオリティにまで進化を遂げていた。俺は開始間もない頃にハマっていたユーザーだが、その頃はまだハリボテのような背景だったと記憶している。が、今では現実と全く変わらない風景を楽しめるらしい。
そんな大人気ゲーム、『ワイルドフロンティア・オンライン』。実は俺にとっては最悪のゲームだったりする。
それはサービス開始から一年経つか経たないかという頃。大学四回生だった俺は単位も取り終わり、内定も早めに決まり、残った大学生活の殆どをサークル活動とこのゲームに費やしていた。レベルはカンストまで行かないまでもそれに近い所まで行き、ゲーム中で二つと存在しないユニークアイテムをも手にしていた。かなりやり込んでいたのである。
しかしそのユニークアイテムが、俺のゲーム人生を滅茶苦茶にしてくれた。
アイテムは二種類で、剣と盾。非常に強力だったのだが、その形状があまりに酷かった。まず剣。その名も『松茸ソード』といい、明らかに男性性器を模していた。次に盾。こちらの名が『アワビシールド』。この縦長の盾には、その名の通り表面にアワビのような装飾が施されていた。つまりは、そういう事だ。どちらも貴重で強力なのだが、人前で装備なぞ出来たものではない。
俺はそれまで放置していた幻術スキルを必死で上げ、他者から普通の装備をしているように装備品の形状を幻術で誤魔化して、何とか使用する事にした。苦労はしたが、その分の見返りは充分にあったと思う。ソロで強大なボスを次々と打ち破り、俺はゲーム内で上位ランカーに名を連ねるまでになった。
が、思わぬ形で問題が起こる。それは運営が公式サイトに上げた一つの動画が発端だった。
とある洞窟、巨大なボスと戦うのは俺の作ったキャラクターである。そのボスはバージョンアップ後に追加されたモンスターで、初めて倒したのが俺だったらしい。初討伐記念なのか知らないが、いつの間にか撮影されていた。が、その映像が非常にまずかった。
まずモンスター。イソギン・ローパーキングという。無数の触手をうねらせ、速度低下と毒付着の粘液を撒き散らした。迎え撃つのは卑猥な武器防具を手にした俺。運営の撮影した動画は幻術を施した幻の姿ではなく、ありのままの姿を映してしまっていた。そして戦い方。迫り来る触手を卑猥な盾で受け止め、卑猥な剣で切り飛ばす。トドメの攻撃は魔法を剣に宿らせてから放射するホーリー・レイン。別に狙っているワケではなく、イソギン・ローパーキングは闇属性だったのだ。しかしその攻撃はあまりに卑猥だった。ほとばしる白い何かによってイソギン・ローパーキングは果てる。動画はそこで終わった。
この動画は凄まじい反響を呼んだ。そして同時に、酷い顰蹙を買った。悪ふざけが過ぎる、子供に見せられない、そもそもこのプレイヤーは何を考えてるんだ、と苦情が殺到。某巨大掲示板では俺を特定しようという動きが出始め、巻き添えを食らいたくない俺の友人たちはフレンド登録を解消して離れて行った。街やフィールドを歩けば罵詈雑言、面白半分のストーキング。精神的に参った俺は、運営に苦情を言う気力すらなくなりそのままゲームを退会する事となる。
動画は削除され、その後のバージョンアップで、悪ノリしたユニークアイテムは別の姿に差し替えられたらしい。俺の家に謝罪の手紙が届いたが、読まずに捨てた。因みにVRシステム使用の際には生体チップで個人登録しなければならない。恐らくそこから運営は俺の住所を特定したのだろうが、最初はその仕組みが分からず気味が悪かった。その時の嫌な気持ちも相まって、俺はしばらくネット自体から遠ざかるようになる。
そして今。
俺はまた、あの忌まわしい世界へと参入しようとしている。
勿論これは俺の本意ではない。やむにやまれぬ事情があるのだ。
つい先日の事だ。
俺は勤めている工場で、いつものように開発研究に取り組んでいた。作っているのはロボットアーム。近々EU圏で使用出来る金属の種類が減るという事で、色々と設計やら何やらを見直さなければならなかった。つまり、とても忙しかった。だがそんな状況を一切理解出来ない部長(何故部長でいられるのか未だに分からない)が、昼休みの食堂で俺に奇妙な頼み事をしてきたのだ。
『ワイルドフロンティア・オンライン』をやらないか、と。
なんでも現在、新規登録をすると『玉手箱』というアイテムが貰えるらしい。それはいわゆる『お楽しみ袋』と言われる類いの物で、中からお得なアイテムが出てくるのだとか。それは紹介した人も貰えるらしく、部長はそれが欲しいらしい。
何考えてんだ、このオッサンは。こんな忙しい時に。俺はカッとなりそうになったが、なんとか堪えた。腐っても部長、反抗すればどんな嫌がらせを受けるか分からない。
仕方なく、俺はその依頼を受ける事にした。とりあえず登録だけはしよう。その後は少しだけ遊んで、止めればいい。部長はもしかしたらゲーム仲間が欲しいのかもしれないが、それも忙しさを理由に言葉を濁らせていればそのうち諦めるだろう。
そんなこんなで、俺は今ここに居る。なんとも馬鹿馬鹿しい理由だ。あの部長死なないかな、と思いながら、俺は『ワイルドフロンティア・オンライン』のタイトル画面を開く。雲海たなびく中、空に浮かぶ巨大な城が眼前に現れる。そして視界の中央に、新規登録の文字が現れた。俺はため息を一つついて、その文字を見つめて操作ボタンを押す。紹介者の欄に部長から預かったIDを入れてから、自分の生体チップの登録を行った。すると……
『照合中……照合中……
該当番号有り
お待ちしておりました、カトウ シゲユキ様。
ゲームマスターよりお知らせがあります』
よくわからないメッセージが現れた。
【プロローグ パンツと俺】
嫌な予感しかしない。ゲームマスターからの名指しのお知らせと言えば、どう考えてもあの時の悪夢に関する事だろう。もう二年も前の事なのによく覚えていたものだと呆れていると、待機中の画面が消えて、視界には小綺麗な応接室が現れた。俺はソファーに腰掛けており、目の前には執事姿のキャラクターが立っている。もしかしなくてもゲームマスターだろう。
『お久しぶりでございます、カトウ シゲユキ様。私はゲームマスターの神崎武志と申します。この度は再びワイルドフロンティア・オンラインに御来訪頂き、誠にありがとうございます』
「はぁ、どうも……」
うやうやしく礼をする執事に、こちらも釣られて礼をする。
『以前は多大なご迷惑をお掛けしました。今回このような形で申し訳ないのですが、謝罪をさせて頂きに参りました』
「いや、もう終わった事ですし今更蒸し返されても困りますから……」
連絡はこっちが無視し続けてたからな。こんなに丁寧に謝罪されると、なんだかこっちが申し訳なくなってくる。
『実は前回カトウ様が使用されていたキャラクターは、こちらの方でバックアップをとっております。もしまたご登録いただけるなら、所持されていた武器防具などを引き継いでプレイ出来るようにしていたのですが、どうされますか? 勿論、問題のあったユニークアイテムに関しては別の物に差し替えております』
………。
なんと言うか、凄くVIP待遇な気がする。しかしこんな事されても、別に本格的にプレイするワケでもないから仕方ないのだが。
「いやー……普通に一から始めようと思ってたので、別にいいですよ。全く別のアバターで、違うタイプのキャラ作って遊ぶ予定だったんで。確か重戦士系の武器防具ばっか集めてたハズだから、引き継いでも仕方ないんですよね」
こう言っておけば、向こうも納得するだろう。さっさと登録を終わらせてキャラ作って、さらっとプレイして終わらせたい。帰って飯食って寝たいのだ。
『そうですか……それでは、装備品などを全てボーナスポイントに変えて引き継ぐのはどうでしょう。それなら邪魔にならないと思うのですが』
「ああ、それなら助かりますね。使うか使わないか自分で選べるし」
ボーナスポイントとは、キャラクターのレベルアップ時に貰えるポイントである。肉体的成長とは別に、任意で振り分けられるポイント。ステータスアップは勿論、スキルに振り分けて強化できる。ゲームバランスを崩したくないなら、使わなければいいのだ。
『では、そのようにさせて頂きます。ボーナスポイントはキャラクターメイキングの後、ゲーム開始時、ステータス画面を開いた際に表示されるようにしますのでご確認下さい』
「ん。分かりました」
『それでは、新しいワイルドフロンティア・オンラインの世界をお楽しみ下さい。カトウ様の旅路に、幸多からん事を……』
もう一度、執事が礼をする。
視界が切り替わり、キャラクターメイキングの画面へと変わった。
さて、キャラメイクである。
勿論適当に作る。
ワイルドフロンティア・オンラインはオーソドックスなファンタジー世界をベースとしており、キャラクターとして選べるのも有りがちなものばかり。人間、エルフ、ドワーフ、獣人、ピクシーなどなど。ある程度本編シナリオが進むと転生が可能になり、竜人や魔族になったりも出来るがその必要は余りない。人間のままでも限界までレベルを上げれば、ソロで強大なボスを倒す事も可能だ。だから種族を決める際は本当に自分の好みで選んだ方が良い。どの道、レベル200前後になれば基本ステータスに差は無くなってくるのだ。
俺は人間を選んだ。アバターも適当。というか自分の顔をベースにした。本当は個人が特定されたりしてあまり良くないのだが、どうせあんまりログインしないだろうから構わないのだ。
こうして、俺そっくりなキャラクターが出来上がった。身長190cm95kg。ギラついた目つきと怒り眉、不機嫌そうな顔つきが何とも言えない威圧感を醸し出す。俺、こんな顔してたのか。受付のお姉さんが怖がるのも分かる。可哀想な事をした。名前はカトー。そのまんまだ。
次に初期の職業を決める。人間のパラメーターは力、防御、素早さ、スタミナ、知力、運という6項目全てが10ポイントという万能型。どんな職業にも向いている。職業設定をしてもステータスが変わる事は無いが、熟練度を上げる事によってその職業によった技能を身につけて行く。ボーナスポイントを使っても技能は身につけられるし、そのレベルも上げられるが、普通にその職業で熟練度を上げた方がコストは掛からない。
俺はとりあえず魔法使いを選んだ。ゲームマスターに戦士以外を選ぶと言った手前、戦士は選べない。だからその対極にある魔法使いを選んだというワケだ。深い意味は無い。
こうして出来上がった、目つきの悪い巨漢の魔法使い。我ながら嫌なキャラクターだと思いつつ、作成終了を選ぶ。画面は暗転し、気づくとそこは懐かしい木造の部屋となった。広さ八畳程のこの部屋が、プレイヤーの初期の本拠地となる。
(ああ、やっぱりリアルだ。本当に木の香りが漂ってきそうなくらいに)
まずその光景に驚く。期待してなかっただけに、ちょっと感動した。
そんな風に部屋の中を眺めていると、不意にピロリンと音が鳴る。視界の端にメールのアイコンが現れた。ゲームマスターからのメールだ。開くと、それは俺宛てというより新規登録者全てに送られるメールらしい。簡単な挨拶と、アイテムが添付されていた。『玉手箱』だ。
届いた『玉手箱』は、『銅の玉手箱』という名前だった。きっと中身のグレードで金銀銅と分かれているのだろう。初心者が高レベルのアイテムを手に入れても、レベル制限があるから装備出来ない場合がある。その事を考えて、銅が送られて来たのだろう。
明日きっと部長に、中身について聞かれるに違いない。今のうちに開けてしまえ、と『銅の玉手箱』を開ける。すると、中から『銀の玉手箱』が現れた。
………。
なんだこりゃ。
グレードが上がってしまった。もう一度、箱を開ける。すると中からは『金の玉手箱』が現れた。
おいおい。
ロシアかどこかのお土産じゃないんだ。止めてくれ。
仕方なしにもう一度箱を開ける。金銀銅で分けられてるなら、もう箱は出まい。そう思って開けてみたら、なんとまた箱である。アイテム名は『虹色の玉手箱』。嫌な予感がする。
これは運営の気遣いなのだろうか。リアルラックなのだろうか。多分玉手箱のグレードアップの確率はかなり低いハズだ。きっと中には凄いレアアイテムが入っているに違いない。勘弁して欲しい、こんなの部長に言ったら凄く妬まれるだろう。ああ、後で攻略サイトか何かを見て玉手箱の中身チェックしなきゃ。で、適当に安っぽいアイテム見つけてそれを報告しよう。そんな事を考えながら、俺は『虹色の玉手箱』を開ける。ここまで来たら開けるしかない。そして現れたアイテムを見て、俺は絶句した。
箱ではない。
武器でも無い。
レアと言われればレアなのだろう、アイテム名の頭にはユニークアイテムの証である星マークが煌めいているのだから。
☆ ミラクルパンツ
装備可能:レベル1~
譲渡・廃棄不可
全ての身体パラメーターを250上昇
虹色に輝くパンツ。身体能力を高める他、不思議な効果を秘めたちょっとHな下着。これであの子もメロメロさ!
運営、ちっとも反省してねえだろ!!