第4章 ひび割れ No.1
「翡翠の鳥は飛び方をしらなくて」は「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」の続編です。
◇◇◇ 第四章 ひび割れ ◇◇◇ No.1
「悪いね、アルフ。助かるよ」
薬草学担当のグスタフ先生から掛けられた労いの言葉に、しかしアルフは無言の会釈で応えただけだった。
今は先生の教材作成を手伝っている真っ最中。
正直、彼は余り機嫌がよくない。
そのことを直感的に感じとっているのだろう、グスタフ先生は、微かに肩を竦めただけで、それ以上何も言わずに教室を後にした。
アルフがどんなに無愛想でも、先生は下手に出ざるを得ない。
勿論、理由がある。
アルフの見掛けによらぬ神経の細やかさと、彼の製作物の完成度の高さを知っているからだ。
今、アルフは、明日の薬草学の講義で先生が使う被検体小動物のサンプルモデルを創っている。
全てに共通して言えることだが、本物そっくりに創るためには、かなりの魔法力が必要となるもので、本来なら学生に創れるような代物ではないのだが、アルフ達は別格だ。
先生が創るものよりも生徒達の評判が格段に良い。
というわけで、先生方もすっかり彼等を当てにしてしまっているというわけなのだ。
その日、先生に教材作成の手伝いを頼まれていたのは、本当はリオだった。
なのに、何故今アルフがここにいるのかと言えば、当然のことながら、リオがアルフに代役を頼んだからだ。
無論、リオは約束を途中で反故にするようなことは絶対にしない。
事実、今日の終業の鐘がなった時には、リオは先生の手伝いに行くつもりでいたし、アルフとルーもそのつもりでいた。
しかし、講義室から出て、リオが独りグスタフ先生の許に向かうべくアルフ達に手を振ったその時、突然、友人の一人に声を掛けられたのだ。
相談に乗ってほしいいという相手に、リオは明日の放課後を提案したのだが、相手の深刻そうな表情に遂には折れ、已む無く先生の手伝いの代役をアルフに頼んだというわけだ。
いや、今回はアルフの方から引き受けたといったほうが正しい。
アルフは正直、リオのところに悩み相談にやってくる、友達と名乗る者達が好きではなかった。
無意識のうちに人の邪気を見抜く力を有するアルフには、皆の心の奥底に蟠るリオへの嫉妬心が感じられ、一緒にいると気分が悪くなるのだ。
だから、リオが誰かの相談に応じている時、アルフは極力何かをして気を紛らわすようにしていた。
それは、ある意味、今の彼に出来る最大限の自己防衛でもあった。
※
秋も深まり、色とりどりの美しさを纏った森の中、丸太の家へと続く小道を、リオは独り、ゆっくりと歩いていた。
アルフに代理を頼んでまで引き受けた相談だったが、その内容は、……無論、本人にとっては一大事なのだろうけれど……ごくごく一般的なもの。
具体的に言ってしまえば、自分の才能の有無の確認。
もっと言ってしまえば、学校を続けるべきか否か迷っているのだ、というものであり、愚痴を含んでも三十分掛からず、彼は満足気に帰っていった。
予想外に早く解放されたのだから、もう一度学校に戻り、アルフと交代すべきだろうか。
一旦リオはそう思ったのだが、すぐに考え直した。
アルフのことだ、きっと要領よく作業を終わらせ、もうじき帰ってくるだろう。
今から学校に戻っていたのでは、きっと行き違いになってしまう。
ならば、今日は食事当番だからと先に帰ったルーを手伝った方が賢明だ。
ルーは大らかな性格から、一見大雑把にも見えるが、こと料理に関してだけは妙に細かい。
ただ、性格が性格故に、決して手際がいいとは言えず、何を作らせても確かに美味しいのだが、リオやアルフの三倍の時間がかかってしまうのが困りものだった。
それは本人も自覚していて、今日も一足先に家に帰っていったのだが、それでも、腹ぺこで帰ってくるだろうアルフを待たせるのは気の毒だ。
それに、準備は早く終わらせて、ゆっくり食事をした方が楽しいことは言うに及ばずなのだから。
リオは自宅へと向かいながら、口許に苦笑いが浮かんでしまうのを、敢えて隠そうとはしなかった。
魔法使い養成学校に入学して、もうじき六年。周囲の状況は、少なくともリオにとっては、劇的と言えるほどの変化を遂げていた。
今までは何をするにも三人一緒。
三人で一人前だと思っていたし、周囲もそんな風に扱ってくれていることを肌で感じていた。
それが、今ではどうだ?
何やかやと、三人が三人、それぞれの役目を担うようになり、良くも悪くも多忙な毎日を送っている。
それは、とりもなおさず、周囲が彼等を、それぞれに一人前だと認め始めてくれたという証であり、無論、リオにとっても喜ばしいことなのだが、本音を言ってしまえばリオの心中は複雑だった。
元はと言えばリオが安請け合いをしてしまうのが全ての原因であり、それに何時の間にかアルフとルーを巻き込んでしまったという感は否めない。
本当なら、もう少しの間、子供らしい時間を過ごすことだって出来たはずだ。
なにも、急いで大人になる必要などないのに……。
アルフが帰ってきたら、開口一番、ぼやかれるに違いないな。
そう思うと、再び苦笑いが零れた。
アルフが嫌味で言っているわけではないことは十分すぎるほどわかっているし、こんなふうに考えていると知られれば、かえって怒られてしまうに違いない。
アルフもルーも、今の生活を、それなりに楽しんでいることは間違いないのだから。
微かに頭を振り、否定的な考えを振り払う。
それよりも、杖を遣って早く帰ろう。
ルーを手伝って、今夜はアルフの好物を作るんだ。
茸のパイ包み焼きと胡桃パン、それから……。
腰紐から杖を取り出した、その瞬間だった。
鋭い光の矢が眼前を掠めた。
反射的にその場を飛び退く。
地面に片膝をついて姿勢を低くし、周囲を見渡した。
突如、眼の前に淡い光の塊が現われた。
光の塊は、全部で三つ。
リオは眉を顰め、光の中心を凝視した。
最初は薄ボンヤリとしていたそれは、徐々に人の形を成した。
すらりとした長身。
否、正確には、大きな一対の翼を擁する人型。
……天使。
さっと血の気が引いていくのが、自身でもはっきりとわかった。
逃げられるか?
退路を探して再度周囲を見回すが、三人の天使はリオを取り囲むように佇み、逃げ道は見つけられなかった。
軽く唇を噛む。
そして、そんなリオの考えを全て見透かしているとでも言わんばかりに、一番長身の天使は有無を言わさぬ威喝感を持って、地を滑るようにリオの半歩前まで近付いてきた。
顎を上げたまま、足許に蹲るリオを見下ろす。
「お前ですね。名を付けられることすらなく、天上界を追われた忌まわしき命は」
含みのある言葉。
リオの視線が厳しくなった。
逃げられぬのならば、真正面から対峙するまで。
すっと立ち上がると、真っ直ぐに天使を見返した。
それでも、長身の天使を見上げる格好になってしまうことばかりは如何ともしがたかったが。
「僕の名前はリオです。僕に何か御用がおありならば伺いましょう。
ですが、用件を仰る前に、まずは貴方の方から名乗られるのが礼儀ではありませんか?」
気を弛めれば臆しそうになる己を叱咤しながら、リオは精一杯落ち付きを装い、そう言った。
『天上界は君を欲しています。いざとなれば、彼等は手段を選ばぬでしょう』
あの日、校長先生に言われた言葉が脳裏を掠めた。
一瞬だけ襲いくる不安。
だがリオは、そんな気持ちを自ら一笑に伏した。
ここはルリア。
神をして天上界と同等と位置付けられた世界。
いかに天使といえど、礼儀を通さぬわけはいかぬはず。
根拠もなしに、そう信じきっていたのだ。
人形のように美しい天使の顔が微妙に歪んだ。
それが憤慨のためであることは、続く言葉によって明らかとなった。
「天上界の使者である我々に口答えするとは、なんとも無礼な。身の程を弁えよ!」
陶器のように滑らかな肌、輝く金色の髪、穏やかな表情からは想像もできないほどに、その口調は激しかった。
気付けば、リオは三人の天使に周囲を完全に取り囲まれていた。
「お前ごとき堕天使が、礼儀を口にするなど、まったくもって片腹痛いわ!」
堕天使……。
リオの肩がピクリと震えた。
そして天使達は、リオの感情の起伏すら見逃してはくれなかった。
右斜め後ろの天使が蔑むように言った。
「ほう……。お前、知っているようですね」
「……なんの、ことですか?」
無意識にリオはそう答えていた。
校長先生から聞かされた話は、しかし、この場では知らないふりを通した方がいい。
直感的にそう思ったのだ。
だが、どうやら天使達に嘘は通じないらしい。
三人が一斉に口許を歪めた。
「知っているのならば話は早い。お前は私達と共に天上界に来るのです。
ルリアにさえ、お前の居場所は無いのですから」
「それはどういうことですか!」
それは咄嗟に、無意識に発した問いだった。
ルリアにさえ僕の居場所が無いなんて、そんなこと、校長先生だって仰らなかった!
しかし、それに答える声はなかった。
「お前は災い。お前は闇。
お前がこの地に留まることで、お前の周囲にある全ての命が不幸になるのです。
これはルリアを救うための天上界の慈悲。
ありがたく感謝し、私達と共に来るのです」
言うや、天使の手が問答無用でリオの腕を掴んだ。
その瞬間、リオは意識の薄れを感じた。
まるで吸い取られていくように躰中の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになる。
リオは、彼の意志を連れ去ろうとする見えない『何か』に必死に抗った。
頭を強く振り、なんとか己を繋ぎ止めると、腕を掴まえている天使の指を乱暴に振り払った。
「放して下さい! なぜ僕が貴方と一緒に行かなければいけないんですか!
僕の周りが全て不幸になるって、それはいったいどういう意味なんですか!」
数歩を必死で後退り、リオは叫んだ。
背が木の幹にあたる。
その木肌を、リオは必死で掴んだ。
まるでそれが、リオとルリアとを繋ぐ最後の砦であるかのように。
けれど、リオの想いとは対照的に冷たい、突き放すような声音が、彼の頭上で響いた。
「抗うとは、なんたる無礼」
「本来ならば、お前なぞ、生きていることさえ許されぬ身なのですよ。
それを、天上界の深い慈悲により、天の牢獄に繋がれて、その身を恥じながら永遠の時を生きることをを許されたのです。感謝なさい」
「さあ、我々と共に来るのです!
それだけが、お前に与えられた唯一の未来なのですよ」
次々とリオの鼓膜を突き刺す声。
次々と伸びる白い指。
「いやっ……!」
逃げようと抗うリオを、天使達は前後から挟み、彼の腕を、首を、肩を掴んだ。
再び四肢から力が抜け、意識が遠退きかける。
(嫌だ! ……嫌だ、嫌だ! 行きたくない! 助けて、ルー! 助けて、……アル!)
天と地が逆さまになるような浮遊間。
薄れいく意識の中で、リオは大切な友の姿に必死に縋り付いた。
「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、原則として週一回更新します。
宜しくお願いします!!