後輩としての務め
季節は流れ、外には雪がちらつく時期になっていて、
「白!」
そして今日の休み時間も、私が教室の窓からそれを見て呆けていると、廊下からこんな声が聞こえてくる。
声の主はやっぱりあの人。
「……用があるんなら教室に入ってくればいいじゃないのよ」
そう思うしそう言っているんだけど、何故かいつもこうやって廊下から私を呼びつけてくる。
「何なのよ。わざわざ違うクラスまで出張ってきて」
「文句あるって言うの!?」
いつも通りツンツンしている木下さん。
「文句というか、『何で?』というか」
毎日休み時間のいずれかに私の教室の前に現れ、こうやって人を呼びつけておいて、だけど大体具体的な用事もなく、おまけにこんな感じでけんか腰。
相変わらずこの人の考えてる事は全く理解出来ない。
「……何よ!?」
「何って、そっちが呼び出したんじゃない」
「良いでしょ!悪い!?」
「悪くはないんだけど、やっぱり用は無いの?」
「無きゃ来ちゃいけないって言うの!?」
「そうは言ってないんだけどー」
でも会話の流れとして『訪ねて来た相手に用を尋ねる』っていうのは、私には避けられないものな訳で、
「……じゃあ……えっとー……」
代わりの何か話のネタが無いかと探しつつも、
「……何!?」
「……どうして来たの?」
私の中の『何で?』が黙ってくれなくて、ついこんな言葉が口を衝いて出てしまう。
「酷い!もう来るなって言うのね!?」
そして彼女の中で言葉の化学反応が起こり、いつものように爆発。
「言ってないじゃない、そんな事ー」
(なんで「どうして来たの」が「もう来るな」になるのよ!?)
こんな感じで、いっつも彼女に私の言葉はことごとく変換されてしまうので、会う機会は増えたものの殆ど意思の疎通は出来ていない。
(……だから話のネタが出来なくて、いっつもこうなってるっていうのに……)
「中川さん。木下さんって、何考えてるの?」
放課後生徒会室で、以前彼女と僅か1時間で意気投合した中川さんを見つけ、そう尋ねてみる。
「……さあ?何で私に聞くの?」
「何でって、私より詳しいでしょ?彼女の事」
「そんな事ないけど?」
「……そうなの?」
「ええ」
そう答える中川さんは、何となくだけど攻撃的な雰囲気。
(……何か嫌な事でもあったのかな?)
という訳で原因を探る為の情報収集開始。
「……辻さん。中川さん機嫌悪そうなんだけど」
「そうなの?」
「何となくなんだけど。で、心当たりある?」
すると辻さんは首を横に。
「そっか。ありがと」
一瞬他の人に聞くという選択肢が浮かぶものの、少なくとも生徒会役員内ではその付き合いの長さからいっても辻さんが中川さんと1番親しいような気がする。それに、あんまり「不機嫌そう」なんて話を広めると中川さんと私の印象が悪くなっちゃうからこれ以上の詮索はちょっと。
「……何話してたの?辻さんと」
そうして私が自分の席に戻ると、中川さんが自分の話をしているのに気付いたらしくそんな質問。
(向こうから聞いてくれるんなら直接確認した方が早いわよね)
「中川さんに何かあったかなって、何だか機嫌悪そうに見えたから」
「え?私!?」
「うん。何かあったの?」
「……何でもない」
そう答える中川さんだけど、やっぱりどことなく不自然なその返事。
(でも、本人が話したくないなら聞かない方がいいわよね)
だから詮索を止めて仕事を再開。
「うーん、ねえ大澄、これどうしたらいいと思う?」
そんな声を上げたのは石川副会長。何やら紙を手にしている所を見ると仕事内容の確認みたい。
「それ、あんまり良くないような気がするんですけど?」
だって、結果として前生徒会長の判断を仰ぐという意味になってしまうから。
(それにそもそも、その前生徒会長の判断が絶対に合っているなんて誰にも断定出来ない訳だし)
「いいから!」
「……はい」
だけど今の私は同時に後輩でもある訳で、だから拒否権はとっても行使し辛い。
「それでこんな内容なんだけどね」
私に紙を渡しつつそんな事を聞いてくる副会長。そこに書かれていた内容らしきものは『人生相談』という漢字4文字。その下に幾分小さい文字で『バスケ部』とも書いてあって、
「これ、どうしたら良いと思う?」
「分かりませんよ。人生経験だって強いて言うなら2年生が1年多いだけで、そんなの大した差じゃないじゃないですか」
「……つまり、1年という期間は大した差じゃないと。じゃあ大澄、お願いね」
「私ですか!?」
「ええ。『1年の差』より『生徒会長だった』というそれの方がより言葉に重みを持たせられるでしょうしね」
「……1人で、ですか?」
「じゃ、後1人だったら連れて行っていいわよ。好きな人」
そう言いつつも、既にこの案件が解決したかのように次の仕事に取り掛かっている副会長。
(押し付けられた。好きな人って……まあ、相談に乗るっていうのに適した穏やかな人って言ったら……)
「……辻さん。バスケ部の人生相談っていうのに、付き合ってくれない?」
「え!?……バスケ部……」
私の言葉にやっぱりというか思いっきり嫌そうな顔をする辻さん。
「うん。さすがにもうあんな強引な勧誘はして来ないと思うんだけど……駄目?」
『バスケ部』という存在に強い負の感情を持っているらしいけど、でも以前そんなふうに『似たような環境に居た』という過去はそれが無い人に比べより共感し易いような気がする。そしてだからこそ、そういう自分との類似点を前面に押し出している高校生の野球大会とかスポーツの国際試合とかは根強い人気を持っているんだと思う。
(だから私は適任なのは辻さんだと思うのよね)
「……まあ、嫌なら仕方ないんだけど」
「えっと……大澄さんが付いて来てくれるなら」
「うん。だからそう言ってるし」
「じゃあ……うん」
(……こんな時期に部室で着替えて体育館で活動するなんて、やっぱりスポーツのプレイってそれだけ魅力的なのかしら?)
観戦のみの私はそんな事を考えつつ制服の上にコートを羽織った状態で学校とは別に建てられた部室棟の方へと向かっている。
「………」
そして隣の辻さんはといえば、さっきから無言で寒さ以外でも緊張してそうな感じ。
(……ま、勧誘とは書かれてなかったし、下手に話して『理論武装が必要』なんて意識させる事も無いわよね)
「えっと、失礼しまーす」
「……失礼します」
そうして呼び出された場所、部室の中にそう言って入る私達。中にはバスケ部の人達が既に集まっていて、入ってきた私達を見て驚いた表情を浮かべていた。
(……何で呼び出しておいて驚いてるのかしらー?)
「あの、人生相談って、どういう意味なんでしょうか?」
『言葉が指している意味』がまだ『正確には』分からない私は、まずその質問をしてみる。だって愚痴を聞くのが主なのか、それとも適切な方向性を一緒に考えるのが主なのか、もしくはそれ以外なのかこの四文字では範囲が広過ぎるから。
(思い過ごしかもしれないしね)
「前会長。実は……」
「あの、その前に一言良いですか?」
「え?何?」
「前会長って呼び方は止めてください。何か誤解されそうなので」
それこそ『私が未だに裏では糸を引いている』みたいな誤解が生まれそうなその言い方、現会長である樋口先輩もいい気はしないだろうし絶対に広めたくない。
「あ、じゃあなんて言えば」
「呼び捨てでいいですよ、先輩」
(ていうか『会長』って地位、そこまで影響力あったの?)
外から見て初めて気付くそれが持つ力。
「じゃ、じゃあ、大澄、さん」
「……はい」
(それとも同学年の榊先輩の存在がそこまで大きいのかも?あの後何かあったらしいし)
「え、えっとね、怒らないで聞いて欲しいんだけど……」
その言葉で向こうの用件がはっきりする。
(つまり『辻さん』を見て驚いてた訳ね)
「コーチ、という形でもいいから、辻さんにバスケ部の練習を手伝ってもらう要望を出す許可を、お願いしたいんです、けど……」
部長さんらしき人のこの言葉。
「お願いします!」
そしてその次に私と辻さん両方に向かって頭を下げるバスケ部の人全員。その中にはあのエースさんも入っていて、多分彼女なりにバスケ部の後輩の為を思っているんだろう。
「………」
対して辻さんはというと、部室に入ってきてから一言も発さず今も不安げに私の方を見ている。
「……えっと、人生相談はそれだけですか?」
「え、ええ……あの、やっぱり……駄目、ですか?」
私の声が硬くなったのに気付いたのかバスケ部の人達も不安げに私を見ている。
「……突然の事ですので即答は出来かねます。返事は1週間後でよろしいですか?」
「え?」「え!?」
そんな私の言葉に両方からそんな声が聞こえる。多分バスケ部は拒絶されなかった驚きで、辻さんは私が拒絶しなかった驚きで。
「え……ええ」
「じゃ、失礼します……辻さん」
「……う……うん……」
そうして部室を出る私と辻さん。
「……はあ、あの人達も懲りないわねえ」
「お、大澄さん……どうして……」
「直ぐに断らなかったのか?」
「……う、うん」
「だって、今回は事前に辻さんの意志を確認してなかったじゃない。それに辻さんの考えが半年以上全く変化が無いと断定出来る材料も無かったし?ただだからといって即答っていうのはちょっと。だから1週間後って……ごめんね」
「あ……う、ううん」
「ただ、もし『どう考えても絶対にバスケ部に関わるのは嫌』っていうんなら、今から私が断ってくるけど、どうする?」
そう言って辻さんを見ると、どうやら少しは揺れ動いているみたいで、すぐには言葉は返って来ない。
「……良かった。断言されなくて」
「え?……どうして……」
「だって、もしここで『絶対嫌!』なんて言われたら、それこそ私までバスケ部と一緒になって辻さんを嫌な目に遭わせただけって事になるから……」
「………」
「じゃ、1週間後までに辻さんなりの答えを出してきてね。私も出来る限りフォローはするから」
「……うん」
「じゃ、辻さん。ありがとうね」
「うん」
そう言葉を交わし席に戻る私達。
(……にしても『人生相談』って……)
まあ、繊細な問題だって意識してくれたっていうのは、つまり辻さんに気を遣ってくれたって事なんだろうから悪い事じゃないのは分かるけど、
(まあそっちは後は辻さん次第だからいいとして、それより問題は……)
さっきのあの呼び方、『前会長』というそれ。『影のリーダー』みたいな意味に変換されそうなそれが、ああいう形で出てきたというのはとっても良くない。
それに副会長の采配も加味すると、『面倒な仕事は影のリーダーに任せれば大丈夫』というイメージが生徒会室に広まってしまう可能性があってとても怖い。
だって『生徒会長としての能力』と『私個人の能力』というのはかなり違うから。
(……つい最近までそこを一緒に考えてたせいで私自身も滅茶苦茶混乱してたんだけどさ)
それはとっても説明し辛いんだけど、なんていうか野球チームとかでの『監督』と『現役選手』の違いというか。
(まあ実際は『権限だけ』私がみんなより上の位置に居ただけで、実際の野球チームなんかとは違って、それ以外の年功序列とかだとむしろ私は下だった時もあるしね)
で、監督は確かに権限としては現役選手相手に自由に采配は出来るけど、でも監督自身にはそのパフォーマンスは絶対に無理な訳で、
(だけど今のままだと、そんな監督に4番エースを求められるような事になりそうですっごく怖いんですけど)
「……ねえ、大澄さん」
「何?中が……」
呼びかける声に振り向き、自然と声が途中で止まる。
(な、何で怒ってるの!?)
何故かそこに居た中川さんは表情は自然だけど、でも私の中の女の感は『彼女は怒っている!』と確かに伝えていて、
「何の用件だったのかしら?それに何か考え事をなさっていて、どうなさったの?」
だけど笑みを浮かべている彼女。
「え、えっと……あの……」
(怖い、怖いよう)
「どうかなさったの?」
「……怒るの……やめてよ……」
「……あ……ご、ごめんなさい」
「………」
「え、えっと、さっきの何だったの?あの辻さんと出かけた用件」
「……辻さん宛の……要望で……私は間に入っただけ」
「え?辻さん宛って……知ってたの?」
「……ううん……ただ、辻さんいつも穏やかで……私も相談し易いから……」
「……あ……」
そのまま私が下を向いていると、中川さんの気配が遠ざかっていく。
(……終わった……みたい)
一応あれ以来自虐のニュアンスに取られるような事は避けているつもりなのに、こうなってしまう時がある。そしてそんな反応を私に見せてくるのは今の所2人だけだから多分、この生来の卑屈さが原因なんだと思う。
(でも……仕方ないじゃん。だって成績は未だに好転の兆しが見えないし、それに将来の夢という具体的な目標だって全く見つからないんだもの)
だからとりあえず成績アップに挑戦していて、でも失敗続きで、そんな状態で自分に自信を持てっていうのは私にはとてもじゃないけど無理。
(そんな目に見えない能力、あったとしても役に立つ訳ないじゃん。ていうか自覚だって出来てないし)
「……大澄、ちょっと来て」
「……はい……」
家に戻って机に教科書を開いて、考え事。
(……何だか残業を家に持ち帰ったOL、サラリーマンみたい)
このまま大人になった場合、なんて馬鹿な事を考えてみて、そんな妄想が膨らんでしまう。
(……だからお父さんもお母さんもあんまり勉強の事うるさく言わないのかな?ドラマとかでも、家に仕事を持ち込むのはあんまりよくない結果になるって描写が多いし……ってまた無意味な事を……)
やっぱり私って、とことんまで勉強に集中出来ない人間みたい。
(どうすんのよ。こんなんで将来、まともな大人になれるの?)
素で、みんなの認識とのズレが生じているような気がする今の私。こんな馬鹿げた妄想が自然にどんどん生まれてきてしまっていて、まるで脳が何かに汚染されてるみたい。
「……た、多分、この教科書の内容をしっかり勉強すれば、このズレは直るのよね……頑張らなくちゃ、うん」
「白、白!」
そして今日も私の事情なんて無視で呼びつけてくる彼女。
「……何?」
「……ってどうしたの?何だか不機嫌そうだけど」
「眠いのよ。昨日ずっと机に向かってたから」
「机に?どうして?」
「嫌味?それ」
「な、何でよ!?」
「私には余裕は無いのよ。あなたと違って」
(全く!いつまでも天才さんに付き合ってなんてられないわ!)
「じゃ」
やっぱり用事は無いようなので、私から話を打ち切る。
「……ふああ……」
「昨日、試合の中継なんて無かったわよね」
欠伸をしている私に話し掛けて来る、今日は機嫌が悪くない様子の中川さん。
「……うん、勉強。全然出来なかったけどね」
「そう、なんだ」
「そうなの……学生の本分が出来てない以上、所詮私は半人前って事よ。はあ」
どっちみち高校を卒業したらもうそっち方面はどうでもいいと割り切ってはいるんだけど、でもやっぱり出来ない自分というのは悔しいもので、ついこんな愚痴がこぼれる。
「でも、それって本当に……『出来ないの?』」
「……どういう意味よ?」
言葉だけだと馬鹿にされてるような感じだけど、でも以前中川さん達の方が『それをしたら駄目』って言って来た手前、一応聞く素振りは見せる。
(ただ、もしそっちだとしたら、今度は私が怒って憂さをはらしてやるんだから!)
そう考えてたけど、中川さんが口にした言葉はまたけったいなもので、
「う……うん。なんというか……『社会に対する反抗』みたいにも見えるから」
「反抗って、したって意味無いじゃない。私は単なる一学生だし、さすがにそこまで子供じゃないわよ」
「う、うん。そうかもしれないけど……でも……」
「……何よ」
「大澄さんって……何でも出来そうな気がするから……」
「買い被り過ぎ。何でも出来るって何よそれ。私1人で革命でも起こすって言うの?変な事言うの止めてよー」
「……ごめんなさい」
(もう、『何でも出来る』って、どうして勉強の『出来ない』私からそんな化け物を想像できるのよ!)
「それじゃ、今日はこれで終わりにします。ご苦労様でした」
樋口会長のその一言で今日も生徒会活動は幕を閉じる。
(さてと、帰ろうっと)
「大澄さん」
コートを羽織っている私の背中からそう呼びかける中川さん。
「何?……ふああ……」
「この後、少し付き合ってくれない?」
「付き合うって……」
今、欠伸という人の生理反応を見たばかりだというのに、そんな提案をしてくる中川さん。
「……私、眠いんだけど?」
「う、うん。分かってるけど、でも、大澄さんいっつも直ぐ家に帰るし」
「……そんな事無いと思うんだけど」
口ではそう言いつつも内心冷や汗をかいている私。だって榊先輩や田村先輩の生活レベルから察するに辻さんも同レベル、そして中川さんもその可能性が高いというのと、後1つ、これが1番知られたくないんだけどやっぱり家が1番落ち着くから。
別に中川さんがどうとかいうんじゃなくて、要するにお父さんやお母さんと話しているのが1番楽しいからなんだけど、でもこんなのどうせ親離れ出来てないガキだって言われるのは分かっているからあんまり話したくない。
(……ていうか、小、中と、ここまで人間関係が上手く行った事ないから正直どうすればいいか分かんないんだもん)
「いいでしょたまには。ちゃんと家まで車で送るからさ」
「車って、う、運転手付きとかそういうの!?」
「え?違うわよ。うちの親が送ってくれるっていう意味」
「あ……そうなんだ。う、うん……だったら」
「じゃ、行きましょ」
そうして、道路にある残雪を踏みつつ歩いていく私達。
「そういえば、都会だとこれぐらいの雪でもニュースになるのよね」
「そうね。まあ珍しいからだと思うんだけど、でも本当にああやって転ぶ人って居るのかしら?だってちょっとでも歩けばどれ位滑りそうとかなんとなく分かるだろうし、転んだら痛いだろうなって想像もつくと思うんだけど」
「ふーん、じゃあ大澄さんはどう考えてるの?」
「え?うん、よく転ぶ私から言わせてもらうと……演技のような気がする」
「演技?わざとって事?」
「うん、そんな気がするっていうだけだけどね。だって人前で転ぶってすっごく恥ずかしいもの。しかもその映像を全国に放送だなんて、私だったら絶対嫌」
まあ、それがニュースになるっていうのは、なんだかんだいってみんなまだそれがニュースとして放送されてるのを許せる心の余裕があるからなんだろうけど。
それに個人的には、テレビに出れる頭の良い人が難しい言葉で同じくテレビの向こうの人に向かって非難しているのを見るよりはずっといい。だって真剣に話しているそれって、私の見た感じだと大体論点がずれているように思えてくるから。
(とはいえ娯楽の筈のテレビでストレス堪めこむだなんて馬鹿らしいし、早く矯正しないと)
「どうかしたの?」
「うん。やっぱり立派な大人になるのって難しいなあって」
「難しいの?」
「私にとってはね。中川さんって将来の夢って何かある?」
「夢?今は特に無いわね。とりあえず大学行って、それからかな?」
「そっか。大学行ってから、ねえ」
(結局学歴なのよね……うーん……)
そんな事を考えつつ駅へ到着。
「……中川さんって電車通学なんだ」
「ええ。とは言ってもそれ程遠くじゃないから心配しないで」
「……うん」
ホームのベンチに腰を下ろし電車を待つ私達。
「大澄さんって、誰か生徒会の人の家に行った事ある?」
「え?榊先輩の所は、両方」
「両方って?」
「独立、とは少し違うけど、お父さんと離れて暮らしてたらしくて」
「へえー」
「すっごい高級そうなものがいっぱいあって、凄く怖かった」
「怖かった?どうして?」
「だって、下手に弄って弁償とかになったら大変じゃない。で、田村先輩もその時一緒に居たんだけど、特に動じてなかったみたいだから、多分榊先輩と同水準の生活してると思う」
「それで、運転手付きの車、なんて言葉が出てきたの?」
「うん。中川さんは私の親見たっていうからもう知ってるだろうけど、私の家平凡だから」
「……ふーん。ならその心配はいらないわ。私の家も平凡だから」
「そっか」
(……とはいえ、やっぱり私の家よりは大きいのよね)
中川さんの家を前にしてそんな感想が浮かんでくる私。
「どうかした?」
「う、ううん。なんでもない」
どうやら『お父さんの凄さ』っていうのは、どうしてもこういう結果には結びつかないみたい。
(プライスレスの凄さって、様にならないわよね)
「さ、どうぞ」
「お邪魔します」
スリッパに履き替えて、2階にある中川さんの部屋へと案内される私。
「へえー……」
室内は一見して女の子らしい部屋で、機能的を通り越して無機質な私の部屋とは対照的だった。
(私もプチが暴れなきゃ、こういうものを置けたのになあ)
「じゃあ、飲み物持ってくるから」
「あ、いいって、そんなの」
本当に無くていいのに中川さんは部屋から出て行き、1人残される私。
(……どうしたらいいんだろう?こういう時)
今までもこんな感じで誰かの家に入った事はあるけどはっきり言ってどれも参考にならない。素子の時は完全に振り回されていただけだし、榊さんの時は逃げ出し、その娘さんの時は田村先輩も居たから。
(座って待っているしかないんだけど……クッションって勝手に使っていいのかしら?)
少し離れた位置に無造作に置かれているそのアイテム。使わないでいると不自然に距離を取り過ぎていると思われそうだし、勝手に使っていると図々しいと思われそうな気がする。
(……これがここに無ければ、何の問題も無いのに!)
それに恨まれる可能性が無いからか、ついクッションを相手に睨みつけてしまう。
(あんた!足を生やしてベッドの上に乗りなさいよ!)
実際それが起こったら確実に腰を抜かすそんな光景が思い浮かぶ。
そのままクッションを睨みつけていると、背後のドアの開く音。私は中川さんが戻って来たんだと思って振り返ると、
「………」
「……誰?」
見たことの無い男の子に心の声を代弁される私。
「え、えっとー……」
「……パンツ見えてる」
「!?」
その男の声に慌てて四つんばいの体形を直す。
「だ、誰よあんた!」
「……多分弟。姉ちゃんと同じ学校の人だろ?あんた」
「ね、姉ちゃん!?」
「中川愛美。鏡花女子1年」
「そ、そうよ!」
「ふーん。女子校に通ってると、そんなに無防備になるんだな」
「う、うるさいわね!そんな冷静に言わないでよ!年下のくせに!」
(これじゃここまで取り乱してる私が……それこそ子供じゃない!!)
「……隆太?あなたもう帰ってきたの?」
そのタイミングで、台所から戻って来たらしい中川さんの声。
「姉ちゃん。鏡花女子って、確か、進学校なんだよな?」
「ええ。それがどうかした?」
「ふーん……勉強ばっかりやってるとああなるのか」
最後にそんな、色々な意味で失礼な言葉を言って去っていく彼。
(い、言い返せないー!勉強ばっかりやってないってのも自爆になっちゃうし、悔しいー!!)
「どうかしたの?大澄さん」
「……何でもない」
(見られたなんて……恥ずかしくて言えない!)
「あの……隆太君ってどんな子なの?」
現状、最も目障りなそれを早速聞いてみる私。
「どんなって、私の弟、今は中学3年生」
「……それだけ?」
「ええ。何も変わった事は無いし」
「………」
「ねえ、本当にどうしたの?何か様子おかしくない?」
「そんな事無いわよ」
「……なら、いいんだけど……」
その後暫く中川さんと話したけど、どうやらその間彼は部屋から出なかったみたい。
そして約束の日、
「辻さん。どうする?一緒に行った方が良い?」
「ううん、1人で大丈夫」
「分かった」
生徒会室から、辻さんの背中を見送る。それで残された私達が取り組む仕事というのは、
「さて、それじゃ3年生をどうやって送り出す?」
という樋口会長の言葉から分かるように、卒業式の前後に仕掛ける予定のサプライズ。とはいっても別にこれは榊先輩と親しい辻さんにも秘密に、なんて訳じゃもちろんなくて、ただ単に話し合う日が今日だっただけなんだけど、
「あの、去年はどんな事をやったんですか?」
「田村さん、説明をお願い。私、去年は生徒会じゃなかったから」
河合さんの質問にそう話を振る会長。
「そうですね。生徒会として行った事といえば、卒業式後の校門でのお見送りぐらいでしたね」
「それだけですか?」
「ええ。去年も色々とありましたから」
去年の方は多分、大塚先輩との確執の事を言っているんだと思う。
(今年は今年で、いきなり私が生徒会長になったりとかだったし)
ていうか、今年と比べられる去年というのもまた、正直とんでもないような気がする。
(恐ろしい高校だったのね、鏡花女子って)
まあ榊先輩と田村先輩に加え、2人がその存在を無視できなかった大塚先輩という人まで居たんだからそうなるのかもしれない。そしてその3人共私と面識があるっていうこの状況、何か色々ととんでもない事が舞い込んで来そうで凄く怖い。
(何でトラブル回避の為に選んだこの高校で、更なる種に出会わなきゃならないんだか)
「それで、今年はどうします?何か出し物とかを披露します?それともパーティーみたいなものを開催したりとかはどうです?」
(……出し物、パーティー……うーん……)
「大澄さん、何か浮かんだ?」
会長の言葉にそう考えていると、中川さんがそう私に話し掛けて来る。
「……ううん、全然」
(一応手紙とかは浮かんだけど、そんなのそれこそ強制するようなものじゃないと思うし、地味だし)
結局決まったものはというと、歌、だったりする。
(やっぱり世の中って、私に優しくない)
「今まで……色々と……あ、ありがとうございました」
生徒会役員だった加藤先輩の制服にリボンをつけ1輪の造花を渡す。
「……こっちこそ。あなたのおかげで楽しい1年間だったわ、色々と迷惑かけてごめんね」
「い、いえ……そんな……」
「……後輩が泣いてくれると、案外涙って出ないものね」
「……すみません」
「いいわよ。睨みつけるんでなきゃ、笑ってても泣いてても」
「睨んだりなんてしません」
「そうかしら?田村さんに勉強を見てもらっていた時なんて、結構睨まれてた気がするんだけど?」
「え!?……あ、あの……」
「……やっぱり気付いてなかったんだ。あなた、もう少し表情を隠すようにした方がいいわよ」
「……気をつけます」
卒業式が終わり、校門前で合唱をする在校生の生徒会役員。その後は、各々が自由に卒業生と話したりの時間。
「しーろちゃん」
「あ、榊先輩。ご卒業おめでとうございます」
「ええ。これであなたとも離れ離れね」
「そうですね」
「……私の時は泣いてくれないのね」
「涙はもう打ち止めです」
「そっか。まあ、白ちゃんとはどうせまた直ぐ逢えるだろうし」
「無理ですよ。先輩は東京の大学。私は多分、県外には出ないでしょうから」
という訳で、順調に上へのステップを登っている榊先輩。この国の大学は入るのが1番難しいらしいし、それにこの人はそつがないから、きっと無事に卒業しそのまま雲の上へと向かうのだろう。
「……因みに先輩の将来の夢って、何かあります?」
「うーん、そうねえ。じゃあとりあえず総理大臣って事にしておきましょうか?」
「何ですかそれ」
「女性初の総理。面白いと思わない?」
「……まあ、先輩なら出来るかもしれませんね」
「そっけないわねえ。じゃあ、白ちゃんの夢は?」
「私、ですか……やっぱり……主婦、ですね」
(お母さんみたいに子供に「旦那さんが好き」って言えるような)
「……まあ、それも白ちゃんらしいわよね」
「ありがとうございます。では先輩、お元気で」
これで1年生は終わりです。