第4章 ひび割れ No.3
「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」の続編です。
◇◇◇ 第四章 ひび割れ ◇◇◇ No.3
何が起きたのか、全くわからない。
ただ一つ確かなことは、今、リオが二人の傍にいないという事実だけ。
「リオ! リオ、どこ?」
「リオ、返事しろ! リオ!」
呼び遣りながら、二人は森中を探し回ったが、リオの行方は一向に知れなかった。
彼等の不安を煽るように、どんよりとした曇り空から、冷たい雨が落ち始めた。
「いたか?」
「いない!」
「くそっ……!」
「これだけ探しても見付からないなんて、いったい……」
疲れ切った身体を一瞬だけ休ませるために立ち止まったルーは、傍らの大木を右の拳で強く叩いた。
その傍らでは、やはり肩で息をしているアルフが、どんな小さな手がかりさえ見逃すまいと、森の奥底まで見透かそうとするかのような鋭い視線を走らせていた。
「何かあったんだ。間違いない」
「どうしよう! どうしよう、アル!」
なぜか酷く不安げだったリオの姿が思い出される。
自分達の知らないところで、きっと何か大きなことが起こっているに違いない。
リオはそれを自分独りで抱え込もうとして、……そして、何かに巻き込まれたんだ。
掌をぎゅっと握り、お己を叱咤するように膝を叩く。
「とにかく、探そう。心当たりを全部」
急がなくては。手遅れになる前に。
そんな焦りに突き動かされ、ルーとアルフは再び別々の方向へと駆け出した。
「リオ、何処にいるの? 返事してよ、リオ!」
月の泉の辺まで来てみたけれど、やはり、リオは何処にもいない。
手掛かりも得られない。
泣き出しそうになるのを必死で堪え、ルーは左手を頭上に差し伸ばした。
瞬時に、そこに風が渦巻く。
集まった風に向かい、ルーは念じるように呟いた。
「風よ、お願い。リオを探して。……急いで!」
風は暫しルーの周囲に渦巻いていたが、解けるように四散すると、森に向かって吹いていった。
それを見送るルーの肩に、真っ白な小鳥が一羽停まった。
ルーは小鳥を指先に移し、顔を近付けると少しだけ微笑んだ。
「君も、探してくれるの?」
小鳥は小首を傾げた。
「僕の友達のリオ。わかるよね? とっても大切な友達なんだ。ポラリスの森の深緑を切り取ったような瞳をした子だよ。お願い。君の友達にも伝えて、みんなで探して!」
小鳥は、まるでルーの意志を読み取ろうとしているかのように数度首を傾げた後、翼を広げて大空へと羽ばたいていった。
小鳥の囀りに気付いて見上げれば、頭上の木々の枝には、知らぬ間に沢山の鳥達が、そして周囲の木陰には、多くの動物達が集まって来ていたが、彼等はみな、ルーの言葉と小鳥の羽ばたきに呼応するように、一斉に駆け出し、飛び去っていく。
「願いだよ、みんな。どうか、リオを見つけて!」
動物達の背中を見送りながら、そう願うことしかできない己の無力さが、ルーは歯噛みするほどに悔しかった。
カナンの大木の根元に片膝を着くと、アルフは両掌を地面に水平に押し当てた。
途端、その掌が赤く輝き、輝きは大地の奥へと吸い込まれていった。
アルフの思考が大地を伝い、ルリア中に伝わっていく。
(リオ。何処だ、返事をしろ! リオ!)
激しさを増す雨は、疲れ切った二人の身体を容赦なく打ちつけた。
そして、リオを探し続ける彼等の足音も、呼び声さえも、無情に掻き消してしまうのだった。
※
リオが見つかったのは、翌朝になってからだった。
前日から降り続いていた雨がやっと上がり、雲間から金色の朝日が射し込み始めた頃、何度も探したはずの木の陰に、ずぶ濡れで倒れていた。
木の枝以外、雨を遮るものなど何も無い森の中で、リオの躰は氷のように冷え切っていた。
できるだけそっと家へ連れ帰り、温かなベッドに寝かせて、やっと一息吐く。
しかし、真っ白なベッドの中、横たわるリオは、まるで人形のように生気がなかった。
白い肌は青ざめ、唇は色を失っていた。
「リオ……」
声を掛け、そっと頬に触れる。
氷のように冷たい肌。
瞬間、アルフは胸の奥を掴み出され、押し潰されるような、烈しい息苦しさを覚えた。
咄嗟にリオをきつく抱き締めると、その躰はとても細くて華奢だった。
そのことが、余計にアルフを哀しくさせた。
トクトクと脈打つ鼓動だけが、かろうじてリオの命の炎の揺らぎを実感させてくれる。
何があった、リオ? 俺がいない間に、いったい何があったんだ?
問い掛けても、リオは何も答えてはくれない。
「アル、リオは? どうかしたの?」
そんなアルフの様子を訝しみ、ルーが問い掛ける。
アルフはゆっくりと顔を上げ、深く溜息を吐くと、ほんの少し唇の端を上げた。
「大丈夫。大丈夫だ。リオは強い奴だ。だから、きっと大丈夫だ」
自分自身に言い聞かせるかのように、アルフは何度もその言葉を繰り返した。
抱き締める腕に力を込める。
せめて自分の温もりだけでも、リオに差し出したかったから。
その時。
リオの指先が、僅かだが動いたような気がした。
「リオ?」
躰を離し、肩を掴む。
「リオ? おい、リオ!」
呼び掛けながら肩を揺らす。
すると、何度目かの呼び掛けの時、今度は確かに指先がピクピクと動いた。
「リオ? 気が付いたのか? リオ!」
リオの両肩を掴んだまま、躰を前後に揺さぶり、下から顔を覗き込む。
すると、リオの口許が微かに動き、眉間に皺が寄った。
次いで、薄く開いた唇の間から長い吐息が漏れた。
「リオ! リオ? わかる? ボクだよ!」
不安そうに横から覗き込んでいたルーがリオに飛びつく。
「おい、目を覚ませよ! リオ!」
「リオ! リオ?」
二人の呼びかけに答えるように長い睫が震え、青ざめた瞼がゆるゆると開かれていく。
「よかった、リオ。よかった……」
極度の緊張から解放されたためか、ルーはその場にへたへたと座り込んだ。
「このまま、眼、覚まさなかったら、ボク、どうしようかと……」
その様を視界の隅に捕らえつつ、アルフも肩の力抜けていくのを感じていた。
無意識に弛んでしまう口許を抑えようともせず、リオが座りやすいように躰の位置をずらし、枕に寄り掛からせてから、その顔を正面から見つめた。
「バカ野郎。心配掛けやがって。いったい何が……」
言いかけて……、しかし、そこから先の言葉を、アルフは呑み込んだ。
何かが違う。
なんだ、この嫌な感じは……?
リオが目覚めた。
それは間違いないはずなのに、胸の奥の痼りは消えず、それどころか、更に数を増しているような不快感。
その原因を捜したくて、アルフは一旦部屋の中を見回り、次いでリオの顔を覗き込んだ。
その瞬間。
アルフは躰中の血が足許の床を介して吸い取られていくような錯覚を覚えた。
目の前にある、ポラリスの森を切り取ったように澄んでいなければならないリオの碧の瞳が、澱んでいた。
煌めきを失ったそれは、周囲の風景を確かに映してはいるけれど、観て、認識しているとはとても思えなかった。
「……リオ?」
恐る恐る声を掛けるが、碧の瞳はボンヤリと宙を泳ぐだけ。
ぞっとした。
悪寒が背筋を這い上がってくる。
「リオ、……リオ? どうした? リオ!」
耳許で声音を強めて呼び、肩を掴んで躰を何度も揺さぶった。
しかし、頭がガクガクと揺れ、金の髪が解れていくだけで、何の反応も返ってはこない。
「どうしたの、アル?」
アルフのただならぬ様子に気付き、ルーが立ち上がって二人の間に割って入った。
ボンヤリしているリオの様子を訝しみつつも、異変には気付いていないようだ。
「……リオじゃ、ない」
「え?」
眉根を寄せたルーがリオの顔を凝視する。
「……どういうこと?」
咄嗟に口にしてしまった言葉を、一瞬、アルフは後悔した。
俺の気のせいなのではないか?
そう思い、そうならばどんなに良いだろうかと思い、しかし、そんな言葉で偽ってどうするつもりなのだ、と己を叱咤した。
俺はこんなにも確信しているじゃないか。
これは、……今、目の前にあるのは、リオじゃない。
生きているだけの人形。
そして、問いに答えないアルフを不審な眼で見つつも、言葉の意味を確認するようにリオを凝視していたルーは、やがて、アルフと同じ懸念に行き着いたらしい。
リオの髪を撫で、頬を撫で、肩を掴んだ。
「リオ? ボクだよ。ルーだよ。わかる?」
だが、ボンヤリと濁った碧の瞳には、やはりなんの変化も現れない。
「ねえ、アル、どういうこと? リオ、どうしちゃったの?」
ルーの表情がみるみるうちに歪んでいく。
「ねえ、教えてよ、アル! リオ、どうしちゃったの? どうして答えてくれないの? どうして、笑ってくれないの?」
問われても、答える言葉をアルフは持ち合わせていなかった。
今出来るのは、唇を噛み締めて俯ことだけ。
その時だった。
寒さを防ぐために窓は閉じているのに、どこからか入り込んだ風が白いカーテンをフワリと揺らした。
瞬間、リオの顔色が急変した。
びくんと躰が震え、怯えたように周囲を見渡す。
「リオ? おい、リオ?」
意識が戻ったのか?
淡い期待に突き動かされ、アルフはルーを押し退けてリオの肩を掴んだ。
しかし、その腕は、予想外の力ではね除けられた。
「いや、……いやだ。や……」
リオの顔は恐怖で引きつっていた。
両の耳を両手で押さえ、見えない何かに怯えるようにベッドの上に蹲り、か細い悲鳴をあげ続ける。
「リオ? どうした?」
「ボクだよ、リオ! わからないの?」
落ち着かせたくて、腕を掴もうとするが、それは逆効果にしかならなかった。
「いや……、いやぁぁああああぁぁ!」
腕を振り、めちゃくちゃに周り暴れるリオ。
その姿はまるで、親に捨てれ、世界の全てに怯える子狐のようで、余りにも哀しすぎた。
ルーは一歩下がったまま、その光景をただ茫然と見つめている。
『リオ』であって『リオ』でないもの。
心を失い、恐怖だけに支配された、それは、リオの抜け殻でしかないもの。
堪らなかった。堪らなく悔しかった。
アルフは無理矢理、リオの細い躰を腕の中に強く抱き締めた。
それでも暴れ続けるリオに、しかし、今してやれることなんて、他には何も思いつかなかった。
抱き締める腕に力を込める。
辛くて、悔しくて、涙だけが頬を伝っていった。
リオ、どうしたんだ?
いったい、何があった?
そう問い掛けても、腕の中で子供のように泣きじゃくり暴れ回るリオは、何も答えてはくれなかった。
次回予告:リオがリオでなくなった? 過去も言葉も失ってしまったリオを前にして、アルフは? そして、ルーは?
「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、原則として週一回更新します。
次回更新(予定)日は1月4日(水)!
宜しくお願いします!!