2.街案内-1
「おお、少年、起きたか。どうだ、身体の調子は?」
頭にタオルを巻いたラーメン屋のおっちゃんみたいな恰幅のよい人が部屋に入って来てユユはその人へ振り向き「あ、私のお父さん」と紹介した。
「お父様でしたか。この度はお嬢さんに助けていただいてお礼申し上げますです」
慣れない俺仕様の丁寧なお礼の仕方で挨拶を済ませる。はて、これでよかったのだろうか。
「そんなのお互い様さ。俺等も魔族には世話になってんだ。困ってたら助けるってのが普通だろ」
「魔族?」
「ん、お前魔族じゃないのか? 黒髪でしかも黒眼っていや最高位の魔族だろ」
「お父さん、ミコトさんはこの国じゃないところから来たのよ」
「いや、それは魔族共通のはずだが、そういう人間もいるってことなのか」
二人の会話についていけず、ぽかんと間抜けに口を開けながら見ていた。
適応能力は自分でもかなり高い方だと自負する俺だけど、この問題は理解しようとすればするほど底なし沼のように理解できず溺れていくしかない。単純なバカな俺は理解という理性よりも感覚という本能で解決するほかない。
「俺も黒髪黒眼を見たのも久しぶりだったからな。もう20年くらいになるのか」
客も少なくなって暇になったおっちゃんがしみじみと昔話をし始めた。かなり美化された内容だと聞いていてすぐに分かったので簡単に整理しておいた。
このマグ・メルは魔王が王として君臨する王国である。死者の森という所を抜けた先にある魔王城に住んでいると言われているが実際に人間でそこに訪れた者が存在しないので分からない。その城に住む魔王は毎日のように街を訪れ民衆と戯れ共に仕事を手伝うという、いつも笑顔を絶やさない好青年であった。
その魔王が魔族最高位の証である黒髪黒眼の持ち主であった。
おっちゃんも当時は若く魔王と共に野獣や盗賊を懲らしめていたらしい。
しかしその魔王も20年程前から街を訪れなくなり姿も現す事もなくなった。魔王城へ行こうかとおっちゃんも挑戦したが死者の森はそれを拒んだ。名の通りその森は死者か魔族しか通れない強固な結界が張られた場所だったのだ。魔力にも恵まれず腕っ節しか取り柄のなかったおっちゃんは諦めるしかなかったという。
そんな話を聞かされること小一時間。おっちゃんは下から聞こえる怒声で顔を真っ青にさせすぐさま部屋から脱兎の如く飛び出していった。
「お父さんはお母さんに弱いの」とユユは笑顔で言う。
なるほど。あのおっちゃんの表情の変わり様を見たら人間に呼ばれたって感じではないと思ったが、あれはお母様のお声でしたか。
そんなことを口外すると事は悪い方向にしか進まないので俺は思ったことは厳重なロックされた心の部屋にしまうのです。
それよりもおっちゃんが話していた黒髪黒眼の魔王のことだ。
会話の途中でユユは俺が倒れていた森が死の森だと説明してくれた。その先に結界に覆われた不可侵の魔王の城がある。
関係無いわけないじゃないか、これは偶然じゃないだろ。俺がこの夢伽話のような場所に強制的に送られた原因が死の森の先にあるはずだ。
しかし魔王の城に行く手段がない。
誰も行った事のない場所へどう行くのか。何日彷徨って森からも出られなかった俺が行けるとは思えない。結界という厄介な防御手段を持つこの異世界は現代の常識は通用しないみたいです。
「ミコトさん大丈夫ですか? まだ具合が悪いのなら休んでいてください」
「大丈夫、いつも使わない脳を使っているからそう見えただけだよ」
ユユの優しさに涙腺ダムが決壊しそうになります。
普段はまったく何も考えず自堕落にのんびりと過ごしてきたから、いざ自分で何かをしようと思おうとしてもアイディアが出てこないし行動もできない。
情けない自分を改めて思い返すと後悔が沢山溢れ出て来る。これは負と鬱のスパイラルに陥ると感じ、窓から見える現代世界と変わらない青空を眺めた。
青空は同じだけど飛行しているものが違う。翼の生えた人が飛んでいたり、棒状の道具に跨った人が飛んでいたり、もう人じゃない生物が飛んでいたりとシュールだ。
「外が気になりますか?」
「ああ、うん。ここ全然知らない場所だからね」
「でしたら案内しましょうか?」
「いいの? 店の手伝いは」
「大丈夫ですよ。今の時間帯はお客さんの出入りは多くないですから」
「助かるよ」
本当に助かる。一人じゃ知らない場所をうろつくのは恐いから。
弱った体を再び立ち起こして部屋からユユと一緒に出る。
音のよく出る木製の階段を下りるとすぐ厨房があった。そこでおっちゃんは片手で軽々と大きい中華鍋で野菜を炒めていた。
「お父さん!! 外出てくる!!」
「おお!! 行って来い!!」
厨房の騒がしさで普段の声の大きさでは通らないためユユは叫ぶように会話した。
店には2,3人の客が残っていて皆ユユを見ると一言かけていた。それを後ろから見ていた俺は初対面でも話しやすいし優しいから親しみやすい人気がある娘なんだなと思った。
店から出ると外は賑やかだった。人々の声と足音が活気を出している。
「あら、もう具合はよくなったのかい?」
店前の花壇に水をやっていたユユと同じ服装をした綺麗な女性が話しかけてきた。ユユをもっと大人っぽくした容姿でこの声はさっき聞いた覚えがあった。
ユユは「お母さんだよ」と説明してくれたが、その前にすぐにユユの母親だと分かった。
「おかげ様で助かりました」
「何そんな硬いお礼言うんだい。別に私は何もしてないよ。で、今から出かけるのかい?」
「うん、ミコトさんに街案内するの」
「ミコトって言うのか君は、私はリリー、この娘の母親だよ。よろしくね」
リリーさんはユユと同じ笑顔を作って握手をした。その手は小さく柔らかくて温かかった。
「あ、今から出掛けるんだよね。なら、お使いを頼むよ。ちょい待ってて」
握手をしている最中にリリーさんは思い出すかのように言って店の中に入っていった。すぐに怒声が聞こえたがユユが言うには「いつものこと」だそうで気にしないようにした。
手に紙を持ったリリーさんが店から出てきてユユにその紙とジャラジャラと中で硬貨がぶつかる音をさせる袋を手渡した。
「そこに書いているのを頼むよ」
「分かったよ。じゃあ、ミコトさん行こう」
ユユと街案内ついでのお使いをすることになった。
ユユの家である料理屋に沿っている道はこの街一番広い通りだ。そして街一番の商店通りでもある。
見たことのない店の軒並みが連なり2,30メートルくらいある道幅に様々な人々が闊歩する。
よく見ると猫耳の人やら兎耳の人が普通に歩いていた。ミコトは、これはコスプレタウンか!? となぜか興奮していた。
ミコトは自分の想像していたファンタジーの世界と同じで初めて見るものばかりがありテンションが上がる。
フードを被った怪しい人やボロボロの鎧を着た人や獣姿の人等が横切るとついつい目で追ってしまう。
それでも実感はまだ湧かない。こういう光景はテレビやらで多少見慣れた光景であった。現実でもこういう格好で普通に歩く光景があるおかげもあってかそれほどのギャップがないことで驚いている。しかし、これらは虚構ではなく事実なのだ。コスプレイヤーではなく本職なのだ。
ユユは紙を見て立ち止まる。
立ち止まった前には紫を基調とした店が立っている。
店名は・・・知らない文字だ。読めな・・・くない。知らないけど見たことないけど、それが文字だと理解できていた。その文字の意味も理解できた。
ルキュールの魔法道具店。
「えと、ここは魔法具屋さん。お母さんのから頼まれたものがあるから少し時間かかるけどいい?」
「へ、あ、いいよ。魔法具屋なんて初めて入るし中で見てるよ」
文字を見ながら疑問を抱きながらも店に入った。