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第5章 困惑 No.2

「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」の続編です。

◇◇◇ 第五章   困惑 ◇◇◇ No.2



『リオは帰省していて、暫くは登校できません』

 養成学校には、そう嘘の申請を出した。

 友人達は当然のように、突然の帰省の理由を知りたがったが、アルフは決して、それ以上のことを口にしようとはしなかった。

 『リオ』でなくなった『リオ』を、誰にも会わせようとしない。

 ルーは、養成学校の先生方に事情を説明し、協力してもらうことを提案したが、アルフはそれすら頑なに拒んだ。

 唯一信頼の置ける校長先生が、養成学校分校新設調整のため長期出張中で留守であったことも一つの要因であったが、それだけではなかった。

『闇に魅入られし者は、やがて心を喰われる』

 彼が幼少期を過ごした小人族には、そんな伝承があるらしく、それがアルフに、リオの今の状況を公にすることを躊躇わせていた。

 そんなこと、あるわけがないというルーの言葉にさえ、耳を貸そうとしないほどに、アルフは頑なだった。

 突然の出来事。リオの心を奪った『何か』。

 わけのわからない、それら全ての恐怖から、これ以上、何一つ奪われたりしないように、両腕に抱えて必死に護ろうとしている気持ちが痛いほどに感じられて、ルーは余計に哀しくなった。

 とにかく二人は、可能な限り学校を休み、一方はリオに付き添い、もう一方は食事と睡眠以外の時間のほとんどを、心を取り戻す方法を探すことに費やした。

 魔法遣い養成学校の学生という立場で可能な限り、過去の文献の保管されているあらゆる場所……学校の図書館、古文書館、各部族の長老達……を訪ね回り、文献という文献、伝承という伝承を聞き回った。

 しかし、古文書はにいずれも『心を失いし者、肉体の滅びを待つのみ』としか書かれていなかった。

 その文言を眼にする度、その言葉を耳にする度、二人は落胆し、暗闇の底に突き落とされるような気分になったが、だからといって、あきらめることはできなかった。


     ※


 リオが言葉と過去を失い、あっという間に二ヶ月が過ぎた。

 状況は一向に進展しない。

 唯一の変化といえば、最初のうちは触れようとするだけでも怯えたように震え、身を小さく竦めていたリオが、何度も繰り返し、少しづつ距離を縮めていくにつれて、次第に慣れてくれたのか、心を許してくれたのか、やっと触れることだけは許してくれるようになったことくらい。

 何も出来ず、ただ見守るだけの日々。

 無力な己を悔やむことしかできないとしても、……否、だからこそ、疲労は積み重なるものなのだ。

 特にアルフの焦燥は、日々、眼に見えて深くなっていく。

 一度目を通した文献を、再度、嘗めるように読み返しながら、ほとんどリオに付きっきりの日々だ。

 ルーが付き添いを代わっても、再び起こるかもしれない『何か』を恐れ、ほとんど眠れないらしい。

 そんなアルフが痛々しくて、せめて彼に気晴らしをさせてあげたくて、ルーは、彼なりに散々悩んだ挙げ句、思い切って外出を提案してみた。

「ねえ、アル」

 名を呼ぶと、無言のままに振り返る。

 そこには色濃い疲労が見て取れた。

 一瞬、萎えそうになる気持ちを奮い起こし、言葉を継いだ。

「リオをね、連れて行きたいところがあるんだ」

 顰められた漆黒の視線が、言葉を伴わずに問うてくる。

 まさか学校じゃないだろうな、と。

 ルーは首を横に振った。

「違うよ。そうじゃなくて、ね、……月の湖」

 アルフは訝しむように眉根を寄せた。

「寒いぞ」

「わかってる。でも、リオ、この季節に月の湖を観るの、毎年、凄く楽しみにしてたでしょ? 見せてあげようよ。リオだって喜ぶと思うし、きっといい気晴らしになるよ」


 月の湖は、水面全体がうっすらと氷に覆われていた。

 それが木漏れ陽を反射し、淡く輝いて見える。その様子を上空から見ると、まるで柔らかな光を纏った満月のようであることから、この名が付いたのだと、以前、先生が教えてくれた。

 一年で一番寒い、この時期だけ観ることのできる美しい風景を、リオはとても好んでいた。

 一日中眺めていても飽きないと言って、日に何度も足を運んでいたほどだ。

 全てを失ったように見えても、記憶の断片が僅かながらでも残っているのか、それとも感性や好みというものは過去の記憶とは全く異なる次元で存在する意識なのか。

 そのへんの難しいことはよくわからないが、リオは月の湖に興味を惹かれたらしい。

 アルフとルーの手を借りることなく畔まで自分一人で歩いていくと、そこに腰を下ろし、湖とその周辺の景色をボンヤリと眺めた。

 今の状態になってから以降、リオが自分から何かに興味を示すのはこれが初めてで、この場所に連れてきたのは間違いではなかったと、アルフとルーは揃って安堵した。

 この調子なら、もしかしたら何か思い出すかもしれない。

 万が一の可能性でしかないかもしれないけれど。

 そんな淡い期待など抱いたりしてみながら、リオから数歩離れた場所に並んで腰を下ろしたアルフとルーは、暫し無言で、リオの様子を見守ることにした。

 頬を刺す冷たい風が森の木々の間を巡り、枝を揺らしてザワザワという音を響かせる。

 酷く物淋しい風景ではあるが、心までも凍りついてしまう出来事に遭遇した彼等は、冷たさを感じる感覚が麻痺してしまっているのか、特に辛いとは感じなかった。

 周囲に流れる、時間さえも凍えさせるような沈黙。

 それを破ったのはルーだった。

 これまで何度も繰り返し、拒否されると分かり切ってる提案だったけれど、今日、この場所に来てからも散々悩んだけれど、ルーは思い切って言ってみた。

「ねえ、アル。やっぱり、ボク等だけじゃ限界がある。先生達がダメなら、誰か別の人でもいい。大人達に相談してみようよ。ボク等がまだ知らないことが、何かあるかもしれないじゃないか」

 しかしアルフは、じっと正面を見据えたまま短く答えるだけだ。

「……ダメだ」

「アル!」

 思わず上げてしまった大声が森に響き、驚いた鳥達が飛び立つ音を聞きながら、ルーはアルフににじり寄った。

「その人が例え小人族の伝承を知っていたとしても、リオが闇に魅入られたなんて、そんなこと誰も思ったりするわけないじゃないか。リオをよく知っている人を選べば大丈夫だよ」

「噂なんてのは、どこから広がるかわからないもんだ」

「でも、それでリオが元に戻ってくれれば……」

「戻ればいいさ。でも、戻らなかったら? リオはそんな根も葉もない噂をされながら、みんなの好奇の目に晒されることになるんだぞ。それでもいいのか?」

「そんな……」

 アルフと言い争うなんて、半年前のルーには考えられなかったことだ。

 それでも、今回だけは退きたくはなかった。

 アルフの気持ちはわかるけど、考えは間違ってる。

 日に日に、そんな思いが強まる一方だからだ。

「そんなふうに悲観的にばかり考えていたら、先になんか進めないじゃないか。今はリオを元通りにすることを優先すべきだろ? その可能性が僅かでもあるのなら、それに賭けるべきなんじゃないの? もしもボクや君が同じような立場になったら、リオはきっとそうしてくれるはずだよ。アルはそう思わないの?」

 アルフが言葉に詰まった。

 もう一息だ。

 もう少し説得の言葉を重ねたら、アルフはルーの提案を受け入れてくれるかもしれない。

 そう思った瞬間だった。

 周囲の森に激しい水音が響いた。

 驚いて顔を上げると、ついさっきまで水際にいたはずのリオの姿が消えている。

「リオ?」

 二人は慌てて立ち上がり、湖に駆け寄った。

 バシャバシャという暴れるような水音は続いているが、リオの姿はやはり見えない。

 水音を辿り、素早く視線を巡らせる。

 すると、水面に黄金の髪が一瞬見え、しかし、すぐに消えてしまった。

 この湖は、岸から急に深くなる。脚を滑らせ、誤って冷たい水中に落ちてしまったのだろうか。

「待ってろよ、リオ!」

 言うが早いか、アルフが湖に頭から飛び込んだ。

 ルーは驚きと不安で混乱しかけたが、自分自身を落ち着かせるべく数度足踏みすると、小さく頷き、次いで、空気に溶け込むようにその場から消えた。



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