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第5章 困惑 No.3

「翡翠の鳥は飛び方をしらなくて」は「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」の続編です。

◇◇◇ 第五章   困惑 ◇◇◇ No.3



 凍るほどに冷たい水の中でリオは必死に手脚をばたつかせているが、パニックで天地の感覚が麻痺しているらしく、岸にも水面にも近づけぬままに、ただ水を掻いていた。

 水圧で押し潰された肺から吐き出された空気が気泡となり視界を塞いでいることも、混乱の要因になっているに違いない。

 それでも光の差し込む方へと向かって伸ばされた腕をしっかりと掴んだアルフは、次いでリオの躰を掬い上げ、そのまま水面へと向かって泳いだ。

 水から顔を出した瞬間、新鮮な空気を貪るように呼吸するリオを見定めて、やっと安堵した。

「大丈夫か?」

 リオを右腕に抱え、絡みついた髪を整えてやりながら顔を覗き込む。

 寒さと驚きのためだろう、顔色は酷く青ざめ、全身をガタガタと震わせながら慌ただしく呼吸を続けている。

「バカ野郎……。心配、させんな」

 深呼吸して、アルフは呟いた。

 岸に泳ぎ着き、芝の上に躰を引き揚げるやいなや、アルフはびしょ濡れのリオの服を脱がしにかかった。

 一刻も早く躰を温めなくては大変なことになる。

 そのためには、水を含んで冷たくなっていくだけの衣服は邪魔なだけなのだ。

 右手の指を鳴らすと、今まで何もなかった場所に、たちまち赤々とした焚き火が現れ、炎を燃え上がらせた。

「ルー、タオルと毛布取ってこい!」

 そうアルフが叫んだ次の瞬間には、ルーが空気の中から現れた。

 両腕一杯にタオルと毛布、そして着替えなどを抱えている。

「はい!」

「気が利くな」

 唇の端だけでニヤリと笑い、山ほどのタオルを受け取って、アルフはリオの躰を擦り始めた。

「ゴメンね、リオ。ボク等が眼を離したから」

 アルフを手伝いながら、ルーが言葉を掛ける。

 リオはガタガタと震えながら、自分を取り囲む二人の顔を交互に見比べていたが、それがアルフとルーであると確認できたらしく、ほんの少し安堵の表情を浮かべて長い息を吐いた。

 四肢の硬直を解いて躰を預ける。

 その時だった。

 少しでも早く体温を上げるためリオの躰を拭いていたアルフの腕がピタリと止まった。

 それが次第に震え始める。

 眼を見開いたまま、驚きは徐々に色濃い困惑へと変化していった。

「アル、どうしかした、の……?」

 アルフの様子を訝しみ、その手許を覗き込んだルーも、やはり同じように言葉を途切れさせた。

「リオ、君……」

「男じゃ、なかったのか?」

 やっと絞り出した声音は、自分のものではないくらい、ひどく乾いてざらついていた。

 恐らく二人は同時に、今この場で言葉にすることが適当でない、……否、したくない単語を思い浮かべていた。

 ……アジュ。

 両性皆無の幼児態。ルリアの地に生を受けてから二年間、どんなに長くても三年間だけであるはずの躰。

「だって、……あり得ないよ、そんなこと!」

 喉の奥に詰まった痼りを吐き出そうとするように、ルーは言った。

 まるで、そうすることで、目の前の現実を変えられると信じているかのように。

「ボク等、もう十三なんだよ。この年までアジュでいるなんて、ぜったいにあり得ない! ボクらは命を繋いでいかなきゃならないんだ。ルリアの民なら……」

 そこまで言って、自らの発言から手繰り寄せた結論に自ら驚愕し、ゆっくりと息を呑む。

「まさか、リオ、君……」

 最後、ルーの口から零れてしまった言葉を押し戻したくて、アルフは何事もなかったかのようにリオの躰をタオルと毛布でぐるぐる巻きにし、その上から強く擦った。

 ルーが何か話しかけてきたけれど、聞こえない振りをした。

 ……聞きたくなどなかった。

 彼が言いたいことはわかっていた。

 性別を持たない種族など、他にいるはずがない。

 雲の糸と太陽の光から産まれる異世界の民。……天使。

 しかし、それを認めることは、この世界でのリオの存在自体を否定することになってしまう。

 天上界とルリアは相互不干渉が原則なのだから。

 ルーに背を向けたまま、アルフはただ黙々とリオの躰を温め続けた。

 リオは暫し不思議そうに二人の顔を交互に見遣っていたが、ふと、その視線が二人の背後でピタリと止まった。

「こんなことが……。私が最も恐れていたことが、現実になってしまったとは……」

 この場にいるはずのない、予想外の声音。

 二人は弾かれたように、同時に振り返った。

 そこには、純白の衣装に身を包み、たっぷりとした純白の口髭を蓄えた長身の老人が独り、ポツンと佇んでいた。

 最初に動いたのはアルフだった。

 毛布にくるまれたリオを老人の視界から隠すように躰を滑り込ませ、彼を背に庇う。

「……なんだ、あんた」

 言い捨て、一時の凝視の後、あっと気付いて肩の力が抜けた。

 いつもの黒服ではなかったから判断が遅れたが、眉の奥から覗く穏やかで優しい瞳は、見間違えようがない。

 すかさずルーが老人の許に駆け寄った。

「校長先生、リオが、……リオを助けて!」

 腕にしがみつくルーの髪を片手でそっと撫でながら、校長先生は暫くの間、リオをじっと凝視していがた、一つ大きな溜息を吐いた後、首を横に数度振り動かすと、目頭を抑えて俯いた。

「奴等に捕まってしまったのですね、リオ」

 独白のような先生の呟きを、アルフは聞き逃しはしなかった。奴等? 奴等って誰だ? 先生は何か知っているのか?

 一歩脚を踏みだしかけたが、今度はルーの方が早かった。

「奴等って……? 先生、奴等って誰のこと?」

 必死に問うルーの髪を撫でながら、しかし、先生の視線はリオから一瞬も離れることはなかった。

「リオ。そこは冷たくて暗いですか? ……可哀想に」

 先生の掌がリオに向かって翳された。

 その瞬間、今までボンヤリと濁っていた翡翠の瞳から、大粒の涙が溢れ出し、次々とリオの頬を伝って流れ落ちはじめた。

 これまでになかったことだ。

「リオ?」

 アルフはリオの両肩を握り、彼の躰を前後に揺すった。

「リオ、俺がわかるか? リオ!」

 だが、翡翠の瞳はポロポロと涙を落としはしても、それ以上の反応が返ってくることはなかった。

「どうしたんだよ、リオ! 返事しろよ!」

 それでも繰り返し呼び続けるアルフの肩を、温もりがそっと包み込んだ。

「残念ですが、戻ったわけではありません」

 視線だけで振り返ると、肩に置かれた大きな手、そしてその先には校長先生の空色の瞳が哀しげに揺れていた。

「今のリオは、生まれたばかりの子供のような存在です。護っておやりなさい。そして、リオが伝えたくて伝えられなかった心の奥の奥に眠る彼自身を見守っておあげなさい。今、君達に出来ることは、それだけです」」

 悔しかった。

 今の自分には何もできないのだと、そう断言されたことが悔しくて、……情けなかった。

 だからこそ、素直に認めることだけはしたくなかった。

「あんた、何を知っている?」

 ガキの悪足掻きだとわかってはいたが、アルフは校長先生ににじり寄った。

 眉根と共に顰められた低音に込もる怒りの矛先を向ける相手が違うことくらい、充分に認識していたけれど。

 そして校長先生は、そんなアルフの思いの全てを見透かしているかのように、子供をなだめすかす口調で言った。

 先生の顔には、既にいつもの穏やかな笑みが戻っていた。

「君の知らないことを少しばかり……」

 カッとして、アルフは先生の襟元に飛びついた。

 驚いたルーが制止しようとアルフの腕にしがみついたが、そのぐらいで引き剥がされはしない。

 襟元をねじり上げ、噛みつくように叫んだ。

「アジュって、いったいどういうことだ! アンタ、知ってるんだろう? あいつの周りで、……俺達の周りで、いったい何が起きてるんだ!」

「アジュとはどういう存在か、君だとて知らぬわけではないでしょう? ならば、その問への答えは、君自身の中に既に用意されているのではありませんか?」

 襟首に取り付いたままの腕を振り払おうともせず、先生は答えた。

 短くて的確で、それ故に冷たい言葉。

「じゃあ、本当に……?」

 うわごとのようにルーが呟く。

 先生は静かに頷いた。

 決定的だ。

 上り詰めた血が一気に足許まで落ちて行くような感覚を覚えたアルフだったが、膝から倒れそうになる両脚を踏ん張って堪えた。

「そんなの、俺は何も聴いてない!」

「アル!」

 抑えようと絡みつくルーの腕を、アルフは少し乱暴に払い除けた。

 自分勝手な言い分だとわかってはいたけれど、反発の言葉を口にせずにはいられなかった。

 なぜなら、今、それを認めたなら、それ以上のことも認めなくてはならなくなるのだから。

「あんた、何も知らないくせに! あいつが俺に、……俺達に、隠し事なんかするわけがないんだ! 俺達、約束したんだ! 絶対に隠し事はしないって。なのに……!」

「落ち着きなさい、アルフ!」

 かつて耳にしたことのない校長先生の鋭い声音が森に響く。

「何もわかっていないのは、君のほうではありませんか?」

「……っんだと!」

 頬が朱を帯びるのが自分でもわかったが、湧き上がる感情が抑えられない。

「あんた等大人は、いつだってそうだ! みんな、知ったふうな顔しやがって、そのくせ俺達には何も教えてくれないんだ!」

「待っていても真実は手に入りはしない。子供だからという言い訳で自分を正当化しようとするなら、君はずっと、大切な友を護ることさえ出来ぬままに、無知という迷路の中で迷い続けているしかありませんよ」

 先生の表情はいつもと同じで優しく、けれど、どこか突き放すような冷たさがあった。

 アルフは両掌をきつく握りしめた。

 自分はただ待っていたわけじゃない!

 そう反論したいのに、別の自分が問い掛けてくる。

 なら、いったい俺に何ができた?

 リオを護れなかった事実は、言葉の上塗りだけで消し去れはしないじゃないか。

 情けないけれど、唇を噛むことだけが、今の自分にできる精一杯の抵抗だった。


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