4.手掛かり
元の世界に帰還する方法を探すという問題の他に大きな問題が立ち塞がる。住む場所がないのだ。もちろんこの世界の通貨なんか持っているはずもない。
案内を終えてユユの家である料理屋ファルシに戻ってきて辛気臭く途方に暮れていた俺におっちゃんが「どうした、少年!!」と話しかけてくれた。
寝床がないことや帰りたいけれど方法が分からない等を話すとおっちゃんは豪快な笑顔で店の手伝いをするという条件を出して、こんな俺みたいな胡散臭いよくわからない奴の宿泊を快く許諾してくれたのだ。なんと心の広い方達なのだろうか。目頭が熱くなります。
知らない初対面同然でも人ってこんなにも親切で優しくできるものなのかと信じられない感情があった。俺だったらと考えるとキリが無いからそういうことは考えず他人の親切心をそのまま受け取ることにした。
俺は料理屋で働くことになりました。
料理屋ファルシは三人家族で切り盛りされている。一人娘であるユユはウェイターや食材調達、時には調理もする万能看板娘。ユユのために来るという常連もいるから人気は計り知れないものがある。父親のおっちゃん(フォーカスという名前だがおっちゃんで固定)は店主兼料理長。おっちゃんの料理はどれも美味しく勉強になる。母親のリリーさんは経理を担当。用紙にはびっしりと数字が書かれていて驚いた。電卓があればもっと楽になるのだろうがこの世界に存在しないことを言っても仕方ないし機械のことは全然わからないからどうしようもない。
皆優しく俺は安堵した。
そして日々は過ぎる。
なにをしていても、なにもしなくても陽は昇りそして沈み、月は輝き淡い光で大地を照らす。それはこの世界でも変わらない。ただ繰り返すだけの日々。この世界に来て数日があっという間に過ぎた。
月光が差し伸べる部屋でぼうと窓の外を眺める。
ふと、元の世界での生活を思い出す。あれは自堕落で何も考えずなにも心からやりたいという夢もなくただ生活していただけの日常が俺の幸せだった。両親も妹もいてこれまで何不自由ない人生。
これまで全て誰かに頼ってきた。ただ一人で生きるってことが俺にはできないとこの数日で確信した。
苦しい。
人に頼ることが、人の優しさがこんなにも心の負担になるなんて思わなかった。
無意識に涙の小粒が頬を伝う。何度も何度も伝う小粒の涙はやがて一本に繋がった。この数日に溜まっていたものが涙という形で表れる。
「帰りたい」
押し殺していた声から聞こえた自分の本音。俺には帰らなければいけない場所がある。
平凡な日常だったけどあの世界が俺のいるべき世界だ。ここは違う。
うずくまりながらしばらくの間溢れ出る涙は止まらなかった。
翌日、寝不足ながらも店の手伝いはしっかりと取り組んでいた。
客足の一番人が多い昼時も過ぎて今は常連の人達が数人残っている程度だ。
ユユの閃きから数日が経過したが一向に店主から連絡は来ない。しかしただ連絡を待つだけではなかった。自分なりに常連の人達に伽話としてそんな実例がないか等聞き込みをしたり大聖堂にある図書館で書物を漁ったりしていたが未だに解決方法は見つからない。
他には行方不明者が最近多くなっていることや街の外に魔物が大量発生とか俺には直接関係がありそうでないことが起こっているくらいで進展は残念ながらない。
椅子に座って頬杖をついているとバサバサと鳥が羽ばたく音が俺目掛けて突っ込んできた。
「うおおお!! なんだこの鳥は!!?」
「エンダーさんのところの使い魔だ!!」
ユユがそう言って灰色の体色の鳥を掴む。よく見ると足に紙が付けられていた。それをユユが嬉しそうな表情で取って見る。
「・・・ミコトさん!! 魔族の使用人さんが来ているって行こう!!」
「本当か!? あ、でも店は」
「少年、行って来い。今の時間は大して客もいない」
おっちゃんに背中をおもいっきり押されて体勢が崩れたが立て直しユユと一緒に総食料素材屋に向かった。
店主に紹介された使用人は本当に使用人らしい格好をしていた。レース付きのカチューシャにはっきりと体の見事なラインの凹凸がシルエットとして見えるフリルの付いた白黒のエプロンドレス。まさしくリアルメイドさんだった。
他にも変な格好の人達はいるのだが圧倒的存在感で一人浮いている格好だった。
「あの、魔王城の使用人さんですか?」
「そーですよ。私は使用人をしているイーシェといいます。それで私に用件とは?」
イーシェはユユの質問に軽く答えて黒色の髪を掻き揚げて紅い瞳でこちらを伺う。質問したユユではなく俺の方を見ながら、お前が質問しろ、というように。
「魔王城に行きたいんです。案内してもらえませんか?」
「その黒色本物?」
「そうですけど」
「・・・そう」
紅い瞳は冷たい視線を送る。感情の籠っていないただの言葉。
その言葉は続く。
「残念ですけど私に案内しろって言っても無理ですよ。私はただの使用人なんですから」
「俺は魔王城に用があるんです。そこに俺が帰る方法があるはずなんです」
「――ああ、そうなの。あ、いや、そうなんですか。でも私達にそれは関係ないことですし貴方がどうなるかなんて知りません」
冷たい言葉が突き刺さる。優しさに甘えていた俺には厳しい言葉だった。
所詮他人から見れば俺の事情なんかどうでもよく他人事なのだ。
「お願いします」
頭を下げ乞う。
「困ったな~、二人とも頭上げてくださいよ。無理なものは無理なんですよ。これまで城に案内した件は私含め一切ないですしあれです、今回以降ご縁がないってことで」
二人? そうか、ユユも一緒に頭を下げてくれているのか。
こんなところで引けない、引けるはずがない。せっかくの希望をみすみす逃すか。頭を下げ続けて同じ言葉を繰り返す。「お願いします」と。
イーシェは俺の肩を掴んで起こした。紅い瞳と目が合う。それは深く美しく宝石のような輝き。
――諦めろ。
突然体から力が抜け膝をついた。なにかが体から抜けていく感じ。
「ミコトさん?」
「では、これにて失礼します」
「・・・そんな」
ユユの口から空気が抜けるように出たのは絶望を含む言葉。
膝を付いたまま放心状態の俺は思考が停止していた。
虚脱感。情報が出入りしない全てが真っ白になっていた。そんな状態がいつまで続いたのだろうか。気付いた時には俺一人だけだった。
記憶がトンでいて何をしていたのか思い出せなかった。頭痛がする頭を押さえながら料理屋に戻るとおっちゃんが厨房から顔を出してきた。
「少年どうだった!? いい情報はあったか?」
俺、何してたんだっけ?
「ユユはどうした? 他の使いが残ってたか?」
ユユと何してたんだっけ?
「あいつ心配してたぞ。少年が夜に泣いていたって。あいつは面倒見がいいからあんま心配かけるなよ。相談ならいつでものってやるぞ」
あれを見られてたのか、恥ずかしいな。みんな心配してくれてたんだ。
それで俺はユユとあの店で何をしてたんだ。思い出せ、さっきのことだろ。思い出せ、何を話した。思い出せ、誰がいた。思い出せ、何のためにいたんだ。
頭痛が止まり、モヤモヤとした違和感が取り除かれる。
随分とあっさりした感覚だった。鍵が外れたように記憶が戻る。
――思い出した。
なんで記憶が無くなっていたのか分からないが簡単に戻ったので今は気にする必要もない。
俺になにも残さずユユがいなくなったってことはあのイーシェというメイドに連れられたか。いや、わざわざ連れていくわけないだろう。他にはユユは尾行していった可能性もある。あのメイドがユユに危害を加えないという可能性もないわけではない。逆に大いにあるだろう。
ユユのことだ。俺の帰る方法のためにメイドについて行って魔王の城の場所を見つけようとしているのだろう。
なら、どこにむかったか場所は分かる。もし、違うのなら別に問題はない。
早く死の森に行かなくては。