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第8章 望郷の想い No.2

「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」の続編です。

◇◇◇ 第八章   望郷の想い ◇◇◇ No.2



 重い瞼をゆっくりと開く。

 そこは酷く薄暗い場所だった。

 ゆるい空気の流れにゆらゆらと揺れる灯りだけが、それが夢の中の映像ではなく、覚醒した自分の眼で見てる光景なのだと教えてくれている。

 起きあがろうとしたが、躰が酷く怠くて手脚を動かすことも億劫だった。

 やむなく視線だけを動かし。灯りを頼りに周囲の様子を探る。

 壁は天然の岩でできており、それがぐるりと天井まで続いている。

 どうやら洞窟の中らしい。

 窓こそないが、壁の一部を刳り貫いて通気抗らしきものまであるようだ。

 顔を横に向けると、テーブル、家具、暖炉など、生活に必要なものが一通り揃っていることも見て取れた。

 ここが誰かの家であることは間違いなさそうだ。

 しかも、家具の類は全て磨かれた岩で造られている。

 硬い岩を木のように加工できる技術を持っている種族なんて聞いたこともない。

 いったいどこのどいつだ? 

 半ば感嘆し、半ば呆れながら、ゆっくりと首を回していく。

 すると。

「あら、気が付いたようね」

 聴き慣れない、高音域に属する声音が鼓膜を揺らした。

 誘われるままに視線を向けると、漆黒の艶やかな巻き毛を腰の辺りまで垂らし、今は流行らない(ということは、その方面には全く興味のないアルフにだってわかるくらいに)昔風のビラビラしたドレスを身に纏った女が、これもまた流行らない、背もたれの大きな椅子に腰掛けて、ニコニコと笑いながらこちらを見ていた。

 なんだ、こいつ……?

 起きようとして躰中に力を入れた。

 瞬間、突き刺すような痛みが、脳天から脚の先までを貫いた。

 声にならない呻きを漏らし、布団の中に沈み込む。

「ダメよ。まだ寝ていらっしゃい」

 女が身を乗り出し、顔を近づけてきた。

 瞬間、噎せ返るような香水の臭いが鼻孔を突き、アルフは眉を顰めて顔を背けた。

 こういう甘ったるい匂いは苦手なのだ。

 拒絶の意図を感じ取ったのだろうか、小さな溜息に続き、数歩分だが離れていく足音が聞こえた。

 ホッとすると同時に、酷く気まずくなった。

 不用意に近付いてきた相手を拒絶し、自分の領域に踏み入れさせないのは常のこと。

 なのに、なんで今だけ、こんなに気持ちが重くなるのだろう。

 不明瞭な訝しさは、けれど、すぐに確信に変わった。

 今、アルフが寝かされている布団の柔らかな肌触り、毛布の温かさ。

 恐らく、この温もりを提供してくれたであろう当人に対するには、余りにも不遜な態度だったと、無意識に自身を非難していたのだろう。

 そして同時に、温もりは懐かし記憶、けれど今は辛いだけの、思い出したくない記憶をも呼び覚ましてしまった。

 子供として生きることを許されていた日々。

 両親がいて、その間に自分がいて、暖炉の火が明々と燃えていた空間。

 父が笑い、母が笑い、そして自分も素直に笑えたあの場所。

 くすぐったいほどに幸せで、けれど、今はもう手の届かないところまで流れ去ってしまった時間。

 胸の奥で凝り固まった痼りの重さに閉口しつつ、思考を断ち切るためにゆっくりを頭を動かして視線を女へと戻す。

 彼女はアルフに背を向けて立っていた。

 水音が聞こえるが、何をしているのかまでは窺い知れない。

 女が何者で、何を企んでいるのかはわからないが、少なくとも温かな寝床を提供してくれたことは事実だ。

 必要最低限の情報くらい提供してくれるに違いない。

 そう判断し、アルフは短く訊いた。

「黒い、影、は……?」

 けれど、問うてから口内で微かに舌打ちした。

 意識が飛ぶ直前、確かに見掛けた黒い影。

 奴等が身に纏っていたのは、全身を粟立たせるには十二分過ぎるほどに強い負の感情だった。

 この女にどうにかできるような相手ではなかったはず。

 ならば女は、奴等には出逢わなかったのだろう。

 答えの得られない問いを発してしまったことを悔やみ、唇を歪めて視線を逸らした。

 けれど、アルフの予想に反し、振り返った女は、数度眼を瞬かせた後、納得の態で口角を上げた。

「ああ、あいつ等?」

 皮肉混じりに小さく笑うと、フワリと椅子に腰掛けた。

「大丈夫よ。この森で勝手をされては困るの。だから、丁重にお引き取り願ったわ」

 顎に指を掛け、ホウッと悩ましげに息を吐く。

「まったく、最近は物騒になったものよね」

 驚いた。

 追い返したといわんばかりの口ぶりについては話半分に聞くとしても、奴等に出逢って助かったというのか?。

 この女……、何者だ?

「あんた、いったい……」

 女を凝視し、独り言ちる。

 けれど、女はその声を耳敏く聞き付けたらしい。

 疑問の形を取る前だったにも拘わらず、憤慨とばかり腰に手を当て、勢い良く立ち上がった。

「いやぁねぇ。助けてあげたのに、私のこと疑ってるの? 失礼しちゃうわね。だいたい、こんな美人になら、取り殺されたって文句ないんじゃなくて?」

 よく喋る女だが、敵ではないらしい。

 それはアルフの直感だった。

 できることなら早々に退散したいところだけれど、残念ながら躰がいうことを効かない。

 それに、酷く怠くて抗う気力もなかった。

 とりあえず、長引きそうな話の腰だけは折っておきたいと思った。

「ここ、……あんたの、家か?」

 だからといって、そんなこと訊いてどうする? 

 気付いた時には、既に言葉として零れてしまっていた。

 女は聞こえていることを示す程度に小首を傾げた。

 見掛けよりも華奢な顎のラインに視線が釘付けになる。

「あら、あたしのことが知りたいの? 子供のくせに生意気ねぇ」

 女はからかうように喉の奥で笑った。

「本当なら秘密にしておきたいところだけど、……そうね、貴方、可愛いから、特別に教えてあげる。この家はね、ある人のものだったの。それを私が貰ったってわけ」

 次いで身を乗り出し顔を近づけてくる。

「言っておくけど、私の美貌に目がくらんだスケベオヤジのじゃないわよ。そんな奴の家なんて、気持ち悪くて住めたもんじゃないでしょ」

 見掛けほどにはふざけた女ではないようだ。

 が、ご多分に漏れずお喋り好きのようだ。

 アルフは少々うんざりし、微かに肩を竦めた。

 女は楽しげにクスクスと笑った。

「意識はしっかりしているみたいね。間に合ってよかったわ。でも、これからは気を付けること。貴方は闇に魅入られやすいから」

 スカートを直し、再び椅子に腰を下ろす。

「あたしはマチェラ。この森に独りぼっちで住む美しき乙女よ」

 女のお喋りは止まらない。

 何か言えば十倍になって返ってくるにちがいない。

 アルフは眼を閉じた。

 とても疲れていた。

「眠いの? なら、ゆっくりお休みなさい。たまには休息も必要よ。可愛い戦士さん」

 そんな言葉が、少し遠くに聞こえたような気がした。

 ……と、次の瞬間、唇に柔らかな感触が触れた。

 反射的に眼を見開く。

 眼前に広がる波打つ黒髪。

 胸にかかる女の体重。

 噎せ返るような香水の香りが、再び、しかし今度は甘く鼻孔をくすぐった。

 なぜだろう、抗うことができない。

 胸許と唇から伝わる温もりが、酷く甘い、けれど、今は痛みしか伴わない懐かしい記憶を呼び起こしていく。

 瞬間、アルフの躰を今まで感じたことのない感覚が貫いていった。

 躰の中心がカッと熱くなり、脳の芯が痺れた。

 我に返った時、アルフは女を床に押し倒し、その上に馬乗りになっていた。

 それなのに、女は抵抗の素振りすら見せない。

 必然的に縮まる二人の距離。

 自分の行動に驚きつつ、茫然と見下ろした女の榛色の瞳の奥に、微かに悪戯っぽい笑みが過ぎっていくのを見て取った。

(この女……、俺を羽目やがった?)

 さっきまで、動かそうとしても動かなかった躰、少しでも動かそうとすれば激痛に襲われた四肢が、今、なぜこんなにも俊敏な動きをすることができるのか。

 いつもの数倍は重いけれど、気怠さも痛みも遙かに和らいでいる。

「なにを、した……?」

 問う声音は、自分のものでないように震えている。

 おかしい。

 この女は危険だ!

 理性が耳許で叫んでいた。

 しかし、勢いのついた躰と欲望を制止出来るほどの理性も気力も、今のアルフには残っていなかった。

 胸の中に渦巻く色濃い虚無感が、出口を求めて暴れ回る。

 自分でも訳のわからない衝動に突き動かされ、アルフは、女の豊かな胸許に貪り付くように顔を埋めていた。

 なけなしの理性が消えかけていく。

 瞬間、アルフは耳の奥に懐かしい声を聞いたような気がした。

 頬を熱い何かが流れ落ちていく。

 それが彼の最後の理性だった。


次回予告:アルフの帰りを待つリオとルーの身に……?


「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、原則として週一回更新します。

次回更新(予定)日は4月6日(金)!


本連載も残すところ6話となりました。是非この後もご覧下さい。

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