7.魔王は引き籠りのようです
それは最近と言うのか。10年前と言えば小学生でブイブイいわせていた懐かしき幼少期だ。
「引き籠りの魔王なんて聞いたことがないぞ」
「そんな固定観念を持っていたら駄目ですよ。もっと柔軟に思考を巡らせどんな状況にも打ち勝てるようにしなければなりません」
この吸血鬼は何をいっているんだ。こちとら今までの固定観念を破壊されている状況に陥っているんだ。魔王が引き籠りだと聞いたら拍子抜けにも程があるだろう。
それになんで俺はこんな場所にいるんだろうか。あの少女はなんだったのか、思い出したくないが夢でもなさそうだけれど手足は無事だ。
「俺はなんでここにいるんだ?」
「姫様が引きずってきたんですよ。いやもう、あれは驚きましたよ。吃驚仰天ってヤツです。手と足がゴムみたいにぐにゃんぐにゃんになってましたから」
イーシェは腕をぶらんぶらんと揺らしながらジェスチャーをする。
夢でも幻でもなく嫌な現実だった。ゴムみたいに、ってそんなに酷い状態だったのが恐ろしい。でも今は何ともない健康状態だ。
それに姫様って、あれが姫様なのか。イーシェの言う姫様って名前ではなく名称だよな。ならこの魔王城の姫様ってことは魔王の娘ってことになる。
「姫様って魔王の娘なのか?」
「ええ、もちろん当然のことです。先程までいたようですがどこに行ったのでしょう。きちんと姫様にお礼を申し上げてくださいね。ここまで運んで治療もしたのは姫様なんですからね」
「はっ?」
どういうことだ。何故俺があの恐ろしい少女にお礼を言わなければならないことになっている。運んで治療をしただと、運ぶ前に俺をゴミみたい、いや、ゴムみたいな状態にしたのはおたくの姫様ですよ。これが権力者の使うといわれる改竄というわけか。さすが魔王の娘、きたない。
「いや、それはあの娘が俺を襲ってきて……」
イーシェが俺の話している途中でぴくんと体を震わせてドアの方向に視線を向けた。
微かに開いている扉の向こうにある廊下から足跡が聞こえてくる。軽い足取りでこちらに向かってくる。
「では、私はこの辺で失礼しますよ」
近くの窓を開けてメイド服を風で揺らしながら焦った顔をしている。
「私は綺麗好きの掃除嫌いな使用人イーシェでございます。今後もお見知りおきを次期魔王様♡」
扉が開かれると同時にイーシェは窓から飛び降りた。イーシェが飛び降りる最後の言葉が扉の開閉でよく聞こえなかった。
窓から視線を開いた扉に移すと白いワンピースではなく黒いドレスに衣装替えをした少女が笑顔で立っていた。
純真無垢な穢れの無い笑顔。逆にそれがその少女の畏怖を最大限に活かしている。
無意識に無自覚に俺の手足は小刻みに震える。暴力という恐怖は体に染み込み、傷が治ったとしてもそれは知覚として体が覚えている。
少女に合わせて俺は歪んだ笑顔を見せる。そうしなければいけないと体が無理矢理命令させる。
漆黒の少女は一直線にこちらへ歩いてくる。目の前の障害物である高価そうなテーブルや椅子を乱暴に投げ飛ばしたり蹴り飛ばしたりして排除する。それは道の上の小石をなんとなく蹴り飛ばす動作のような自然さだった。
ベッドで上半身だけ起き上がっている俺は固まって動けずにいた。一歩ずつ近づいてくる少女に圧倒されていた。
通る道には何も残らないと言わんばかりに俺と少女の直線状にあった家具は破壊され部屋の隅に無残な姿で追いやられていた。
近くまで来ると少女は俺の胸にダイビングアタックをクリティカルヒットさせた。その衝撃で後頭部は背後の壁と激しいキスをした。
俺の意識は脳内と共に一回転して吹き飛ばされるが腹部の激痛によって強制覚醒をされることになった。
意識が朦朧とする中で俺の胸に少女が顔を擦り寄せているのが辛うじて分かるほどだった。後頭部にじっとりとした液体が流れている嫌な感覚があるがその場所に痛みはない。
顔を上げた少女は整った綺麗な容姿で誰が見ても美少女という顔立ちだ。
「やっと起きたんだね。もう、寝坊助さんだなぁ」
寝かされた原因はお前だろう、というツッコミをする力も削られた俺は定まっていない焦点を合わせることだけに集中していた。
「……ねぇ、ここに誰かいたよね?」
使用人の吸血鬼さんが入れ違いにいましたよ、と言葉にしようとしたが何故か口から空気が抜けるだけで言葉が出ない。
少女は俺の服を剛腕によって一瞬で破り布切れにした。これで二度目の追剥にあってしまったわけだ。一度目の服はおっちゃんのお下がりで二度目の服はみたことないものだった。
「誰がいたの? 私以外の誰が触ったの?」
誰? ねぇ、誰? と繰り返される質問が脳内で壊れたテープみたいにループされる。
徐々に痛覚等の感覚が戻って来きて後頭部にまるで心臓があるように血管の鼓動に合わせて痛みがじわじわと襲う。
衰えていた脳内がようやく正常になる頃には少女の表情は笑顔とは程遠い無表情になっていた。
「ねぇ、聞いてるの?」
「ああ、聞いてる」
これが二度目の会話。前回は会話にさえなっていなかったような気がする。
返事を返すと少女は背後で後光が射すくらいの笑顔に戻り抱きついてくる。今回は力の加減ができているらしく少し窮屈な程度の力の入れようだ。
「今回は許してあげる。私は心がとっても広いのです」
「う、うん?」
一体俺は何を許してもらったのだろう。本来なら許す、許さないっていうのは俺の方ではないだろうか。まだ頭の中が混乱状態で正常な思考ができないようだ。
「だからね、私以外に触れたら今度はすごーく怒るからね。わかった?」
「は、はい?」
どういうことか誰か説明してください、と心の中で問いかけるが所詮自問自答になるしかなく自分で考えるしかない。
この娘がもし、すごーく怒ったらどのくらいの恐怖なのだろうかと想像したら何もない空間が作られた。つまり、何も残らないという結果が導き出された。
イーシェの言う通りならこの娘が魔王の娘でお姫様というわけなんだよな。
見た目はお嬢様のように綺麗で美少女だ。うん、見た目は完璧なお姫様だ。
力は、行動力は、威圧感は。うん、全て完璧な魔王候補だ。
俺の拙い思考能力と掻き集めた情報量により導き出された答えはただ一つ。この娘は正真正銘の魔王の娘だ。
そうだ、魔王の娘なら魔王に合わせてくれるかもしれない。イーシェは使用人だから魔王に直接会えないだけだろう。身分差故にイーシェは無理だといったのだ。いくら引き籠りでも娘の頼みなら親は聞いてくれるだろう。
「魔王様に会いたいのですけれど。会わせてもらえませんかね、なんて」
「お父様に? ずっと前にお父様をぐちゃぐちゃにしてから見てないの」
音が鼓膜を揺さぶると同時に時が止まる。思考が理解に追い付かず言葉は意味としての音ではなくただのノイズのように聞こえる。
ゆっくりと音が意味という形を作り思考が理解を形成する。そして時は動き出す。
お前の仕業かッッッ!!!!!
魔王を引き籠りにしたのはお前がやったからかよ!!
魔王をぐちゃぐちゃにした、だって意味が分からない。勇者より先に娘に討伐された魔王なんて初耳だ。どんな家庭で育ったらこんな風になるんだよ。
もしかして魔王はもう亡き者になっているのか。ただの屍のようだ、みたいなことになってるのか。
でも、イーシェは引き籠りだって言っていたから生きてる、はずだよね。普通は10年も経っていたら生存は絶望的だけど。仮にも魔王なのだから餓死とか娘に殺されることなんてあるはずない、よね。
「ミコトはお父様に会いたいの?」
「ああ、そのために来た、ってなんで名前を?」
自己紹介なんてした記憶はない。記憶が消されたり記憶喪失になったりしていなければの話だけど。
「ミコトを連れてきた時に使用人に教えてもらったの」
「なるほど」
俺の名前を知っている使用人と言えばイーシェしかいない。彼女がこの娘に教えたのだろう、それしか今の俺には考えられない。
そういえば俺はこの娘の名前を知らない。別に知らなくてもいいのだけれど知っていて損はないだろうし。
「それで、君の名前は?」
「私の名前はねぇ」
漆黒に身を包んだ可愛らしい魔王の娘は口角を上げて溜めを作る。
愛らしく小柄な少女はただ笑顔でいれば完璧な美少女だ。両手を俺の頬に触れて優しそうな化粧もしていない自然な唇が開かれる。
「真桜だよ。まーちゃんでも、さーちゃんでも桜でもミコトの好きな私で呼んでね」