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第7章 天上界 No.4

「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼」の続編です。

◇◇◇ 第七章   天上界 ◇◇◇ No.4



 透明な青い空、輝く純白の海原を背景に、白濁した球形の空間がいくつか、ふわりふわりと浮かんでいる。

 天上界の者であれば誰しもが忌み嫌い、恐怖し、脚を踏み入れることさえ躊躇う場所。

 天の牢獄。

 一度捕えられ拘束されれば、二度と再び外に出ることは叶わぬと噂される天上界の墓場だ。

 流れる風さえも薄ら寒いその場所に、ケルビムはゆっくりと脚を踏み入れた。

 供も連れず、たった一人きり。

 彼がそれを望んだ。

 長い時間を一介の老人として異界の地で過ごしてはきたが、万が一何かが起きたとしても、下級天使如きに触れることさえ許さぬだけの力は維持しているという自負も無論はある。

 が、今から逢いに行く『彼』の姿を他の誰かに見せることが躊躇われたというのが、その真の理由だった。

 特別な許可がなければ立ち入ることなどできない場所だが、天上界で最上席に拝せられる聖天使に命じられれば、いかな牢獄の門番とて、門を開き、長い黄金の髪が揺れる背中をただ見送るしかなかった。

 ケルビムは一瞬の戸惑いもなく最奥を目指した。

 被縛者の格に応じて部屋が配置されるのは遠い昔からの慣例だ。

 『彼』は最奥にいる。

 その罪状が、例えどんなに陳腐で嘘に塗り固められたものであろうとも、捕えられた真の理由ゆえに、『彼』は最奥にいなければならないのだ。

 緩く点滅する白濁した球の間をゆっくりと歩きながら、ケルビムは先程まで旧友と交わしていた会話の内容を脳裏に呼び起こしていた。

『あの深い翡翠の瞳は大いなる凶兆の証。このまま下界に戻すわけにはいかぬ。亜奴と同じ瞳を持つあの子供の内に秘められし力は偉大であり脅威だ。裏切り者とはいえ、亜奴は我等の長であったのだからな。そして、亜奴と同じ瞳を持つがゆえに、あの子供は必ずや闇に魅入られよう』

 友の言葉に、ケルビムは憤まんも露わに反論した。

『貴方は、まだそのようなことを……! 彼は闇に魅入られたのではない! 彼の行為は、奢り始めた人間達に神の恩恵を知らしめるために必要だったのです! 何度同じことを申し上げればわかっていただける! 全ては天上界のため、神の御為! こんなにもわからずやで頭でっかちの天上界が彼を追い詰め、闇へと向かわせたのだと、私はずっとそう申し上げてきたではありませんか! なのに、三千年もの間、貴方達は一切を覆い隠すことばかりに専念し、何も悔い改めなかったというのですか?』

 爆発する怒りの中で、ケルビムは思い出していた。

 丁度、これと同じ会話を交わしたことがある。

 知識を司り、常に冷静沈着を旨としてきた自分が、初めて声を荒げた日。

 ……そう、あれは三千年前。ルリアに堕ちる直前のことだ。

『リオだとて同じ! あの子は決して闇に魅入られたりはしません! なぜ信じないのです? 信じようとしないのです? 私は三千年の間、ルリアの地で、子供達に信じること、思いやることの大切さ、素晴らしさを説いてきました。それなのに、私の故郷は、一番簡単で一番大切なことさえ忘れてしまったのですか? 情けない!』

『危険は排除しなければならない。碧の瞳が闇に魅入られし時、その力は彼の地のみならず、この世の全てを滅ぼす脅威となるだろう』

『それこそ、ただの推測に過ぎぬと申し上げている!』

 思い切り叩くと、周囲に控えていた守護天使達がビクリと躰を震わせた。

『あの人間達でさえ、我々の予測どおりになど動かぬものを、何と愚かなことを申されるのです? 貴方達には何もわかっていない! 自らの力で必死に生きようとする尊い意思を、幼い魂を、全てを見下すことを前提とした愚かしい憶測だけで摘み取ることなど、決して許される行為ではないはずでしょう!』

 しかし、トロニの声音は断固として揺るぎない。

『それでもだ。危険の芽は、小さいうちに摘み取らなければならない。それが我等の役目だ』

 ケルビムは深い溜息を吐いた。

 これ以上、何を言っても、トロニは決して考えを変えはしないだろう。

 前提となる基準が違い過ぎるのだ。

 これは、それほど容易に解決できる問題ではない。

 已む無く話を変えた。

『あの子と、……リオと二人きりで話をさせてもらえませんか? あの子の生き方は、彼自身にこそ選ぶ権利があるのですから』


 長い通路を進んできたケルビムの脚が、そこでピタリと止まった。

 行き止まり。最奥の間だ。

 その場所にたった一つ、他より僅かに大きい白球がゆらゆらと揺れていた。

 周囲に漂う珠のどれよりも、はるかに厳重に、二重三重の封印を施された『それ』。

 ゆっくりと中を覗き込む。

 初めのうち、それは、中央で淡い光りが点灯しているだけの空であるかに思われた。

 顔を近づけ眼を凝らしたケルビムは、次いでハッとして息を呑んだ。

 光りは『彼』であった。

 天上人の中で最も美しいと讃えられる聖天使の称号を与えられているケルビムでさえ、己の姿を恥じてしまうほどの神々しさと美しさを兼ね備えた唯一無二の天使。

 天上界にあった頃、全ての天使の羨望を一心に集めていた光の天使。

 ……セラフィム。

 その全身は透明な光によって包まれていた。

 今、眼前にある『彼』そのままに。

 愕然とし、数度、首を横に振った。

 『彼』はいない。

 いるはずがない。

 それは、ケルビム、己が一番よく知っていることではないか。

 自分自身をそう叱咤する。

 ならば、『彼』は……。

 ケルビムはその場にガックリと膝をついた。

 自らの推測の正しさが証明されたけれど、それは喜びには繋がらなかった。

 哀しみだけが胸の奥底から湧き上がってくる。

 なにより、白濁した壁に背を預け、ぐったりと座り込んでいる彼の姿は、哀れだった。かつての最愛の友の姿を彷彿とさせ、あまりにも辛かった。

 身長ほどもある長く柔らかな黄金の髪は、やつれた頬に掛かり、足許へと流れ落ちている。

 三重の後輪の光りさえ微かだ。

 視線はボンヤリと宙を漂い、その瞳からは、ただ涙だけがポロポロと零れている。

 翡翠の瞳には、恐らく全てが見えているのだろう。

 哀しみに打ち拉がれる友の姿。

 ルリアの危機。

 そして、過去と未来の時間の全てが。

 心を切り裂かれるような、拷問にも等しい苦痛に耐えているのだろう、その姿は、壮絶な美しさすらはらんでいた。

 ケルビムの中で、時が遡っていく。

 あの時、最愛の友は、やはりこんな表情をしていなかったか? 

 それを自分は、ただ美しいとしか思えなかった。

 せめてあの時、友の苦悩に気付いてやれていたならば、世界はこれほどまでに歪みはしなかったかもしれない。

 そう思うと、胸が締め付けられるほどに苦しくなった。

 唇を噛み、漏れそうになる哀しみを抑えながら、出来うる限りそっと声をかけた。

 空気の揺らぎが彼を掻き消してしまうことを恐れてでもいるかのように。

「セロ、わかりますか? 私の声が聞こえますか?」

 懐かしい友の愛称で呼んでみる。

 すると、彼の指先がピクリと動いた。

 無表情にまま、それでも視線がゆっくりとこちらに向けられる。

 仕草までもが瓜二つだ。

 胸が震えた。

「何故なのですか? なぜ黙って捕らえられたりしたのですか? ルリアの少年が惨殺される光景など、ただの幻影であると気付かぬ貴方ではないでしょうに」

 深い碧の瞳が、ふっと細められた。

 柔らかな声音が言葉少なに呟く。

「幻であろうとなかろうと、あれが現実になどならぬと、いったい誰が約束してくれる?」

 やはり同じ声、同じ眼差し。

 心が軋み、膝から力が抜けそうになる。

「だからといって、貴方の運命を預けてしまうなど……!」

 言葉が喉に詰まり、それを誤魔化したくて俯いた。

「貴方は、いつもそう。自分のことよりも友のこと。自分のことよりも世界のこと。自らを傷つけることに恐れがなさすぎる。そこまでなさる必要などありますまいに」

 その言葉が心に届いたのか、彼は涙の溢れるままに瞳を伏せ、細い首を小さく横に振った。

「私は弱いのだ。誰かが傷つく様を見るのが怖い。私が身勝手にルリアの地に留まる限り、私の大切な友が誰かによって傷つけられるかもしれない。あの悪夢が、いつか現実となってしまうかもしれない。そう考えただけで、身を引き裂かれるほどに辛くなるのだ。それくらいなら、……誰かを苦しめるくらいなら、私は……」

 顔を俯けた時、絹のような細い金の髪が彼の頬にサラサラと落ち掛かった。

 そうだ、あの時も彼は……。

 突如、妙な錯覚に囚われた。

 三千年の時の流れは、全て夢ではないのか?

 自分は天上界の聖天使として敬われる地位にあり、愛しい友と供に敬愛する神のお側近くにお仕えしているのではないのか?

 今、この時、友の苦悩を払い去ることが出来さえすれば、今のこの穏やかな時は何も変わることなく、綿々と過ぎ去っていくのではないのか?


次回予告:ケルビムの提案。そして、リオの決断とは?


「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、原則として週一回更新します。

次回更新(予定)日は3月16日(金)!

宜しくお願いします!!

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