第10章 生きられる場所 No.2
「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」の続編です。
◇◇◇ 第十章 生きられる場所 ◇◇◇ No.2
ついさっきまでは、リオに掛ける労いの言葉を頭の中で整理し、一番良い語彙を選び出し、何度も反芻していたはずなのに。
もうダメだった。
感情ばかりが昂ぶり、頭の中はグチャグチャで、何が言いたかったのか、自分でもわからなくなってしまった。
なんなんだ、ボクは!
こんなの、見っとも無さ過ぎる!
羞恥心が、混乱に拍車をかけた。
「なのに、朝起きたら、リオがアルを連れて戻ってきてさ。ボク、凄く嬉しくて、でも突然だったから凄くびっくりして。……ホントは色々訊きたかったけど、アルが眠ってるから、眼が醒めるまで待っててってリオに言われて……。だから、ボク、ずっと待ってたんだよ! なのに、いざアルが起きたら、リオは……。まただ! また、何も話してくれないんだ!そんなふうに、辛いことや哀しいこと、全部、自分の中にだけ閉じ込めちゃってさ、いつも独りきりで我慢しちゃうんだ!」
論点が完全にズレ、全く別の次元へと向かっていることはわかっていた。
これじゃあまるっきり、子供の癇癪と同じだ。
それでも、悔しくて哀しくて堪らない気持ちは抑えきれなかった。
誰よりも一番心配していたはずなのに、自分だけが除け者にされるなんて堪えられなかった。爆発の頂点に達した感情は、この場には全く相応しくない、心の奥底にしまいこんでいるはずの幼稚な自尊心まで顕わにしてく。
「どうしてだよ! ボクだって、もう一人前なんだ! いつまでも泣き虫のルーじゃないんだ! 少しはボクのことも頼ってよ! 辛い時は辛いって、泣き言くらい言ってよ! そうしてくれれば、ボク、今度そこ君を護ってみせる! 校長先生に一生懸命頼んでさ、天上界に連れて行ってもらって、君に酷いことした奴等、とっちめてやる! だから……」
必死に言い募る。
しゃくりあげながら、それでも、そんな情けない自分を認めたくなくて、必死に何かを言おうとした。
けれど、もう、……そこまでだった。後は涙のせいで呼吸が乱れ、ちゃんとした言葉にすらならなかった。嗚咽が漏れるだけだった。
その時。
「ありがとう、ルー。僕はいつだって君を頼りにしているつもりだよ。でも、ね……」
伸ばされた腕、細い指先が、そっと頬に触れた。
「いつの間に、こんなに強くなっちゃったのかな。正直、少しだけビックリしてる」
温かかった。
リオの温もりは、以前と変わらず、とても温かかった。
余計に涙が溢れ出し、とまらない。
さっきまでの勢いは何処へやら、ルーは急に恥ずかしくなってしまい、四つん這いでベッドをよじ登ると、アルフの背後に隠れた。
アルフはベッドに腰掛けたまま、ルーの背中をそっと撫でてくれた。
「本気で聴けよ、リオ。ほんとなら、こんな言葉じゃ全然足りないくらいなんだから」ボソリと呟く。
「うん、ちゃんと聴いてる。全部、見ていたから」
リオは小さく頷き、次いでそっと微笑んだ。
「天上界に連なる者にとって、両の瞳は力の源。だから、両の瞳を失った僕は、同時に殆どの力も失ってしまった。今の僕は、養成学校で学んだことを為すのが精一杯でしかない。でもね、それでも、……例え全ての力を失ったとしても、此処に戻ってくることには変えられなかったんだ。僕の名前を呼んでくれる懐かしい声。懐かしい響き。何千回、……ううん、何万回、耳の奥に呼び覚ましたかしれない。もう一度、君達の声で名前を呼んで欲しくて、ただそれだけのために、僕は此処に帰ってきた。もう一度、君達に逢いたかった。どうしても、逢いたかったんだ。そのためになら、僕は、僕の全てを捧げても良いと思ったから」
アルフの背に隠れ、その言葉を聞きながら、ルーは酷く嫌な予感に苛まれた。
もう一度?
もう一度って……?
それって、……どういうこと?
「リオ、何言ってるの? もう一度って、どういうこと? 帰ってきたんでしょう? もうどこにも行かないんでしょう?」
それは、思わず口を吐いて出た問いだった。
しかしリオはビクリと肩を震わせるだけで、何も答えてはくれない。
ルーの不安は弥が上にも増していった。
「ねえ、リオ。ちゃんと答えてよ! ずっとここにいるんでしょう?」
だから、問い詰めるより他にしようがなかった。
「今度こそ、ボクが必ず護るから! 意地悪な奴等がやって来たって、もう二度と、絶対に君をいかせたりしないから! ねえ、リオ! ちゃんと答えてよ!」
なのに、リオは俯いて口を噤んだままだ。
業を煮やし、ルーはベッドから飛び降りようとしたが、それをアルフが引き止めた。
「お前、……何考えてる?」
低いアルフの声音は、抑えてはいるが、ルーの憤りを引き継いだように色濃い苛立ちを滲ませていた。
アルフとルーの視線の先で、リオは暫し、戸惑うように、考え込むように俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
瞼は、……開かれないままに。
「二人に、聴いてほしいことがあるんだ」
ルーは呆然とリオを凝視し続けた。
「なんだよ、それ。どういうこと? またどこかへ行っちゃうなんて言わないよね? さよならを言いに来たなんて言わないよね?」
やっと絞り出した言葉に、しかし、リオは数度、首を横に振って答えた。
肩口で結ばれた金色の髪が揺れ、サラサラと音を立てる。
「僕がここにいられるのか、否か、それを決める権利は、僕にはない。決めるのは、……君達だ」
「権利って、なんだよ」
改めて顔など見なくとも、すぐ隣りで響いた声音の主が酷く苛ついていることくらいわかる。
アルフは、感情の滾りを深い溜息で打ち消した。
「話したいって言うんなら、聞いてやろうじゃないか」
「アル!」
ルーの抗議の声は、けれど、酷く穏やからアルフのそれに封じられた。
彼は一度だけ首を横に振った。
「これからリオが話すことが、例えどんな内容であろうとも、リオがそれを心から望んでいるのなら、俺達に邪魔することなんかできやしない。俺達は友達なんだから。……そうだろう?」
「でも……!」
「その代わり、俺達が納得できるちゃんとした理由、反論なんかできないくらい整然とした立派な理由がない限り、俺達の前から消えるなんて話は聴かない」
一対の漆黒は、真っ直ぐにリオを捉えていた。
「そんな話しやがったら、その場でひっぱたいて、縛り付けてでも此処からは出さない。わかってんだろうな」
「理由なら、……ある」
喉が詰まりそうになりながら、リオは言った。
閉じた瞼を縁取る長い睫が震えていた。肩が、震えていた。
「ルー、アル。僕等、約束したよね。この家で一緒に暮らそうって、そう決めた時に、約束したよね。隠し事は絶対にしないって。でも……、ゴメン。僕、君達にずっと隠していたことがあるんだ」
深くて長い溜息を一つ零してから、リオは決心したように言葉を継いだ。
「それは、僕の生まれに関すること。本当はね、僕自身、ずっと信じられなかった。そんなことあるわけがないって思ってた。でも、……今度のことで確信しんだ。僕は、この世界で生まれたんじゃない。僕は……」
「リオ」
それは静かな、……とても静かな声。
アルフだった。
彼はリオを見つめたまま、ゆっくりと首を横に振った。
瞳の奥に先ほどまでとは違う、深い労わりの色が浮かんでいることに、すぐ傍らにいるルーは気付いていた。
「そのことなら、言わなくていい。言う必要のないことを、隠し事とは言わないんだ」
「そうだよ、リオ。ちゃんと、こうして戻ってきてくれたんだから」
ルーは同意の言葉に力を込めた。
「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、いよいよ次回が最終回です。
次回更新(予定)日は5月7日(月)!
是非この後もご覧下さい。