プロローグ & 第1章 穏やかな日々
「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」続編です。
興味を持って下さった方は、是非是非、前作もご覧になって下さい。
リオ、ルー、アルフの三人を好きになって頂けたら、これに勝る喜びはありません。
この世は、三つの世界によって形創られる。
混沌から全ての生を生み出した創造主『神』と、その下僕達の世界『天上界』。
創造主によって創り出された儚い命に縋り付く人間達の世界『人間界』。
そして、もう一つ。
『人間界』が創られる遥か昔、同じように創造主の指先が生み出した世界があった。
それは、人間界の裏側に位置しならが、忘れ去られた世界。
神の加護から離れ、人知れず、ひっそりと存在する世界。
神の力の微かな残り香『夢幻』を司ることを認められた、御伽の者の息衝く世界。
そこに住む人々は、己が世界を『夢幻界』、あるいは『ルリア』と呼ぶ。
◇◇◇ プロローグ ◇◇◇
うっそうと茂る森の深淵部は、深い闇に包まれていた。
それは、迷い込んだ光を捉え、引きずり込み、二度と再び眩い世界へは戻さぬと謂わんばかりの色濃い悪意に満ちてすらいた。
そして、その更に奥深く……。
一条の光すら差し込まぬ暗闇の中では、闇が尚暗く凝り固まり、暗黒の影となってゆらゆらと揺れていた。それは、始めのうちは小さく、輪郭の定まらない、ぼんやりとした影でしかなかったが、影は影を重ね、吸い込み、徐々に凝り固まり、ついには光をも呑み込む真の暗黒となった。
やがて輪郭を持ったそれは、まるで命を得たかのようにざわざわと這いずり出した。
ズル、……ズルズル。シュー……。
腸を引き摺るような嫌な音が低く森の中に響く。
闇が這った後の草原は、まるで焼け爛れたように、そこだけ悲惨な姿を曝した。草木の小さな命までも喰らい尽くしながら、闇は少しずつ自らの大きさを増していった。
闇の進行方向に、一本の椎の木があった。大枝を四方に伸ばし、瑞々しい葉を茂らせる雄々しい大木だ。その幹は太く、大人二人が両腕を広げて取り囲んでも余りあるほどだ。
地を這う闇は、その大木の前で躊躇うように歩速を緩めたが、それはほんの一瞬のこと。次の瞬間には、これまでの倍の速度で椎の木に襲い掛かった。ズルズルと幹を這い登り、幹をつたう。闇が這った後は樹皮が捲れ、爛れた幹からはプスプスとガスが噴き出した。それはまるで、椎の木の声にならない悲鳴のようだった。
大木の小枝までを存分に嘗め尽した闇は、枝の先から地面へと戻り、更に森の奥へ奥へと這い進んでいった。その痕は焼け焦げ、爛れ、撒き散らされた黒い毒が大地に染み込み、じわじわと広がっていった。
闇が去った後も、椎の木は暫し巨体を維持していたが、それも束の間、細い枝から次々と枯れ落ち、遂には根元から横倒しに倒れた。
◇◇◇ 第1章 穏やかな日々 ◇◇◇
リオ、ルー、アルフの三人が魔法使い養成学校に入学し、早いもので丸三年の歳月が過ぎ去った。
今、彼等は揃って養成学校の応用過程へと進級しており、応用過程履修者の証として、学校側から褐色の杖を与えられていた。それは証明書であると共に、飛行にも使用できる優れもの。養成学校では、授業以外の場での魔法使用は原則禁止とされているのだが、その杖を持っている場合に限り飛行通学が許可されるのだ。
リオ達が住んでいる森の奥の丸太の家から学校までの所要時間は、彼等の脚で一時間ほど。森を横切る道は四季折々に自然が美しく飾りたててくれるので、三人とも、その時間を決して長いと感じたことはないのだが、こと朝の通学に関してだけは、杖の恩恵を素直に認めざるを得ない。なんせ、大きな眼鏡をかけた朝寝坊の常習犯がいるものだから……。
小春日和の暖かな風を頬に感じるのは心地良い。三人揃って、今日も空からの通学だ。
歩き方や話し方に特徴が現われるように、空の飛び方にも個性が出るらしい。ルーは両脚で杖に跨り、脚を前に放り出す。リオは横向きに腰掛ける。そして、常に最後尾を飛ぶアルフは、胸の前で腕を組み、両脚で杖の上に仁王立ち。それが一番楽な姿勢なのだとか。
三人の奇妙な編隊は、あっという間に養成学校の生徒達の間で噂となった。入学時は三百人ほどもいる生徒が、一年後にはその半数以下に、更に一年後にはその半数へと数を減らしていき、応用過程まで進んで杖を与えられる生徒は、一年間に数人程度なのだから、それも止むなしと言うべきか。
校門から少し離れた場所にふわりと降り立った三人は、周囲の視線を気にもせず、いつものように並んで歩きながら、おしゃべりに夢中だ。年がら年中一緒にいるのに、話題の種が尽きないのは、彼等自身不思議だった。
「一時限目のルリア史の授業、休講だってさぁ」
のんびりとした口調でルーが言う。三年の間に、そばかすは薄くなり身長も伸びたが、ずり落ちそうなくらい大きな丸眼鏡と、少し間延びした話し方は相変わらずだ。
「チェッ。折角早起きしたのにな」
隣を歩いていたアルフが、憮然として言う。さっぱりと短く、しかし前髪だけは長めの艶やかな黒髪はかつてと変わらないが、前髪の奥で煌めく漆黒の瞳は以前より鋭さを増していた。けれど、この世界で少なくともリオとルーの二人だけは知っている。その瞳が、どれほど温かく優しい微笑みを孕むのかを。
アルフは、魔法で小さくした杖を腰紐の後ろに差込み、空いた両手を頭の後ろで組みながら、隣を歩く、頭一つ分身長の低い少年二人を見下ろした。
「なぁ。この後どうする?」
「実技の授業まで、時間、空いちゃうよねぇ」ルーが合いの手を入れた。
二人の間でカリキュラム表を見ていたリオが、紙面の一点を指差した。
「丁度今から占星術の授業があるね。僕等の履修単位の先生とは別の先生の講義だけど、聴いてみる?」
飛び切り上等の宝石のような深い碧の瞳が、ルーとアルフを交互に見遣る。吹き抜ける微風が、柔らかな金色の髪を揺らしながら通り過ぎていった。左肩の上で一つにまとめられている絹糸のような髪が、解れてサラサラと頬に掛かる。透き通る肌にはホクロ一つなく、唇は薄く紅を指したようだ。新入生の殆どが、彼を女性だと勘違いしてしまうのも無理からぬこと。けれど、淡い恋心など抱き、あろうことか交際の申し込みなど企てようものならば、どこからか聞きつけたアルフに手酷く罵られる。そうして、初恋を無惨にも引き千切られ、踏み躙られ、恋愛恐怖症となった若者は、両手の指で二往復しても足りないくらいだ。
友人達はそれを、新入生が通過しなければならない洗礼として温かく見守ることに決めている。つまりは傍観し、楽しんでいるというわけだが、彼等いわく、敢えて火の粉を被るようなマネをしないことも、魔法使いとしての重要な要素なのだそうだ。
「うん、賛成!」
ルーは諸手を上げて同意の意を示した。随分と大人びてはきたものの、そんな仕草が彼には良く似合う。
一方アルフは、空を見上げながら少し困惑の態で眉根を寄せた。
「どうしたの、アル?」
ルーが問い掛ける。
アルフは暫し首を傾げていたが、やがてボソボソと言った。
「あのさ……」
「なあに?」
「占星術と魔法って、どういう関係があるんだ?」
「アル、ひょっとして今まで知らなかったの?」
大袈裟に驚いたのは、今回もルーだ。
アルフは決まり悪そうに頭を掻いた。
「なんだよ、お前は知ってんのか?」
「ううん。知らなぁい」
アルフは思わず立ち止まった。つられるように、他の二人の脚も止まる。
一瞬の沈黙の後、呆れ返ったような表情でアルフが訊いた。
「だって、お前、占星術の授業、いつも喜んで受けてるだろ?」
「うん。だって、星って綺麗でしょ? だから大好き!」
「……それだけか?」
「うん」
コクリと力強い頷きが返ってきた。
アルフは頭を抱えた。
「それは、占星術とは違うだろう」
溜息と共に呟くが、ルーには、それがどういう意味かわかっていないようだ。きょとんとしている。
そんな二人を助けるべく、一番のタイミングでリオが口を開く。二人の話をまとめるのは何時だってリオの役目なのだ。
「ルーは無意識のうちに森の力の流れを感じ取ってしまうからね、占星術は余り必要ないのかもしれないね」
「どういうことだよ、リオ」
アルフの問いに、リオは飛びきりの笑みを返した。
「占星術の目的のことだよ。天の動きと大地の力の流れには密接な関係があるんだ。僕達の力の源である夢幻は、言わば、この世界に微かに残る神の力の残り香みたいなものだから、それを上手く引き出すには、その流れを的確に読み解くことが大切なんだ。占星術は、そのために有効な手段の一つなんだよ」
「ふ〜ん」
二人は揃って感心の態で頷いた。
「ねえ」ルーが身を乗り出した。「リオは、どうしてそんなこと知ってるの?」
「どうしてって……」リオは少し困惑し、小首を傾げた。「占星術の一番最初の授業の時、先生がそう説明してくださったよ」
「あれ、そうだったっけ?」
ルーはアルフを見上げたが、当のアルフは気まずげにそっぽを向いている。
「でも、さぁ」
「要するに、魔法が遣えればいいわけで……」
二人は大きく頷きあった。こんな時、彼等の息は驚くほどにピタリと合うらしい。
リオは小さく溜息を吐いた。
「……とりあえず、授業、聴いてみる?」
その問いに、二人は揃って大きく頷いた。
次回予告:アルフが拗ねる心配事とは……?
「翡翠の鳥は飛び方を知らなくて」は、原則として週一回更新します。
宜しくお願いします!!