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第9章 純白の影 暗黒の光 No.3

「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼」の続編です。

◇◇◇ 第九章   純白の影 暗黒の光 ◇◇◇ No.3



 ベッドを用意するから少し横になった方が良いとのマチェラの申し出を丁重に断り、リオはアルフの眠っているベッドに背を預け、床に直接座り続けていた。

 彼は、まだ目覚めない。

 それでも、ここにいれば彼の吐息を感じることもできるし、目覚めた時に一番に「おはよう」の挨拶をすることもできる。

 だから、この場を離れたくなかった。

 正直、今までどおりに会話ができるかどうか、自信はない。

 離れていた時間の壁は、それくらいには厚いと思えた。

 いっそ、自分が自分でなかった時の記憶など無くなってしまえばよかったのだけれど、事実はそうじゃない。

 全て覚えている。

 散々心配を掛けてしまったのだから、「おはよう」の挨拶よりも先に掛けなければならない言葉はたくさんあるし、ありすぎるほどだけれど、だからこそ、何から話せばいいのかわからなかった。

 けれど、そんな諸々のことなど後回しにしても良いと思えるくらいに、彼の安堵した顔を見たかった。

 怒った顔でもいい。

 思いっきり叱られて、一発くらい殴られたっていい。

 いや、いっそ、そうして欲しい。

 そうしてくれれば、やっと帰ってこれたのだということを実感できるに違いないから。

 だから今は、一時だって離れたくはなかった。

 そんなリオに、約束だから、とマチェラが差し出してくれたのは、カップになみなみと注がれた香りの良い紅茶。

 それを両手で包み込むように握りしめ、薫りを嗅いでいると、やっと気持ちが落ち着いた。

 パチパチと爆ぜながら燃える暖炉の火は温かく、凍った気持ちまでも解してくれるように感じられる。

 無言の二人の間に、緩やかな、けれど、酷く重苦しい時間が流れていく。

 ふと、嗅ぎ慣れない薫りが鼻孔を擽り、顔を上げた。

 空気の流れに意識を集中する。

 どうやら、マチェラの燻らせる煙管の煙らしいと推測した。

 彼女は一息深く吸い込むと、ゆっくりと煙を吐き出した。

 さほど煙たくないのは、通気口へ吸い込まれていくからか。

 呼吸音に混じり、歯が煙管を囓る音がした。

 と、マチェラがポツリと言った。

「闇が、……復活、したようだわね。彼、襲われたのよ」

 無意識に、肩がビクリと大きく震えた。

 『彼』。

 それが、今、貪るように眠り続ける黒髪の少年以外を指しているのならば、どんなにいいかと、リオは思った。

 けれど、それは有り得ないということもわかっていた。

 そしてそれが、眼を背けてはいけない真実であるということも。

「やはり……」

 それ以上は言葉にならなかった。

 微かな衣擦れの音でする。

 興味を惹かれたのであろうマチェラが身を乗り出したらしい。

「貴方、何か知っていて?」

「真に闇が復活したのならば、奴等はまず間違いなく、この森、そしてマチェ湖を我がものとせんとするでしょう」

 視線は床に落としたままリオが答える。

 マチェラは大きく溜息を吐き、煙管を置いた。

「そう。奴等にとっては、この森こそが誕生の場所。聖地だもの。……嫌な奴等。奴等は森を荒らし、命を奪う。でも、この森はそんなことために生まれたんじゃない。森を荒らす奴は、何人たりとて許さない。それが神護りとしての私の役目でもあるから」

 マチェラの視線が、アルフへと注がれる。

「彼の心がこんなにも傷ついた原因と闇の復活との間には、何か関係があるんじゃないかしら」

 恐らくは……。

 心の中だけで呟き、頷いた。

 その眠りを護るように躰の上に掛けられたキルトの中、膝を抱え、背を丸めて眠り続けるアルフ。

 薬草の力を借りて眠っていてさえ辛い夢に苛まれているのだろうか、時々呻くような声さえ発する。

 何が、アルフをそんなにも傷付けたのだろう。

 故郷で、彼は何を見、何を聞き、何を考えたのだろう。

 その解を推量ろうとすれば、簡単に出来る。

 けれどリオは、敢えてそれを拒否した。

 否、拒否しようとした。

 自分の推測自体が間違いであって欲しいと、それが仮定でしかないと、そんな望みに縋っていた。

 常に悪い方へ悪い方へと考えてしまう自分自身の思考回路を、これほどに呪ったことなどなかった。

 一度、二度と、今度は本当に首を横に振ってみた。

 それは、自分の心に対する最後の抵抗。

 けれど……。

 リオは笑った。

 色濃い自嘲を含んだ笑み。

 マチェラがそれに気付かぬふりを通してくれたことが、リオにとっての救いだった。

「リオ。忠告よ。神護りの御婆からの忠告」

 マチェラの声は酷く淡々としていた。

「お友達を大切だと思うのなら、貴方が今、何を考えていようと、彼の傍を離れてはいけないわ。無理矢理にでも傍にいなさい。そうでなければ、貴方、もう二度と彼に逢えなくなるわよ」

「え?」

「彼、……死ぬかもしれない」

 リオの顔からさっと血の気が引いていった。

 頭の中が真っ白になった。

 ただ無意識に腕を伸ばし、指を伸ばし、そこに友がいることを確認した。

 幻ではないのか?

 そう自分自身を戒め、何度も確認した。

 指先を伝う感覚だけからでも、リオにはハッキリと見ることができた。

 彫りの深い端整な、歳よりも大人びた顔つき。

 少し浅黒い肌の色。

 濡羽色をした、前髪だけ長い髪。

 ……アルフだ。

 間違い無く、僕の大切な友達。

 消えてしまうことが怖くて、腕の中にそっと抱き締めた。

 温かかった。

 そのことが、リオを余計に哀しくさせた。

 この温もりの中心にある心が、誰よりも綺麗で、何よりも傷つきやすいことを一番知っているのは自分。

 そう思っていたはずなのに……。

 そんなのは、ただの奢りでしかなかった。

 欺瞞でしかなかったんだ。

 彼を護っているつもりで、彼に一番寄り掛かっていたのは自分。

 心配などかけないつもりで、何時だって一番不安にさせてきたのは自分。

 足枷にしかなれない、自分。

 背筋を言い知れぬ悪寒が這い登っていく。 

 そんなリオを見かねてか、震える背中に優しい声が掛かった。

「そんなに自分を卑下するものじゃないわ。貴方に彼が必要なように、彼にとっても貴方が必要。貴方達は、お互いを必要としあっている。失うわけにはいかないのよ。この世界のためにもね」

 アルフを起こしたくなくて、身動ぎ一つすることなく、リオはマチェラの言葉に耳を傾けた。

 それを背中の様子から感じ取っているのだろう、マチェラの言葉は蕩々と続く。

「さっき貴方に渡したクリスタルには、彼の記憶の一部を閉じこめてあるの。私がどうしてそんなことをしたのか、貴方はあのクリスタルをどうすべきなのか、……言わなくても、わかるわね?」

 アルフを抱き締めたまま、リオは無言で頷いた。

「朝になったら連れて帰っていいわよ。ハクで送ってあげる。その後、……彼が目覚めた後で、貴方がどうしても全てを訊きたいと思うのなら、あのクリスタルを彼に渡して。でもそれは、彼の心をこの世界に繋ぎ止めておくに充分な言葉を用意した後にしてね。彼の心は薄い硝子のよう。今にも壊れそうだわ。人ってね、そんなに強い生き物じゃないのよ。心が壊れてしまったら、人は生きていけないの」

 続く言葉は呟きのようで、リオの耳にさえ微かにしか届かなかった。

「独りきりで苦しんでいても、それ以上、先には進めないものよ。分かち合うことで、……お互いを支え合うことで、初めて歩き出せる。人って、そういうものじゃないかしら? 共に生きるこのとできる相手が居るというだけでも、人は救われ、癒されるものだわ」

 指先で煙管を弄びながら、ゆっくりと紅茶を口に運ぶ。

「ああ、嫌ね。こういうのを老婆心っていうんだわ。歳は取りたくないものねぇ」

 その声音は、酷く淋しげだった。


次回予告:眠り続けるアルフ。リオ、そしてルーと再会できるのか?


「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、原則として週一回更新します。

次回更新(予定)日は4月27日(金)!


本連載も残すところ3話となりました。是非この後もご覧下さい。

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